ブラジル追想
ワールドカップが目下、ブラジルで開催中だ。
サッカーといえば有名どころの選手の名前しか知らない私でも、ブラジルが参加国としては最強クラスであることは知っている。
それだけに、開催直前になってもスタジアムが未だに完成していない、開催に合わせて開通するはずだったモノレールの鉄橋が崩落事故を起こしたので結局使えない、歴代の名選手たちを描いたスタジアムの壁画に嫌がらせで落書きする事件が起きた、そもそも国内では開催に反対するデモが起きている、といった、「これって開催する以前の問題じゃないの?」「というより、よく中止にならなかったな」と思うような主催国としての駄目さ加減に驚いた。
むろん、経済の未発達さやそれに伴う貧富の格差といった、発展途上国ならある程度どこにでも共通した問題もあるだろうが、参加国としては世界最強レベルなのに、開催国としては恐らく歴代でも底辺争いするクラスと思わせるアンバランスさにこの国特有の混沌というか捩れが見える気がした。
日本人のように何事も表面的には穏便に取り計らおう、とりあえず体裁だけは綻びなく整えようとする傾向の強い人種と違って、この国の人たちの根底にはネガティヴな感情であっても取り繕えない愚直さというか、上っ面のモラルやルールでは制御できない生な激情が渦巻いているように思う。
小学校に入ったばかりの頃、「ランバダ」という踊りが流行った。
当時、バブル絶頂期だった日本では、この踊りの扇情的な振り付けが話題を読んだようだが、性的な概念や感覚がまだ希薄だった頃の私には、この曲を耳にする度に「何だか悲しげなメロディーだな」と感じていた。
この曲や踊りは、元はブラジルが発祥だという。
このランバダが流行ったバブル絶頂期には、日系ブラジル人のマルシアが「ふりむけばヨコハマ」で歌手デビューしてヒットした。
童謡の「赤い靴」にも歌われているようにかつては多くの日本人が異国に旅立っていた港町横浜に、異国で生まれ育った日系人の若い女性が降り立って彼女にとっては外国語である日本語で寄る辺ない感情を歌うという抒情性が受けたのだろうか。
タイトルの地名を漢字の「横浜」でなく敢えてカタカナ書きにしているのは、むろんこの都市の港町としての異邦感もあるが、歌い手の彼女がネイティヴの日本語話者でないことから来るぎこちなさも織り込んでいると思われる。
あるいは、異人さんに連れられて日本を去っていった童謡中の赤い靴の女の子があたかも子孫の代になって祖国に舞い戻ってきたかのように思わせる物語性が当時の日本人のノスタルジーをそそったのかもしれない。
ただし、「マルシア」というカタカナ書きでしかもファーストネームだけの芸名は、彼女の実際の経歴は別として、言うなれば外国人ホステスの源氏名のような、国籍的、社会的なアイデンティティの不確かさ、曖昧さを連想させるものだ。
やはりバブル期の日本の芸能界で活躍し、その途中で「じゃぱゆきさん」と呼ばれる出稼ぎホステスをしていた前歴が明らかにされたルビー・モレノというフィリピン人の女優がいたが、こちらは一応、姓名の揃った芸名になっている。
あるいは、日本人にとってフィリピン人の「ルビー・モレノ」は完全に異邦人であり、だからこそ外国人としての姓まで明示して純日本人の芸能人と完全に区別する必要があったが(そもそもルビーは東南アジアに原産の集中した鉱物であり、『ルビー・モレノ』という芸名には明らかに『フィリピンから来た赤い宝石』といった舶来品的な響きが込められている)、日系ブラジル人で風貌としては日本人の面影のある「マルシア」はニックネーム的なファーストネームで止められたのかもしれない。
実際、デビューして二十年以上経った今でも、メディアに露出する彼女のイメージは「古風な日本人としての見方を覗かせたり、ラテン的な感覚も見せたりする、半外国人」といった役回りだ。
話は変わって、小学校低学年の頃、仲良くしていたクラスメイトのお母さんが日系ブラジル人だった。
前述したマルシアと同じく人種としては純粋に日本人だが、ブラジルに生まれ育ち、成人してから日本人のお父さんと結婚して帰国したパターンだったらしい。日本語のイントネーションに少し癖があったことを覚えている。
お宅にお邪魔した際にブラジルから送られてきたというお菓子を何度かご馳走になった。
正式な名前は未だに分からないが、キャンディのように包装紙を両端で捻って覆った、大きさとしてはチュッパチャップスをもう一回り大きくしたようなお菓子だ。
ちなみに、お菓子の包装紙自体も赤や青の原色を基調にしており、今、思い出すとチュッパチャップスのそれに似ていた記憶が漠然とある。
丸いお菓子の一番外側はクッキーの地で出来ていて、噛んで割ると、中身はミルクチョコレートとホワイトチョコレートの層になっている。
チョコボールならぬクッキーボールとでも呼ぶべきお菓子だが、とても美味しかったので、今、思い出すと、卑しくてみっともないくらい、何個もいただいた記憶がある。
一般に外国製、特にヨーロッパ産のチョコレートは苦味が強く、子供の舌には必ずしも食べやすくないものが多いが、そのお菓子に関しては、おかしな言い方だが、「徹底して甘い」という感じがした。
クッキーやチョコを混ぜ合わせて漠然と「甘ったるい」のではなく、一つ一つの層がそれぞれの風味を主張した結果として強烈に甘いのである。
このお菓子一個(一粒と形容するには大き過ぎる)で、日本の板チョコ半分くらいを食べたようなボリュームを感じた。
「食べ過ぎると虫歯になりそうだな」「あんまり食べると太るよね」等と現実的な心配をしつつ、「これを当たり前におやつとして食べてるブラジルの人たちってどんな人たちなんだろう」と想像して空恐ろしくなった覚えがある。
当時、仲良くしていた子たちの間で切手集めが流行っていたことを知ると、お母さんはブラジルの切手を何枚か下さった。
日本とは規格が異なるらしく、ちゃんと用を成すのか不安になるほど小さく思えるものもあれば、一枚で日本の切手二枚分はありそうな大きさのものも混ざっていた。図柄は青や赤の原色、あるいは鮮やかな深緑を背景にして密林に潜んでいそうなカラフルな鳥や花を描いたものが主で、一見して、「日本とは違う」と思わせた。
インターネットや電子メールが普及していなかった時代で、お母さんは暇を見つけてはブラジルの親戚や友人に手紙を書き送っているようで、筆記体のアルファベットで綴られた、私には分からない言葉の並んだ便箋を何度か見掛けた覚えがある。
「向こうに手紙を書いているみたいだったけど、ブラジル語だから全然分からなかったよ」と自分の家に戻ってから両親に言うと、それはポルトガル語だと訂正された。
ブラジルは南米の大国の一つだが、他の国々がスペイン語を公用にしているのに対し、ポルトガル語を公用にしている点で異色の存在だ。
ヨーロッパ大陸において、旧宗主国のポルトガルは隣のスペインに今にも吸収されそうなほど小さいが、旧植民地のブラジルは周辺にあるスペインの旧植民地を圧倒するかのように大きい。
まるで、ネガフィルムと現像した写真で明暗の逆転した関係を思わせるような皮肉である。
旧宗主国の国民性に関しては、同じラテン系であっても、「情熱のスペインと郷愁のポルトガル」と評され、また、ポルトガルの民謡のファドは哀調を帯びたメロディで有名である。
なお、ポルノグラフィティの「サウダージ」はタイトルからも明らかなようにこのファドのメロディを基調にしており、歌詞も失恋した女性の哀感を歌っている。
ファドを基にした日本の歌謡曲では、他に久保田早紀の「異邦人」が有名だが、これもやはり失恋した女性の虚無感を歌ったものだ。
ファドはポルトガル語で「運命」または「宿命」といった意味である。
ウィキペディアによれば、「大航海時代に帰らぬ船乗りたちを待つ女たちの歌」という起源説は独裁政権下でのでっち上げとのことだが、一面ではそういった誤解を招きかねない哀しさがファドの旋律には漂っている。
ブラジルの音楽、舞踊といえば、一般にはまず「サンバ」だ。
お尻をほとんど剥き出しにした、日本人の感覚からすると肌の露出の多過ぎる衣装で激しく踊る女性ダンサーたちのイメージは、いかにも陽気で享楽的であり、郷愁や哀愁といったものとはむしろ対極的に思える。
このサンバの原型は、ポルトガル人が植民地ブラジルの開発のためにアフリカ大陸の他の植民地から駆り出した黒人奴隷たちの音楽が発祥で、その後支配者である白人たちの音楽や舞踊の要素も融合して現在の形になったと言われている。
そもそもが抑圧された人々の音楽のベースに、哀愁を色濃く持つ支配者層のメロディも加味されたのである。
二〇〇二年に製作され、内外で話題を読んだブラジル映画に「シティ・オブ・ゴッド」という作品がある。
一九六〇年台から八〇年代までのリオデジャネイロの貧民街ファベーラを舞台にした、実話を基にした作品である。
物語の詳細は割愛するが、本作の主人公はリトル・ゼと名乗る、貧民街のギャングのボスだ。
彼は少年時代から犯罪に手を染め、目的のためには平気で人も殺める荒んだ生活を送ってきたが、親友のベネだけが心の支えであり、また、このベネの存在がリトル・ゼが本当の意味で心の闇に沈み込む前のストッパーともなっていた。
しかし、ベネは新しく出来た恋人のために終わりのない犯罪の世界から足を洗うことを選び、リトル・ゼに決別を告げる。
皆から愛されるベネのために、ファベーラのクラブでは町を去る彼の送別会が開かれ、集まった人々は陽気に踊り騒ぐ。
親友を引き止めるべくリトル・ゼはクラブに乗り込むが、そこにはリトル・ゼを狙う者も忍び込んでおり、ベネはリトル・ゼを狙った銃弾に当たって死ぬ。
楽しいパーティの場は一転して血なまぐさい殺人事件の現場と化し、集まった人々は逃げ去り、後には息絶えたベネと打ちひしがれたリトル・ゼだけが取り残される。
陽気で享楽的なダンスシーンは、その後の主人公たちの悲劇や絶望をより際立たせる前哨となっている。
劇中のリトル・ゼやその仲間たちが犯罪に手を染めエスカレートしていく過程には、度し難い貧困と初等教育すらまともに受けられない劣悪な環境が横たわっている。
彼らにとってサンバのリズムに合わせたダンスは性や薬物に並ぶ快楽であるが、この三つはしばしば淫靡な形で結び付いており、また、新たな犯罪を生み出す契機に転じやすい。
ダンスは辛い現実を一時忘れさせてくれる快楽ではあっても、決して根本的に解決してはくれない。
犯罪は一時の快楽を手助けしてはくれるが、際限のない快楽への欲望はまた新たな犯罪を生み、最後には破滅が訪れる。
人影の消えたクラブに取り残された主人公たちは、正にそんな「運命」の下に置き去りにされている。
日本のプロスポーツにも多少そうした傾向はあるが、ブラジルのような発展途上国において、サッカーは明らかにハングリースポーツである。
強豪国であればあるほど苛烈な競争が裏で繰り返されているであろう現実は容易に察せられるし、同時に、競争に敗れて去っていく無数の挫折者の存在も改めて想起させられる。
貧困から這い出る道を絶たれ、先行きへの希望を失くした若者の中には、「シティ・オブ・ゴッド」の登場人物たちのように犯罪に走り、若くして非業の死を遂げる人も少なくないのかもしれないのである。
二〇〇二年の「シティ・オブ・ゴッド」に先立つこと二十年、一九八〇年にやはりブラジルで制作された映画「ピショット」は、貧困層の少年たちの暗い現実を描いて、国際的に高い評価を受けた。
しかし、主演した少年はその後俳優になろうとして挫折し、映画公開から数年後、わずか二十歳の若さで強盗を働き、警官に射殺された。
「シティ・オブ・ゴッド」に端役で出演した少年の中にも、その後窃盗容疑で逮捕者が出たという記事をどこかで読んだ記憶がある。
二〇一四年の今回のワールドカップに加えて、二年後にはリオデジャネイロで南米初の五輪開催も控えているわけだが、こうした底辺の人々の暗い現実には果たして曙光が射しているのだろうか。
そうでないからこそ、開催準備の致命的なまでの停滞があり、また、抗議デモが激化したのではないだろうか。
ワールドカップの開催は、それまで参加国としては最強だったブラジルがその裏にどれだけ根深い病巣を抱えていたか、フィクションのフィルターを通してではなくまっさらな現実として国際的に知らしめた。
国家や体制という単位で見れば、今のブラジルは落第点かもしれない。
しかし、体制側としては精一杯外に自国を良く見せたいこの時期に、抑圧や欺瞞の蓋を敢えて突き破ろうとするブラジルの人々のエネルギーに眩しいものを覚えるのも、また事実なのだ。