第一章・4 (3)
記事は取ってつけたような社会風評で締めくくられていた。
凜は大学近くのイタリアンレストランで、記事を読み返していた。
社会に馴染めず、才能を開花できないままに自らを終わらせてしまった余城の気持ちが、凜には少し分かる気がする。
運よく自分は、社会人として比較的安定した地位にいるが、学生時代は協調性がないとよく言われてきた。今でも周囲に合わせるのは苦手だと思う。
(愛稀と付き合いだした頃もそうだった。僕は、恋愛の意味がよく分からずに、恋人と友人の違いって何だろうかと、ずっと考えていたっけ――)
ぼんやりとそんなことを考えていると、お手洗いから早苗が戻ってきた。
「…………」
早苗は椅子に座ってからも、無口なままだった。
「――?」
おかしいと思った。向こうからもっと話してくると予想していたのに。
レストランで話がしたいと誘ってきたのは早苗だった。この子はきっと川上に早く逢いたいに違いない――と凜は思い、彼女の希望を一刻も早く叶えられるようにその誘いを受けたのだ。
しかし、今まで、早苗はあまり言葉を発していない。食事を終えるまでずっとこんな状態である。少しこわばった表情でもじもじしているさまは、何かを言い澱んでいるようにも見えるが、凜には言うことを躊躇う理由がよく分からなかった。
「新川さん」
「は、はい……!」
「君は何か僕に話したいことがあるんじゃないの。黙ってちゃ、どんどん時間が過ぎてゆくだけだよ」
「あ、すいません――何から話せばいいのか、分からなくて」
なるほど、事件解決の糸口を掴みたくても、どのように話を進めたらいいのかよく分からなかったに違いない――と凜は思った。
「川上くんのことが心配で、早く彼の居場所を突き止めたいと焦る気持ちは分かる。でも、そんな時こそ落ち着いて論理的に物事を考えなきゃ。今分かっていることを列挙して、ひとつひとつ筋道を立てて組み立てていくんだ。そしたら、きっと答えは見えてくる。仮に見えなくても、方向転換をすればいい」
「そ、そうですね」
「さあ、言ってごらん。事件について、君はまず何を考える?」
「まずは――これまで調べてきたことを、どう整理したらいいのかを知りたいです」
「というと?」
「これまで私たちが調べてきたことが、本当に意味があることなのか、正直分からないんです。もちろん、先生の考えが間違ってると言いたいんじゃないんですよ。でも、本当にタモくんたちの失踪に関係しているのか、疑問にも思えてしまうんです」
「ふむ……、なぜそう思う?」
早苗は言いにくそうに喉で唸ったが、やがて思いきったように言った。
「だって、私たちが考えていることって、現実離れしてるじゃないですか。水と自殺未遂をした人が一連の事件に関わっているなんて。私も調べている時は夢中になっていましたけど、冷静に考えると非科学的だし、はっきり言って論理性があるとも思えません。――ごめんなさい、こんなこと言って」
早苗は申し訳なさそうに俯いた。凜は首を横に振る。
「そんなことはない。分からなければしっかり確認をとることが大切だ。そうしないと、正しいか間違っているかの判断さえできないからね」
凜はそう前置きして、早苗の疑問について解説を始めた。
「君は僕らが考えていることについて、現実離れしていると言ったね」
「はい」
「確かにそう思っても仕方がないかもしれない。けれど、非科学的、論理性がない、というのはどうかな」
「――え?」
「君はサイエンスをどのように考える?」
凜は訊いた。早苗は「うーん」としばらく考えてから、答えた。
「世界の現象について論理的に検証し、明確な真実を発見する学問だと思います」
「半分は正解だ。でも、半分は違っていると僕は思う」
早苗は怪訝そうな顔を浮かべた。
「僕の考えを言おう。科学とは、世界の出来事を人間が色々な角度から見、感じ、考え、その上で自分たちが納得のいく形で導きだした理由のことだ。世界にはまだ人類に到底解明できない出来事も多い。知りもしないこともあるかも知れない。だから、自分たちの見地で正誤を決めつけるのではなく、真実を正しい目で見て、導きだす心が必要だ」
「…………」
早苗は黙っていたが、真剣な目で凜を見ていた。凜は話を続ける。
「今回の件に関しても同じことが言えると思う。確かに、君の言うように現実離れしているかも知れない。それは、今まで我々が見つけ、学んできたものとは性質が異なる部分もあるからだ。けれど、だからといって非科学的とは決めつけられない。なぜなら、正しい論理で真実を導き出せたのなら、それはその時点で科学になる。どうだい、まだ納得できないことはあるかい」
「――いえ、よく分かりました。私、今の方向性でいいのか、悩んでたんです。でも、先生の話を聞いて自信がもてました」
「それはよかった。じゃあ、これから何をするか、考えよう」
凜がそう切り出すと、早苗が尋ねた。
「先生は何か考えていることはありますか?」
「もちろんある。まず、余城って男の住んでいる場所に行ってみようと思う。実際に彼に会って、彼の知り合いにも話を聞いてみたい」
「いつ行くんですか?」
「善は急げだ。明日にでも行ってみようかと思ってる」
「それ、私も行きたいです! 同行していいですか?」
早苗は身を乗り出して言った。しかし、凜はゆっくりと首を左右に振った。
「気持ちは分かるが、これは僕ひとりで行かせてくれ。もしかしたら、危険があるかも知れない。そんなところに、学生である君を連れてはいけない」
「でも……」
「君は、川上くんのために君自身ができることを考えてくれ。それに、もしかしたら、彼がひょっこり帰ってくるかも知れないだろ。その時に君がいなけりゃ、彼が悲しむよ」
早苗はしぶしぶ頷いた。よっぽど残念だったようだが、凜も彼女を連れて行くわけにはいかなかった。
「さあ、もうこんな時間だ。そろそろ出ようか」
凜は腕時計を見て、そう言った。




