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銀河鉄道の季節

 六月十九日は太宰治の桜桃忌だ。


 敗戦の傷跡がまだ色濃く残っていた時代、梅雨の季節に玉川上水で愛人と死体で発見された、津軽生まれのこの小説家は、日本人の中では、「青臭くて自意識過剰な年頃で通過儀礼的にかぶれるデカダン作家」といった位置付けで揶揄されつつも、深く愛されている。


 お札になった「漱石ソウセキ」や権威ある文学賞の名になった「芥川アクタガワ」ほど堅い意味でのステイタスはなくとも、戦後を生きる私たちの心情をそれとなく言い当ててくれる「太宰ダザイ」。


 日本の純文学のアイコンにはそんなイメージがある。


 しかし、児童文学や詩まで包括すると、太宰に勝るとも劣らないレベルで、日本人の心情に深く根付いた作家は、宮沢賢治だろう。


 日本文学を語る文脈で「賢治」と書けばそのまま彼を指す点はもちろんだが、「漱石」のように明らかに特殊なペンネームでもなく、むしろ当時の男性名としてはありふれた下の名で敢えて呼び習わしているところに、日本人の彼への並々ならぬ親近感が窺える。


 一九〇九年に青森県こと津軽に生まれ、一九四八年、満三十八歳の時に東京の三鷹で死んだ「太宰」に対し、「賢治」は一八九六年岩手県花巻市に生まれ、一九三三年、満三十七歳で同市において亡くなった。


 同じ北東北の裕福な家庭に生まれ、四十前に死んだ、いわば夭折の作家という点では大きく共通している。


 だが、敗戦の挫折感が深く蔓延する時代に自殺した太宰に対し、不穏な兆しが強まってきたとはいえ、まだ日本が戦火に見舞われる前に病死した賢治には、「古き良き時代の日本に生きて死んでいった人」といった、まるで童謡の「ふるさと」で歌われる山河の美景に立つ人のような、無機質な白黒ではなく、セピア色のソフトフォーカスの懸かったイメージがある。


 実際、一生を通じて金銭、女性関係のトラブルが絶えず、最後は愛人と情死した太宰に対し、生涯独身で、教育と農地改良に尽力した賢治は一種の聖人的な扱いで語られる傾向が強い。


 実妹のトシに深い愛情を持っていたことは広く知られているが、それは彼女の死を描いた「永訣の朝」の白い雪に表象されるような純潔なものと一般には解釈されており、現実的な近親相姦を伴うような関係性であったとは見られていない。


 理想の人物像を語った詩「雨ニモマケズ」に描かれるような、「世間では『でくの坊』と軽んじられつつも、自分なりのやり方で他者に尽くす道を貫いた人物」として、賢治本人も多くの日本人からは捉えられているように思う。


 しかし、子供の頃の私は、賢治というか賢治の童話が苦手だった。


「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」といった独特な表現はひたすら意味不明なものとしか映らなかったし、「風の又三郎」などに出てくる方言の会話文も、同じ日本語であるはずなのに、注釈無しでは一読して意味が分からないという点で外国語と変わらなかった。


 ストーリーにしても、有名どころの「注文の多い料理店」は主人公たちが恐怖体験をさせられた挙句、恐怖で醜く歪んだ顔が元に戻らないという結末がいかにも残酷に思えて、後味が悪かったし、「よだかの星」も主人公のよだかが周囲の鳥たちから不当に虐げられた末に現実的には死んでしまったとしか思えないラストに救いのない感触が拭えなかった。


「風の又三郎」も、不思議な力を持つ少年が結局は低レベルな田舎町に見切りをつけて去っていってしまったエンディングに見え、同じ東北の田舎町に住む子供としてはいけ好かなかった。


「分かりづらいし、どこが面白いんだろう?」というのが素直な感想だった。


 有名な肖像写真の、猫背気味で、俯き加減のまま目線を横に向けた賢治の姿もどこか不気味で、「何でこんな変な人を、そんなに偉い人みたいに扱うんだろう?」とそこにも疑問を覚えた。


 実際、大人になって見直しても、太宰治の頬杖をついて横顔を向けた写真には、自意識の強い作家による演出が感じられるが、宮沢賢治の逸れた視線からは自分の姿を記録に残す場に身を置きながら、そのことに対してまるで無頓着な印象を受ける。


 現代のようにスナップ写真で意図せずして撮られたわけでもなく、ちゃんと写真館に行って然るべき料金を支払って収めた姿としては、これは明らかに異常だ。


 太宰治は自意識が強くても、その分、洒脱で社交的だった人となりが写真からも推察できるが、宮沢賢治の写真を見ると、何を訊ねてもぼんやりした答えしか返ってこないような、つかみどころのない人に感じるし、それはしばしば周囲の人にとって「でくの坊」と呼びたくなるような苛立ちを引き起こしただろうとも思う。


 それはそれとして、賢治の作品を初めて面白いと感じられたのは、中学生になってからだ。


 俗に言う「中二病」でむしろ太宰治を好んで読むのが似つかわしい時期に、賢治の童話世界に惹かれたのはいかにも奇妙に思えるし、あるいは私にとっての中二病がそうした形で表れたのかもしれないと今振り返って思わなくもない。


 だが、それまで賢治が苦手で読むことを避けていた長編の「銀河鉄道の夜」を国語の授業で全編通して読み、また、擬人化された猫のキャラクターによるアニメまで観た時、童話でもあり、ファンタジーでもあり、また、SF的な要素も織り込んだ作品世界に眩惑めいた魅力を感じた。


 主人公のジョバンニとカンパネルラの、一見、対照的なようでいて、その実、状況が一つ違えば、一方が他方の立場に置かれても不思議はないと思わせる、危うさを秘めた結び付き。


 夜空の星の煌めきや、底に闇を吸い込んだ水面の波打つ輝き、そして、いつの間にか誰もいなくなってしまう列車の客室を飲み込んでいく眩い光。


「銀河」という言葉の持つ、燦然と輝きつつも茫洋とした雰囲気を文字の上でここまで忠実に表現した作品には、後にも先にも出会ったことがない。


 梅雨真っ盛りの太宰治の桜桃忌に対して、宮沢賢治忌は九月二十一日、夏の暑さが落ち着いた時期に来る。


 しかし、「銀河鉄道の夜」は、小学生が余った宿題を気にしつつも花火大会やお祭りに出向いていく夏休みの晩にこそぴったり来る作品であり、気だるいのに何となく眠れない夏の宵こそ、大人になった日本人がふと空を見上げて賢治を思い出すのに相応しく思えてくる。

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