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第二章・6


 6



「遊びじゃないんだぞ」

 凜からはそう釘を刺されそうだったが、折角の遠出なのだから、少しくらい楽しみたい――彼に単独行動を勧めたのには、そんな本音もあってのことだった。

 かといって、彼を裏切ったことにはならないだろう。彼にとっても、ひとりの時間は有意義なはずだからだ。

(このくらいなら、罰は当たらないよね?)

 そうたかをくくって、愛稀が真綾と一緒にやってきたのは、施設内にある大浴場だった。ひとまずは風呂に入りたい。車に乗っている時間の方が多い楽な旅とはいえ、汗をかかないわけでも、身体が汚れないわけでもない。1日の疲れを大きな湯船で流したかった。

 脱衣所で衣服を脱ぎ、ロッカーに入れて、浴場へと向かう。広い空間に湯気が立ち上り、中には既に何人か人がいた。

 愛稀は真綾を連れ、まず壁際にかけられているシャワーで身体を洗うことにした。公共の場でもあるし、湯船に浸かるのは、身体を綺麗にしてからの方がいい。まず、シャワーを弱めに出し、真綾の身体と頭を優しく洗う。それから、シャワーを強めて、自分の肩へとあてた。

 その時、愛稀は自分の真後ろに、誰かが立っているような気配を感じた。真綾ではないことは明らかだ。ノズルから流れる湯の粒が、まるで自分の肩を叩き続ける無数の手のように思えた。

(きっと気のせいだよ。誰もいるはずがない)

 愛稀は自分に言い聞かせた。振り返ればそれが証明できるだろう。けれど、もし気のせいじゃなかったら――という一抹の不安がよぎり、彼女を動けなくさせていた。

 その時、耳元で声がした。

『おい、気づいてないわけじゃねえんだろ?』

 とてもじゃないが女の声とは思えない、地を這うような低い声だった。ふいに、愛稀の脳裏に昼間の浜での記憶が呼び戻されてきた。あの場所には、よくないものが充満していて、それが自分の内部に侵入してくるようだった。思い出した瞬間、猛烈な吐き気が催してきた。悪いものをすべて吐き出したいという衝動に駆られたのだ。彼女は手で口を押さえながら嘔吐した。手の隙間から、吐しゃ物が大量に溢れだし、地面に落ちてゆく。

「ちょっとあんた、大丈夫かい?」

 隣にいた中年女性が愛稀に声をかけたが、愛稀は返答することもままならず、ただこくこくと頷くことしかできなかった。急いでシャワーで自分の手を洗い、浴室に落ちた自分の吐しゃ物を排水溝へと流した。

(――真綾?)

 ふと娘のことが気がかりになり、振り向くとさっきまでいたところに彼女はいなかった。

 ぐるりと後ろを振り返る。真綾は湯船の淵のあたりでかがんで、湯の中に手を突っ込んでいた。何かに向かって手を伸ばしているようにも見えた。

「真綾……!」

 愛稀は急いで真綾へと駆け寄った。

「何してるの、真綾!!」

 もう一度叫んで、彼女の肩を掴んでぐっと起こした。真綾は驚いた顔で母を振り返った。彼女の表情が、次第に歪んでいき、目には涙を滲ませてゆく。

「ごめんね、ビックリさせちゃったね。でも、ダメじゃない。勝手に歩いていっちゃ」

 愛稀は真綾を抱きしめながら言った。真綾は大声をあげて泣きだしそうなのを必死で堪えているようだ。愛稀は彼女の頭を優しく撫でながら、

「さ、そろそろ出ましょうか」

 と言った。愛稀は真綾を連れ、浴場を出ていった。

 身体を拭くのもそこそこに服を着替え、愛稀はそそくさと浴室を離れて、わき目もふらずに歩き続けた。振り返れば迷いが出そうだった。真綾は目を赤くしながら、それでも母親の手を放さずついてくる。

 脅威が他人事ではないと、愛稀ははっきりと自覚した。余城の次のターゲットは、他ならぬ自分たちなのだ。早く凜と落ち合いたかった。敵の得体がまだ知れない以上、立ち向かう術は家族の結束力しかないと思えた。


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