表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
122/123

映画「鯨が消えた入り江」を観て【ネタバレ有り、閲覧注意】

(一)初めに

 劉俊謙ことテレンス・ラウの名を知ったのは故・梅艶芳アニタ・ムイの伝記映画「アニタ」で彼女の親友でもあった張國榮レスリー・チャンを演じた俳優としてであった。

 SNSでもレスリーを演じた彼の評判は大変良かった。

 しかし、検索して役を離れた本来の彼の風貌を観た私は一見して

「ハンサムだけどレスリーには似てない」

と感じた。

 亡くなったレスリーやまた彼に似ているとよく言われる台湾の陳志朋ジュリアン・チェンなどと比べても、テレンスは一見して面長で彫り深く白人的な風貌、体型も肩幅の広い長身である*1

 レスリーは三十歳で出演した「男たちの挽歌」(原題:英雄本色)で一つ上の周潤發チョウ・ユンファと並んでも面差しもあどけなく体型も華奢でほんの少年のようにしか見えなかった(潤發が同世代の香港男性としても破格の巨体だったせいもあるが)。

 むろん、テレンス氏に非はないがそこに違和感を覚えた。

 また、どれほど名演技であろうと他の人が演じるレスリーやアニタを観るのは抵抗があり、上映当時は観に行く機会も取れなかったせいもあり、未見である。

 次に「トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦」(原題:九龍城寨之圍城)が話題になり、この作品は日本でもかつての香港映画人気そのものを復興させるレベルで注目された。

 こちらも観に行く時間は取れなかったが、パンフレットや原作小説の邦訳は入手して、そこで主要な役を務める彼が改めて気になるようになった。

 そして、今回、彼が出演する「鯨が消えた入り江」がレスリーの「春夏秋冬」を挿入曲に使い、また男性同士の同性愛を描いた作品とのことでまたネットでは話題になった。

「一度、この彼の演技を実地に観てみよう」

 そう考えて運良く観る機会を得た。

 映画館で鑑賞すること自体も正に数年ぶりである。

 なお、私が観たのは横浜駅近くの相鉄ムービルで、「トワイライト・ウォリアーズ」のパンフレットも先日そこで購入したが、今回「鯨が消えた入り江」のパンフレットは完売しており入手出来なかった。

 観ていない作品のパンフレットは持っていて実際に観た作品のそれは無いのは皮肉だが、これも巡り合わせだろうし、何よりも「鯨が消えた入り江」の評判が良い証左であろう。

 相鉄ムービルでの上映について述べると十四時二十五分から十六時十五分までの枠で観たが、消灯前にも他の映画の予告編や宣伝動画、消灯後にも別の映画の予告編が延々続き、本編の上映が始まったのは十四時三十五分であった。

 数年前に最後に映画館(こちらも大手のシネコンであった)で観た時と比べても明らかに他作品の予告編に割く時刻も本数も長い気がするが、これは今はどこもそうなのだろうか。


(二)本編を観て

 一言でいうと「良い映画」であった。のみならず私のようなレスリーファンで彼の面影を引き摺っている人間にカスタマイズされた作品であった。

 そもそもが伝記映画でレスリーを演じたテレンス・ラウが主演であることに加えて、もう一人の主役である台湾俳優の范少勳フェンディ・ファンも中華圏ではテレンスと風貌が似ていることで評判になった人のようで、正に「レスリーのジュニアたち」(こういう形容は二人には失礼かもしれないが)といった顔合わせである。

 なお、役の設定ではテレンス演じる天宇ティエンユーとフェンディ演じる阿翔アシャンで一回りほど年齢差(劇中の二〇二〇年現在で天宇が三十代前半、阿翔が二十歳前後)があるようだ。

 だが、実年齢ではテレンスが一九八八年生まれ・出演時三十六歳、フェンディが一九九三年生まれ・出演時三十一歳で五歳差である。

 視覚的にもテレンスがフェンディより四、五歳上にしか見えないし、役の上でもフェンディの役は二十代半ば辺りでも差支えないと思われる。

 映画を観ていてもこの二人は確かに風貌として似ているが、やや蒼白い肌に面長の角張った顎、彫り深い幅広二重の目がテレンス、浅黒い肌にやや突き出た頬骨に尖った顎、吊り気味の目がフェンディでそれぞれ異なる個性を備えている。

 演技的にもテレンスには晩年のレスリーに特に顕著だったメランコリックな表情があり(レスリーが実人生でどうなったかを知っているファンとしてはやや痛ましくなる類似ではあるが)、何よりも低い声の響きが良く似ている。

 劇中のナレーションは職業作家でもある天宇の声で語られるが、

「これはレスリーその人の声ではないか」

としばしば感じた。

 演出としても

「レスリー・チャンの亡くなった二〇〇三年に僕の両親も亡くなった」

とわざわざ彼の名を出したナレーションが流れる上に、台湾を訪れた天宇が連れ込まれて目を覚ます阿翔の部屋には「星月童話」*2、「烈火青春」*3といったレスリー主演映画のポスターが貼られている。

 そもそも「阿翔」という名前自体がレスリーの代表作である「阿飛正伝」(邦題は『欲望の翼』)の捩りである。

 また、阿翔の本名である「潤發」(私が観た映画の字幕では『潤発』と新字体にされていたが画面では『潤發』と香港・台湾で使用される旧字体で記されていた)もレスリーと同世代でやはり「亞洲影帝」(アジアの映画帝王)と称された大スターである周潤發にあやかったものだ。

 阿翔は「西門シーメン陳浩南チェン・ハオナン」を自称するが、これはレスリーや周潤發より一回り下の世代で代表的な香港スターである鄭伊健イーキン・チェンが出世作となった映画「古惑仔」シリーズで演じた香港の裏社会で頭角を現す主人公の名である*4

 更にはテレンス演じる天宇が再起を決意して香港に戻った後、阿翔の真相を知るのと同時に天宇の描いた小説と劇中の現実が織り交ざった複雑な構成の展開になるが、前者の世界ではレスリーが生きていて二〇二三年にはワールドツアーがあり、香港と台湾でそれぞれコンサートが開催される描写になっている。

 そもそもこの映画は原題を「我在這裡等你 A Balloon‘s Landing」という。

 中国語の部分は「僕はここで君を待つ」の意味で劇中でも天宇に届いた潤發の手紙の文面として繰り返し出て来るが、英語の方は「気球・風船の着陸」といった意味合いだ。

 挿入曲のレスリーの「春夏秋冬」も英語タイトルは“A Balloon‘s Journey”、「気球・風船の旅」であり、こちらへのオマージュを込めた英題と言えよう。

 この映画自体がレスリー・チャンという二〇〇三年に香港から永久に飛び去ったスターと彼の生きていた時代への今の香港と台湾の映画人たちからのラブレターに思える。

 テレンス・ラウについて字数を割いてきたが、この作品のもう一人の主役はフェンディ・ファンであり、彼の演じる阿翔/潤發の、明るく調子が良いようでどこか刹那的にしか生きられない虚しさや哀しさが見えるキャラクターが物語を動かす原動力になっていた。

 物語の前半で飛び降り自殺しようとするテレンスの天宇をフェンディの阿翔が止める場面は周囲の愛すべき第三者たちと相まってユーモラスに描かれているが、これはどちらも沈鬱なタイプだと成立しない演出である。

 メランコリックなインテリ青年のテレンスに対して砕けた言葉で言えば「チャラい」、軟派なチンピラ青年のフェンディだからこそ温かな笑いに着地する。

 その調子の良いチンピラ青年が要所要所で彼本人の闇や傷を覗かせつつ盗作疑惑に傷付いた青年(こちらは三十代には入っているのでもう中年に近い青年だが)作家を元気づけ*5、再起を図らせたところで、相手の青年作家はもちろん観客にとっても哀しい真相が明らかになるのだ。

 この映画のポスターが安心し切ったように目を閉じているテレンスに対してフェンディの方はこちら側に見開いた眼を向けている図なのは、劇中で彼が唯一全ての真相を知った上で動いていた人物であることを暗示している。

 「阿翔」という役名もチンピラ同士の争いで結果的に命を落とす運命も「欲望の翼」でレスリーが演じたヨディを彷彿させる。

 ヨディが彼の語る物語に出て来る「足の無い鳥」だとすれば阿翔は正に「入り江に消えた鯨」である。

 この映画はテレンス・ラウ演じる天宇の視点を取りつつその実はフェンディ・ファン演じる阿翔の喪失を描いているのだ。

 この作品の成功の半分は、不遇な中でも明るさを忘れない、軽薄なようで全てを知った上で自分が斃れる道に進んでいく阿翔を演じ切ったフェンディ・ファンという俳優の力量によるものだ。

 だが、映画としては率直に言って天宇が香港に戻ってからの後半はやや蛇足に感じた。

 阿翔と台湾を周遊するロードムービー*6を形成する前半だけでも、「痛みを和らげる方法を施設長に教えてもらった」という阿翔の台詞や閉所の暗闇を怖がる彼の挙動から恐らくは施設育ちの孤児で虐待されたトラウマから閉所の暗闇を怖がっているであろう過去は容易に察せられるからだ。

 途中で宿泊する家に住んでいる若い女性「夏夏シャシャ」を天宇に「妹分」と説明するくだりでも

「これは二人とも施設育ちの孤児で夏夏の方が阿翔より若干年少だから妹分だという話なんだろうな」

と観客としては察しがついた。

 むろん、物語としては天宇の盗作疑惑の発端となった過去の別な女性作家による小説は一体何だったのか、その真相を提示する必要があっての後半部であるわけだが、やや説明的でくどく感じた。

 後半で繰り返し過去の登場人物たちが手紙を書いてポストに入れる場面が出て来る一方で台湾滞在時の天宇が目にすることの無かった阿翔/潤發の真相も提示されるのだが、

「いや、天宇の両親の形見のポストって現実に機能してたの?」

「そもそも同じ香港にいた時点で天宇と潤發は手紙のやり取りが出来るような状況にいたの? 無理があるような」

「潤發が少年期に台湾に行った時点で文通は途絶えたんだよね? 何で天宇が密かに台湾に来てすぐに把握してる?」

「阿翔の部屋の壁にこんなに天宇の写真やら記事やら貼ってあるなら夏夏も天宇のことを初対面時から知ってないとおかしくない?」

(夏夏が悪気無くSNSにアップした天宇の写真から香港の人気作家である彼が台湾にいることが香港の関係者にも察知されるという展開なので彼女は本当に天宇の素性を知らない)

と却って混乱した。

 後半部に関しては先にも述べたように作家として天宇が新たに描いた小説と劇中の現実を混ざり合わせる複雑な構成になっているので、一度観ただけでパンプレットも手元にない私の頭では把握し切れていないのかもしれない。

 それはそれとして前の章でこの作品は男性同士の同性愛を描いていると述べたが、劇中での描写は偶然二人の唇が重なったことにお互いがときめくという程度に留まる。

 主人公の二人が明らかな同性愛者であるという提示もなければ、例えば「ブエノスアイレス」(原題:春光乍洩)のレスリーとトニーのような正真正銘のゲイカップルの関係には至らない。

 友人と言うにも恋人と呼ぶにも枠に収まり切らない何かがある。敢えて名前を与えるのならば「ソウルメイト」とでも呼ぶべき関係性である。

 同性愛や同性愛者を描いた作品としては不徹底というかある種の「逃げ」かもしれない。

 だが、この映画に関してはそうした名前の付かない関係性の描き方に魅力を感じた。


(三)終わりに

 八月の三連休最後の日の午後に観たが、私の観た回に関しては全席とも予約指定席で半分も埋まっていなかった。

 なお予想はしていたが、観客は一見して女性しかいなかった。年齢的にはまだ学生かと思われる若い人もちらほらいたが、筆者のような昔からの香港映画ファンと思しき中高年女性(私より明らかに年上と思われる人も)が多かった。

 作品の造りとしてもその辺りがターゲットなのだろう。

 それはそれとして一般的な映画ファンにはもちろんレスリーファンにもお勧めできる一作であり、二千円という新書二冊分に相当する料金を払っても損はなかった鑑賞体験であった。

*1 なお公称身長はレスリー一七四センチ、ジュリアン一七二センチ、テレンスと後述のフェンディ・ファンが共に一八〇センチである。むろん世代の違いもあるだろうが(五〇年代生まれのレスリーに対してテレンスとフェンディは親子ほどの年齢差がある)、歌謡コンテスト出身のレスリー、少年期にアイドルグループでデビューしたジュリアンに対して後出の二人はそもそもがファッションモデルの出身であり、これは白人スタンダードの長身が求められる職業である。

*2 レスリーと日本の常盤貴子が共演して話題を読んだ映画である。一九九九年制作。邦題「もういちど逢いたくて」。

*3 一九八二年制作。譚家明パトリック・タム監督作品。確かにレスリー主演作品ではあるが、*2の「星月童話」とは制作年次もかなり離れている点が観客というかレスリーファンとしては気になった。「烈火青春」出演時のレスリーは二十六歳、「星月童話」出演時は四十三歳である。

*4 原作は牛佬ガウローによる香港の人気漫画。「古惑仔」は広東語で「チンピラ」「不良青年」の意味。

https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%8F%A4%E6%83%91%E4%BB%94,(参照2025-8-11)

*5 二人で滝で水浴びしながら「石頭アッタマ・コンクリ」を連呼する場面は日本人としても笑いがこぼれた。台湾で長らく暮らしている阿翔には不正確な形とはいえ日本語に馴染みがあっても生粋の香港人である天宇には聞きなれない外国語として認識されているという台湾と香港の文化的なズレを示す上でも興味深い描写である。

*6 男主人公二人が旅していく台湾の自然豊かな風景や地元の祭りや花火の描写には日本人の自分にもノスタルジックな魅力を持っていた。しかし、個人的には解放感を求める心理の現れとしても主人公たちが車窓から手を出す行動が繰り返し出て来るのが気になった。「車の窓から手を出すな」は日本のみならず香港や台湾でも常識であるはずだ。主人公たちの現実的な危うさを示す描写としても執拗で過剰である。演じる俳優たちにとっても明らかに危険である。


【参照URL】

公式サイト「鯨が消えた入り江」

https://www.march.film/kujira,(参照2025-8-11)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ