表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/116

花の色

世間には品種としては複数の色が存在するにも関わらず、一般には色のイメージが固定している花がよくある。


「薔薇色」または「ロゼ(rose)」というとピンクに近い赤を指し、「藤色」とは青みが勝った薄紫を意味し、「桜色」は限りなく白に近いピンクである。


まず、実際の薔薇には白や黄色、あるいは紫といった多様な品種があり、中には花びら全体としては黄色でも縁は赤いといった色彩のものもある。


「青い薔薇(blue rose)」とは、実現不可能なものの比喩だが、青が赤と対照させられる色彩である点からも明らかなように、これは「薔薇は赤いものだ」という固定概念の裏返しである。


次に、初夏に藤棚を見て回れば、しばしば雪のように白い花房の群れに出くわす。


藤の花は棚から房を成して垂れ下がる形状といい、香りといい、葡萄の実に似ている。

葡萄にしてもやはり紫色のイメージが強く、マスカットのように熟成しても色が青っぽいままの品種は変り種というかどこか傍流的な位置付けになる。


正直、巨峰やデラウェアのような紫色に熟す品種と比べると、マスカットは最初の一粒目を口にする時、「これ、ちゃんと熟してるのかな?」と私はいつも少し不安になるし、そんな人は世間に少なくないのではないかとも思う。


それと同じで、純白の藤の花房もそれが完成形であるにも関わらず、どこか本来の色に染まり切っていない、あるいは持つべき色彩を不自然に抜き取ったような印象を「藤色」という言葉が生まれた時代には与えたのかもしれない。


そして、桜の代表格であるソメイヨシノは確かに殆ど白に近いピンクだが、八重桜や枝垂れ桜はもっと濃く艶やかな色合いであり、「ピンク」と「桃色」がほぼイコールの関係で使われることを考えると、桜は総じて「桃色」の品種が多い。


そもそも、桜と桃で咲く季節も連動していれば、木に咲く花としての印象も似通っており、また、字としても見ても「桜」こと「櫻」は「木になる嬰児」、「すもも」は「木になる子供」、「桃」は「木に生じた兆し」で、人に例えれば姉妹のような類似が感じられる。


更に言えば、さくらんぼを「桜桃」即ち「桜の木に実った桃」と記す字面にも見られるように、果実としての「桜」はより大きなカテゴリとしての「桃」に吸収される関係にある。


日本人一般の感覚として、花としての桜は春そのものの象徴であり、明確に国花にも指定されているので、むしろ桃よりも格上の観がある。


一方、中国での春の代表花は桜より圧倒的に桃であり、日本の文化はこの中国文化を輸入した後に独自に発展させたものだ。


もしかすると、日本の文化として「桜」を春の代表花、自然美そのものの象徴に格上げしていく過程で、「桃」との便宜的な色彩上の区分として、「桜色」を新たに設けたのかもしれない。


しかし、結果的に外来で日本語の中に定着した「ピンク(pink)」と置換関係にあるのは「桜色」ではなく「桃色」の方であり、「桜色」については「桜色の肌」、転じて春向けの、正に桜が満開になるその季節に売り出す化粧品の広告で旬の花の美にあやかって「桜色のファンデーション」と形容するような、至って限定的な使われ方しかされていない。


また、「ピンク」「桃色」はしばしば色情的な比喩に用いられるが、「桜色」がそうした用途で使われることはまずない。


儚く散っていく品の良い花のイメージと露骨に性的なイメージが相容れないせいもあるだろうが、そこに「桜色」の色としての幅の狭さも見える。


なお、果実としての「桜」については、英語では性経験のない男性を揶揄して「チェリー(cherry)」と呼ぶそうだが、世俗的な感覚で侮蔑される向きはあっても、純潔の象徴として扱われている点に桜桃の可憐でどこか幼いイメージが揺曳している(ただし、個人的にアメリカンチェリーは色合いが黒紫で毒々しい上に生の果実でもジャムのように甘いので、日本の朱色で甘酸っぱいさくらんぼの方が見た目も味わいもより『純潔』の比喩には相応しく思える)。


これが「桃(peach)」だと、ふくよかでみずみずしい果実の印象から、むしろ誘惑する女性のセクシュアリティを連想してしまう。


話を花の色に戻すと、色の名前として明確に規定されていなくても、本来は複数ある内の一色がメインイメージとして固定されている花もある。


例えば、「梅色」という言葉はないものの、梅には大別して紅白の種が存在する。


しかし、紅梅こうばいがその場に一本しかなくても必ず「紅梅」と色を明示される形で呼ばれるのに対し、白梅は二種以上の色の木があって敢えて他と区別して呼ぶ必要が生じた場合でもなければ、頭に色を付けて呼ばれることは少ない。


これも、「梅は本来は白いものだ」あるいは「紅い梅は変種である」という固定概念の裏返しではないだろうか。


桜や桃に先立って咲く梅の花には独特の芳しい香りがあるが、白い花から漂えば優しげに思えても、紅い花から匂えばどこかきつく感じられるからだろうか。


あるいは、こぼれる白梅の花びらは雪を思わせてクールだが、紅梅の花びらは飛び散る鮮血を思い起こさせ、常に動乱の危険を孕む時代を生きた古代の人々には不穏に感じられたのかもしれない。


更に言えば、紅梅だと花の色がそのまま漬物の梅干とその酸味を連想させなくもないので(逆に、梅干や梅じそ等の酸味を生かした風味のキャンディやチップスのパッケージは紅色で、イラストに描かれているのも紅梅が主である)、花の印象の高雅さを求める観点ではそれが失点となり、結果的に白梅の方が優位に立ったのだろうか。


同じ様に紅白の種が存在しても、西洋の薔薇は赤、東洋の梅は白が花のメインイメージという現象も興味深い。


「不思議の国のアリス」に白い薔薇に赤いペンキを塗ってまでして暴虐な女王の好みに合わせるエピソードが出てくるが、これも「薔薇の色は赤が美しい」という固定概念が「「薔薇の色は赤しか許さない」という強迫観念に転じて、最後には白い薔薇が存在する現実まで文字通り糊塗してしまう皮肉だろう。


「不思議の国のアリス」の女王は飽くまでおとぎ話の中の人物だが、西洋の近世には対立する王家の紋章がそれぞれ赤薔薇、白薔薇であることから正に「薔薇戦争」と名付けられた戦乱も実際に起きており、ヒトラーの独裁体制の現実に抗して抹殺されたショル兄妹が発行した新聞はその名も「白バラ通信」であった。


そうした歴史的事実を鑑みると、理想的なものとして称揚される真紅の薔薇の美が何となく血塗られた残酷さを孕んだものに思えてくる。


日本では梅の花のメインイメージが白ではあっても、紅白は二つながらに慶事の色であり、かつ「紅白歌合戦」に代表されるように二色を並び立たせて競わせる余地を残しているように思う。


見方を変えれば、紅白で完全に優劣を付ける発想が馴染まなかったから、上代から中世に切り替わる過程で、日本の春の代表花は紅白に大別される梅から曖昧な色彩の桜に転じたのかもしれないし、赤でも青でもなくその中間の紫が最上の色とされたのかもしれない。


よく知られているように平安時代に成立した「源氏物語」は「紫のゆかりの物語」とも言い、主人公の光源氏に最も愛されるのは生母の「桐壺」と義母の「藤壺」、そして養育後に正妻となる「紫の上」の三人であり、いずれも紫色を連想させる名である。


「赤」のイメージでいうと、光源氏がかりそめに関わりを持つ末摘花がいるが、これは鼻先の赤い醜女であり、しかも、暮らし向きも貧しく、本人の才覚にも乏しいという、源氏の愛人たちの中では最も嘲笑的な描き方をされている女性である。


一方、「青」というと、光源氏の最初の正妻となった葵の上が挙げられるが、こちらは高貴な生まれと育ちの美女ではあるものの、源氏にとっては飽くまで政略の下に添わされた女性であり、よそよそしい結婚生活の果てに、嫡子の夕霧を産み落とし、源氏と気持ちが通い合ったかと思わせた直後に亡くなるという、末摘花とはまた別な意味で不遇な扱いの女性である。


中間色の紫が最上の世界観においては、原色の赤や青はむしろ引き立て役なのである。


さて、梅雨の季節を彩る花といえば、あじさいだが、これは漢字にすれば「紫陽花」と書く。


雨の季節の代名詞的存在であるにも関わらず、「陽」の字が入っているのは「梅雨の晴れ間に輝く花」「雨の中に咲いて観る側の心を明るくしてくれる花」といった花への賞賛が込められているのだろうが、問題は頭に冠された「紫」だ。


よく知られているように、紫陽花は土壌次第で色を変える花である。というより、同じ株に咲いていても、青味の強い花とピンクに近い花の双方がしばしば見られる。


そもそも、紫陽花は開花したての頃は黄緑色であり、そこから赤ないし青に色づいていき、青い花であっても老化に従って赤みを帯びるという、一つの花の一生としても大きな色の変遷を辿る。


紫陽花の名に敢えて「紫」と付けたのは、日本の土壌が概して酸性で、盛花時に青紫の花が割合として圧倒的に多い事情ももちろん影響しているだろう。


しかし、春から夏への過渡期を彩る花であり、また、時と場所次第で色合いを異にしていく、いわば花の背負う移ろいやすさそのものが、赤と青の狭間に設けられた「紫」に漂っているように思えてならない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ