第二章・4
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「ほう、K大理学部の准教授ですか」
吉田は凜が渡した名刺を見て言う。
「実は私もK大の医学部出身なんです」
吉田の表情が柔らかくなった。どうやら、同じ大学ということに親近感が湧いたらしい。
「――で、そんなあなたが、どうして余城さんに会いたいと?」
吉田は本題に入った。余城と面会したいということは、事前に吉田に伝えてあった。
「実は――」
凜は事情を詳しく話した。吉田はふんふんと頷き、時には気難しそうな表情を浮かべながら凜の話を聞いていた。
「なるほど、失踪事件と彼とが関係あるかも知れないと――面白い見解ですね」
凜の話について、吉田はそう応えた。しかし凜は、内心でどう思っているかは怪しいものだと思っていた。彼の経験上、この手の人間はこういった話題は信憑性がないとバッサリ切ってしまうことが多い。
「ただ、強いて私の見解を申し上げると、どこかオカルトチックというか、科学的論拠が薄いように思えますな」
案の定、吉田はそう言った。
「可能性のひとつとして、調べてみたいんです」
吉田は、凜の言葉を噛み砕くように、2, 3回頷いてみせた。
「なるほど――、いいでしょう。実際に彼を見た方があなたの気も済むでしょうし。ただ、あえて私個人の見解を言わせてもらえば、やっぱり彼は無関係だと思いますよ」
けれども、なおも吉田はそう言ってみせるのだった。
病室の扉には南京錠が掛けられていた。吉田は白衣のポケットから鍵を取り出し、南京錠を外した。扉を開けると、中は独房のように閉鎖的で無機質な空間だった。
「中にどうぞ。ご心配なく、襲われたりすることはありませんから」
吉田に促され中に入ると、部屋にはむんとした排泄物のような臭いが染みついていた。
「彼はどこに?」
凜は吉田に尋ねた。ぱっと見て、彼の姿が確認できなかった。
「ほら、そこですよ」
吉田は凜たちからみて右側を指し示した。その方を見ると、部屋の角に青白い顔をしたひとりの男がうずくまり、子犬のように脅えた目で凜たちをじっと見ていた。
「これが余城?」
「そうですよ」
吉田は平然とした様子で答える。実際の余城は、記事の内容や彼の級友・両親の話から凜が抱いていたイメージとは、まるっきりかけ離れていた。脆くて弱々しく、すぐに壊れてしまいそうな印象を受ける。
「自殺未遂を図ってから、ずっとこんな状態です。自分が誰なのかも、家族や友人の顔も分かりません。生活の概念さえ抜け落ちてしまったようで、こちらが導かないと、食事を取ることもできず、トイレも垂れ流しです。この部屋、やけに臭うでしょう。その都度掃除はしているのですが、際限なく繰り返すものですから、臭いが染みついてしまいました。精神が完全に壊れてしまったんでしょうね」
吉田は、当の本人の前にもにもかかわらず、淡々とした口調で言った。改めて凜の方を見て続ける。
「ほら、これで分かったでしょう。あなたのおっしゃっていた事件に、彼は無関係です。百歩譲って、彼がかつて人智を超えた力をもっていたとしても、すでにその力は失われているでしょう。なぜなら、彼はただ死んでいないだけで、もう生きてはいないのですから」
「分かりました」
凜はそう応えたものの、もちろん吉田の意見に納得できたわけではなかった。




