ダイエットの話――十八キロ痩せるまで
(一)第一次ダイエット(二〇二二年三月〜七月辺りまで)
私は未就学児の頃に肥満だった一時期を除けば、基本的に標準体重、普通体型であった。
成人して身長は一六〇センチ、体重は学生時代の一番細かった時期が四八キロ、その後は三一歳で長女を妊娠・出産するまでは五〇〜五二キロ程度であった。
次女を妊娠・出産した後もコロナ前までは毎年人間ドックを受診しており、その時期は五〇キロ代後半であった。
しかし、コロナ禍に入り、あまり外にも出られず医療機関も極力避けて人間ドックも受診していなかったため少しずつ太っていった。
そして二〇二二年の確か三月頃、元から着ている部屋着もきつくなってきたので意を決して体重計に乗ってみると、六七・二キロ。
ネットのBMI計算サイトで確かめてもBMI二六.一七。
十八・五から二十五未満までが普通体重なのでこれは明らかに肥満である。
なお、日本肥満学会の基準では「肥満一度」(肥満は四段階に分かれており、最高はBMI四〇以上の四度)。
WHOの基準では前肥満(こちらはBMI三〇以上で『肥満一度』、最高はBMI四〇以上の『肥満三度』になり、日本肥満学会の基準から一度ずつ引いた形になる)。
「太め」「太り気味」といった体型だろう。
実際、当時はそれまで着ていたLサイズの服はきつくなりかけていたものの、新たにネットで買ったLLのギャザースカートは本来の服の仕様もあるが明らかに緩かった(『これがきつくなったらまずいな』という危機感からもダイエットすることにしたのだが)。
それはそれとして、BMIを計算した結果、私の身長では六三キロ、つまり四キロ痩せればBMI二四・六一でギリギリ普通体重の枠に入ることが分かった。
「四キロくらいなら少し頑張れば落とせるだろう」
「取り敢えず、今持ってる服がこれ以上きつくならないようにしないと」
そんな思いで四十歳にして初めて本格的なダイエットをした。
まず、夜の九時以降は食べない、間食や油の多そうな食べ物は避けることを徹底した。
家族で食べるマクドナルドのセットでもポテトは野菜サラダに低カロリードレッシング、ドリンクは黒烏龍茶でなければ爽健美茶といった塩梅である。
二キロくらいは割とすぐに落とせたように思う。
後は隙間時間にとにかく体を動かした。
腹筋やスクワットもそうだが、自宅マンションのエレベーターを極力使わず階段を昇り降りするだけでも運動量は増やせる。
結果的に七キロ痩せ、その年の十一月に三年半ぶりに受けた人間ドックのデータを見ても体重六〇・六キロ、BMI二三・五。
アイドルや女優といった人たちの公称四〇キロ台が当たり前の感覚からすればそれでも太めではあるだろうが*1、本来の医学的な基準からすれば普通体重の枠に落ち着いた。
(二)第二次ダイエット――二〇二四年七月〜
最初にダイエットしてから二キロくらいの増減は繰り返しつつも基本は普通体重の枠に収まり、また着ている服にも支障は無かった。
ところが去年の七月にネットで買ったLサイズのスウェットのズボンが太ももの途中で引っ掛かって着られないという事態が発生した。
当時の体重は六十二キロ、BMI二四・二二。肥満とのボーダー的な値とはいえ、普通体重の範疇であり、他のLサイズの服は当たり前に着られていたのでとてもショックだった。
ただし、元から私は同じ身長・体重の人と比較してもお尻が大きく太ももが太い体型なのだという自覚はあった(肉の付き方は人それぞれです。私より明らかに肥満と思われる人でも脚は非常に細い人を見たこともあります)。
六十七キロから六十キロまで痩せた後もいわゆる股擦れするので夏場は短パンかスカートを履いても下にストッキングや薄手のタイツを着けなければ歩く度に内股が擦れて気持ち悪かった。
「この際だからこのスウェットが難なく履けるくらいに痩せよう」
そう考えて再びダイエットを開始した。
その頃には夫から貰い受けたスマートウォッチとそれに連動したスマートフォンのアプリがあり、一日の運動して消費したカロリーは把握できるようになっていた。
また、夫が本人も運動のために購入したステッパーもうちにはあった。
こうしたダイエットを再開した訳だが、運動して本来の健康的な目標である二〇一一キロカロリーを明らかに上回っているにも関わらず、思ったほどには体重が落ちない。
そんな時にネットで検索した結果、
「毎月一キロ痩せるには運動で消費したカロリーが食事で摂取したカロリーを一日三二〇キロカロリー、二か月で三キロ痩せるには一日五〇〇キロカロリー上回る必要がある」
という情報を得た。
そして、アプリにも毎回の食事の内容もカロリー込みで登録する項目があることに気付いた。
そこから「一日の摂取カロリーは二〇〇〇キロカロリーまで」と決め、運動カロリーは摂取カロリーより最低三〇〇キロカロリーは上回るようにした。
それが去年の九月の終わりのことである。
食生活と摂取カロリーを把握するようになってからは以下の食品が定番になった。
・低脂肪乳(カロリーが一般的な牛乳の半分で栄養素が摂れる。毎朝必ず後述のマルチビタミンの錠剤と一緒に飲む)
・マルチビタミン(私が服用しているものはわずか一カロリーであらゆる栄養素を補完する。自分の場合は少し食生活の栄養が偏ると口内炎が出来やすいのでマルチビタミンは必須であった)
・ゆで卵(調理が簡単かつ油を使う目玉焼きや卵焼きより低カロリーで卵の栄養がフルに摂れる)
・ささみの唐揚げ(同じ分量でもカロリーはもも肉の三分の二以下、むね肉の七割程度。私も家族も唐揚げが好きなのでこれには助かった)
・おかゆ(普通のご飯の半分のカロリー。脂っこい食事をした後の胃を休めるのにも良い)
・「モナ王」などバニラアイスモナカ(ボリュームの割には相対的にカロリーが低い。アイスクリームはチョコレートが入ると少量でもカロリーや脂質が高くなるので純粋なバニラアイスモナカで)
・ゼロカロリーゼリー(一日の摂取カロリーが上限に達してもどうしてもお腹が空く時はそれを食べる)
こうして毎日計測した平均体重の前月比として一〇月には二・二キロ、十一月には二・七キロ、十二月には一・六キロ減少した。
三か月で合計六・五キロ減少し、十二月三一日の体重は五四・五キロ。BMI二一・二九。
私の身長では五十六・三キロがBMI二二・五で本来の適正体重なのでそれよりもなお下回る。
その頃には全く股擦れしないどころか、太ももの間に隙間が出来るようになり、先述したスウェットのズボンも難なくはけるようになっていた(ちなみにこのズボンが一番ピッタリだったのは体重五十五~六キロで本来は適正体重、Mサイズ相当のBMIの時であった。私の体型やメーカーとしてのデザインはあるにしてもこれは疑問である)。
更に言えば、元から難なく着られていた服は明らかに緩くなった。
そこからは減量のペースを少し落としたが、BMIが二〇台に入る辺りから元から持っていたLサイズのズボンが歩いていて微妙にずり下がるようになり、太ももの脇に筋めいた窪みが見えるようになった。
そして、五月に受けた人間ドック。
体重は五〇・二キロ、腹囲七〇・〇センチ、体脂肪率二三・五パーセントで、前年の同時期に受診した結果からそれぞれ十・六キロ、八・五センチ、九・七パーセント減少した。
同じ機関で受診したため、
「一年で随分痩せましたけど、大丈夫ですか?」
と繰り返し尋ねられた。
自分としてはほぼ昔の体重に戻って
「子供を産んでから今までが随分肥ってたんだな」
という感慨である。
元からタイトな服は好きではなくて「少し太っても着られる」という服を選んで着ているので「元から持っている服がゆったり着られるようになって良かった」と思う。
ダイエットの契機になったスウェットも今は着用して太ももに当たり前に手が入るほど余裕があるというか、紐をきつく締めないとずり下がる程である(『このスウェットがピッタリにはけるように』という当初の目的からすればある意味では失敗かもしれないが)。
むろん、食事の内容とカロリーを毎日記録して把握する過程で今までの肥満の要因が可視化され、
「食べ物が数字に見える」
「口に物を入れる度に消費に必要な運動量を考えて憂鬱になる」
という苦しみはあった。
だが、去年まで常に付き纏っていた
「後何キロで肥満だ」
「本当はほぼ肥満に近い体型だ」
という鬱屈から解放された点でそれを上回るメリットがあった。
*1 そもそも前掲の人たちは総じて健康的な観点では「痩せ過ぎ」である。ちなみに日本女性の平均身長一六〇センチの場合、四七キロ以下はBMI十八.五未満の「低体重」に該当する。なお、芸能人としてもスリムな印象の強い中国女優の章子怡は公称身長一六四センチ、体重四八キロ、BMIにして一七・八五である。彼女の場合、後二キロ増えると体重五〇キロ、BMI一八・五九で普通体重と低体重のボーダー的な値になる。二キロ増えた彼女を想像して果たして日本人の感覚で「肥っている」「ぽっちゃり」と感じるだろうか。「五〇キロ超えた女はデブ」といった日本の風潮は明らかに女性の実態に即していない。同じ身長・体重の男性が健康的に肥満でなければ女性も同様である。
【参照URL】
https://keisan.site/exec/system/1161228732、(参照2025−7−4)
記事中のBMIはこちらのサイトでの数値を採用した。