絵本を読む、絵本を描く。
やなせたかし夫妻をモデルにした朝の連続ドラマが話題になっている。
私は時たま朝の時刻を確認するついでに少し観るくらいできちんと観ているとは言えないし、やなせたかしの作品自体も子供の頃に「アンパンマン」のアニメを観た程度で決して詳しくはない。
付記すると、自分が子供だった一九八〇年代後半から九〇年代初頭は正義側のパンはアンパン・食パン・カレーパンのトリオくらいしかおらず悪玉もバイキンマンとドキンちゃんのコンビであった。
子供を持つ親になってからパン側にロールパンナ・メロンパンナ姉妹が加わったばかりでなく、悪玉にもコキンちゃんが出て来て「青いドキンちゃんがいる」と混乱した記憶がある。
ただ、子連れでアンパンマンミュージアムに行ってお土産の本屋で最初の「アンパンマン」の絵本を読んだ。
その中に防災頭巾を着けて独りお腹を空かせて泣いている子供――これは明らかに戦災孤児のイメージである――にアンパンマンが自分の顔を千切って食べさせる下りがある。
それを目にした時にこのキャラクターが当初はオスカー・ワイルドの「幸福の王子」にも比せられるような自己犠牲の化身として創造されたことが察せられた。
その後、「やさしいライオン」「チリンの鈴」といった動物の世界に仮託した悲しい作品も彼には少なくはないことも知った。
むしろ、絵本作家としては大人になってからより深く理解できるクリエイターかもしれない。
話は変わって、私も絵本を一冊書いたことがある。
高校生の頃、家庭科の課題で小さな子に与える玩具や絵本を作るものがあった。
不器用な私には玩具など作れそうにもなく、何よりも物語を書きたかったので、小さなスケッチブックを買って絵本を作って出すことにした。
以下、記憶に頼って書き起こしてみる。
「リュウと王様」
昔々、ある国に若い王様とリュウという召使いの娘がいました。
リュウは王様を誰よりも愛していました。
そして、王様のためにいつも一生懸命働いていました。
(絵:桃の花が散る中、中華風の青年王に青い着物を纏った娘が跪いて槍を差し出している)
*****
ある日、王様は狩りに出掛けました。
その姿を見た人々は言いました。
「何と勇ましい王様だ。良い馬に乗ればもっと立派に見えるだろう」
(絵:痩せ馬に乗って槍を構えた青年王と遠巻きに囁き合う農民たち)
*****
お城に戻った王様はリュウに告げました。
「賢いリュウよ、どこかに良い馬はないだろうか」
リュウは答えました。
「私が探しに参ります」
(絵:苦い面持ちで盃を差し出す青年王と酒を注ぐリュウ)
*****
次の日、リュウはお城の外で良い馬を探しましたが、見つかりませんでした。
「このままではお城に帰れない。どうしましょう」
すると、森の中から不思議な声が響きました。
「可愛い娘や、どうして泣くの」
木立の奥から魔女が現れました。
リュウの話を聞くと魔女は言いました。
「お前の美しい髪と引き換えにするなら立派な馬を出してやろう」
リュウは自分の髪を切って差し出しました。
(絵:髪白く年老いた仙女風の魔女がリュウの艷やかな黒髪を撫でている)
*****
魔女が杖を振ると、たちまちたくましい馬が現れました。
「さあ、連れておいき。お前と王様に幸せがありますように」
(絵:輝く朱色の毛並みの筋骨たくましい馬)
*****
リュウが馬を連れ帰ると、王様はとても喜びました。
リュウもとても幸せでした。
(絵:桃花の散る中、髪の短くなったリュウの肩に笑顔の青年王が手を置いており、傍らには朱い馬が控えている)
*****
またある日、王様は馬に乗って町を行進しました。
その姿を見た人々は言いました。
「何と立派な王様だ。もっと良いお召し物を纏えばもっと輝かしく見えるだろう」
(絵:朱い馬に乗った青年王が臣下を従えて行進する道の脇で老儒者風の男が若い弟子に囁いている)
*****
お城に戻った王様はリュウに告げました。
「優しいリュウよ、どこかに良い服はないだろうか」
リュウは答えました。
「私が探しに参ります」
(絵:桃の入った籠を持って若干髪の伸びたリュウの肩に手を置く青年王)
*****
森にやってきたリュウの前に魔女が再び現れました。
「優しい娘や、今度はどうしたの」
リュウの話を聞くと魔女は答えました。
「お前の美しい声と引き換えにするなら光り輝く衣を出してやろう」
リュウはしばらく黙っていましたが、やがて口を開きました。
「お願いします」
「本当にそれでもいいのかね。二度と口が聞けなくなってしまうのだよ」
リュウは黙って頷きました。
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魔女が杖を振ると、たちまち眩い光を放つ衣が現れました。
「さあ、持っておいき。お前と王様に幸せがありますように」
(絵:虹色に輝く衣装)
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リュウが衣を持ち帰ると、王様はとても喜びました。
でも、前の時ほどにリュウにお礼を言いませんでした。
リュウは少し悲しくなりました。
(絵:光り輝く衣を纏った青年王の後ろ姿と引き留めるように手を伸ばしたリュウ。その傍らでは鴉が転げ落ちた桃を啄んでいる)
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そして、またある日、王様はお城で舞踏会を開きました。
招かれた人々は囁き合いました。
「全く幸せな王様だ。これで美しいお妃様を迎えれば言うことなしだ」
(絵:広間の中央で常と異なり薄桃色の上着に緋袴を着け一人舞うリュウ。周囲の男性たちはその様に感嘆して見入っている。光り輝く衣を纏った青年王だけが談笑している男女に鋭い眼差しを向けている)
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王様はリュウに告げました。
「美しい娘を連れて来い」
口のきけないリュウは涙の光る目で王様を見詰めました。
しかし、王様は構わずにリュウの肩を押しました。
「早く探しに行くのだ」
(絵:舞姫の装いのまま閉じた目から涙を流すリュウとその肩を掴む青年王の手)
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リュウは泣きながら森の中に入っていきました。
魔女はすぐ現れました。
(絵:紅葉の森で顔に両手を当てて泣いているリュウと白髪の魔女の後ろ姿)
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「哀れな娘や。泣くのはおやめ」
魔女は不思議な小瓶を取り出しました。
「この瓶の薬を王様に飲ませておやり」
リュウはしばらく黙って見詰めていましたが、小瓶を受け取って胸元に仕舞いました。
(絵:魔女の置いた手が持つ深藍の液体の入った小瓶と虚ろな眼差しをしたリュウ)
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森を去っていくリュウを見詰めながら魔女は呟きました。
「さあ、持っておいき。愚か者には罰が当たりますように」
(絵:年老いた魔女の恐ろしい顔)
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一人で戻ってきたリュウの姿を目にすると、王様はとても怒りました。
「役立たずめ。こいつを牢屋に閉じ込めろ」
リュウは自分から牢屋に入っていきました。
(絵:青年王の指さす大きな手。遠景に縄に縛られたリュウの姿。その周りでは木から落ちた葉が空を舞っている)
*****
お妃を探して王様は一人旅に出ました。
最初に訪れたのは速く駆ける馬の沢山いる国でした。
しかし、王様ほど速く駆ける馬の持ち主はいませんでした。
「リュウの連れて来た馬はどの馬よりも立派だった」
(絵:モンゴル風の衣装を着た人々と青年王が乗馬の競争をしているが、青年王が突出して前を走っている)
*****
次に訪れたのは上等な服で栄える国でした。
しかし、王様ほど眩い衣を纏う人はいませんでした。
「リュウの持ってきた服はどの服よりも輝かしかった。牢屋にまで入れることはなかったのに」
(絵:夜の祭りで着飾った人々の中で発光する衣装を纏って佇む青年王)
*****
最後に訪れたのは美しい娘の多いことで知られる国でした。
その国の王は城に招いた王様に自分の妃を見せて言いました。
「私の妃はこの国でも一番美しいのです」
しかし、王様は思いました。
「リュウの方がこの国の妃よりずっと美しい。ああ、リュウを妃にすれば良かったのだ」
(絵:茫然とする青年王の顔。背後の遠景には中年の王と寄り添う妃、そして着飾った踊り子たちが並んでいる)
*****
王様は急いで自分の国に帰りました。
でも、その頃にリュウはもう生きていませんでした。
魔女が渡した瓶の中身は毒だったのです。
「リュウよ、リュウよ」
王様は涙にくれました。
(絵:牢屋の中で息絶えたリュウを抱いて泣く青年王。傍らには空の小瓶が転がっている。格子窓には雪が積もっている)
以上が絵本の内容だ。
文章の部分はすぐ書けたし、ヒロインのリュウの顔は肌白く瞳の円らで大きな風貌がすぐにイメージできた。
だが、青年王のイメージはなかなか浮かばなかった。
そんな時、当時流行ってたリュシフェルというバンドのボーカルのMAKOTO(今の芸名は『越中睦士』さんと仰るようです)が映った雑誌の表紙を本屋で見掛けた。
端正だが、どこか冷たく険しい面差し。
だからこそ、最後に泣き崩れる表情にギャップが生じる。
「この顔だ」
まるで指名手配犯を目にしたようにピンと来た。
こうして高校生の自分はもはや学校の課題を片付けるというより完全に自分の趣味で一冊の絵本を作り上げたのだった。
今にして思うと、これが最初の完成作品だった。
むろん、商業化されたわけでもないし、コンクールの類で賞を取ったりしたわけでもない。
それでも、高校生の頃に夢中で描き上げたこの絵本のことを思い出すと、不思議な高揚感と喪失感を同時に覚えるのだ。