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思い出の映画館と作品、俳優たち

 子持ちの専業主婦になった今は映画館に足を運ぶこと自体が稀になった。

 だが、二昔前の学生時代は専攻の関係もあって映画好きで寮の共用スペースの新聞で深夜の映画番組をチェックして自室のテレビで観るばかりでなく、折を見つけては映画館に足を運んでいた。

 通っていた大学の近くにあった早稲田松竹で観たブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」。

 古書街巡りのついでに岩波ホールの看板に惹かれて立ち寄って観たクルド人たちの哀歓を描いた「我が故郷の歌」。

三百人劇場に足を運んで複数の作品を観た「中国映画の全貌」。

 実際に足を運んだ回数はさほどでなくても感銘を受けた作品の思い出と結び付いた映画館も少なくない。

 なお、岩波ホールの二〇二二年の閉館についてはリアルタイムでネットのニュース記事で知っていたが、本稿を書くに当たって検索したところ三百人劇場はそれよりもっと前の二〇〇六年に閉鎖されて既に無いと判明して驚き、また喪失感を覚えた*1

 私が学生だったのは修士課程も含めて六年。時期にして二〇〇二年から二〇〇八年にかけての頃なので、当時流行だった女子十二楽坊のBGMを聴きながら「中国映画の全貌」の客の列に並んだのは本当に三百人劇場の末期だったのである。

 記憶ではそんな経営の内情を感じさせる空気ではなかったこととも併せて非常に驚いた。

 私の中で今でも「中国映画の全貌」と聞けば女子十二楽坊の華やかな古典楽器の演奏と三百人劇場の優雅な空間が蘇るのだ。

 劇場の閉鎖を知った今となっては、中国映画という当時はもちろん今でもハリウッド映画などと比べて一般にマイナーなジャンルの映画(特に『中国映画の全貌』の上映作品では比較的興味を持っている自分にすら初めて観るようなタイトルやキャストの作品も少なくなかった)のイベントが実際には苦しいやりくりの上に成り立っていたのだという痛ましさも覚える。

 岩波ホールの閉館も含めてこうした業界の事情は今もあまり変わっていないのではないだろうかとも思う。

 ちなみに岩波ホールでは現代都市上海の片隅で生きる母娘三代の絆を描いた中国映画「上海家族」(原題は『假装没感覚』。『気付かないフリをして』といった意味である)も観たが、これも主演の呂麗萍ルイ・リューピンを含めて日本では知名度が高いとは言えない(現地では有名な俳優さんです)、はっきり言えば中国映画ファンか岩波ホールシンパでもなければまず観ない作品だろう。

 映画館に話を戻すと、学生時代にその周辺を含めて最も良く足を運んで印象に残っている施設といえば渋谷のBunkamuraのル・シネマとシアター・イメージ・フォーラムだ。

 このうちル・シネマについてはどちらかというと同じBunkamura地下のザ・ミュージアムの展覧会を観てから上階のル・シネマに立ち寄り、そこにめぼしい作品があってかつ時間に余裕があれば映画も観る(ただし、これは稀である)、無ければパンフレットを買って帰るという感じだった。

 本編は観なくても上映作品についての展示を観ているだけでも興味深く、ル・シネマそのものでは観なくても後日録画したりDVDを買ったりして鑑賞した作品も多い。

 専業主婦になってからもヤフオクやメルカリで気になった映画のパンフレットを買い集めているが、結果的に少女時代に家で録画して観て衝撃を受けたレスリー・チャンの「花の影」などル・シネマの物がかなり多くなった。

 その意味でも、私の感性に合致した映画館だったのだろう(ちなみに『花の影』は同じレスリー主演、陳凱歌監督のコンビでも『覇王別姫』と比べると一般的な評価は決して高いとは言えず、修士時代の恩師だった藤井省三先生なども酷評されている。レスリーファンの間でもむしろ苦手な人が多いくらいの作品だ。それでも、私は少女時代にこの作品を観てとても心を揺さぶられたし、レスリーの没後にもっと一般的な評価もファン人気も高い作品を観ても少女期に観た『花の影』ほどの衝撃を受けることはもはやないといった位置付けの映画だ。映画や小説の好きな人にはそうした世間的な評価の高低とは別に自分の中で特別な作品が一作はあるのではないだろうか)。

 こちらも二〇二三年四月に隣接する東急百貨店本店の老朽化に伴う閉店、改築のために閉鎖されてしまった*2

 率直に言って、東急百貨店本店はいかにも高級、上流層向けな雰囲気でザ・ミュージアムやル・シネマを訪れた後に通り抜けたりあるいは七階の丸善に行ったりすると、

「お前のようなみすぼらしい人間が本来来る場所ではない」

と暗黙に言われているような引け目を感じて少し苦手だった。

 だが、閉館直前に開催されたザ・ミュージアムの「マリー・ローランサンとモード」を訪れた際、隣接する東急百貨店は既に閉店しており連絡用通路も閉鎖されているのを目にした時には寂寥を覚えた。

 Bunkamuraは二〇二七年にリニューアルしてまたオープンするとのことだが、私が通ったあの瀟洒な東急百貨店と繋がったBunkamuraはもうないのだと思うとどうにも侘しい。

 一方、シアター・イメージ・フォーラムは検索してもまだ健在のようだ。

 ル・シネマは渋谷駅を出てスクランブル交差点を抜け、「マルキュー」ことファッションビル「109」の脇を通った先にあったが、こちらは同じ渋谷駅を出てもまた別方向で宮益坂を上った三叉路のちょうど交わる所の傍にある。 

 この館も比較的マイナーな地域の映画や作家に焦点を当てたラインナップが多く、二〇〇四年のシュヴァンクマイエル映画祭で「不思議の国のアリス」などを観た。

 また、子会社のダゲレオ出版から刊行された中国・香港・台湾の映画を特集したムック本やチェコスロヴァキア(制作当時)映画「ひなぎく」のBlu-ray、映画作家マヤ・デレンの作品集のDVDなど卒業後にたまたま興味を覚えてネットで買ったものも含めれば、ル・シネマに負けず劣らず私の嗜好に合った映画館である。

 学生の頃は受付で整理券を貰って、近くのスターバックスで時間潰しして、上映時刻が近付いたらまた受付に戻って映画を観て、終わったら今度は渋谷駅までの帰り道の途中にあるベローチェに立ち寄って軽食を取ってそれを夕飯にするのがいつものコースだった。

 スターバックスで向かいのイメージフォーラムを観ながら時間を潰していると、自分がいかにも都会の洗練された文化的な生活を享受しているように感じて、それだけでワクワクした。

 そう感じるのは結局、福島という全国的には「田舎」とされる地方の出だからだとは当時も自覚していたが、郷里にいればシアター・イメージ・フォーラムで上映するような、いわゆるミニシアター系の映画などまず観られない(前掲のヤン・シュヴァンクマイエルはチェコのアニメ映画の巨匠であり、国際的な評価の高い作家ではあるが、彼の作品は日本ではディズニー作品のような特に映画ファンでない人も含めて誰もが知るメジャーなものとは言えないだろう)。

 なお、実家のある福島市にスターバックスの第一号店が出来たのは二〇〇七年で私が既に修士二年になった頃であり*3、スターバックス自体、私には上京して初めて行った都会のスポットであった。

 それは帰途に立ち寄るベローチェも同様で、スターバックスは高いので一番安いコーヒーかせいぜいフラペチーノのスモールサイズにして、映画を見終わった後にこちらでゆっくり食べるのも楽しみだった。

 シアター・イメージ・フォーラムはそんな地方出の女子学生にとっての輝かしい都市生活や消費を象徴する聖地だったのだ。

 さて、シアター・イメージ・フォーラムでは鑑賞前に整理券を貰うシステムだとは述べたが、これについては忘れ難い思い出がある。

 二〇〇六年、院生だった頃に香港のオキサイド・パン監督、姉妹デュオ2R主演の「アブノーマル・ビューティ」(原題は『死亡寫眞』。内容からしてもこちらの方が良いと思う。この作品に限らず香港映画の邦題には首を傾げるものが少なくない)を観に行った。

 受け取った整理券の番号は「1」。これはその回の上映チケットを買った最初の客ということであり。

 マイナー映画の上映館とはいえ、普段はせいぜい整理券番号「9」くらいで数人の観客で観る形だったので驚いた。

「香港のアイドル主演といっても日本では知名度が低いし、私も初めて観る顔触れだし、今日は普段よりもっと客が少ないんだろうな」

とは思った。

 スターバックスで時間潰しをしながらイメージ・フォーラムを眺めていても新たに客が出入りする気配はない。

「まさか、客は私一人ってことは」

「これ、ホラー映画なんだけど」

 不安になってきた。

 そして、時間が来て受付に行くと、スタッフの方しかおらず、整理券を持った客は「1」の私だけであった。

「それでは、上映を開始します」

 狭いシアターの客席に一人腰掛けてバタンとドアを閉められた時の恐怖は忘れられない。

 率直に言って、映画の内容自体はホラーというより死に魅入られた女子美術学生を巡るサイコ・サスペンスといったもので、率直に言って香港映画にありがちな脚本の粗さも目立ち、さほど恐怖を覚えるものではなかった。

 しかし、ホラー映画を映画館の真っ暗な空間でたった一人で鑑賞するという、ある意味、非常に贅沢な経験をしたので強烈に印象に残っている。

 劇中で黄婉伶レース・ウォン演じるヒロインの女子美術学生に片想いする、梁俊一アンソン・リョン演じる男子学生がストーカー的(といっても演者が日本の藤原竜也をもっとあどけなくしたような好青年というよりまだ少年じみた風貌なのでさほど嫌らしさや不気味さはない。ちなみにヒロインの黄婉伶が倉木麻衣、その実姉で劇中ではヒロインの女友達を演じた黄婉君ローザンヌ・ウォンが安倍麻美といった日本の同世代の芸能人にいずれも似ているため、初見だが不思議と親しみやすかった記憶がある)に彼女を追い回す。

 しかし、実はこのヒロインの方がより深い闇を抱えており、追い回していた彼は逆に自分が恐怖のモデル体験させられる。

 そんな劇中のエピソードと共に記憶に焼き付いた経験である。 

 なお、この作品で梁俊一を知って興味を覚えた私は「アブノーマル・ビューティ」と同時期に彼が出演した「ワンナイト・イン・モンコック」(原題は『旺角黑夜』。こちらは比較的邦題も原題に近い)もDVDを借りて観た。

 観始めてから気付いたが、レスリーが晩年に主演した「ダブルタップ」(原題:槍王)の実質的な続編とでも言うべき作品だった。

 前作でレスリー演じる殺人鬼化したスナイパーを射殺した方中信アレックス・フォン演じる刑事がその時の傷を抱えたまま、新たな事件を追う展開になっている。

 アンソンが演じるのはその部下の新米刑事であり、射撃の腕に自信を持ち、またいち早く成果を挙げて認められたい功名心から結果的に新たなトラブルを引き起こしてしまう役どころだ。

 率直に言って、この作品の主人公は方中信のベテラン刑事と呉彦祖ダニエル・ウー演じる本土から来た殺し屋、そして張栢芝セシリア・チャン演じるやはり本土出身の娼婦であり、アンソンは脇役である。

 それでも、純粋さと表裏一体の未熟さ、最後は非命に斃れる痛ましさなどやはり忘れ難い印象を残した。

 アンソンはレスリーは言うに及ばず「ヒコソ」の愛称で香港映画ファンの間でも人気を呼んだ呉彦祖と比べても日本では格段にマイナーであり、検索する限り、現地でも目立って主役を演じるポジションの俳優とは言えないようだ。

 それでも、シアター・イメージ・フォーラムの名前を聞くと、たった一人で観た「死亡寫眞」の彼が思い出されるし、映画ファンだった自分の青春期の思い出においてその面影は決して小さくはない位置を占めている。

*1 Wikipedia「三百人劇場」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%99%BE%E4%BA%BA%E5%8A%87%E5%A0%B4,(参照 2025-2-23)

*2 Wikipedia「Bunkamura」 

https://ja.wikipedia.org/wiki/Bunkamura,(参照 2025-2-23)

*3 スターバックス「店舗検索結果――開店日順」

http://www.leftkick.com/cgi-bin/starbucks/searcho.cgi,(参照 2025-2-23)

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