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うさぎの面影はどう変わる

 犬や猫ほど家庭で飼う方向には普及していないが、多くの日本人にとってうさぎは「親しみやすくかわいらしい動物」として認識されていると思う。


 公立の小学校では、うさぎ小屋が備え付けられているのがデフォルトだ。


 犬や猫のように噛んだり引っ掻いたりして大怪我を負う危険性が薄く、また、鳥のように飛び去る機能も持たないので、子供が飼育するのに適していると判断されたためだろうか。


 日本の神話や昔話を見ても、因幡の白うさぎや「かちかち山」の悪辣なたぬきに報復するうさぎなど、うさぎは人に寄り添う存在として登場する。


 むろん、鳥と同じく「一羽、二羽」と数える慣習に見られるように、うさぎは日本人にとって長らく食肉の役割を果たしてきた側面もあるが、日本の伝承においては、月に住んで餅を着いているのもうさぎとされており、ある種の神性を帯びた動物と言える。


 大ヒットしたアニメ「セーラームーン」のヒロインはその名も「月野うさぎ(=月のうさぎ)」といい、うさぎを特徴づける長い耳は、二つ分けに結われたお団子頭に描き替えられている。


 ただ、因幡の白うさぎに始まり、日本人にとってのうさぎは雪のように真っ白な毛並みにルビーのような赤い目をした姿がステレオタイプとして定着しているように思う。


「かちかち山」の絵本を見ると、茶色い毛並みの肥ったたぬきに対して、華奢な白うさぎが登場する。


 日本人のはずの「月野うさぎ」は、しかし、アニメの絵柄では黄色い髪に青紫の目をした白人美少女的な容姿であり、変身するとお団子頭に丸いルビー(?)を飾った装備になることから、一見して白うさぎの形象と分かる。


 サンリオキャラクターのマイメロディは、白うさぎに赤やピンクの頭巾を被せた格好をしている。


 ちなみにこの頭巾はグリム童話の「赤頭巾」からとのことだが、マイメロディは可憐な女児の風情であり(赤やピンクは女児の好む色、または親が女児に着せる色の定番であり、頭巾を被った姿はおくるみやベビードレスを着た赤子を連想させる)、このキャラクターを始め、日本人がうさぎを描く時は、白うさぎにあどけない少女のイメージを投影したデザインになる傾向が強い。


 見方を変えると、日本人の中でうさぎは童女のようにか弱く純粋で愛らしい生き物であり、雪のように純白な毛並みに透き通ったルビーのような赤い目をした姿が一番、そのイメージに合致しているのかもしれない。


 アニメ「クレヨンしんちゃん」では、しんちゃんの友達のネネちゃん母娘が苛立ちを覚えると人目に付かない場所で白うさぎのぬいぐるみを憂さ晴らしに殴る描写がギャグとしてしばしば挿入される。


 この白うさぎのぬいぐるみは恐らく両親が幼い娘に買い与えたおもちゃと察せられるが、一見、可憐な女児や優しげな母親が愛らしいぬいぐるみをサンドバッグ代わりに殴る凶暴性や鬱積を秘めているという皮肉なギャップがブラックユーモアを成立させている。


 ネネちゃん母娘は「生理的に苦手だと感じても、相手はまだ幼い子供であり、また娘の大事な友達でもあるので、露骨に拒絶的な態度は取れない」といったジレンマに加えて、「人前では優しいママでいたい」「仲間内では可愛い女の子でいたい」といった見栄から、結果として物言わぬぬいぐるみを苛立ちの捌け口にしている。


 殴られても一向に無表情なぬいぐるみの描写はシュールであると同時に、本来は愛玩されるべき対象のはずなのにサンドバッグ代わりにされている皮肉を逆説的に浮かび上がらせてもおり、表面的には「優しいママ」「可愛い女の子」であり続けようとする母娘の欺瞞や陰湿な二面性を強調してもいる。


 「クレヨンしんちゃん」ではネネちゃん母娘がぬいぐるみを殴る定番ギャグばかりでなく、この殴られうさぎが悪夢の形で母娘に報復するホラー的なエピソードもしばしば流されるようだが、日本人の中に共通認識として根付いている「か弱く愛らしい白うさぎ」のイメージを逆手に取った演出と言えよう。


 話は変わって、イギリス発の童話「不思議の国のアリス」には、主要なキャラクターとして二人というか、二羽のうさぎが出てくる。


 時計を手に女王様の下に急ぐ「白うさぎ」と、一年中「何でもない日」を記念するお茶会に興じている「三月うさぎ」だ。


 原文の表記だと、白うさぎは“white rabbit”だが、三月うさぎは“march hare”になるらしい。


 そもそも三月うさぎは「三月のうさぎのように頭が狂っている」という意味の英語の成句“(as) mád as a (Márch) háre”からの命名だそうだ。


 ネットで検索したところ、“hare”は「野うさぎ」を意味しており、“rabbit”は本来、この“hare”より小型で穴居性の強い種を指していたらしい。


 物語の中でも、白うさぎこと“white rabbit”は木に開いた穴に飛び込む展開であり、テニエルの挿絵を見ても、小柄な体つきに描かれている。


 一方、三月うさぎこと“march hare”は、本来人間のアリスや帽子屋と遜色のない大きさを持つ体でお茶会の席に座している。


 テニエルの挿絵だと、三月うさぎはどうやら焦げ茶の毛並みをしているようで、頭に藁を挿している。


 ウィキペディアによれば、この頭に挿した藁は「狂人」を意味する当時の常套表現だったらしいが、そもそもが野うさぎならば、藁にまみれていても不思議は無い。


 ディズニーのアニメ版では、恐らくは視覚的な混同を避けるために、両者は大きく描き分けられている。


 まず、白ウサギは一見するとハツカネズミのように短い耳にされ、眼鏡を掛けた風貌といい、大きく膨らんだ下半身といい、明らかに能吏的な、いわゆる「ホワイトカラー」の中高年男性を意識したキャラクターデザインになっている。


 実際、彼は不思議の国においては女王の臣下であり、高官と言える。


 一方、三月ウサギは折れ曲がるほど長い耳を与えられ、全体としては茶色の毛並みだが、藁の代わりに黄色い髪の毛を生やし、同じディズニーキャラクターの「グーフィー」や「プルート」など犬を思わせる顔つきに描かれている。


 耳を含めて大きく描かれた頭部に比して、礼服を着込んだ体は華奢であり、中高年風の白うさぎに対し、こちらは「野放図な若者」といったイメージである。


「何でもない日、万歳」と歌い踊り、狂的な言動を繰り返すこのキャラクターは、文字通り「パーティアニマル」であり、どことなく「毎日が休日」とばかりにパーティに繰り出し、酒やドラッグで興奮状態になってはしゃぐ自堕落な若者を諷刺している感触も受ける。


 アニメで三月うさぎが帽子屋と酌み交わす紅茶は、不思議の国の危険な美酒にも見える。


 一見、対照的に見える両者だが、無邪気な少女をパラレルワールドに誘い、翻弄する存在であり、どこか混同されることを意図して創造されたキャラクターたちでもあるように思う。


 以前、このエッセイで取り上げた藤子不二雄Fによる短編漫画「ヒョンヒョロ」には、大きなうさぎの姿を借りた異星人が登場するが、無邪気な子供の前に姿を現して異世界の論理を展開する設定は、「アリス」のうさぎたちを彷彿させる。


 なお、この異星人は白うさぎの風貌で登場し、地球人の常識的な感覚からは少なからずズレつつも丁寧な口調で話すが、怒りで豹変するラストの一コマでは白目を剥いた不気味な黒うさぎの姿で描かれている。


 儀礼的な白うさぎが狂的な三月うさぎに転じる暗喩だろうか。


「アリス」のうさぎたち以外に、イギリスが生み出した著名なうさぎのキャラクターと言えば、「ピーター・ラビット(Peter Rabbit)」が挙げられるだろうか。


 こちらは洋服を着て擬人化されているとはいえ、ディズニーのキャラクターたちのように過剰なデフォルメを加えたものではなく、むしろ写実的なスケッチに水彩を施した印象が強い。


 同じ「ラビット」でも純アメリカ産の「ロジャー・ラビット」は、赤い髪の毛を頭頂に生やし、青い目に真っ赤な鼻をしたピエロ風の顔つき、星条旗を思わせる服装で、人間社会を闊歩する、いわば「名誉白人」ならぬ「名誉人間」とでも形容すべき、青年うさぎだ。


 アメリカでは、うさぎは繁殖力が高く、精力が強いというイメージから雑誌“PLAYBOY”のロゴマークに白うさぎが使われており、レオタードに網タイツを穿いて長い耳を着けた扇情的な「バニーガール」の扮装もここから生まれたという。


 なお、「バニー(bunny)」とは英語では「うさちゃん」といった意味合いの幼児語だそうで、「バニーガール」は本来「うさちゃん娘」といった語感になるだろうか。


 それはそれとして、物語中のロジャー・ラビットも美しい人間の姿をした妻がおり、快活なプレイボーイ風のキャラクターである。


 「バニーガール」にせよ、「ロジャー・ラビット」にせよ、アメリカ人がうさぎをキャラクター化する際には、煽情的な面も含めて、成人男女の形象を取る場合が多いようだ(先述したディズニー版『アリス』のうさぎたちにせよ、少女が不思議の国で出会う奇妙な大人たちといった役回りであり、決して、同世代の無邪気な仲間としては描かれていない)。


 一方、イギリス生まれの「ピーター・ラビット」は愛らしい子うさぎの風貌に幼い少年のイメージを投影させた装いを与えられてはいるものの、「父親は人間に捕まってパイにされた」という設定や「畑の作物を盗み食いしているところが見つかって持ち主に追い回される」展開からも明らかなように、幼い彼の生きる世界は人間の社会とは峻別されている。


 ディズニー版「アリス」のうさぎたちやロジャー・ラビットは白目と黒目を兼ね備えた人間的な目を与えられているのに対し、「ピーター・ラビット」に登場するうさぎたちはいずれも写実的な黒目だけの目に描かれており、正面から見た顔も目の切れ上がった、生身のうさぎを忠実に模した風貌になっている。


 このため、擬人化されてはいても、彼らの表情からは本当の意味で人間とは異なる感情や本能が働いているような不気味さも感じられる。


「自由と平等の国アメリカ」で生まれたロジャー・ラビットは本人の才覚で人間社会に進出して生きているが、厳然たる階級社会のイギリスに住むピーター・ラビットは生来の種を越える生き方を端から選択肢として用意されていないように見える。


 今回、「うさぎ」というキーワードで検索して、うさぎ専門のペットショップが国内に複数存在し、ビジネスとして確立しているらしいことを知った。

 草食で体臭も薄いうさぎは室内で飼うのに適した動物だという。


 商品として紹介されている赤ちゃんうさぎの写真を見ると、アイボリーや黒の種が多く、白うさぎはほんの一部だったが、どれもとても愛らしい。


 私などはうっかり踏み潰して殺してしまいそうで怖くて手を出す気にはならないが、飼いたいと思う人は多いだろうと思う。


 うさぎが赤ちゃんの頃から死ぬまで家のペットとして飼われる存在として定着すれば、日本人の中にあるイメージもまた新たな変容を見せるかもしれない。

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