あどけなさゆえに
ギリシャのコス島を目指したボートが転覆し、溺死してトルコの浜辺に漂着したシリア難民の男の子の写真は一大センセーションを引き起こした。
真っ赤なTシャツに紺のズボン、小さな足にはゴム靴をきちんと履いた三歳の男の子が波打ち際にうつぶせに倒れている。
写真の限りでは、砂浜も波も荒れた気配はなく、どこまでも静かな印象だ。
この子が二度と起き上がることはないと思わせる点も含めて。
「水死体」「溺死体」あるいは「土座衛門」といった言葉から連想されるイメージからすれば、少し綺麗過ぎて不自然な印象を受けなくもない。
しかし、小さな遺体を抱き上げる地元の警官のやるせない表情を目にすれば、この子の死が現実であることは疑う余地がない。
そこから、この遺体写真を見直すと、
「着衣の乱れもなく、靴もしっかり履いていることからして、この男の子はそう水の中で苦しまずに亡くなったのかもしれない」
とやや救われた気分にもなる。
同時に、
「本当は、僅差で助けられる命だったのではないか」
とやり切れなさが増してくる。
写真には映っていないものの、この転覆事故では全部で十一人もの難民が亡くなっており、この男の子の五歳の兄と母親も同様に水死したという。
一家で唯一生き延びたのは、父親だけだった。
この顛末から、「アンネの日記」のフランク一家を連想した。
日記の著者であるユダヤ人少女アンネ・フランクとその姉マルゴー、そして母親のエーディトはそれぞれ収容所で亡くなり、父親のオットーだけが戦後も生き延びたのだ。
皮肉な見方をすれば、亡くなった子供たちの悲劇がプロパガンダに利用される面も似通っている。
「アンネの日記」について捏造疑惑が取り沙汰されたことはあった。
だが、多くの人は商品書籍としての日記を紐解いたことはなくても、白黒写真で朗らかに笑っているアンネの姿をメディアを通して一度は目にしており、この少女が大人になることなく若い命を絶たれた事実にまず痛ましさを覚えたはずだ。
アンネを悼む大方の人にとって、生き残った父親の手により世に出された日記の真贋は実はそこまで問題ではなく、写真のあどけない少女がもう世にない現実こそが全てなのである。
Animal(動物)、Beauty(美形)、Child(子供)。
広告業界では、広告モデルの定番であるこの三つの頭文字を取って「ABC」と称するという。
いずれも、パッと人目を引きやすく、また親しみやすい存在だ。
中でもChildこと子供は、無垢さの象徴として抵抗なく受け入れられやすい。
動物の場合、「所詮は人間の感情など持たない畜生だ」という突き放した感慨がおきてしまう。
成人男女だと、どれほど美形であっても、むしろ、それ故に嫉妬や反発といったネガティブな感情を引き起こす場合もある。
また、広告のイメージがどれほどナチュラルなものであっても、大人になった人間が少なからぬ報酬を得て望まれるイメージを演じる欺瞞や作為の匂いがどうしても否定できなくなってくる。
幼い子供は生のままの人の感情を持つ一方で、それ故に与えられた役割を演じてはいても大人の綺麗事や予定調和に染まり切らない野生も秘めている。
プロパガンダに子供が利用されやすく、また、事実、子供の姿を通して政治的な悲劇を訴えるプロパガンダが有効に機能するのは、子供が真実に生きる存在だと多くの人が認識しているためだ。
浜辺に漂着した溺死体の写真が成人の難民であれば、観る側は非業の死に痛ましさを覚えはしても、
「一応は本人の意思で祖国を出て危険な渡航を試みたのだろうから、こうなる可能性はどこかで承知していたはずだ」
「気の毒だが、自業自得だろう」
と突き放した視点が生じてしまう。
また、子供が混ざっていても複数の溺死体写真であれば、「コミュニティの悲劇」という認識になり、「世間のどこかにはそのような不運な人たちもいるのだ」といった他人事の感覚が主になる。
写真記事ではなかったが、この男児水死体漂着事件と前後して、やはり子供を含むシリア難民七十一名が冷凍トラックのコンテナに詰められたまま窒息死し、そのトラックがそのままオーストリアとハンガリーの国境付近に乗り捨てられた状態で発見された事件が起きた。
狭く暗いコンテナの中で数十人もの人が窒息死する状況を想像すると正に地獄絵図であり、この事件で亡くなった子供たちにしても、水死した男児と同様、罪の無い存在だったことに変わりはない。
だが、ネットを中心に国際社会に与えたインパクトでは、男児一人の溺死体写真がこの集団窒息死事件の記事を遥かに上回ったのだった。
幼い少年がたった一人浜辺に斃れている姿が、「何がこの子をそうさせたのか」というドラマを観る側に強く喚起させたためである。
この男児水死体漂着事件を転機に、メディアの難民関連の報道は明らかに幼い子供に焦点を当てたものになった。
溺死した男児を悼む絵が描かれたポスターを持った幼い少年、到着先で歓迎のおもちゃを与えられて笑顔を浮かべる子供たち、はたまた群集の中で苦しげな泣き顔を浮かべる赤ん坊のアップなど写真記事の多くが子供をメインに捉えている。
文章記事でも「子供含む何名死亡」等、「子供」という存在を単なる数値から切り離した表現が目に付く。
ハンガリーの女性カメラマンが難民を蹴り上げた映像が拡散して解雇された事件でも、蹴り上げた相手が子供、そして親子であった点に非難が集中した。
メディアの共通認識として「子供」は「イノセントな被害者」または「守るべき存在」と定義されており、従って、「子供」を主体にした難民を巡る報道は総じて情緒的である。
特に、水死男児を追悼するポスターを手にした幼い少年の写真記事は、
「一つ状況が違えば、この子もそうなったのではないか」
「あるいは、次の犠牲者はこの子ではないか」
と目にする側に危機感を喚起させる点で、非常にエモーショナルだ。
率直に言って、私もその術中に嵌った一人だ。
ただ、記事中の写真では肩から上が切れて顔は映っていないものの、ポスターを掲げた幼い少年の背後には父親と思われる成人男性が立っており、ポスターを持つ小さな両手には大きな手が添えられている。
真っ直ぐ前を見据える少年の小さな手にポスターを持たせたのは、というより、このポスターを本当に掲げているのは、この顔の見えない父親だ。
そこに幼い少年を操り人形にして矢面に立たせるしたたかさ、身も蓋もない言い方をすれば狡猾さといったものも感じた。
なお、ポスターには赤いシャツに紺のズボンを履いた男児を中心に複数の幼い子供たち(恐らくは同じ転覆事故で亡くなった子供たちと思われる)が海の底に沈んでいく様子が描かれているものの、海底には公園さながらシーソーや滑り台といった遊具や玩具が置かれており、中央の男児はあどけない顔に微笑を浮かべてこちらに手を振っている。
溺死した不運な子供たちの魂が海の底の天国で遊んでいるイメージだろうか。
平家物語の「波の底にも都はございますから、そこに行きましょう」と二位尼が幼い孫の安徳天皇に告げて海中に飛び降りるエピソードを彷彿させる絵である。
絵の隅には画家のサインと思われるものも書かれており、作品の完成度からしてもプロの手による作品と思われる。
画像検索をすると、この少年以外にも複数のデモ参加者が同じ絵をあしらったポスターを掲げている写真もヒットする。
なお、記事を確認する限り、男児の水死体がトルコに漂着して撮影されたのが九月二日であり、同じトルコのイスタンブールで起きたデモで父親と共にこのポスターを手にした少年の写真が撮影されたのは翌九月三日のようだ。
わずか一日で男児の溺死体漂着事件は一枚の絵物語を産み出したのである。
溺死した子供たちが海の底で楽しげに遊ぶイメージは、彼らの不幸や無念に少しでも報いる意図から生まれたのだろうが、しかし、「この世には難民の子供たちが幸せになれる場所は無い」という絶望感の裏返しでもある。
溺死した男児たちと変わらない年配の少年がこのポスターを掲げることで、余計にその訴えかけが浮き彫りになってくる。
同時に、幼い子供の愛らしさやいじらしさを前面に出さなければ、というよりそうしてもなお、行く先々で排斥される難民の人々の苦衷も炙り出されてくる。
難民を蹴り上げて解雇されたハンガリーの女性カメラマンは「極右放送局の所属」と報道されてはいる。
だが、他局のカメラマンが多数集まり、自分の行為が写される可能性を熟知していたはずの状況で彼女が敢えてそうした行動を取った点に、本能的なレベルでの拒否感が見える。
数十人もの人々が死んでいる冷凍コンテナをそのまま乗り捨てる現地の密航業者の行動にも、
「わざわざ難民の死体に隠蔽する手間を掛ける必要は無い」
「難民だから自分たちの殺した証拠が見つかっても構わない」
といった、根源的な蔑みの目線が浮かび上がる。
人目を憚る偽善すら持ち合わせない対応には寒々としたものが感じられる。
これは極端な例としても、ハンガリーやオーストリアなど「ドイツへの通り道」と目されている地域は、概して難民に排斥的だ。
多くの現地民にとって大挙して押し寄せる難民の人々が「平穏な日常を乱す異分子」でしかないためである。
移民・難民の中にはテロリストが紛れ込んでいるともしばしば報じられている。
いつ、どこで、誰を対象にするか図れない犯罪がテロである。
大勢の難民たちが定住はしなくてもその地に足を踏み入れる状況自体が、現地の人々にとって大いに危険を孕んでもいるのだ。
日本はネット上では愛らしい男児の死に同情の声が強く上がったものの、国家体制としては難民の受け入れにはむしろ消極的であり、難民の子供たちの不遇を案じはしても、「日本でこの子供たちを引き取って保護しよう」という方向に具体的に動く人は少ない。
これもネットで頻出する意見だが、日本人がシリア難民に同情し、いざ彼らを日本に招聘したとしても、その後はトラブル続きになる状況が容易に予測できる。
九月七日の時点で、ドイツは八十万人の難民の受け入れを宣言し、六日には一万二千人を超す難民が到着したという。
なお、ウィキペディアを参照すると、二〇一三年現在のドイツの総人口は八一〇八万人、ベルリンの市域人口は二〇一四年現在で三五〇万人だ。
宣言通りに受け入れた場合、ベルリンの市域人口の約四分の一に相当する難民がドイツに流入する計算になる。
ちなみに、横浜市の二〇一五年現在の総人口は三七一万人なので、ベルリンの市域人口と大きくは違わない規模である。
日本の総人口は一億二千万人であり、在日韓国・朝鮮人の総人口は、二〇一四年末の時点で約五〇万人だ。
ドイツが受け入れようとするシリア難民の規模は、日本社会が抱える在日韓国・朝鮮人のそれよりも相対的にはかなり大きくなる。
これは、国の根幹を揺るがす一大勢力ともなり得る規模だ。
データ上の数値を信じるとすれば、在日韓国・朝鮮人は日本の総人口の一パーセントにも満たない。
だが、ネットでは在日韓国・朝鮮人を攻撃し、彼らへの不信や反発を煽る文言が溢れている。
メディアに登場する在日韓国・朝鮮人も、日本への怨念じみた感情を口にする人が多い。
ただ、在日韓国・朝鮮人の場合、南の韓国が既に社会的・経済的に安定した状態にあり、また日本から地理的にも非常に近いので、第三者の目には「もう祖国に戻って暮らしても何の支障も無いはずなのに何故いるのか」と思わせ、それが日本への不満を口にしながらも住み続ける彼らへの不信を増幅させた側面はある。
また、日本で生まれ育った二世以降の世代は母語の面では完全に日本人と変わらず、いわゆる日本式の通名を名乗った状況では、本来の日本人との明確な判別は非常に難しい(通名は『金田』『張本』といった元の朝鮮名を明らかにしたものばかりではなく、全ての朝鮮系が『釣り目、エラ張り』といったステレオタイプ通りの風貌をしているわけでもない)。
こうした「一見すると日本人とほとんど見分けが付かない」という不気味さが、ネット社会を中心に新たな不信や排斥感情に繋がった面は否定できない。
話をシリア難民の受け入れに戻すと、彫り深く肌の浅黒いアラブ系の彼らが仮に日本に大挙して移住したとしても、その風貌が日本人に紛れることはまずない。
シリアの公用語はアラビア語なので、表記はもちろん、言語構造そのものが日本語からは懸け離れている。
のみならず、イスラム教徒である彼らの生活スタイルや風習、価値観そのものも、日本人とは大きな開きがあるはずだ。
シリア難民が自分の住む町の人口の四分の一を占めた場合を想像してみる。
まず、公共の案内や標識には日本語、英語、中国語、ハングルに並んでアラビア文字が記載される。
スーパーやコンビニの棚に並ぶ商品にもアラビア文字での説明が付されるだろう。
難民の人たちによるシリア料理店などがあちこちに開店し、また、露店で手芸品を売ったり、民族音楽をストリートミュージシャンとして演奏したりする人も出てくるはずだ。
書店でも相互交流のためアラビア語のテキストやアラビア語の輸入書籍が目立った位置を占めるようになる。
ここまでなら、大きな害はなさそうに見える。
しかし、一日のサイクルの中で起こり得るトラブルを含めて想像すると、問題が表面化してくる。
まず、朝の通勤・通学ラッシュ。
日本の公共機関に不慣れな難民の人たちが駅に大勢いてなかなか改札が通れない。
これは一時的な現象であっても、日本人としてはかなりイライラするはずだ。
また、肉体労働などの分野で難民を雇用する職場も増えることが予想されるが、
「言葉はもちろん、日本的な常識がシリア人には通用しなくて困る」
「こちらの話をまるで聞いてもらえず、日本人から低賃金で心無い扱いを受けた」
といった摩擦が生じる危険性は否定できない。
日本語の不自由な外国人が定職に就くのは難しいので、シリア難民には必然的に生活保護などセーフティネットを受ける人が多くなると予測される。
だが、八十万人単位の規模で考えれば、国の財政を圧迫する要因ともなり、また、日本人の中にも「自分たちの血税が難民に吸い取られている」といった反発を引き起こす可能性が高い(在日朝鮮・韓国人への反感を示すネットの記事には、『彼らは税は納めないくせに、抜け道的なやり方で生活保護を受けて日本人に寄生している』といった内容を良く見掛ける)。
次にケガや病気をした時。
難民の人たちも当然ことながら患者として同じ病院を訪れている。
着の身着のまま脱出した人たちの中には持病のある人も当然いるはずであり、異国での生活のストレスから体調を崩す人も数多く現れる事態も想定される。
だが、アラビア語を解す日本人も日本語に堪能なシリア人も限られているため、シリア人患者の診察には少なからず時間が掛かる。
体調不良で精神的にも余裕のない患者や付き添う人々の間で、
「日本人を先に診察してくれ」
「こちらの方が先に受け付けをしたのにどうして後回しになるのか」
といった争いが起こる。
都市の大病院など、重症患者が多く、またシステム的に待ち時間の長くなる医療機関では、特にこの手のトラブルが頻発する事態が予想される。
言語的な意思疎通の不全は救急医療の面でも問題になりやすいので、シリア人患者への医療過誤のケースも頻発し、難民の間で日本の医療への不信が強まり、また、医療従事者の間でもシリア人患者を忌避する風潮が蔓延する悪循環に陥る。
あどけない子供たちに焦点を当ててみると、日本に定住したシリア難民の子供たちはどのような教育を受けることになるのだろうか。
日本で生活していく以上、必然的に日本語を身に付ける必要性に迫られるため、日本語の義務教育を受ける子供たちが増える。
これ自体は、難民の人々が日本社会に溶け込む上では有効だ。
日本人の子供とシリア難民の子供が同じ教室で学び共に遊ぶことで相互理解が促進され、良好な関係を築く道が開かれる。
しかし、その一方で日本語を身に付け日本社会に溶け込んでいく子供世代と成人するまでアラビア語を母語として生活してきた親世代の間に溝が生じてしまうといった問題も出てくる。
在日朝鮮・韓国人が民族としてのアイデンティティ保全のため朝鮮学校を作ったように、シリア難民も独自の教育機関を日本国内に設ける動きも出てくるかもしれないが、これはこれで日本人から「日本の教育を拒否してまで民族としてのアイデンティティに執着するならさっさと祖国に帰れ」といった排斥感情を強める要因になり得る。
また、在日朝鮮・韓国人が半島本土の状況を反映して北朝鮮系の朝鮮総連と韓国系の韓国民団で抗争を繰り返してきたように、シリア難民内部にも対立構造が形成され、日本人を巻き込む凄惨な事件が発生する恐れもある。
そうでなくとも、ヨーロッパではテロリストが難民に紛れて各国に潜入する危険性が指摘されている。
個々のシリア難民の資質に必ずしも問題はなくても、彼らを巡る事情で治安が悪化すれば、日本人の中に彼らへの蔑視や憎悪の強まる状況は避けられない。
そもそも、在日朝鮮・韓国人のみならず、中国人、フィリピン人、あるいは在日ブラジル人といった、異邦にアイデンティティを持ちつつ日本で暮らす人々が、「差別はいけません」と建前では標榜する日本社会において純日本人と同等の地位を与えられ、好意的に遇されていると言えるだろうか。
私としては非常に疑問を覚える。
同時に、シリアの難民の人々が日本社会に現れても、直に他の在日外国人と同様か、それより不遇な立場に置かれる可能性が高いようにどうしても思えてくるのだ。
いとけない子供が異国の浜に冷たくなって流れ着いた姿を再び目にしたいとは思わない。
しかし、国を挙げてあどけない笑顔を守る行為には、その背後に立つ大人と付き合っていく交渉力が求められるのだとも痛感している。




