千夜一夜物語の魅惑
「アラビアン・ナイト」または「千夜一夜物語」。
これは寵愛する妃の不貞を知って絶望し、国中の罪なき乙女を一夜の妻にした暁に殺害する乱行に走ったシャハリヤール王に大臣の娘シエラザードが妹のドニヤザードに付き添われて毎晩語ったという形式のアラビア(だけではないが)地方の説話集である。
日本人にとっても長らく親しまれたおとぎ話のシリーズであるばかりでなく、アラビア、ペルシア、イスラム圏のイメージを形成する上で大きく貢献している作品と言えよう。
そういう私も小さな頃はアニメ絵本のシリーズで「アリババと四十人の盗賊」を繰り返し読んだ記憶がある。
金持ちの兄のカシムから蔑まれてきた貧しいアリババが一転して裕福になり、それを妬んだ兄の妻の企みがきっかけでカシムは惨死するという運命の残酷さ(絵本では優しげなアリババの妻に対してカシムの妻はきつくて意地悪そうに描かれていた。だが、後者が布に包まれた夫の遺体に取りすがって泣く姿は子供の目にも痛ましかった)。
召使いの美少女モルギアナが機転を利かせて残虐な盗賊一味を壊滅させる鮮やかさ。
特に剣舞をしながら盗賊の頭領に近付いて刺し殺す場面のスリリングさには息を呑んだ。
大人になってから私の描く作品にはしばしば女中や侍女の身分のヒロインが登場するが、これは子供の頃に読んだモルギアナが影響しているかもしれないと今、書いていて気付いた。
ただし、筆者本人がモルギアナのような目から鼻へ抜ける美少女ではなかったので拙作のヒロインたちもむしろ不器用で失敗ばかりしている娘が多い。
別な稿にも書いたように私は中学生でシエラザードとシャハリヤール王の枠物語の二次創作を書こうとして、岩波文庫版の「千一夜物語」(個人的には『千夜一夜』の方が響きがいかにも寓話的で好きだが)を全巻揃えた。
ちなみにそちらではシエラザードは「シャハラザード」、モルギアナは「マルジャーナ」と表記されていた。
本来はそちらが原語に近いのかもしれないが、自分としては「シエラザード」「モルギアナ」に馴染んできたし、一般にもそれで定着しているので本稿では基本的にこちらを採用する。
さて、私の悪い癖で飛ばし読みばかりして結局はまともに全巻は読み通せていないが、「アリババと四十人の盗賊」の該当部分は見つけ出して読んだ。
貧しいアリババが財を得て兄のカシムは横死し、召使のモルギアナが悪辣な盗賊一味を一掃してアリババ一家が栄える大筋は一緒だ。
だが、岩波文庫版では夫を亡くしたカシムの妻をアリババが
「あなたは兄の大切な人でした。今後は私の妻をあなたの妹と思って下さい」
と自分の第二夫人として新たに迎える。
現代の日本人からすると「義姉だった女性と結婚するのか」と違和感を覚えるが、説話の成立した時期のイスラム圏では夫を亡くし社会的な後ろ盾を失った女性の救済策として亡夫の兄弟が娶るケースは恐らく珍しくなかったのだろう(枠物語でもシエラザードがシャハリヤール王の正妃になるのと同時に妹のドニアザードはシャハリヤール王の弟であるシャハザマーン王に嫁ぐ結末になっているが、恐らく当時はそうした一族同士で同時に複数のカップルを娶せる婚姻が多かったものと思われる)。
また、盗賊一味を一掃したモルギアナをアリババが自分の息子の妻として迎える顛末も記されていた。
召使いであることからして恐らくモルギアナは奴隷(でなくても貧賤)の身分であり、主人の息子の妻に収まるのは彼女の立場では玉の輿であろう。
いずれも子供向けに書かれた絵本では省略されているが、当時の社会や女性の立場を窺い知る上では興味深い展開である。
なお、「千夜一夜物語」にはアッバース朝五代目カリフのハールーン・アッラシードやゾバイダ妃、詩人のアブー・ヌワース*1といった実在の人物が出て来るエピソードも複数ある。
遊蕩児でも知られたアブー・ヌワースがゾバイダ妃の沐浴を隙見して詩を書いた話を聞いたシャハリヤール王が不快がり、
「アブー・ヌワースの話など面白くない」
とシエラザードに不満を述べ(これはシャハリヤール王がシエラザードの語りに惹き込まれて彼女の斬首を延期する千夜一夜物語の枠物語としては例外的なパターンである)、彼女が慌てて別な話に切り替える件もある。
ちなみに阿刀田高によれば、シャハリヤール王とシエラザードはハールーン・アッラシードとゾバイダ妃がモデルという説もあるそうだ。
名君で知られたハールーン・アッラシードが国中の乙女を虐殺する当時としても暴君としか言いようがないシャハリヤール王のモデルというのは皮肉だが、「名君と暴君は紙一重」という寓話なのだろうか。
枠物語では最初の愛妃の不貞を知る前まではシャハリヤール王は名君であり、千夜一夜を経てシエラザードを正妃として迎えた後も再び名君に戻ったという説明が為されている。
そこからすると、「男性の器量は妻次第」という教訓めいたものも浮かび上がるように思う。
「アリババと四十人の盗賊」にしてもカシムの惨死は本人にも欲深な面はあったにせよ義弟一家の成功を妬む悪妻が一因である。
身分の低いモルギアナが主人の息子の妻に迎えられるのも
「これだけ利発な娘なら息子を良い方に導いてくれる」
という主人夫妻の期待からであろう。
それはそれとして、近代以前のフォークロアであるという前提を持ってしてもシャハリヤール王の造型は現代の読者には受け入れ難い面が多い。
少女時代に読んで
「不貞を働いた妃が処刑されるのは当時の王族というかアラブ男性としては妥当だとしても、シエラザードの前に一晩だけ慰み者にされて殺された女性たちにどんな罪があるのか。何故そんな大量虐殺を犯した王が現実的な報いを受けずに済まされるのか」
「いや、妊娠すればお腹が大きくなるんだから千夜一夜も経って初めて自分の子供が三人も生まれたことに気付くって有り得ないだろ」
「この王様はどれだけ女性に無知で無理解なんだろう」
と首を傾げた。
掌編の「千夜一夜の果てに」は愛妻のシエラザードも弟夫妻も身罷った後、老境のシャハリヤール王がかつてのシエラザードとドニアザードの面影を持つ孫娘二人と語らう話である。
ここに描かれている人物たちの価値観は現代的過ぎるかもしれないという自覚は作者としてもある。
それでも、千夜一夜の結末の後にこんな瞬間があって欲しいと思う。
*1 なお岩波文庫ではこの詩人による「アラブ飲酒詩選」も出ており、そちらも後日購入した。ただし、個人的には同じ飲酒の楽しみを詠んだアラブの詩集ならオマル・ハイヤームの「ルバイヤート」(こちらも岩波文庫にある)の方が享楽の中の虚無を見つめた感じで好きだ。