夏休みはどこに行く?
具体的に何年生だったかは忘れたが、小学校中高学年の頃、定期購読していた小学館の月刊誌の八月号で連載されていた漫画「あさりちゃん」に以下のエピソードがあった。
夏休みに入り、「ハワイに行きたい」とママにせがむあさり・タタミ姉妹。
ママは「あさりの宿題が終わったら連れて行ってあげますよ」と言い渡す。
紆余曲折の末、夏休み残り一週間というところで、宿題を終えるあさり。
「課題はクリアしたからハワイに連れてって」と再びせがむ姉妹に対して、ママは笑って答える。
「海外旅行にはパスポートが要るのよ。今から申請しても一週間はかかるわね」
結局、お目当てのハワイには行けず、「冬休みには連れて行ってもらおう」と話し合う姉妹。
子供たちを尻目にママのモノローグ。
「今度はどうはぐらかそうかしら」
読んだ当座は、「きっと、海外旅行はお金が掛かるから、ママはこういう形で逃げたんだろう」と思った。
そして、「海外は高いから無理だとしても、近場の海やプールに連れて行ってやればいいのに」と結局は娘たちをどこにも連れて行かない母親の態度に疑問と反発を覚えた。
大人になった今でも、「ハワイは無理だけど、近くになら連れて行ってあげるわ」「ここの海だって綺麗よ」という方向に話を進めても良かったのではないかと思う。
あさり・タタミ姉妹にしても、「せっかくの夏休みだから、どこか普段は行けないような遠い所に遊びに行きたい」との気持ちから「ハワイ」という典型的な海外のリゾート地を挙げているだけであって、現実的な行き先が近辺の海やプールであったとしても、子供としてそれなりに楽しんだのではないかと考えられるからだ。
実際、地方の公立小学校に通っていた自分の周辺でも、夏休みに海外旅行した子は四十人いるクラスの中でも一人か二人といった程度であり、また、その行き先も「ハワイ」「グアム」「サイパン」等、日本人の多く集まる定番のリゾート地にほぼ限定されていた。
私を含めて大半の子は、せいぜい国内に一泊か二泊の家族旅行をして、それを良い思い出としていたし、それが二昔前の小学生の平均的な姿であったように思う。
三百六十五日、二十四時間、インターネットで現地の情報が簡単に手に入り、飛行機やホテルの予約も取れる現在では、日本人の中で海外旅行の敷居もかなり低くなり、場合によっては国内旅行よりも安く行ける海外旅行も現実的な選択肢としてなくはない。
しかし、紙媒体の情報がメインで、飛行機を含めたあらゆる機関への予約は基本的にオフィスの営業時間に限定されていた時代においては、海外旅行は費用の面ばかりでなく、諸手続きの面でも国内旅行と比してハードルが遥かに高かったのである。
更に言えば、海外の具体的な情報も今より少なかった。
例えば、二〇〇〇年代以降のいわゆる韓流ブームの結果、韓国は渡航費用の面で安いばかりでなく、女性同士で気軽に行ける旅行先として認識されるようになった。
だが、私が小学生だった一九九〇年代前半において、韓国は地理的に近くても、女性同士や家族で気軽に行ける土地とは見られていなかった。
ちなみに小学六年生だった一九九四年まで北朝鮮は初代の金日成の時代であり、戦前生まれのおじいさん・おばあさんだと、韓国や韓国人を含めて「朝鮮」「朝鮮人」と呼び習わす向きがあり、そこには少なからず侮蔑的なニュアンスが込められていた。
また、高度経済成長期から一九九〇年代までは、韓国や東南アジアへの海外旅行というと、いわゆるキーセン観光や集団買春ツアーといった、成人の日本人男性たちが現地の女性を買う後ろ黒いイメージで捉えられやすく、子供連れの家族や女性同士で行く健全な旅行先のイメージとはむしろ対極に置かれていた。
先ほど家族での海外旅行先が「ハワイ」「グアム」「サイパン」等に限定されていたと書いたが、裏を返せば、一九九〇年代前半の日本人の感覚として、家族旅行で海外を目的地に選ぶ場合、必然的に選択肢がかなり絞られてしまう状況にあったのである。
私が定期購読紙で「あさりちゃん」の連載を読んでいたのは、そんな隣国すらまだ遠い時代であった。
ただし、子供の感覚としては、海外で五つ星ホテルに泊まろうが、国内の近場で安く遊ぼうが、本人が楽しく感じるかどうかに大して影響はない。
私としても、「夏休みに家族でハワイに行った」と話すクラスメイトを羨みはしたけれど、「実際に泊りがけで行った東京ディズニーランドじゃなくて、ハワイだったらもっと楽しかったのに」とは不思議と思わなかった。
むろん、地方の小学生にとっては、ディズニーランドで遊んで、東京見物するだけでも、海外旅行に匹敵するインパクトがあったせいもある。
しかし、そもそも「ハワイ」「グアム」または「サイパン」と聞いて思い浮かぶのは「青い海、白い砂浜、椰子の木」といったステレオタイプな「南国の海」の風景であり、そのうち「青い海、白い砂浜」に関しては国内の風景でも十分代わりの利くものであったことが大きい。
だから、他の子が「ハワイに家族旅行した」と聞いて「海外に行けるお金持ちの家なんだな」と経済的なステイタスめいたものを感じはしても、自分が国内旅行で楽しんだ経験が矮小化されることはなかった。
漫画のあさりやタタミも近場の海で水遊びして、アイスクリームや西瓜をお腹いっぱい食べれば、「ハワイには行けなかったけど、楽しい夏休みだった」という満足は十分得られたのではなかろうか。
ただ、学習雑誌の漫画として「海外旅行より国内旅行は安上がり」といった印象を植え付ける描き方をすれば、夏休みに国内旅行をする読者やその家族の心証を害する可能性もある。
それ故に、「あさりちゃん」のママはハワイの代替地を用意せず、結果的に子供たちをどこにも連れて行かない結びにしたのかもしれないとも今では思う。
また、社会人として曲がりなりにも何年か働いてからこのエピソードを振り返って気付いたのは、姉妹の「パパ」が一度も姿を現さない点だ。
ご存知の方も多いかもしれないが、「あさりちゃん」の主人公の浜野一家は、パパの「イワシ」、ママの「さんご」、そして小学六年生の長女「タタミ」、小学四年生の次女「あさり」で構成されている(ちなみに、この設定は明らかに家族漫画の古典である『サザエさん』の磯野一家を意識したというか、和歌の本歌取りめいたパロディだ。『サザエさん』の一家が『磯野』『フグ田』姓を名乗っているのに対し、『あさりちゃん』一家は『浜野』であり、また、『サザエさん』同様、家族全員が魚介類にちなんだネーミングになっている。ただし、『サザエさん』が二十四歳で子持ちの既婚女性がヒロインであるのに対して、『あさりちゃん』は小学四年生の末娘が主人公になっている。また、『サザエさん』に登場するのが戦前的な大家族であるのに対して、『あさりちゃん』の浜野一家は現代的な核家族である)。
サラリーマンである父親の「イワシ」は、他のエピソードでは主要な役割を果たすこともあり、決して、シリーズ全体として存在感を持たないキャラクターではない。
にも関わらず、この夏休みのエピソードだけ、父親は一度も姿を現さず、存在が言及されることもない。
描かれるのは、夏休みでずっと家にいる小学生の姉妹二人と専業主婦の母親のやり取りだけである。
恐らく娘たちは夏休みであっても、サラリーマンの父親にとって基本的に平日は出勤日であり、むしろ不在であることが普通であるが故に、本編中では敢えて言及されなかったものと察せられる。
しかし、海外どころか旅行や遠出そのものを忌避しようとする母親の行動には、この父親の不在が大きく影を落としているように見える。
これは飽くまで私の推測になるが、恐らく母親としては、家族旅行、特に色々と危険も多い海外旅行の前提としては父親も同行する必要性を強く感じていた。
だが、その夏の父親は仕事上の都合で、娘たちの夏休み中は纏まった休暇が取れそうにもない。
むろん、父親には留守番をしてもらって、母親と娘二人で旅行する選択肢もなくはないが、忙しい夫を置いて自分たちだけ楽しむのは妻として気が引ける。
まして、行き先が海外の場合、女性三人(しかも内二人はまだ子供)だけでは何かと不安である。
仮に国内であっても、夏は水の事故や女性を狙った犯罪が多発する。
こうした状況においては、母親が自分一人で娘二人を連れ歩く行為には慎重にならざるを得ない。
あるいは、子供たちの目のない場所で父親本人から、
「小学生の娘たちを連れて海外なんて危ないから駄目だ」
「今年は自分が休みを取れないから、旅行は我慢して家に居てくれ」
と言い含められた可能性もある。
「あなたたちがお休みでも、パパは変わらずお仕事をしているのだから、私たちもおうちで自分のやるべきことをして、安全に過ごしましょう」
ママの「さんご」が自分も娘たちも家に居続ける選択をした背景には、そんな無言のメッセージも秘められているのかもしれないのである。
なお、公立小中学校、高校で試験的に週五日制が導入され始めたのは一九九二年。
ちょうど、私がこのエピソードを読んだ前後のことである。
子供たちはさておき、大人の勤め人の感覚としては、週六日制、つまり「まともに休めるのは日曜日だけ」が常識であった。
七月下旬から八月末日までの間、あさり・タタミ姉妹にとっては暇を持て余す「夏休み」であっても、パパにとっては「日曜日だけが休み」の日常に変わりはない。
子供たちにとっては夏休み中の日曜日であっても、父親にとって「昨日も仕事だった。明日もまた仕事がある」状況では、遠出するより家でゆっくりする方向に傾くのが家族の現実だろう。
今はサラリーマンであっても、「土日は連続して休める」状況が多数派になってはいるが、「姿を見せないパパ」と「遠出をはぐらかすママ」の構図はそこかしこに残っているのではないだろうか。
ママの「結局はどこにも子供たちを連れて行かない」行動には親として疑問を覚えつつも、大人として危険を避ける態度は理解できるようになった。
話は変わって、このほど宝島社の「世界一美しい夢のお城図鑑」をアマゾンで購入した。
世界の百の名城を写真付きで紹介した本だ。
ヨーロッパがメインだが、日本の姫路城や中国の紫禁城なども含まれている。
百城のうち、私が実際に訪れたことがあるのは、北京の紫禁城だけだ。
あとの九十九城は、ごく一部にこれから訪れる可能性はあるとしても、恐らくその大半を直に目にすることはないと思う。
この本自体が「世界のお城研究会編」とされており、複数の手による著作と察せられる。
というより、複数の人間が、それぞれ自分の旅行した場所の写真と記事を持ち寄らなければ、とても百という数には達しまい。
そこからすると、百城の一つであるA城に実際に行ってその記事を手がけた編者が、また別の編者が担当したB城に訪れたことはない可能性も非常に高い。
それはさておき、アニメ「天空の城ラピュタ」のモデルとなったスロバキアのスピシュキー城など、興味深い記事が多い。
「天空の城ラピュタ」もそうだが、「風の谷のナウシカ」に登場する人々の服装など、初期の宮崎アニメの世界には東欧的な雰囲気を強く感じていたので、スピシュキー城の記事を読んだ時は今まで漠然と感じていたことがストンと腑に落ちた感触があった。
なお、書中では「スロバキア」と現行の国名で記されているが、「天空の城ラピュタ」が公開された一九八六年当時はチェコスロバキアであった。
一九一八年から半世紀以上に渡って一つの国家であったチェコスロバキアが、冷戦体制崩壊に伴ってチェコとスロバキアにそれぞれ分離独立したのは一九九三年。
これも私が小学五年生で、冒頭の「あさりちゃん」のエピソードを読む前後の出来事だ。
インターネットを検索すると、チェコもスロバキアも「中欧」という新たな括りで観光情報を取り上げた記事が散見する。
しかし、「天空の城ラピュタ」の公開された一九八〇年代後半から「あさりちゃん」の海外旅行はぐらかしエピソードが掲載された一九九〇年代前半の時期の日本においては、チェコもスロバキアも共産主義体制の「東欧」圏に属していた。
これは一般の人間の観光旅行先としては完全に圏外であるばかりでなく、研究者や記者といった特殊な立場でもない限り、そもそも日本人が足を踏み入れるべきではないと認識されていたテリトリーであった。
むろん、この地域は今でも旅行慣れした大人の旅行先という位置づけであって、子連れの家族旅行の目的地として一般的とは言えないだろう。
だが、「東欧」が多くの日本人にとってニュース映像や新聞の国際面記事の中にのみ存在していた時代からすると、正に隔世の感がある。
冒頭の「あさりちゃん」のエピソードを今、リメイクするとしたら、小学生の姉妹はどこに行きたいと希望し、母親はどう答えるのだろうか。
あさりやタタミよりもママの年配に近くなった人間としても気になるところだ。




