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「ピンク」の記憶

ツイッターをしていて、「ダサピンク現象」という言葉を知った。


「女性はピンクを好むはずだ」という固定概念から女性向けの商品がことごとくピンク色にされ、当の女性消費者から却って不満を持たれてしまう現象を指すという。


確かに、ベビー服の女児向けがピンク色メインであることを皮切りに、女児向けの衣料品やおもちゃ、自転車などもピンク色が目立つ。


大人になってもブラジャーなど女性特有の下着は色のバリエーションにピンクが入っている場合が多い。


日本人の感覚として、黒や赤はいかにも煽情的、挑発的でどぎつい印象を受ける。


だが、赤には抵抗を覚える人でも一段階淡いピンクならば抵抗感も薄まり、また、日本女性の肌の色にもなじみやすいので買う人は少なくないのではないかと思う。


また、日本では桜がもてはやされることから、春に売り出される化粧品は桜色、すなわち薄いピンクを基調にした商品が多く、春物の女性の服や小物も同様である。


ピンクは日本社会において女性らしさのみならず、女性そのものを象徴する色と言っても過言ではないだろう。


そういう私もピンクは小さな頃から最も好きな色だった。


以前にも繰り返し書いたことだが、春になると近所の畑にいっせいに桃の花が咲いて、その艶やかなピンクの花を眺めるだけで心が躍った。


夏になると、その花がより濃いピンクの芳醇な実を着けるのも楽しみだった。


お気に入りだったジェニーもリカちゃんもすべすべしたピンクのサテンドレスを着ていた。


サンリオのキャラクターも周りではキティちゃんやけろっぴが人気だったが、私は「キキとララ」のピンク色の長い髪をしたララが一番好きだった。


幼稚園生の頃買ってもらったヘアーバンドも薄いピンクで、やはりピンク地のサテンに白い水玉の入ったリボン飾りが付いていた。


お気に入りのブラウスにはピンク地で襟に赤いイチゴが刺繍されていた。


最初に買ってもらった自転車もメタリックピンクに彩色されていた。


これも以前に書いたが、私が小学生の頃には「男の子は黒、女の子は赤のランドセル」という不文律があり、母に説諭されて結局は赤のランドセルにしたものの、お店で本当に欲しかったのは商品棚に一つだけ置かれていた柔らかなコーラルピンクのランドセルだった。


「大きくなっても一人だけピンクのランドセルしょってたらおかしいよ」と言われて諦めたせいもあり、今でも、コーラルピンクのランドセルやリュックサックを背負った小学生の女の子を見かけると、「どうして私は許されなかったんだろう」とほんの少し胸が痛んだりする。


このように就学前の小さな頃の思い出の多くがピンク色の物に彩られており、また、その当時から「ピンクは女の子の色だ」という意識は強くあった。


ただ、赤いランドセルをしょって小学校に通い始めると、自分ばかりでなく周囲の女の子たちにも「ピンクは女の子の色だから喜んで使おう」というよりも「ピンクは『女の子らしい色』という押し付けがあるから、ぶりっ子臭くて却って身に着けたくない」という反発が出てきたように思う。


「ピンクをやたらと身に着けたがるのは、可愛らしく見られたいぶりっ子根性」

「ピンクを着ていいのは、特別に可愛い子だけ」

という空気が周囲に強くあると、ピンクを積極的に身に着けることはもちろん、ピンク色が好きだとも言いづらくなった。


その頃になると、母が買い与えてくれる服も黒や紺など暗色が増えていったように思う。


七歳の七五三や小学校の入学式で髪に結んでくれたリボンも、紺色のレースリボンだった。


花模様が編みこまれた紺のレースリボン自体は好きだったし、「これが大人の色なんだ」とも思ったが、「もうピンクのすべすべしたリボンを着けたらおかしいんだな」と寂しい気持ちになったのを覚えている。


その頃には、ジェニーやリカちゃんのサテンドレスもヘアバンドのリボンも黒ずんだり磨り減ったりして部屋の隅のおもちゃ箱に放り込まれたままになっていた。


そして思春期に入り、鏡に映る全てに苦痛を覚えるほど容姿コンプレックスが強くなると、「ブスな私が綺麗で女らしい色を身に着けてはいけない」という気持ちからピンクを忌避するようになった。


代わりに黒や水色を積極的に身に着けるようになった。


黒は中性的な色であり、黒い服ならば大きく野暮ったくは見えないという点で安心できた。


また、水色はピンクと対照的な位置付けにあり、小さな頃から「女の子はピンク、男の子は水色」という認識があった(前掲の『キキとララ』もピンクの長い髪のララに対して水色の短髪のキキが組み合わされている)。


「綺麗で女らしい」ピンクが駄目でも「綺麗でも男性的な」水色ならば、女性として美しくない姿に着けて飾っても許される気がした。


実際、蒸し暑い内陸部の盆地で育った境遇としては、ピンクは暖かい春の花の色である一方で、水色は暑さを紛らすラムネのビー玉や「どこか遠くにある珊瑚礁の海」など清涼感や爽やかなエキゾチシズムを喚起させる色だったので、その点でも好ましかった。


大人になった今でも、赤やピンク系の宝石よりもアクアマリンのような透き通った水色の宝石の方を綺麗に感じる場合が多いので、私の中で水色は本質的に好きな色なのだと思う。


もう一つ、思春期に入ってピンクを遠ざけた理由としては、ポルノ映画を「ピンク映画」とも呼ぶ事例にも明らかなように、ピンクが日本では「好色」「色情」といったイメージの形容に用いられる色だったことが挙げられる。


今は顔ぶれが少なからず変わったようだが、一九八二年生まれの私が子供の頃、志村けんの「バカ殿」のコントシリーズと言えば、田代まさしと桑野信義が家臣役、石野陽子と渡辺美奈代が腰元役であった(正直、今でもこの四人の名前からまず浮かぶのは『バカ殿』の侍従・腰元役のイメージだ)。


その際、腰元役の女性たちは紺地の着物に赤い帯を締めた通常の時代劇のスタイルをなぞっているのだが、二人の家臣役の内、若い方の家臣役を振り当てられた田代まさしは普通の時代劇の男装としてはまず有り得ないピンクの着物を羽織っていた。


率直に言って、子供の頃から腰元たちがセクハラされるいかにもそれらしい場面よりも、白塗りの顔(昔の時代劇俳優が白塗りしていたパロディでもあり、『バカ殿』という権力者の姿をしたピエロの顔を作る意匠でもある)にキンキラしたオレンジの着物を纏った「バカ殿」にピンクの着物を羽織った男性が仕えている絵面の方が異様で嫌らしく思えた。


恐らくこれは意図的な配色だろう。


本来は壮年男性である家臣役に女性的なピンク色の衣装を着せることで彼自身の男性性を捨象するばかりでなく、彼のいる画面全体に色情的な雰囲気を醸し出す役割も兼ねている。


正に「バカ殿」の好色さを引き立て、助長する臣下に相応しい(田代まさしはその後、盗撮や薬物使用などの犯罪で表舞台から姿を消したが、それでもタレントとしての彼を惜しむ声が少なくないのは、主役にはなれなくても脇役としてこうしたアシストの出来る器用さがあったためだろう)。


なお、小学校高学年で女子生徒だけ集められて受けた体育の授業では、月経の説明を受けると同時に生理用ナプキンのサンプルの入った箱を全員に配布されたが、「女の子だけのプレゼント」という趣旨が書き添えられたこの箱はサーモンピンクであった。


受け取った方としてはどうにも恥ずかしかったし、この箱を目にした男子が悪ふざけして囃し立てたりするのも屈辱的で不愉快だった。


思春期で女性としての自己否定ばかりでなく、性嫌悪にも陥った私にとっては、ピンクは自分の容姿にそぐわないばかりでなく、性の嫌らしさを象徴する色にも映ったのだった。


そもそも「ピンク映画」と呼ばれるポルノ映画も男性向けに作られたものがほとんどであるし、色情に纏わる犯罪・事件も男性が加害者・主体の場合が多い。


それなのに、何故、その好色や色情を象徴する色が女性らしさとして押し付けられるのか。

そうした矛盾への反発もあった。


上に着る服はもちろん、下着もピンクは自ずと避けるようになった。


中高生にもなると、ブラジャーをきちんとした大人の物を着けるようになるが、基本的にベージュしか買わなかったし着けなかった。


これにはピンクや水色のような本来の肌の色から懸け離れた色は白い夏服を着た時に透けて見えてしまう事情もあるが、何よりも色情的な色彩を身に着けたくない気持ちがあったのでピンクは避けた。


のみならず、他の子の制服の上からピンクのブラジャーやキャミソールが透けて見えると何となく嫌な気分になった。


それでも、大学に入って上京すると、この辺りの拒否感もだいぶ和らいでピンクの衣類や小物も身に着けられるようになった。


交流する人が増えれば、自分も他人も受け入れていく素地が出来ていくので、女性としての自分も徐々に肯定できるようになったのだと言える。


ちなみに、大学一年の春休みに短期留学で台湾に行って、コーラルピンクの半袖や薄いサーモンピンクのワンピースを買って、「こっちのピンクの感覚は日本とちょっと違うな」と漠然と感じた。


具体的には日本の成人女性向け衣類のピンクはどこかクールで淡白なものが多いが、台湾のピンクはオレンジをほのかに含んだ独特の暖かさ、鮮やかさを備えているように感じた。


温帯の日本と亜熱帯の台湾の違いだろうか。


冒頭でも触れた「ダサピンク現象」は日本のみならず、他の国でもしばしば見られる現象のようだが、「ピンク」そのものの色彩は地域によって微妙に異なるのではないかと思う。


話はまた変わって、大学生の頃から、あまり値の張らない服や小物を買う際は、ピンクと水色の色違いで揃えるようになったと記憶している。


女性らしさを自分で意識して行動したい時にはピンク、冷静さが必要だと思う時は水色、という風に使い分ける習慣が付いた。


社会人になってもスーツの時はピンク、水色、白のブラウスを揃えて着回すのがデフォルトだった。


だが、それでも、自己否定に強く陥っている時は、ピンクを身に着けている時の方が他の色の時よりもそういう自分を白々しく感じて苦しくなる。


私にとってピンクは自己肯定感とどこかで繋がった色なのだ。


今は母親になったが、二歳の娘には生まれた時からピンクを着せる頻度が多いように思う。


髪の毛も疎らな赤ちゃんの頃は性別を間違えられないように親として敢えてピンクを着せる場面も多かったが(よその人から赤ちゃんの性別を間違えられるのは互いに気まずいものです)、二歳くらいでも女児向けの用品は前提としてピンクが主流であり、また、親の目に可愛らしいと思える物も多いからだ。


むろん、娘本人がどういった色を好むようになるかはまだ分からない。


母親と同じようにピンクを好むかもしれないし、端から別な色を好むかもしれない。


だが、一番好きな色であるにも関わらずピンクを敢えて避けざるを得なかった頃の自分を思い出すと今でも暗い気分になるし、娘にはそうした思いはさせたくないとも感じる。


それにはピンクのみならず、様々な色を自由かつ肯定的に選べる環境が必要だ。

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