家族の小旅行――国立科学博物館、ガンダムベース
(一)横浜開港記念日
六月二日は横浜の開港記念日だ。この日は子供たちの通う公立小学校は休みになる。
今年のその日は月曜日であり、本来なら平日だが、夫が休みを取って日曜日から月曜日に掛けて一泊旅行に行くことにした。
横浜市民が開港記念日に市内のイベントではなくわざわざ他所に行くというのは皮肉な話だが、地元に十数年も住んでいれば単なる子供のための休日になってしまう。
五月三十一日土曜日は小六長女の塾があり、また六月一日日曜日の午前中は小三次女がやはり塾で模試があるので、日曜日の昼から行くとなると近場の都内に白羽の矢が立った。
(二)一日目、上野駅のガシャポンと国立科学博物館
前述のように次女が模試を終えて帰宅するのを待って出発する形になった。
横浜から東海道線に乗って上野の国立科学博物館に向かう。
この列車に乗っているだけで二十分足らずで神奈川県から東京都の境目を超えてしまうのだが、大井町の辺りを差し掛かった時点で車窓の風景に見入っていた次女が隣で呟いた。
「横浜より東京の方が都会なんだね」
今まで夫の実家への帰省を含めて繰り返し都内と行き来してきて初めての感想である。
「東京は日本で一番の街だからね」
と返しはしたが、虚を突かれた気がした。
私がこの子くらいの頃には
「福島なんて田舎だ」
「東京はもちろん仙台と比べても田舎なんだ」
「もちろんもっと田舎のところもあるだろうけど、ここが都会でないことに変わりはない」
という根深いコンプレックスが郷里に既にあった。
むろん、同じ福島出身で郷土に誇りを持つ人もいるだろう。
だが、東北に生まれ育つということは中央から隔たった辺境に住んでいると常に自覚させられることだ。
テレビのニュースで見る気象情報が真っ先に伝えるのは都内のそれで自分の住む地域は後回しにされる。
東京の桜が咲けば全国ニュースだが、同じ時期に福島の桃が花開いても中央のメディアが取り上げることはないし、東北の桜が満開になる頃にはキー局の報道は桜のことなどとうに忘れている。
私は実家にいた頃から美術が好きで「日曜美術館」をよく観ていたが、目ぼしい展覧会はどれもこれも都内開催で福島には巡回すらまず無かった。
新幹線で片道二時間近くもかかる東京になどそうそう行けるものではない。
漠然と首都の東京の都会度を百点満点とすると、政令指定都市の仙台が七十五点、自分の住んでいる県庁所在地の福島の市街地が五十点に届かないくらいの感覚で見ていたように思う。
今の私にとっても首都圏内の東京と横浜なら所詮は百点と九十八点くらいの僅差であって、東北の仙台と福島の方がよほど格差があるように感じる。
元から「浜っ子」、都会育ちである小三の次女の目には郷里の横浜と旅行先の都内の僅かな格差がいかにして可視化されたのだろうか。
それはこの子に今後、どのように影響するのだろうか。
故郷を離れて二十年以上経っても福島訛りの抜けない母親としても気に掛かる。
そんな風にして到着した上野駅ではまず家族でガシャポンを楽しんだ。
恐竜や有名絵画をモチーフにした美術館や博物館の集合した上野らしいオモチャはもちろん、レトロな昭和のオモチャのミニチュアやレオ・レオニのキャラクターのガラス細工等、バリエーションが豊かである。
一回四百円、五百円などガシャポンとしては比較的高価な物が多いが、それでも一つはやってみたくなる。
ちなみに私は「なかよしチャーミーちゃんとかわいいおともだち」と「三英のぬいぐるみ」のガシャポンを試して、メタリックピンクとブルーの人形とピンクの「仔像のハナちゃん」のフロッキー人形を引き当てた。
率直に言って、いざガシャポンを開けて見ると、
「こんなもんか」
と思うものも少なくない。
特にフロッキー人形はシルバニアファミリーなどと比べると首や手足も動かずちゃちな造りである(裏を返すと、ガシャポンのオモチャと比べると、シルバニアファミリーのフロッキー人形としての完成度の高さが良く分かる。着せ替え人形のリカちゃんにせよフロッキー人形のシルバニアファミリーにせよ、同系の商品の代名詞的なシリーズは基本形にして完成形である)。
それでも、やらなければどこかで悔やむ、ガッカリした中身でも不思議と巡り合った縁を感じて捨てる気にならないのがガシャポンのオモチャの魅力なのである。
なお、ゴールデンウィークに横浜の人形の家の売店で税込み五五〇円の箱で買った「吉徳のぬいぐるみ」のガシャポンも上野駅にはあったが、こちらは五百円であった。どちらも開けるまで中身が分からないことに変わりはないが、商品が使い捨てのプラスチックケースに入っているガシャポンの方が多少割安なようだ。
ひとしきりガシャポンを楽しんだ後に向かったのは国立科学博物館だ。
ここに行くのは夫が決めたが、子供たちはもちろん私も初めて行く。
先述したように自分は美術や歴史は好きで学生時代から国立西洋美術館や上野の森美術館には繰り返し訪れており(そもそも上京して初めて一人で行った展覧会は国立西洋美術館の『プラド美術館展』であった)、国立博物館にも足を運んだ覚えはある。
だが、国立科学博物館に関してはそもそもどんな展覧会が開催されているのかすら今まで目を向けたことが無かった。
別に科学博物館に嫌いというほどの抵抗を覚えていたわけではなく自然に視野に入らなかったのだが、だからこそ自分という人間のバイアスに今更ながら気付かされた格好である。
同時に付き合っていた頃には私の希望で美術館にばかり行っていたが、夫にとって本来は興味の対象外だったのではないかとも改めて感じた。
子供たちが生まれてからも夫が近場で好んで連れて行き、また、子供たちの方でもリピートしたがるのははまぎんこども宇宙科学館などやはり科学技術系の施設だ。
別にそれ自体が悪ではないし、今の日本では理系の方が文系より生きやすいだろうとは文系の自分にも察せられるが、家族の中で自分だけが微妙に隔てられているように感じる。
さて国立科学博物館は常設展に関しては高校生以下は無料なので入場料は親である私たち夫婦の分しかかからない。一般一人につき六三〇円なので合計一二六〇円である*1
なお、国立西洋美術館も常設展は一般五〇〇円、高校生以下は無料である*2
むろん、企画展になれば国立科学博物館が一般二一〇〇円、小学生六〇〇円*3、国立西洋美術館は小学生は無料だが一般の入場料は二三〇〇円にまで跳ね上がる*4
ちなみに、私が次女と一緒に三月初めに訪れたサントリー美術館のガレ展のチケットが一般料金で一七〇〇円、三菱一号館美術館のビアズリー展は二三〇〇円であった。
確固とした常設展もある国立と企画が命の企業系施設の違いなのだろうが、はまぎんこども宇宙科学館の入場料は一般四〇〇円、小中学生二〇〇円*5であることを考えると、「美術鑑賞には科学関連施設より余計に金がかかる」感触は否めない。
前にも書いたが、こうした風潮が日本人一般を美術から遠ざけている面は確実にあるだろう。
私にしたところで今の大学生だったらもっと展覧会とは縁遠かっただろうとも思う。
話を国立科学博物館の常設展に戻すと、私たちが観たのは日本館だったが、フロアにして三階分、テーマ別のスペースに換算すると企画展示室の「地球を測る」を含めて六スペース分の展示には観覧料六三〇円を補って余りある見ごたえがあった。
蝋人形で当時の風俗ばかりでなく人間的な表情まで加えて再現された「近世人」「中世人」「弥生人」「縄文人」「港川人」の姿には親しみと同時に、現代人である私たちもいつかこの展示の列に加わるのだろうかという不気味な予感めいたものを覚えた(実際、『現代人』というキャプションだけで無人のガラス張りのブースに来場者が入って写真を撮るスポットにされてはいたが)。
また、縄文時代にも稲作が行われていたことを再現するミニチュアから「稲作は弥生時代に始まった」と習った自分の頃の知識からの変遷も感じた。
ちなみに私は平成初期の小学生の頃に昭和後半に出版された歴史漫画で覚えた「帰化人」という用語をテストの答案に書いて先生から一応部分点は貰ったものの「今は渡来人と言います」と説明された記憶がある。
鎌倉幕府の成立も今の教科書では私たちが「いい国(=一一九二)作ろう鎌倉幕府」の語呂で覚えた一一九二年ではないそうだ。
自分が生きている四十年余りのスパンでも歴史は確実に書き換えられているのだ。
ヒグマやエゾシカの剥製なども他の施設よりも完成度が高いというか、まるで生きたまま静止しているように見えた。
また、日本全国で採れた鉱石の展示も興味深かった。
私は鉱物には全く詳しくないが、石英や翡翠、瑪瑙といった綺麗な石は観ているだけで心が躍る。
日本でも多様な鉱石が採れると知れたし、また、実物の石英の断面に触れられる展示があったのも良かった。
私たちが訪れた国立科学博物館日本館に関しては撮影や実際に手で触れて確かめることが許可された展示が多く、子供たちはもちろん大人の私にも新鮮な鑑賞経験であった。
三階分の展示を観た後に入口で美しい青い蝶をあしらった記念コインを作った。ちなみに記念メダルは七百円、枠に嵌める専用のキーホルダーは三五〇円である。
更に三十円で記念日付と名前も印字出来るので子供たち二人の名前をローマ字で刻んだ。
合計すると一〇八〇円で決して安くはないが、世界にただ一つの記念メダルのキーホルダーを買ったと思えばそれだけの価値はある。
その代わり売店では何も買わなかったが、科学や博物学の一般書ばかりでなく国立科学博物館で出している専門誌のバックナンバーなど興味深いラインナップであった。
子供たちが飽きて疲れてしまったので日本館だけの鑑賞になってしまったが(美術にせよ科学博物にせよ展示の本当の価値が理解できるのは大人になってからである。小学生の娘二人にとっては国立科学博物館も『親に連れられて観た勉強のための施設』という認識だろう)、機会があれば、今度は地球館や企画展も観てみたいと思う。
話は変わって、国立科学博物館を出てから上野駅近くの店でソフトクリームを買って食べた。
しかし、残ったゴミを捨てる場所が見つからず、結局、買った店に戻ってそこの小さなゴミ箱に捨てた。
ちなみにこちらのお店は明らかにイートインではなくテイクアウトをメインにした販売であった。
これは上野駅周辺に限った話ではなく九〇年代のオウム真理教によるサリン事件などからテロ対策として公共の場所でのゴミ箱を撤去する流れになったとのことだが、公衆衛生の維持の為に人の集まる場所でのゴミ箱はやはり必要ではないだろうか。
今のままだとゴミを路上にポイ捨てする人が増えて路地がゴミだらけ、不衛生な状態になる事態をいつか引き起こしそうに思う。
(三)ゆりかもめ線と宿泊地お台場
国立科学博物館を出た後は上野から新橋に移動してゆりかもめ線で宿泊地のお台場に向かった。
この路線を走る列車は不思議な乗り物だ。
私はずっとモノレールと誤解していたが、帰宅後に検索して鉄道でもモノレールでもない新交通システムと知った*6
公共機関なのにどこかアトラクション的というかゆっくり走るジェットコースターや昭和の未来都市イメージに出て来る空飛ぶ電車のパイロット版のような趣がある。
まして、車窓に映るのがガラス張りの建物が並ぶ湾岸の風景である場合は。
横浜のみなとみらいの辺りもガラス張りのビルが並ぶ海浜地帯ではあるが、みなとみらいのイメージが巨大な船の帆じみたインターコンチネンタルホテルに代表される漂白された「白」だとすると、お台場はショーケースのガラスそのものである「限りなく透明に近い碧」だ。
ホテルやビルはもちろん集合住宅までそんな巨大なショーケースじみた色彩に映る。
「お台場のああいう高層マンションの最上階にでも住んだらさぞ自分が日本の最も洗練されたエリアに暮らしているように思えるだろうなあ」
と思う一方で、全てが人造の中に閉じ込められていくような寒々しさもどこかに覚えるのだ。
むろん、今住んでいる横浜も充分に都会であり、その意味では人工的な空間ではあるが、お台場という埋め立て地には日本の首都である東京の中でも華やかなようでどこか無機的な空気が凝縮されているように思う。
本来の地名としては「台場」だが一般には「お台場」とどこか揶揄するような語感もある丁寧語の接頭詞を付けるのも埋め立て地の無機質さを和らげる意図があるように思う。
銀色のビルの中に球体展望室を嵌め込んだフジテレビが見えてきた。
私は昔から民放局は「NHKでない娯楽番組の局」という認識で、率直に言ってテレビ朝日、日本テレビ、TBSの区別もよく付かない。
それでも「笑っていいとも!」や「月9」、「世にも奇妙な物語」など時代を象徴するシリーズのあるフジテレビだけは別格というか「民放の華」という認識できた。
ここ最近になって局ぐるみで著名タレントによる女性アナウンサーへの性暴力を隠蔽していた不祥事が発覚した。
正直、フジテレビの女性アナウンサーは局所属のタレント的な扱いでそれが元からあまり好きではなかった。
だが、そもそも彼女らは局から性接待用の商品として本人の意思や尊厳を無視される立場だったらしい現実が事件を巡る報道からは察せられた。
自分がずっと視聴者として魅せられていたフジテレビの「華」は腐敗した土壌の上に花開いた罌粟の鮮やかさだったのだろうか。
そう思うと、それ自体が観られる建築として洗練されたフジテレビの会社ビルが埋め立て地に咲いた巨大な仇花めいて見えてくる。
その最寄りの台場駅に直結したグランドニッコー東京台場が今回の宿泊先である。
台場駅を降りると、銀色の要塞じみたフジテレビと象牙色のバベルの塔めいたグランドニッコー東京台場、ガラス張りの回廊のようなヒルトンお台場が拮抗するように建っていて、時折空に向かって斜線を引くように飛行機が飛んでいく。
羽田空港が近いので飛行機が下から見上げた空の一点ではなく横から見た機体として認識される。
正に日本航空系列のホテルに相応しい光景だが、常より大きく見える飛行機は墜落や戦闘機の機銃掃射を彷彿させてどこか不穏である。
「キラキラしてて綺麗」
これがグランドニッコー東京台場のロビーに足を踏み入れた次女の第一声だ。
シャンデリアが煌めく通路は大人の私の目にはどこか
「ここはお前のような者の本来足を踏み入れる場所ではない」
という無言の威圧を感じさせる。
「いい匂いがする」
長女が評する通り、馥郁とした薔薇の香りが漂っている。否、薔薇にもう少しアジア的な蓮を混ぜた風な芳香だ。
こちらのホテルに家族で滞在するのは実は二度目だ。
前回は長女が幼稚園児で次女はベビーカーに乗っていた。
子供たちは記憶していないが、連れてくる親はその時もやはりこちらのロビーのシャンデリアが煌めいていてアジアンな花の芳香が漂っていたことを覚えている。
チェックインした部屋に荷物を置いて一息吐いてから、私たちはまた外に出てダイバーシティ東京プラザ前のフェスティバル広場にあるユニコーンガンダム像を観に行った。
そもそも今回の小旅行は上野の国立科学博物館の他に夫と娘たちが好きで観ている「ガンダム」シリーズゆかりの場所を尋ねるのが主目的であった。
私はというと「ガンダム」シリーズは最初の作品を少し観てそちらのキャラクターの名は何とか分かる程度だ*7
旅行前に次女の連呼していた「ユニコーン」がその巨大なガンダムのロボットの名であることすら知らなかった。
夕闇にライトアップされたユニコーンガンダム像はそんな無知な私が観てすら素晴らしい完成度であった。
海外からも大勢来ているらしいガンダムファンに混ざって一頻り写真や動画を撮った後は近くのガンダムカフェでグッズを観た。
カフェのすぐ前では「ICEx」という男性アイドルグループのイベントが行われており、そちらにも長蛇の列が出来ていた。
カフェの中から座っているメンバーの姿がすぐ近くに見えたが、残念ながらどなたのお顔もスタッフが掲げ持つプラカードに記された名前も私には全く見覚えが無かった。
スマートフォンで検索して大手プロダクションの一つであるスターダストプロモーション所属のグループで、行列が出来ていることからしても恐らくは人気のある人たちらしいとは察せられたが、こちらとしてはグループ名すら初めて目にした。
そもそもスターダストプロモーションというと単独で活動している俳優が所属しているイメージで、昔(というほど四十代の私には遠い過去には感じないが)のジャニーズ事務所のような男性のアイドルグループを売り出していることすら知らなかった。
好き嫌い以前にまず若いアイドルの名前すら分からなくなった自分に老いを感じた。
ファンの一人のような顔をして古典的なアニメシリーズのショップに紛れ込んではいるが、実際のところはろくに知りもしない。
ガラス一枚隔てた所でイベントを開いている流行りの芸能人の名前も知らない。
それぞれの好きなものを楽しんでいる人の群れの中で自分こそが異星人じみて思えた。
(四)二日目、お台場散策、ガンダムベース
翌朝はホテルのビュッフェで朝食を取った。
空港に程近い航空会社系のホテルで本来は平日の朝となると、周りの客は外国人ばかりである。
だが、その日本にいながら自分も周りの客にとっての外国人として混じっている感じに不思議な安心感も覚えるのだ。
マイノリティの一人のようでいていざ言葉を発せば自分の母語がその場の公用語になるマジョリティとしての基盤の上に成り立つ空間だからだろうか。
朝食後はダイバーシティ東京プラザ内のガンダムベースに向かった。
こちらは歴代のガンプラことガンダムのロボットのプラモデルを展示するばかりでなくガンプラやフィギュア、グッズを販売する施設である。
行ってみると、既に長蛇の列が出来ており、三時間後にまた来て入場するための整理券が配られた。
国立科学博物館どころかディズニーのアトラクションも凌ぐ盛況である。
その三時間以内にもう一つの台場での目的地である日本科学未来館を観ようという話になったが、歩いていくと、そちらにも既に長蛇の列が出来ていた。
平日なのに小中学生の子連れが随分並んでいるのは不思議だったが、もしかすると、海外からの客はもちろん私たちと同じ開港記念日の休みで来た横浜市民も多かったのかもしれない。
子供たちは
「これなら観なくていい」
と言うので別のスポットを検索したが、月曜日なのですぐ近くのフジテレビの一般観覧も上野の美術館も休みである。
仕方ないので、取り敢えずは科学未来館の売店でお土産だけを観た(中に入るだけならば無料である)。
科学未来館は煉瓦造りの国立科学博物館と異なり、ガラス張りの現代的な建築である。
足を踏み入れると、自然な陽光の差し込む開放的な空間であった。
売店では鉱物の標本など国立科学博物館と重複するものも多いが、書籍は数学の事典や解説書など理系学問全体を扱っているラインナップが印象に残った。
一頻り観てから、
「ダイバーシティ東京に戻ってガンダムベースに入れまで食事を取ったり他の店を観たりしよう」
という話になり、再び戻った。
途中で通る道脇のスペースに特定外来生物のオオキンケイギクかオオハンゴンソウではないかと思われる黄色いコスモスに似た花が群れ咲いていた。
私は植物に詳しくないので断定は出来ないが、途中の公衆トイレにもヒアリやセアカゴケグモなど特定外来生物の注意書きが出ていたせいもあって不気味であった。
空港も近い場所ならば外来生物も必然的に多いはずである。
また、六月も初めだというのにダイバーシティ東京周辺の芝生にはポツポツとピンクや白や赤紫のコスモスも咲いていた。
いわゆる狂い咲きなのだろうが、点在して花開いているのを目にすると、植物としての個体の性質よりも台場という土地の風土が大きいように思う。
年中強い風の吹いている埋め立て地においては季節の区切りも自ずと変わってくるのだろうか。
前述したように午後からは整理券に従ってガンダムベースに入場した。
こちらも「ガンダム博物館兼ショップ」という感じで見応えがあった。
展示されているガンプラの完成品は非常に見事であった。
また、商品として販売されているガンプラも特に初期のシリーズのレトロなガンプラなどは値段も良心的であり、ファンには正に宝の山ではないだろうか。
だが、服飾品になるとマニア向けの商品としても相場の倍はする価格設定なのが気になった。
作品内のロボットのイラストがプリントされたトレーナーは六千円、軍章が刺繍されたコートは三〜四万円という値段であった。
「決して悪い品ではないが、ガンダム仕様でなければ本来はこの半分から三分の一の価格が妥当だろう」
と一目して感じた。
海外からの客を想定して高値にしているのかもしれないが、ファンでない私には正直、ぼったくりに思えた。
(五)また横浜へ
月曜日は夕方から長女の塾がいつも通りあるので(塾は開港記念日でも休みにはならないのである)、ガンダムスペースでの会計を終えたらホテルのフロントに預けた荷物を取って帰路に就いた。
子供たちにとっては勉強の合間を縫っての慌ただしい小旅行だ。
それでも横浜の開港記念日がこの子たちにとって後々「家族で楽しい旅行をした日」として記憶されれば良いと思う。
*1 国立科学博物館公式サイト「アクセス・利用案内」
https://www.kahaku.go.jp/userguide/access/index.html、(2025-6-3参照)
*2 国立西洋美 術館公式サイト「ご利用案内」
https://www.nmwa.go.jp/jp/visit/、(2025-6-3参照)
*3 国立科学博物館特別展「古代DNAー日本人のきた道ー」「チケット」
https://ancientdna2025.jp/ticket、(2025-6-3参照)
*4 国立西洋美術館企画展「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館」
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2025dokomiru.html、(2025-6-3参照)
*5 はまぎんこども宇宙科学館「ご利用案内・料金」
https://www.yokohama-kagakukan.jp/info、(2025-6-3参照)
*6 乗りものニュース10th Anniversary「『ゆりかもめ』は鉄道?モノレール? 一体どういう仕組みなのか 2024.05.03 青田 海」
https://trafficnews.jp/post/132021、(2025-6-4参照)
*7 ただし、拙作「胡蝶之夢」のヒロイン南周と同僚の北周はガンダム第一作のアムロ・レイとカイ・シデンにヒントを得た。