「エミール・ガレ展」と「ビアズリー展」、そして東京という街。
雛祭り前日の日曜日、サントリー美術館開催の「エミール・ガレ展」と三菱一号館美術館開催の「ビアズリー展」展を観た。
その日は珍しく子供たちの塾も習い事もお休みで、また、次女がエミール・ガレのガラス工芸作品を好きなことから久々に都内に出て美術鑑賞する機会を得たのである。
ただし、夫はどちらの展覧会にも興味がなく、小五の長女も
「久し振りに塾も習い事もないから家でゆっくりしたい」
と言うので、私と小二の次女の二人で出掛けた。
以下ではこの日帰り美術ツアーについて記したい。
(一)サントリー美術館「没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ」
開催地のサントリー美術館には今回初めて行った。
横浜から東急東横線で中目黒に出て、そこから日比谷線に乗り換えて最寄り駅の六本木まで行った。
しかし、そこで出た改札口の関係で公式サイトで説明されている美術館直結の地下鉄大江戸線の方の六本木駅の出口8には辿り着けず、やむなく別の出口から地上に出て地図を観ながら向かった。
似たようなガラス張りの高層ビルが立ち並ぶ界隈で辿り着くまでに想像以上に時間が掛かった。
この美術館はそれ自体独立した建物ではなく、飽くまで複合商業施設「東京ミッドタウンガレリア」三階に間借りする一テナントである。
サントリーという日本有数の大企業の名を冠しているにも関わらずそんな小ぢんまりした規模しか持たない点、同じガレリア内にはいかにも高そうな服飾(『MIKIMOTO』を始めとする値段を示していない真珠のネックレスや服、靴のショーウィンドウばかりで前を通り過ぎるだけで気後れした)や飲食のテナントが犇めいている点に
「ここは地価もテナント料も国内最高レベルに高いんだろうな」
と何とはなしに世知辛い気分になった。
そうして辿り着いたサントリー美術館の「エミール・ガレ」展だが、展示室は二階分に分けられており、初期と後期の作品を追う構成になっていた。
率直に言って、日本の浮世絵や焼き物に影響を受けた初期の作品にはあまり惹かれなかった。
ガレは日本の浮世絵や焼き物に影響を受けてはいるが、必ずしも日本の生物や文化に詳しかったとは言えない。
まず、最初の方にインスピレーション元となった佐藤陶崖の「備前焼 獅子頭形火入」と並べて展示されていた、「獅子頭『日本の怪獣の頭』」に違和感を覚えた。
なお、ガレのこの作品の英題は“the head of a Japanese monster”であった。
ガレは日本語の「獅子」がライオンと同義語だと知らなかったのだろうか。
佐藤陶崖の作品と比べてもガレのそれはライオンからはかけ離れた想像上の怪物めいている。
また、ガレの描くバッタは手脚の節など細部は精緻に表現されているが、触角は長過ぎてカミキリムシやゴキブリじみており、全体としてはサソリのような昆虫とは別種の生物に見える。
鯉は金魚との折衷じみた印象だし、セミも蛾のように見える。
表現としての独創性はさておき日本人の私としては違和感が拭えなかった。
日本人のイメージするフランスが実際のフランス人にとって少なからず不正確なものであるように、一度も日本を訪れたことはなくテレビもインターネットもない十九世紀のフランス人であるガレの思い描く日本も歪みがあると言わざるを得ない。
陶器の食器皿などを観ても
「うちの食器棚にもこんなのあるな」
と陳腐な印象を受けたが、これはむしろガレの作品が後の世代にとっても絶対的な物で今の大量消費的な日用品としての食器の原型になったということだろうか。
ガレの真骨頂はやはり階を変わって観た後期の作品だろう。
故郷のナンシーに咲く黄水仙など実際に観察して表現したと思われる植物をモチーフにした作品には目を見張るものがある。
特に、広告に使われた「ひとよ茸」は圧巻だった。正にこの一作だけでも足を運んだ価値はあったと思わせる。
一見して大きな作品だ。
同行した八歳の次女も
「本で観て思ったよりずっと大きい」
と目を丸くしていた。
一夜茸の成長を三段階に分けて一つ一つを照明にした電灯だが、一番小さな物でも通常の電気スタンドほどの大きさである。
それを丈も傘の大きさも一・五倍くらいずつ大きくして三つの電灯を並べている。
少しずつ色合いの異なる鮮やかな朱の傘が三つ並んで置かれた空間で温かな光彩を放つ。
これは平凡な家屋敷に置くには相応しくない。おとぎ話に出て来る不思議な城でなければこんな風に衆目の集まる空間でこそ輝くものだ。
(二)移動中のハプニング
次女の希望もあって来たガレ展だったが、十一時過ぎには観終えてしまった。
そこで、こちらは母親の私が興味を持っていた三菱一号館美術館のビアズリー展にも行くことにした。
なお、近隣の美術館で開催されたこの二つを含む四つの展覧会は、一件のチケットがあれば別の展覧会のチケットも割引になる*1
ガレ展のチケットが一般料金で一七〇〇円、ビアズリー展は本来は二三〇〇円だがガレ展チケットによる二〇〇円の割引で二一〇〇円になった(追記すると、どちらも小学生以下は無料なので小二の次女と二人で観覧しても私の分しかチケット代はかからない)。
率直に言って、「割引してもまだ高い」というのが富裕層でない私の実情だ。
私が同じ三菱一号館美術館で二〇一四年に開催された「ヴァロットン展━冷たい炎の画家」を観た時には一般料金は一六〇〇円であった*2
そこから十一年で七〇〇円、実に四割以上も本来の観覧料が値上がりしている。二〇〇円ばかり割引したところで以前の正規料金より五〇〇円、三割以上も高くなっているのだ。
まだ赤ちゃんだった長女をベビーカーに載せて観に行った「ヴァロットン展」だったが、その子が小学校も卒業していない今はそんなに美術館の観覧料は爆上がりしている。
日本の実質的な賃金が上がっていない事実に鑑みれば、この十年余りで美術鑑賞はより金のかかる娯楽になっているのだ。
相互割引にしたところで結局は開催期間内に二件以上の展覧会に足を運べる程度には余裕のある層をターゲットにしている。
こうした「美術は金持ちの娯楽」という風潮は社会の平均した精神の貧しさや余裕の無さを加速させるものだ。
話をビアズリー展に戻すと、サントリー美術館を出て近くで昼食を取ってから日比谷線で日比谷まで移動し、地下通路で三菱一号館に一番近いB7番出口に向かった。
だが、途中から擦れ違う客にオリンピックの中継で観るような陸上競技用のウェア(タンクトップにショートパンツを組み合わせたスタイル)にゼッケンを着けた人(しかも一見して外国人比率高め)が多くなり、
「あれ、今日は何かの大会だったか?」
と嫌な予感がし始める。
案の定、B7番出口は
「東京マラソンにつき閉鎖中」
と案内が出ていた。
なお、三菱一号館のホームページには東京マラソンに関する告知が出ていたのは帰宅後に知った*3
こちらとしては普段は横浜に住んでいて六本木のガレ展に行くのが当初の主目的であり、三菱一号館側はビアズリー展そのものの記事しか観ておらず、しかも、マラソンのようなスポーツイベントには全く興味が無かったため当日それがあることも知らず、すっかり見落としていたのである。
こうした様々な条件が重なっての情報の見落としというものは世間に案外多いように思う。
それはそれとして、仕方なく近くの別の出口から地上に出て三菱一号館に向かったが、何と今度は三菱一号館の前の道路(名前は『丸の内仲通り』だとこれも帰宅後に検索して知った)がちょうどマラソンのルートになっており渡れない。
すぐ目の前に目的地が見えていながら行き止まりである。
止むなくマラソン関連の警備と思われる制服の男性に
「三菱一号館に行きたいのですが、どう行けばよろしいですか?」
と尋ねた。
すると、道路を面して三菱一号館の向かいに立つビルを指して
「この丸の内マイプラザの地下通路が三菱一号館に繋がっています」
と説明された。
この辺りは東京という日本の首都の心臓部に当たるが、地上ではそれぞれ独立して見える一つ一つのビルが地下では不可分に繋がっているのだ。
そこに慣れ親しんだ人たちにとっての便利さと自分のような中途半端にしかこの街に接していない人間を無言で篩い落とす不気味さを覚える。
(三)三菱一号館美術館「異端の奇才――ビアズリー展」
先程ガレ展の観覧料が一七〇〇円、ビアズリー展のそれが二三〇〇円だったと述べた。
展示品のボリュームも料金に比例して多かった。
ガレ展が作品全一一〇点をフロア二階に分けての展示であるのに対し、ビアズリー展は約二二〇点をフロア三階に分けての展示である。
高い料金を払った分だけ元を取ろうと張り切って観始めた母親に対して小二の娘は何だか疲れて気乗りしない様子で歩いている。
――もう目当てのガレのガラス工芸は観たし、お母さんの好みで来たこっちの絵は何だか怖いしつまらない。
そんな心の声が聞こえてきそうで少し申し訳なくなる。
そういう私も少女時代に岩波文庫の「サロメ」の表紙に使われたヨカナーンの首に口づけるサロメの絵を観て
「これがサロメなの? 美女どころか醜女では」
「こんなどちらが男か女かも一見して分からない、表情も何だか禍々しくて醜くすら見える絵のどこが耽美なのか」
と思った記憶がある。
ビアズリーの描く人物は美しくない。
これは展覧会で併せて展示された、彼が影響を受けたり同時代に活躍して比較されたりした他の画家の作品と比べても明らかである。
同じく横顔の人物を描いても私淑したジョーンズのいかにも抒情的な風情と並べると、ビアズリーの描いた人物の横顔は我の強そうに突き出た顎といい黒目の小さな目元といい風刺画めいたドライな雰囲気が漂う。
物語の本来の設定では絶世の美形とされるキャラクターでも、ビアズリーの筆にかかればどこか禍々しく毒を感じさせる表情で描かれる。
ビアズリーの奸悪な魔女じみたサロメと比べれば、ギュスターヴ・モローのサロメは随分とたおやかなお姫様に見えるし、ミュシャのサロメに至っては明朗そのものだ(そもそもミュシャの画風も艶麗ではあるが、サロメのような愛憎渦巻く女性を描くには向いていないと感じた)。
だが、大人になると、そのグロテスクさこそが魅惑というか、おとぎ話の悪辣な魔女の醜い老婆の姿と妖艶な美女に変身した姿を同時に観ているような不思議な眩惑を覚えるのだ。
この展覧会では「サロメ」の作者オスカー・ワイルドが実際のところはビアズリーの挿絵を気に入らず「たちの悪い落書き」とまで貶していたこと、この一作以外でワイルドとビアズリーは仕事をしていないことにも言及しており、私としては初めて知って驚いた。
それほどワイルドの「サロメ」とビアズリーの挿絵は自分の中で不可分の存在だったのである。
なお、ワイルドが当初「サロメ」の挿絵を依頼しようとしたのはチャールズ・リケッツという画家で、むしろこの人の方が「サロメ」以外のワイルドの全作品の挿絵を手掛け、「サロメ」の舞台制作にも携わったという作家にとっては自作と不可分の画家だったようだ。
このリケッツが描いた「サロメ」の絵も展示されていたが、人物全員が似たような閉鎖的な表情を浮かべている印象でビアズリーのような魅惑的な毒には乏しく食い足りない感触が残った。
ルイス・キャロルの「アリス」シリーズがジョン・テニエルの挿絵と分かち難く結び付いているように、オスカー・ワイルドの「サロメ」もオーブリー・ビアズリーの挿絵ともはや切り離すことは出来ないのだ。
なお、こちらの展覧会は一部は十八歳未満は観覧不可の展示がある。具体的には晩年のビアズリーが困窮の中で手掛けたアリストファネス作のギリシャ喜劇「リューシスラテー(女の平和)」の挿絵であり、いわゆる春画に分類されるものだ。
八歳の次女をスタッフの方に委ねて速足で鑑賞したが、露骨で誇張された男性器の表現などエロティックというよりはユーモラスな印象で、正に「笑い絵」と呼ぶに相応しい。
ビアズリーの官能性はヨカナーンに口づけるサロメ――ヨカナーンは既に斬首されて頭だけの姿でありサロメは乳房すら出していない――に代表されるようなどこか秘められた雰囲気の作品にこそ色濃く顕れていると思う。
画家自身もそれを知っていたからこそ死に際にこれらの春画の廃棄を希望したのではないかと感じるが、展覧会では大人の観客にだけ限定して見せる形で飾られている。
付き合わせてしまった娘には悪いが、自分としてはガレ展よりもこちらの方がトータルした満足感は高かった。
観終わって外に出ると、もう東京マラソンによる交通規制は解かれて通常通りになっていた。
三菱一号館美術館から東京駅までは徒歩五分(子連れで歩いてもせいぜい十分)なので帰りは東海道線で横浜まで一本かつ三十分もかからない。
二つの美術館に行くまでは散々苦労したのに帰路はまるで固い結び目の解けた糸のような易しさであった。
(四)東京は意外と歩く
横浜から都内に出て、それぞれの最寄り駅から程近い場所にある美術館二軒を回ったという、文字にするといかにも楽そうな外出である。
だが、午後一時過ぎに二軒目の三菱一号館美術館に辿り着いた時にはスマートウォッチの表示は一日の目標である移動歩数一万歩、移動距離八キロに既に達していた。
そして、午後三時半過ぎに帰宅した際には一万六千歩、一〇・六キロに上っていた。
ちなみに帰宅後は特に運動しなかったにも関わらず、この日のトータルは移動歩数一八六三九歩、移動距離十二・〇四キロ、消費エネルギーは二二三三キロカロリーで、一日の目標の二〇一一カロリーを一割ほど上回った。
むろん、マラソンの比ではないが、家族で無理の無い運動をしたい時には都内の美術館・博物館巡りは有効かもしれない。
*1 サントリー美術館公式サイト「4館相互割引実施」
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2025_1/extra.html#waribiki,(参照 2025‐3‐2)
*2 IMレポート「ヴァロットン展━冷たい炎の画家 三菱一号館美術館 | 東京都」
https://www.museum.or.jp/report/488,(参照 2025‐3‐2)
*3 三菱一号館公式サイト「美術館ニュース 2025.2.27【お知らせ】3月2日(日)東京マラソン開催に関するご案内 」
https://mimt.jp/blog/museum/17411/,(参照 2025‐3‐2)
【参考URL】
サントリー美術館「没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ」公式サイト
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2025_1/
三菱一号館美術館「異端の奇才――ビアズリー展」公式サイト
https://mimt.jp/ex/beardsley/
【参考資料】
「芸術新潮」二〇二五年二月号、新潮社