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高倉健、ガオツォンジェン。

 俳優の高倉健が亡くなった。享年八十三。


 この訃報を受けて、二重の衝撃を受けた。


 まず、彼が「八十三歳」という「完全におじいさん」の齢に達していたことに驚いた。


 私の中でこの人は「おじいさんに近いおじさん」のイメージで留められていた。


 むろん、顔には既に皺が刻まれており、若い頃の本人の写真と近影を見比べれば、加齢による変化は明らかだ。


 そもそもが「枯れた」印象の人でもある。


 だが、いざ、画面にこの人が現れて話し出すと、「おじいさん」または「おじいちゃん」と言い切るには何かが枯れ切っていないというか、芯が萎びていない感触をいつも受けた。


 これは、私が子供の頃からずっと抱いていた印象である。


 そこまで思い出して、その自分が三十代に達した現在に至るまでに、彼がずっとそんな「おじいさんに近いおじさん」のイメージを保ち続けていた事実に改めて衝撃を受けた。


 四半世紀余りもの間、一貫したパブリック・イメージとステイタスを維持できる俳優は、邦画はもちろん、海外でも稀ではないだろうか。


 浮き沈みの激しい芸能界においては、正に驚異的な偉業だろう。


 敬意を込めて「健さん」と呼ばれた彼の高名は知っていたが、しかし、私が実際に見た彼の出演作品はそれほど多くない。


 主要な娯楽と言えばテレビで、映画と言えばハリウッド、邦画の地位は完全に低迷した時代に成長した私の世代にとって、この人や吉永小百合は「顔と名前は知っていても、作品をちゃんと見たことはない」位置付けの人であるように思う。


 あるいはこの二人に匹敵する存在がもっと下の世代で育たなかったために邦画から活力が失われていったのかもしれないと感じなくもないけれど、高倉健は死ぬまで古き良き日本映画のアイコンであり続けた。

 一九六五年、三十四歳で出演した東映映画「網走番外地」は、囚人物で、彼は心ならずもやくざ家業に手を染め、入獄した主人公に扮している。


 犯罪者の役柄ではあっても、「本来は全うな人間であるにも関わらず、裏社会に足を踏み入れて刑務所に入り、望まない脱獄に踏み切る」設定を与えられている点に、一種の綺麗事というか、俳優としてのアイドル扱いが見える。


 率直に言って、本来主役の彼よりも、牢名主的な老囚人を演じたアラカンこと嵐寛寿郎の方が明らかにキャラクターとしての存在感があり、また、演技としても、共に脱獄を試みようとする南原宏治の「脱獄に成功したところで入獄前と同じうらぶれた生き方しか出来ないだろう」と思わせる、荒廃に漂う哀れさが印象に残った。


 彼の保護司役を演じた丹波哲郎が「あんな者はもう知るか」と仮釈放届を破り捨てる場面の重厚さも忘れがたい。


「不器用ですから」という発言に象徴されるように、高倉健の演じる役は寡黙で不器用な男性が多く、また、彼自身も演技者として巧緻なタイプではない。


 しかし、彼の端正さや清潔感が、監獄での厳しい受刑生活や荒涼たる雪景色の中の脱走劇を本当の意味で物語が暗くなる一歩手前で救っているように思う。


 一九八九年のハリウッド映画「ブラック・レイン」は、故・松田優作の遺作として有名だが、この作品の本来の主役はマイケル・ダグラスと高倉健だ。


 ちなみに出演時の彼は五十八歳、ダグラス四十五歳、松田優作四十歳であった。


 脱獄犯を演じた「網走番外地」から二十年余りを経て、彼は今度は逃走した犯人を追う刑事に扮している。


 ずっと昔に観たおぼろげな記憶では、香港映画風のバック・グラウンド・ミュージックが流れる中、一人佇む高倉健が日本人の演じる日本人ではなく、白人の目を通した「漠然と東洋系の男」に見えた。


 実際、白人のマイケル・ダグラスと並ぶと、高倉健は肌が黄色く、黒く濃い眉に切れ長の目で、背が白人並みに高い点を除けば正に黄色人種の見本のような風貌である。


 松田優作にしても、劇中では殆ど台詞もなかったように記憶している。


 彼の場合はそもそも「謎めいた犯人」という役どころのせいもあるだろうが、こちらも日本人の演じる日本人ではなく、やはり、白人のイメージする「エキセントリックでミステリアスな東洋人の男」に相応しい。


 松田優作が在日韓国人(後に帰化)だった事実は今では広く知れ渡っているが、「ブラック・レイン」を始めとする作品中の演技でしばしば見せる激しさや苛烈さは、日本人男性としての個性というより、半島的な激情を連想させる。


 いわば、この作品では「寡黙で不器用な日本人男性」と「激情的な韓国人男性」の二つの個性が反映されたわけだが、動的な個性を好む現代ハリウッド映画の感覚では後者の方がより魅惑的なキャラクターと捉えられ、また、日本国内でも夭折した松田優作への同情も手伝ってか、本作での高倉健はやや影が薄い。


 日本以外で高倉健の個性が高く評価されたのは、お隣の中国だ。


 今からもう一昔も前になるが、中国の人と話して日本映画が話題になった際に、盛んに「ガオツォンジェン」という単語が出てきた。

「高倉健」の中国語読みだ。


 一九七六年に彼が主演した映画「君よ憤怒の河を渉れ」は、一九七九年中国でも公開されたが、文化大革命後に初めて公開された外国映画という事情も手伝って非常に喜ばれ、主役の彼自身も中国で人気を集めた。


 二〇〇五年の日中合作映画「単騎、千里を走る」は、巨匠・張芸謀チャン・イーモウが監督したが、この作品は高倉健のファンである張芸謀が直に出演を打診したと言う。


 ちなみに高倉健と張芸謀は風貌が似ているとしばしば指摘されているが、この作品の製作当時に二人が並んで映った写真を見ると、実年齢では高倉健が二十歳も年長であるにも関わらず、両者は大差ない年配に見える。


 映画は正に高倉健ありきの作品であり、彼扮する老年の父親が病気の息子に代わって中国の奥地に赴くというロードムービーである。


 そもそもの設定が父親と息子で立場が逆の方が相応しいのではないかと違和感を抱かせるものであり、行く先々で基本的には温かく歓迎される展開も、役の人物としてではなく、いわばセレブリティの「高倉健ガオツォンジェン」だからこその歓待に見える。


 純粋な映画としては決して成功していないが、外国人、特に中国のような歴史的に摩擦のあった地域出身の監督作品にありがちな、日本人への冷笑や揶揄を感じる形象で扱われてはいない点で、やはり貴重な作品だと思う。


 また、必ずしも日本と良好でない関係にある国の映画人からも敬意を持って遇される存在だったという点で、高倉健はやはり偉大だったと言える。


 八十三歳という年齢からすれば、「天寿を全うした」と形容すべきだろう。

 四十歳でたおれた松田優作の二倍も生きた勘定だ。


 だが、リベンジポルノに見られるようにネットの普及によりセレブのゴシップどころか一般人のプライバシーすらたやすく晒し上げられる時代において、飽くまで清廉なパブリックイメージを保ち続けたこの人の死に、昔、訪ねた土地を再び訪れて、目印にしていた大きな建物がなくなっているのに気付いた時のようなもの寂しさを覚えるのは否定出来ない。

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