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映画「世にも怪奇な物語」の世界――第一話「黒馬の哭《な》く館」

 表題を見て、「世にも奇妙な物語」の誤りかと思われた人もいるかもしれないが、これは一九六七年に製作された映画のタイトルだ。


 ただ、映画とテレビシリーズの「世にも奇妙な物語」には明らかに関連はある。


 映画はエドガー・アラン・ポーの三つの短編をロジェ・バディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニら当時のヨーロッパ映画を代表する監督がそれぞれ映像化したオムニバス形式の作品だ。


 これに対し、フジテレビの「世にも奇妙な物語」も、ポーの「アッシャー館の崩壊」と「黒猫」をモチーフにしたオープニング映像から始まり、また、レギュラー番組として放映時は三編のオムニバス形式を取っていた。更に言えば、一話ごとにキャスト・スタッフが独立している点も映画と同じだ。


 ここからして、恐らくは映画の「世にも怪奇な物語」に倣う形で、テレビシリーズ「世にも奇妙な物語」は制作されたと思われる。


 映画に話を戻すと、一話目はロジェ・バディム監督「黒馬のく館」。製作当時は監督の妻だったジェーン・フォンダがヒロインを務めている。


 舞台はヨーロッパの中世。

 というより、ジェーン扮する女伯爵フレデリックの、上半身はデコルテをそのまま象った木製の胴衣(甲冑?)を着け、太腿はそのまま剥き出しにした装いを見ると、中世風の架空の世界とも思われる。


 それはさておき、女伯爵のフレデリックは莫大な財産にあかせて放埓で退廃的な日々を送っている。


 彼女の居城の広間では取り巻きの男女がもつれ合い、彼女自身は常に不特定の男を下僕兼愛人として侍らす一方で女性とも戯れる。

 快楽主義者というよりは、禁忌意識が希薄な印象を受ける。


 かつ、盗みを働いた侍従の幼い美少年を木に吊るして矢を射掛けるなど、サディスティックな性質も見られる。


 ある日、彼女は近隣の領地で暮らす従兄と遭遇し、孤高な雰囲気を持つ彼に対して心惹かれるものの、従兄の方では彼女を拒絶する。


 この従兄を演じているのはジェーンの実弟ピーターであり、観客には、ヒロインの恋心や従兄への誘いかけは視覚的にはそのまま近親姦への欲望、誘惑に映る。ヒロインのインモラルな危うさと拒絶する側の全うさを、脚本・キャスティングの両面から訴える演出だ。


 結果、女性としてのプライドを傷付けられた彼女は従僕に命じて従兄の厩に放火させ、愛馬を助けるべく炎の中に入った従兄は焼死してしまう。


 数日後、彼女の前にどこからともなく黒い馬が現れた。


 それまでの退廃の日々と打って変わって、黒い馬と共に領地の自然の中を走る彼女。その一方で、彼女は誤って燃やした居城広間のタペストリーの修復を職人に命じるものの、タペストリーの中に目を赤く怒らせた馬の姿が再現されるのと前後して、彼女は黒い馬と共に平原に起きた炎に身を投じて死んでいく。


 無辜むこの男を死に追い込んだ高慢なヒロインが報いを受けたとも取れる結末だが、この話は、しかし、怪奇や恐怖より、耽美を主眼に撮られた作品に思える。


 物語前半でのフレデリックの放蕩生活にせよ、ラストの炎の中で死んでいく恍惚の表情にせよ、彼女の内面の堕落や犯した罪の結果を断罪調で描くというより、明らかにそれ自体の官能性、煽情性を目的に撮られている。


 そもそも、作品のモチーフとなった馬そのものが、西洋文化圏においては情欲の象徴である。


 ジェーン・フォンダのデコルテをそのまま象った木製の胴衣は、いわば中世風のボンデージであり、彼女の挑発的な肢体を強調している。


 しかし、同時に、これは貴顕な権力者の地位にあるとはいえ、女性としての性や情念のくびきから逃れられないヒロインの境遇を裏書しているようでもある。


 中世には「鉄の処女」なる拷問道具があったが、この胴衣はいわば「木の処女」であり、若く美しい体型からの崩れを許さないというより、むしろその中に肉体を閉じ込めたまま夭折に至らしめる恐ろしいコルセットにも見える。


 だが、作り手はヒロインに対して真の意味での地獄を与えてはいない。


 従僕の放火と焼け落ちる厩の画面、その後に続く従僕のヒロインへの報告の場面で、ヒロイン及び観客は従兄の死を知るものの、本来は凄惨なものであるはずの彼の焼死が映像として提示されることはない。


 ラストのヒロイン本人の死に関しても同様で、火の中での恍惚とした表情を最後に彼女は観客の前から姿を消す。作り手は彼女が焼け爛れたグロテスクな様相を呈するまでは映さない。


 恐怖譚や因果応報譚のセオリーからすれば、彼女はそれこそ苦しみにのたうち回りながら、醜い姿を晒しながら息絶えていくはずである。


 つまり、作り手は彼女のあり方を否定していない。


 ステレオタイプな官能の快楽に興じていた高貴な美女が、一度は犯した罪に改悛したかに見えたものの、それは実はまた別な形での快楽に取り付かれる端緒であり、最後はその中に溺れて死んでいく。


 そんなメロドラマ的なストーリーを監督の妻であるジェーン・フォンダ主演で耽美的に映し出すのが、この作品の本当の目的に思える。


 率直に言って、恐怖譚として観ると食い足りない感触は否めないし、展開や結末にも意外性はない。


 しかし、後発の「世にも奇妙な物語」シリーズが恐怖譚や因果応報譚のイメージが強く、ポーの作品の魅力である耽美性やロマンティシズムを追求した作品は乏しいことを鑑みると、これはこれでやはり貴重な作品だとも思う。

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