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鎌倉から湯河原まで――神奈川県内の旅

(一)義父母との旅行

 夏至の土日に私たち家族と夫の両親の六人で一泊旅行した。

 長期休暇や連休でもない普通の土日だが、夏休みには塾の夏期講習がある子供たちと大学にお勤めのお義父さん、そして宿泊したい施設の都合などを摺り合わせると、この土日になった。

 土曜日に鎌倉の鶴岡八幡宮と大仏を観光して湯河原に移動して一泊することに決まった。

 横浜に住む私たち家族にとっては同じ神奈川県内を巡る旅行である。

 子供たちにとってはお祖父ちゃんお祖母ちゃんと一緒に行く旅行の中でも特別なお出掛けでもあろう。


(二)武家の古都・鎌倉

 横浜駅で義父母と待ち合わせて湘南新宿ラインで鎌倉駅に向かう。

 時間にして二十分強である。

 むろん、同じ県内だから不思議は無いし、何より鎌倉に行くのも初めてではない。

 たが、欧米的な港町の横浜と古都(正式には鎌倉時代も国都は京都だが実質上の国政の拠点は鎌倉であり古都と形容して差し支えないだろう)の鎌倉という全くイメージの異なる都市が電車一本で二十分そこそこの距離にあるという事実に未だに慣れないのだ。

 私たちは鎌倉駅を降りて小町通りを抜けて鶴岡八幡宮に向かった。

 まだ十時半辺りだったはずだが、えらい人混みであった。

 率直に言って、小町通りを抜けるというより、この通り自体がアトラクションで行列に並んで進んでいくといった感触である。

 途中で夫が日除けの帽子を買おうと店に入ったが、安い物でも七千円もするような品揃えで買わずじまいであった。

 その他にも子供たちが食べたがったので熱中症対策のためにもメゾンカカオ鎌倉小町本店(店舗からして高級な感じはしたが)で生チョコレートかき氷を一つ買って家族で分け合って食べた。

 こちらは二、三人で分け合うのに適した分量とはいえ税込一〇八〇円もした。マクドナルドならハッピーセット二人前、本なら新書一冊が買えるような額である。

 小町通りの店は総じてインバウンド価格になっている印象を受けた。

 確かに外国人の観光客は多かったが、日本人には敷居高い価格になっていることに侘しい感じを覚えた。

 さて、辿り着いた鶴岡八幡宮では七夕の祭りが近いせいか、薬玉があちこちに吊るされていた。

 仙台の七夕祭りは黄緑や黄色など淡い色合いの薬玉が多いが、こちらは仙台のそれと比べると玉は小振りだが全体に濃い暗緑色(鎌倉時代の武家装束めいた色彩である)だったり鮮やかな五色の紐が垂れていたりするのが目に付いた。

 地域によって薬玉というか七夕の飾りにも個性があるのだろう。

 こちらで観た中で他にも印象に残ったのは政子石だ。

 これは政子が妊娠した時に頼朝が安産を祈願した石だという。

 石は二つあり、片方はハートに似た形をしている。

 古びた二つの石の後ろにはももともすももともつかない木が生えており、鮮やかな山吹色の実が転がり落ちていた。

 北条政子は昔から「尼将軍」とミソジニックな揶揄を込めた呼び方をされる。

 本来は敵である流人に身一つで嫁いだのを皮切りに一族で権力の頂点に上り詰めたものの、その得た権力故に実の父親と弟が息子を謀殺し、もう一人の息子も孫に斬殺される。

 悲劇的な伝承のある長女を含め、娘たちもいずれも若くして母親に先立った。

 政子の人生はさながらメディアやエレクトラ、クリュタイムネストラといったギリシャ悲劇の女性たちを融合したような印象がある(そもそも北条氏がヨーロッパのメディチ家やボルジア家に比肩する権謀渦巻く一族である)。

 同時代で同世代の建礼門院徳子なども薄幸の人生ではあるし、母親世代の二位尼時子のように夫と共に築き上げた一門の繁栄が崩れ去り、幼い孫を抱いて入水する最期も胸を痛ませるものがある。

 だが、政子の場合はむしろ権力を得た後半生で血を分けた息子や父親すら切り捨てる選択をせざるを得なかった。

 孫息子たちも政争に巻き込まれて次々青年期に横死した(十九歳の公暁による実朝暗殺は明らかに有力御家人の誰かが頼家の子である彼に次の将軍就任を確約して教唆・煽動した結果である)。

 むしろ、政子本人が天寿を全うしたのが奇跡に思えるような血みどろの権力闘争である。

 老境に入っても心休まる瞬間がどれほどあったのだろうか。

 古びた石の傍らに落ちている鮮やかな果実を眺めていると、腹を痛めて産んだ我が子も、そして孫も若くして非命に斃れ、彼女と頼朝の直系の子孫は結局三代で断絶してしまった運命の儚さが思われる。

 八幡宮には七日詣りなのかまだ生まれたばかりらしい赤ちゃんにウエディングドレスじみた白い衣装を着せて抱いたご家族も何組か見掛けた(率直に言って、三十度の炎天下で小学生の二人の子供の水分・塩分補給にも気が抜けない自分としては『あんなまだ言葉も話せない赤ちゃんを連れ歩いて大丈夫なのか』と不安を覚えなくもなかったが、当のご家族としては大切なセレモニーなのだろう)。

 入り口近くの蓮池には花が開き始めており、白や濃紅の花びらが陽射しに透けている様には正に浄土に咲く花といった神々しさがあった。

 八幡宮を出た後は江ノ電こと江ノ島電鉄で大仏を見に行くためにそちらの鎌倉駅に向かった。

 江ノ島電鉄線鎌倉駅に到着すると、こちらも小町通りさながら駅舎内に行列が出来ており、駅員さんが誘導していた。まるで公共機関ではなくテーマパークのアトラクションである。

 まだコロナは根絶していないが(ちなみにマスクをしていたのは一行でも私だけであった)、将棋倒しが怖くなるような密接した距離感で列は進む。

 ギュウギュウ詰めの満員電車に乗って発車した。

 江ノ電は鎌倉市内の住宅地を通り抜ける路線だ。

 少なくとも私が乗っていた鎌倉駅から長谷駅までの区間は、駅に止まる度に車窓のすぐ向こうは民家の塀でこちらが気まずくなった。

 ただ、江ノ電から見える鎌倉の住宅街は現代的な清潔感がありながらもどこか古風な奥ゆかしい雰囲気がある。

 三週間前にゆりかもめ線から目にしたお台場の、集合住宅までがガラスのショーケースじみた人工的で寒々しい佇まいとは明らかに異なる。

 そうした点も古都らしいと思う。

 それでいて、京都のように外からやってきた客に含み笑いして毒を吐く風な、お公家さん的な意地の悪さも無い。

 鎌倉は飽くまで武家の古都である。

 鎌倉大仏こと高徳院の本尊である国宝阿弥陀如来坐像。

 奈良の大仏が壮麗な寺院の中に八本足の蝶も添えられて鎮座しているのに対して、こちらは「露座」即ち吹き曝しである。

 前者は金色でいかにも古代の天皇、帝都の威信を反映した華麗さだが、後者は青緑に錆び付いて風雪に晒され夏の暑さにも冬の厳しさにも耐え忍ぶ武家の都に相応しい強靭さが静謐さの中にも感じられる。

 こちらも外国人の観光客が数多く訪れており、ベトナム系かと思われる鮮やかな衣装を着たカップルが大仏を背景に仲良く写真を撮っている姿も見受けられた。

 露座の大仏はどのような思いで訪れる人々を見下ろしているのだろうか。

 子供たちが暑さで歩きくたびれてしまったので高徳院を出た後はバスに乗って藤沢駅に向かい、そこから東海道線で宿泊先の湯河原に行くことにした。


(三)温泉地、湯河原

 藤沢駅から湯河原までは東海道線で一時間弱かかる。

 同じ神奈川県内でも横浜から鎌倉までの二倍である。

 神奈川県は全国的には下から五番目のむしろ小さな県だが、それでも一本の鉄道で繋げばそれだけの広がりがあるのだ(ちなみに福島県は全国でも第三位の広さだが、県内でも離れた地域はそもそも鉄道一本では行けない)。

 車窓の風景も夏の陽射しに緑が眩しく透けて揺れ、線路脇に鮮やかな黄色の花(特定外来生物のオオキンケイギクなのか類似した別種なのかは判別出来なかったが)が咲く自然豊かな様相になる。

 年を取って良かったと思うのは、眩しい陽の光を受けて透ける花や木の枝葉の輝かしさが若い頃よりもいっそう美しく感じられることだ。

 同じ神奈川県内でも横浜市、鎌倉市、藤沢市に対して湯河原は足柄下郡あしがらしもぐんに属している。  

 全国的に田舎扱いされている福島県内でも福島市、郡山市に対して伊達郡や田村郡といった郡部になるとより鄙びた位置付けになり、檜枝岐村や飯舘村など行政単位が「村」になると市内に住む人からは秘境めいた扱いになる(私は福島市出身だが、子供の頃、大人たちが檜枝岐村について『あんな辺鄙な所なのに平家の落人だの高貴な血筋みたいに言ってるのがバカバカしい』と嗤っていたのを覚えている)。

 率直に言って、「横浜市」「鎌倉市」と比べると「足柄下郡」という字面と響きが既に鄙びているというか、身も蓋も無い言い方をすれば田舎臭い。

 だが、湯河原駅で降りて奥湯河原行きのバスで途中にある宿泊先まで向かうと、車窓に映る町並みはむろん横浜と比べれば寂れているものの福島市内とさほど変わらない印象である。

 郡部とはいっても飽くまで首都圏である神奈川県と東北の福島県とではやはり格差があるのだ。

 たまに帰郷する度に市街地が寂れていく福島を目の当たりにする私にはそれが良く分かる。

 宿泊先では竹笹に囲まれた露天風呂の温泉を堪能した。

 陽射しに透ける緑の葉とその向こうに広がる青空を流れていく白い雲を眺めながら湯に浸かるのはやはり心身が癒される感覚がある。

 四十も過ぎて若い頃ほど体力が無くなったからこそこうした回復の体感が良く分かる。

 子供たちも普段と違う広いお風呂に入れるのが嬉しいのか、次々と浸かる湯を替えて楽しんでいた。


(四)夏至の旅行を振り返って

 これは月初めに都内を旅行した時もそうだが、街中にゴミ箱が見当たらず困ることが多かった。 ペットボトル飲料の自販機は至る所にあるが、空になったペットボトルを捨てるゴミ箱は格段に少ない。

 自販機の隣にゴミ箱があったかと思うと、ガムテープで塞がれていたりする。

 テロ対策でゴミ箱は撤去されたというお題目はもう十分だ。

 海外からの観光客も多数訪れているスポットでゴミ箱が無いのは単純に不便であるばかりでなく公衆衛生上も明らかに手落ちである。

 夏至の炎天下で混み合う小町通りを歩きながらエコバッグに子供たちの分まで飲み終えたペットボトルと飲みかけのペットボトルの合計七本も入れて歩くのは難儀であった。

 私は数年前に軽度の熱中症にかかった経験から多少過剰でも暑い日の屋外ではとにかく水分と塩分を摂取することにしているし、子供たちにもそうさせている。

 塩分チャージを噛んでお茶や水を飲み終えた後はスポーツドリンクを摂取するといった塩梅だ。

 ちなみにスマートウォッチのアプリで確認すると、鎌倉に行った二十一日に飲み干したのは家から持参した綾鷹濃い緑茶六五〇mlとアクエリアスゼロ五〇〇ml、現地の自販機で買ったダイドージャスミン茶五二五ml、ソルティ・ライチ五〇〇ml、十六茶六〇〇ml、いろはす塩とレモン五五五ml、麦茶五〇〇ml、クリスタルカイザー五〇〇mlの合計八本である。

 最後に買ったソルティ・ライム五〇〇mlペットボトルは一五〇mlほど飲んだ。

 ちなみに塩分チャージタブレットは合計七粒摂取した。

 自分で書いていても過剰摂取だと思うが(年のため書いておきますが、私は高温時の外出や体調不良の場合以外は基本的にスポーツドリンクは飲みません。飲み過ぎが体に良くないことも知っています。この日は体感でそれだけ暑かったのです。ブラジャーの着けた跡が汗疹になりました)、それでも最高気温三〇度の鎌倉の街を歩いていて両足の爪先が軽く痺れる熱中症の初期症状が出た。

 何がベストだったのかは分からないが、ここ数年の日本は本来は梅雨時の夏至を迎えた時点で昔でいうところの猛暑の気候になっているとは体感で分かった。

 また、これは完全に私の嗜好になるが、昔(というほど昔には感じない。少なくとも二〇〇〇年代後半に京都を旅行した辺りまではそうだった)は主だったスポットのお土産屋さんには和綴じのその地方の民話の絵本が売っていた(地域は異なっても本の絵柄や装丁は似通っていたので、改めて検索したところ、東光社という出版社で出していたシリーズのようだ)。

 中高生のどちらかの修学旅行で訪れた唐招提寺には井上靖の「天平の甍」が売っており、そこで買って読んだ記憶がある。

 だが、今回の旅行では鶴岡八幡宮でも高徳院でもそうした関連書籍は残念ながら見当たらなかった。

 あれば、子供たちにも読ませるためにも飼いたかったので残念だ。

 西岸良平の「鎌倉ものがたり」の看板を駅で見掛けたが、鎌倉といえば誇るべき歴史と文化のある街であり、そこに因んだ作品も少なくはないのだから、土産の一環として本を売る商機ではないだろうか。

 子供を持つ親として旅行すると、そんなことも考えるようになる。

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