ブラック・マネー・ブルース
先日、戦後の衝撃的な事件を取り上げた特集番組を見た。
つい最近、結婚詐欺師のクヒオ大佐について書いたせいもあり、巨額詐欺事件「豊田商事事件」の映像が興味深かった。
これは、一九八五年に起きた「現物まがい商法」に分類される悪徳商法を用いた巨額詐欺事件だ。
この騒動は、強引に契約を結ばされた挙句、資産を失った、高齢者を中心とする顧客の自殺が相次いだばかりでなく、この企業の会長本人も被害者の依頼を受けたと称する二人組からマスコミの前で惨殺されるという衝撃的な展開を向かえた。
クヒオ大佐事件は、騙された女性が死に追い込まれたといった情報は今のところ見当たらず、また、レプリカの軍服を着たまま逮捕された本人も「私はクヒオ大佐だ」と主張し続けたまま生きて出所したようなので、まだどこか笑い話に出来る明るさを持っている。
しかし、豊田商事事件の方は被害の規模がまず違うという点ばかりでなく、被害者、犯人共に自殺、惨殺といった非業の死を遂げており、血塗られた陰惨な印象が拭えない。
ただ、私が何より衝撃を受けたのは、マスコミのカメラの前で刺し殺された永野一男会長がまだ三十二歳という若さであったことだ。
映像を見るまで、「悪徳詐欺グループ」というキーワードに加えて、「会長」という肩書きから、高級ブランド品に身を固めた、少なくとも五十代にはなる、脂ぎった太り気味の中高年男性を何となく想像していた。
しかし、殺害時の映像や写真に残された永野氏は年若いばかりでなく、ごくあっさりした白いメッシュの長袖シャツに同じく白のズボンをはいた、成人男性にしてはかなり小柄で華奢な体格に加えて、パンチパーマを掛けた髪形こそヤクザ風だが、黒縁眼鏡を掛けた風貌は地味で気弱そうにすら見える。
殺害された当時は惨殺映像や写真に対して「自業自得」「公開処刑ざまあみろ」という反応が主だったようなのだが、リアルタイムで実害を受けていない私からすると、
「詐欺グループの総帥にしては、貧乏臭い物件に住んでるんだな……」
「手近で買い揃えたにしても安っぽい家具に見えるけど」
「氏素性も知れない犯人たちがやってきて、『殺す』と明言して窓ガラスを割ったりしている時点で既に犯罪なのに、何故、周囲のマスコミは止めもせず、彼らを煽るような態度すら取っているのか」
「これ、乱入して部屋にいたのが別人だったらどうするんだろ……」
「『助けてくれ』と部屋の中から永野氏が何度も叫んでいるのにカメラを回すだけで何もしない取材陣は、そういう形で殺人幇助をしたのではないか」
と違和感ばかりを覚えた。
殺害されたのは逮捕されると周囲からも目されていたその日であり、マスコミや被害者の目を避けて潜伏していた状況下だったとはいえ、「本当にこの人、騙し取った資産で金満生活してたの?」と思うような線の細さが印象に残った。
むしろ、「もっと悪徳詐欺の首魁らしく成金風の豪邸に住んで、これみよがしに金目の装飾品をジャラジャラ着けてマスコミの前に現れて、『金を出す方が悪いんだ』とふてぶてしく開き直って、高級車に乗り込もうとしたところを刺されるくらいそれらしく振舞ってくれたら良いのに」と思ってしまう。
だが、メディアに残された最期の彼は、物語なら純真な人物の痛ましい死を示す場面の演出を倣うように、上下とも真っ白な服を着て、鮮血に染められて倒れている。
ウィキペディアなどを見ると、生前の永野氏は高級車やクルーザーを所有するなど相応に派手な暮らしはしていたようなのだが、死亡時の所持金はわずか七一一円で、しかもキーマンの彼が死亡したことで騙し取った総額二千億円もの金がどこに流れたのか不明のまま終わり、被害者への救済も十分には行われなかったそうで、その意味でも後味の悪い事件である。
なお、生前の彼は悪徳詐欺で恨みを買う自覚があったらしく、「顔を知られれば殺される」とマスコミを避けるばかりでなく、役員や社員にすら顔を見せることは稀だったそうだが、惨殺される正にその瞬間を衆目に晒され、またその姿によって記憶され続けるという皮肉な最期を遂げた。
このエピソードというか、彼の人生そのものが、「世にも奇妙な物語」や「笑うセールスマン」といった現代の寓話劇にしばしば登場する、一時的な暴利を得るものの、何か一つ簡単なルールを破ったために破滅を迎える主人公を彷彿させる。
付記すると、豊田商事の最盛期に開催された船上パーティの映像中でも、彼はやはり高級そうな白い服を着ており、死亡時に身に着けていた白い上下の服ももしかすると相応に高価な物だったのかもしれない。
しかし、仮にそうだったとしても、逮捕のXデーということでマスコミが詰め掛けたドアの奥で、恐らくは警察が扉を叩く瞬間を身を潜めて待ち構えていたであろう彼にとって、詐欺行為で得た富貴の誇示ではなく、少しでも潔白な人間だと自他に示したかったから真っ白な服を着ていたのではないか、という気がする。
結果として、それが死に装束になってしまったのは、自業自得とはいえ、やはり痛ましい最期に思える。
それはそれとして、二〇〇六年のライブドア事件で逮捕された当時社長の「ホリエモン」こと堀江貴文氏が三十三歳だから、豊田商事事件当時の永野氏と大差ない年配ということになる。
なお、堀江氏逮捕に先立って、沖縄で不審死を遂げた側近の野口英昭氏は死亡当時、三十八歳だった。
豊田商事事件の起きた一九八五年とライブドア事件のあった二〇〇六年では年齢の感覚は多少違うかもしれないが、それでも男性の三十二歳といえば、一般社会では「中堅の若手」といった年配であり、経営者として三十代は間違いなく若い部類だ。
更に言えば、豊田商事は一九八一年の前身となった大阪豊田商事の成立から一九八五年の会長刺殺事件に至るわずか四年の間に、全国で六十の営業所、七千人の従業員を抱える大企業に成長したわけで、悪徳商法とはいえ、亡くなった永野氏に経営の手腕や才覚がかなりあったことは疑いがない。
なお、堀江氏が衆院選に出馬して話題を呼んだ二〇〇五年九月時点のライブドア本社の従業員数は約七百人。グループ全体を合わせても二千名程度の従業員数だった模様だ。
競合企業だった楽天やヤフーの当時の従業員数がそれぞれ三千七百人、千九百人なので、ライブドアは人的な規模の面でも決して大きな組織ではなかったと言える。
中退したとはいえ東京大学まで進学した堀江氏に対して、永野氏は中卒で集団就職して、最初の職場は二年ばかりで辞している。
むろん、一九五二年生まれ、「ポスト団塊世代」の永野氏と一九七二年生まれ、「団塊ジュニア」世代の堀江氏とでは世代そのものの平均的な進学事情は異なるだろうが、永野氏の方が経歴的には明らかに不遇である。
ちなみに、「豊田商事事件」と同時期に巨額詐欺事件として世間を騒がせた「投資ジャーナル事件」の中心人物で、永野氏惨殺のちょうど翌日に逮捕された中江滋樹氏は一九五四年生まれで永野氏の二歳下だが、こちらは地元の進学校を卒業した後、二十四歳で事件の発端となった「投資ジャーナル社」を設立している。
なお、マスコミへの露出を避け、生涯未婚で通した永野氏に対し、中江氏はマスコミに頻繁に出て株式売買のテクニックを披露する「兜町の風雲児」として持て囃され、芸能人と浮名を流し、三十一歳で逮捕される直前まで妻や愛人たちを連れて海外を逃亡旅行するなどまるで世間を挑発するかのように派手な生活を送った。
逮捕についても、面識のあった永野氏の惨殺事件の報道を見て、自分にも同様の事態が起きることを危惧して自首した結果の駆け込み逮捕のようで、懲役六年という判決は下ったものの、永野氏の凄惨な最期と比べれば、彼ははるかに悪運が強かったと言えよう。
更に言えば、同じ詐欺でも豊田商事が判断力の弱った高齢者をメインの対象にして強引に契約を結ばせる荒っぽい手法を取ったのに対し、投資ジャーナル社は始めから投資に関心を持つ層をターゲットにしており、手口により高度な専門性や説得力を要する分、詐欺のやり方としてはより狡猾と言える。
バブルが崩壊した直後の一九九二年に出所した彼は、しかし、他人の射幸心を煽ってその上前をはねる生き方しか出来なかったらしく、それからまた六年後の一九九八年の春、暴力団関係者から数十億の金を集めて持ち逃げした。
これは金融危機により「四大証券会社」の一角を担っていた山一證券が破綻した翌年のことであり、恐らくはそうした混乱を利用しての詐欺と思われるが、相手はそもそも裏社会の人間であり、かつ中江氏の過去の所業や投資の仕組みについてもむしろ熟知した人々だったと考えられるから、投資ジャーナル事件よりも単純に詐欺としての難易度が高いばかりでなく、綱渡りさながらリスキーな所業である。
実際、その後、長らく消息が不明だったため、暴力団の報復を受けて殺害されたと見る向きもあったようだが、二〇〇六年に本人が郷里の自宅に放火して逮捕される事件を起こしたことで生存が明らかになった。
この逮捕時には精神異常を疑われる言動もあったようだが、二〇一三年に本人のブログが開設されており、そこに載せられた近影を見る限りは健在のようである。
というより、ブログのトップでわざとあらぬ方向に視線を向けて笑っている表情を見ると、自宅に放火して奇怪な言動をしたという事件自体が確信犯というか、自分の存在を世間に改めて思い起こさせるための行動、正に炎上商法といった感触を受ける。
前述したように中江氏が放火事件を起こした二〇〇六年は、ライブドア騒動が起きたその年であり、投資ジャーナル事件で彼が世間を騒がせてから二十年の歳月が経っていた。
もしかすると、一時期はマスコミの寵児だった彼にとって、過去の犯罪について厳しい非難や新たな追求を受けるよりも、自分の存在が忘れ去られる方が耐えがたかったのかもしれない。
メディアへの自己顕示的な露出という点では、堀江氏は永野氏よりむしろ中江氏に近いかもしれないとも思う。
ライブドア騒動のさなか、不審死を遂げた野口氏は、堀江氏の側近ではあっても、社長の堀江氏や当時の同社の女性広報のように、本人はメディアに露出する立場にはいなかった。
多くの人は死を伝えるニュースで初めて彼の顔を知ったわけだが、報道で使われた生前の写真を見る限り、ごく良識的な、穏やかそうなビジネスマンといった印象を受けたし、改めて画像検索して見つかった他の写真を見てもこの印象は変わらなかった。
実際、堀江氏より五歳年長の彼は、ライブドアの前身であったオン・ザ・エッジの設立メンバーの一人とのことだが、それ以前の経歴を見ると、バブル絶頂期の一九九〇年に明治大学を卒業して国際証券(現『三菱証券』)に入社しており、死亡時の肩書きも「エイチ・エス証券副社長」であった。
堀江氏やあるいは楽天の三木谷社長といったいわゆる「ヒルズ族」の経営者は公の場であってもネクタイを締めず、シャツのボタンを開けたラフな服装で出てくるイメージが強いが、公の場での野口氏を収めた写真では、いずれもネクタイをきちんと締めたスーツスタイルであり、古風な「証券マン」の印象に近い。
ライブドアのような新興企業において、彼は独創的なアイデアを打ち出すよりも、現実的な面で補佐する役割を果たしていたのだろうと一見して思わせる。
不審死の一因としては経営を巡る資金繰りのトラブルが囁かれているようだが、恐らくは証券マンとして培った知識や人脈から、野口氏が生き延びて逮捕された他の幹部たちよりも危険な、もっとはっきり言えば「黒い」役割を負っていたのは確かだろう。
しかし、生前の野口氏に刑法上の犯罪に該当する行為、あるいは社会倫理上、不正な行動があったとしても、それが企業組織の一員としての行動ならば、本当に彼一人に責任を帰す性質のものかは疑問である。
彼が存命であれば、堀江社長ら他の幹部と共に逮捕・起訴された可能性が高いが、これは飽くまで経済犯罪であり、また、豊田商事事件のような顧客の相次ぐ破産や自殺といった、外部に悪質な実害をもたらしたケースでもない。
逮捕・起訴された幹部がいずれも懲役三年未満の軽い刑に落ち着いた事実に鑑みれば、野口氏が仮に逮捕されたとしても、これ以上重い刑罰に科せられたとは考えにくい。
妻と二人の子供があり、また、マイホームを購入したばかりだったという野口氏が生き延びてこうした現実的な制裁を受けるよりも、割腹自殺のような激しい苦痛を伴うやり方で死を選ぶのはいかにも不自然である。
むしろ、野口氏が逮捕され、法廷で自分の罪状の全容を明らかにする前に殺害されたとしか思えない死に方をしている点に、彼に生きて逮捕されてもらっては困る第三者の影が浮かび上がるのだ。
ライブドアという企業にとって一番打撃になったのは、名物社長が逮捕されたことでも、経営上の公表数値を操作していたことでもない。
ひとたび危機に陥れば、社員の命すら守れない、さながら地雷原のような危うい土壌の上に経営が成り立っていた事実が判明したことだ。
状況が一つ違えば、血みどろの形相で週刊誌の表紙を飾ったのは「兜町の風雲児」の方だったかもしれないし、堀江氏自身が縁もゆかりもない場所で不審死体になって見つかった可能性もありえた。
しかし、中江氏も堀江氏もそんな禍々しい過去などなかったかのように、むしろ、生き延びたことが無形の勲章ですらあるかのように、わざわざ近影をトップに載せたブログを開設し、世間に自分の存在を誇示している。
付記するとこの二人はいずれもタレントブロガーの多さやランキングで有名なアメーバブログを利用しており、いわば「ブログ」という情報発信の競争に参入しているのである。
私は投資や経営の知識などまるで持ち合わせないが、彼らの姿から強く感じられるのは「もう一度、自分を見ろ」という執念じみた欲望だ。
堀江氏の場合はそもそもネット産業で出てきた人なので今後も同じ業界で仕事を続ける上での営業という側面もあるだろうが、それでも、自分という個人に注目して欲しがっている印象をどうしても受ける。
中江氏に至っては単に自分の生存を世間に知らしめたかったからブログを開設したとしか思えない。
あるいは金銭的な利得を超えたその欲望こそが、彼らを今日まで生かしているのかもしれないし、率直に言って、彼らは実際に会ってみれば、人を引き込む強い魅力を持った人たちなのだろうとも思う。
挑発的な言動を繰り返す堀江氏を巡る報道はライブドア最盛期から好意的でないものが多かったが、「ドラえもん」と掛けた「ホリエモン」というニックネームには、彼を「実業界に現れたトリックスター」として一種のアイドル視する響きが明らかに感じられる。
中江氏にしても、彼の場合は明らかな詐欺ではあるが、人を屈服させる力があったからこそ、二度にも渡って人々が巨額の金をその手に委ねたのだろう。
金や富への飽くなき欲望は、彼らの内部より、彼らを眺める私たちの側にこそ、暗く燻ぶっているのかもしれない。




