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三つ子の魂百まで――映画本、TVガイド、レンタルビデオ店の思い出

(一)父の書斎の映画本の思い出

 私の映画好きは父譲りである。

 むろん、母も映画好きでよく試写会に申し込んだり録画したりしている。帰省すると「この映画は面白かった」という情報を貰うことも多い。

 だが、話題になった作品を特集した本や俳優名鑑など資料を集めて折に触れては見返すのは完全に父譲りである。

 いつの頃か、父の書斎で田山力哉の「世界映画俳優全史」「日本映画俳優全史」(いずれも女優編、男優編に分かれていた)、「ヨーロッパ・ニューシネマ名作全史」「世界映画名作全史 ニューシネマ篇」といった俳優や映画のデータベース的な本を読むようになった(ただし、田山力哉は戦後の評論家にありがちな『ヨーロッパ、特にフランス映画やフランス俳優たちの方がハリウッド映画やアメリカ俳優より高尚』『ハリウッドスターなんか大味で俗悪』というスノビズムの強い人だったようで、一部の著名女優に対する侮蔑的な記述などは子供の目にも反発を覚えた)。

 「俳優全史」シリーズに関しては戦前から戦後まで活動した俳優を網羅しているので、データが記載されている俳優にも出版の時点で既に物故者になっている人も多かった。

 だが、私はリアルタイムで活躍している人よりむしろそうした人の記事を好んで読んだ記憶がある。

「八雲恵美子か。綺麗な人だ。戦後は姿を消したのか」

(後年、SNSでご親族の方のアカウントを見つけましたが、引退後はご家族とごく平穏に過ごされたとのことです)

「ジーン・ハーローは母親のせいで最盛期に若死にしたんだな」

「お人形みたいなリンダ・ダーネルも若くして死んだみたい」

「ジェームズ・ディーンと付き合っていたピア・アンジェリは妖精みたい。本人も早くに亡くなったのか」

「ジェラール・フィリップは素敵な美男子だ」

「ラモン・ノヴァロの方がルドルフ・ヴァレンティノより似ていてもっと端正なのに零落して殺されたし、本での扱いも小さいな」

「『ルシアンの青春』で主演したピエール・ブレーズはこれで有名になった直後に事故で死んだのか」

 今、思い出しても、人目を引く美貌や鮮烈さで持て囃されても夭折したり晩年は幸福でなかったりした人の記事の記憶が多い。

 紹介記事に使われるのはブロマイドや代表作のスチール等でいわば最盛期の華やかな面影なのに記事に書かれている人生は悲劇的。

 そのギャップに深く印象付けられたのだと思う。

 大人になった今では週刊誌のゴシップ記事を読むのと大差ない、著名人への覗き趣味的な消費と言えなくはないだろうとは思う。

 だが、ネットもまだない田舎の子供だった自分にとって、自分が生まれる前に亡くなった外国の俳優さんなどは私生活のゴシップめいた情報を含めて殆どおとぎ話の人物に近い存在であった。

「私が知った時にはもうこの人はこの世にいなかった」

 そう思うと、余計に写真の面影に儚さのヴェールが懸かって輝かしく思えた。

 アメリカやヨーロッパのニューシネマ的な作品の記事(いわゆるネタバレが今ほど問題にされない時代だったので私が読んだ本には基本的にストーリーの結末まで記してあった。本当に良い作品はラストを知ってもなお興味を引くものだし、筋金入りの映画ファンはラストを知っていてもやはり観たいと思うものだ)も本編は観たことはなくてもストーリーを読むだけで興味深かった。


(二)TVガイドと本編は観られなかったドラマ

 私が小学生から大学入学で実家を離れる辺りまで実家ではTVガイドを毎週買っており(一九九〇年代から二〇〇〇年代初頭までの地方の家庭ではTVがとにかく主要な娯楽だったのである)、そこには福島では観られないテレビ東京のドラマやうちでは契約していない衛星放送で放映予定の映画の粗筋が載っていた。

「これはうちでは観られないんだよな」

という若干の閉塞感と共に読んだドラマや映画の粗筋は今も鮮烈に頭に残っている。

 その内の岩城滉一主演の「デザートはあなた」(一九九三〜九四年放送、TBS系列*1)については大人になってから森瑤子の同名小説が原作と知ってドラマ本編は未見のまま電子書籍で買って読んだ。

 ドンファンの男性が毎回職業も性格も異なる女性を料理でもてなして口説こうとする連作短編集で、率直に言ってバブル期の古さを感じる描写も多いが、「男を落とすには胃袋を掴め」という固定概念を逆転させた点では今も評価すべき作品だとは感じるし、何よりも描写に洗練と華やかさ(それはバブルの古さと表裏一体ではあるが)がある。

 バブル崩壊直後のテレビ局にはそうした作品を映像化するだけの余力がまだ残っていたのだとも思う。

 TVガイドでは普段観ている番組の粗筋も当然チェックしていたが、「世にも奇妙な物語」や後継番組の「if もしも」(いずれもフジテレビ系列)については粗筋を読んで楽しみにしていたにも関わらず、当日は野球中継などで放映されなかったエピソードもあった。

 特に後者の、国民的美少女で当時注目された今村雅美が出演した「誘拐するなら男の子か女の子か」(一九九三年*2)というエピソードはTVガイドの粗筋ではファム・ファタール的な少女が大人を翻弄する内容で一読して興味を覚えただけに、未放送に終わったのが残念だった。

 「世にも奇妙な物語」に関しては毎週のレギュラー放送が終わった後も今でも番組改編期には特番として放映される扱いだ。

 だが、「if もしも」に関してはマルチエンディングの構成(実質は一話で二話の内容であり、これは当時の他局のドラマでも類を見ない試みであった)が恐らくは制作、編集の面で難しいためかレギュラー放送終了後は特番としての復活もなく、今では完全に忘れられたというか「世にも奇妙な物語」に吸収された扱いになっているのも寂しい。

 ちなみに岩井俊二監督の映画「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」は元はこの「if もしも」の一話だったようだが*3、私は本放送時は時間が間に合わず最後に女の子(恐らくはヒロインの奥菜恵)がプールを泳ぐ場面、主人公の少年が彼氏連れの若い女性教師に出会す辺りしか観た覚えがなく、映画も未見である。

 余談だが、岩井俊二監督についても一九九六年公開の「スワロウテイル」が話題になった頃、親の買った週刊誌に映画の概要と共に

王家衛ウォン・カーウァイなど先行作品の模倣。本人の独自性が感じられない」

「人物の描き方が平板」

「物語に全く入り込めなかった」

といった痛烈な批判記事が出ており、そのせいだけではないが今日まで作品をまともに観ずに来てしまった作家の一人である。

 むろん、

「この記事を書いた人(名前は忘れたが有名な評論家だった)には合わなかっただけで実際の映画は観ればそこまで酷くないのでは」

とは当時少女だった自分も思わなくもなかった。

 だが、批判記事の

「ヒロインの娼婦を演じるCHARAの歌う場面は完全に歌手のCHARAとしてのプロモーションビデオであり、劇中の人物としてのリアリティが感じられない」

という趣旨の記述を読んだ時、この場面が使われた映画の予告編しか観ていない私にも腑に落ちるものがあった。

 評論にはそういう読み手の中で曖昧に感じていたことを言語化する力があるのだ。

 週刊誌についてはうちでは親がたまに興味のある記事があれば買うという感じだったが、私は必ず映画のレビュー記事に目を通した。

 シャロン・ストーン主演の「硝子の塔」を

「つまらん。そもそもこの女優のどこがいいのか」

ニコラス・ケイジ主演の「スネーク・アイズ」を

「ワンシーン長回しが売りなんてバカバカしい。コケ脅しのバカ騒ぎ映画」

と酷評したレビューなど悪評、低評価を下された作品の方が却って記憶に残っているのは皮肉である。


(三)レンタルビデオ店の思い出

 私の子供時代はレンタルビデオ店が最盛期で、ロードショーで観られなかったり地上波でもなかなか放映しなかったりする映画はビデオを店で借りて観るのが主流であった。

 むろん、セルビデオを購入する選択肢もあるが、当時のセルビデオは今のDVDよりも相対的に高価な物だったようで、父のビデオ棚にも録画したビデオに混ざってバスター・キートン作品のセルビデオの箱が一本だけあったことしか覚えていない(恐らくは録画で何本もあったチャップリン作品と比べてTVでの放映もレンタルでの扱いも少なかったので購入したと思しい)。

 そういうわけで私たち兄弟の観たい作品のビデオも両親のカードで借りて観ることもしばしばあり、買い物ついでにレンタルビデオ店に足を運ぶこともちょくちょくあった。

 その時に興味を覚えた棚のセルビデオのケースは片っ端から手に取って裏の粗筋を読んだ記憶がある。

 どちらと言うと、いかにもグロテスクなパッケージのホラー映画など恐らくは親に希望しても借りてもらえないジャンルのケースを良く観た。

 当時日本でも流行った「ポルターガイスト」シリーズのビデオケースに書かれた

「主演少女は撮影直後に十二歳で急死」

「少女の霊に捧ぐ」

といった趣旨の文句に今、手にしている商品自体が呪いのビデオじみて不気味に思えたのを覚えている。

 ちなみにアダルトビデオなどいわゆる十八禁の作品は当時のレンタルビデオ店では一般作品とは暖簾で仕切られたスペースに置かれており、そちらには近寄らないようにしていた。

 たまに暖簾の隙間から下着や半裸の女性のパッケージが見えると、当時小学校低中学年で性行為の概念すらない私は興味よりもむしろ恐怖を覚えたし、暖簾の向こうに見ず知らずの大人の男性が入っていくのを目にすると、犯罪を目撃したような後ろめたさを感じた(大人になった今ではアダルトビデオコーナーに出入りする男性にしたって見ず知らずの子供からジロジロ見られるのは不愉快だっただろうとは思う)。

 小学校高学年の頃、近所のコンビニのすぐ隣にレンタルビデオ店が出来た。

 たまにコンビニでコピーを取ったり買い物したりするついでにそちらに立ち寄るのも楽しみになった。

 まだ小学生の私は会員カードも作れないのでケースの粗筋を読むことしか出来ない。

 店員さんから見れば

「また妙な子供が来た」

と思われていたかもしれないが、万引きや物品の汚損、他の客とのトラブルといったことはやらかさなかったので、特に注意されることは無かった。

 そのレンタルビデオ店は店舗からしても小さく(元は別な業種の店でちょくちょく店自体も変わっていた)、恐らくはTSUTAYAなどの大手のチェーンではなく個人経営だったのだろう。

 「本物の事故死や殺人事件の遺体、死産したホルマリン漬けの双子の奇形児を映したドキュメンタリー」という触れ込みの*4、子供の目にもアングラ的な作品のビデオが置かれていた。

 また、これはメジャーな作品ではあるが、「世にも奇妙な物語」の前身である深夜枠で放映されていた「奇妙な出来事」のビデオシリーズも揃っていた。

 ケースに書かれた粗筋やスチールを観る限り、ゴールデン枠で放送された「世にも奇妙な物語」よりもエログロ要素が強く、キャストも見覚えのない俳優の名前ばかりなのがより怖く思えた(ホラー映画はあまり有名でない、他の作品で観た覚えのない顔のキャストの方が怖い)。

 ちなみに当時は韓国映画もマイナージャンルで韓国の俳優、芸能人も日本での知名度は低かったため、李朝時代の女性たちの悲劇を描いて国際的にも高い評価を得た「シバジ」(一九八七年制作、日本公開は一九九〇年)*5も、前後して日本公開された「かまきり」*6と並んでポルノと見紛うようなパッケージで置かれていた。

 明らかにエロティックな設定、筋書きの「かまきり」に対して「シバジ」のビデオケースの裏に書かれていた悲惨な粗筋とのミスマッチな感じで今も覚えている。

 今、思い出すと、当時の日本人の韓国映画、韓国芸能に対する無理解ばかりでなく、「所詮は欧米や日本の女優より格下」という韓国女優、韓国女性そのものへの蔑視が透けて見えるようで悲しい。

 大人になってから「シバジ」のパンフレットは中古で入手したが、DVDやBlu-rayのセル化は二〇二五年五月現在も日本ではされていない。

 ヴェネツィアやナントといった著名な国際映画祭で受賞した作品にこの扱いはおかしいだろう。

 そもそも、映画「シバジ」は李朝時代を舞台にしているが、子供のいない夫婦のためにその夫と関係して妻の代わりに子供を産む「シバジ」業自体は映画の制作された一九八〇年代の韓国でも健在であり、映画はそうした女性の尊厳を無視して子供を産む道具として扱う韓国社会批判を込めたものだったようだ。

 韓国のエンタメは今の日本でも人気だが、日本人には本当の意味で隣国の文化、社会を理解する気持ちがあるのか私は疑問を持っている。

 ちなみに当時はレスリーの名前すらまだ知らず、香港スターと言えばブルース・リーやジャッキー・チェンくらいしか知らなかった。

 それでも、このレンタルビデオ店で見つけた「香港人肉厨房」の箱で主演の任達華サイモン・ヤムの顔と名前は覚えた記憶がある。

“君の肉片はおいしい”

 ホラーコンテンツお決まりの康印体のキャッチコピー。

 そして、泣き顔に肉切り包丁を手にしてオレンジのタンクトップを着た壮年に近い青年。

 南方的な眉のハッキリした、目の大きい、こうしたエログロ的な作品の主役としてはやや違和感を覚えるハンサム。

「この俳優さん、クラスの担任の先生に似てる」

と一見して思ったのを覚えている。

 任達華は一九五五年生まれ。周潤發チョウ・ユンファと同い年、レスリーの一つ上である。一九九二年の「香港人肉厨房」(原題:羔羊醫生)出演時は三十七歳であった(ちなみに小学校高学年の頃の担任の先生は一九九三~四年当時三十代半ばだったので任達華と年齢的にも同じくらいと思われます)。

 ビデオのケースを観るしかなかった当時は知らなかったが、モデル出身でごく若い頃は同い年のユンファとテレビドラマで共演することが多かったようだ(YouTubeには当時の連続ドラマが何本か挙がっているが、少し見ただけでもユンファが主演で任達華が二番手のキャスティングばかりで相手役の女優が変わっただけの同じシリーズに見える)。

 その後、壮年に入って映画で活躍し「亜州影帝」(アジアの映画帝王)と持て囃されたユンファに対して、彼はいわゆる「三級片」、日本でいうところのポルノやVシネマ的な作品に出演することが多く、「三級片影帝」(ポルノの帝王)と半ば冷笑的に綽名あだなされた。

 風貌としてはハッキリした眉目などレスリーに似ていなくもないが(ただし、男性としては小柄で華奢なレスリーに対して彼は百八十センチを超える長身なのでそこは似ていない)、レスリーの悪魔憑きというか、壮年以降に一般の作品に出てもマフィアのボスや幹部など色悪的な役が多い。

 「香港人肉厨房」に話を戻すと、この作品は香港で一九八二年に発覚した「雨夜屠夫(雨夜の殺人鬼)」ことタクシー運転手・林過雲ラム・コーユンによる連続婦女殺人事件を元にしている*7

 林過雲はタクシーの客として乗せた若い女性を次々殺害し、遺体をバラバラに損壊して川などに遺棄するばかりでなく、遺体の写真を撮って写真屋に現像に出し、そのネガが決め手となって逮捕された。 

 日本でいうところの大久保清と宮崎勤を混ぜ合わせたような快楽殺人犯である。

 任達華は一九九二年の「香港人肉厨房」の前年に制作されたテレビドラマ「香港奇案 霧夜屠夫(香港怪事件 霧夜の殺人鬼)」でもこの林過雲をモデルにした犯人を演じている。

 もしかすると、香港では実際の犯人よりも演じた彼のイメージで記憶されている事件かもしれない。

 本物の林過雲は写真を見ると、一般には決して醜くはないものの狐じみた吊り上がった目の特徴的な風貌で任達華には必ずしも似ていない。

 法廷でも最後に手にかけた女子学生に対しては

「家族や自分の夢について語っていた。あの子だけは助けてやれば良かったです」

と涙する一方で、最初に殺害したナイトクラブのホステスについては

「酔っぱらって俺の車に乗ってきた売女。後悔はしてない」

と言い放つなど残忍な面を見せた。

 だが、日本では大久保清も宮崎勤も死刑になったのに対してこの男は妙な悪運は強かったらしく死刑廃止の議論の進む香港では死刑を免れて終身刑となった。二〇二五年五月現在でも存命のようである。

 なお、「香港人肉厨房」と並んで香港発の猟奇映画として日本でも話題を読んだ黄秋生アンソニー・ウォン主演の「香港人肉饅頭」(原題:八仙飯店之人肉饅頭)のモデルになった、マカオで一九八五年に発覚した八仙飯店一家殺害事件の犯人は逮捕後に程なく獄中で「自分は無実」と訴える遺書を残して自殺している*8

 そんな風にしてレンタルビデオ店で半時間くらい過ごして帰るということを小学校高学年から中学生辺りまでちょくちょくしていた。

 その店は私が高校生になる辺りにはもう廃業して別な店に変わっていたと記憶している。

 結局、カードを作って借りることはないまま終わったのである。


(四)三つ子の魂百まで

 こうした子供時代を経て私は「作品を観たことはないが顔と名前と代表作名は知っている俳優」「実際に観たことはないが結末までの粗筋を知っている映画、ドラマ」の情報量が恐らく平均より多い人間になった。

 大人になって自分でビデオやDVDを買ったり借りたりできるようになると、折に触れては子供の頃に本やレンタルビデオ店で見掛けたタイトルを思い出して検索し、入手できるものは入手、視聴できるものは視聴するようになった。

 中には「ルシアンの青春」のように本で内容を読んだ時よりも鮮烈な哀しみを持って観た作品もある(くどいようだが、本当に良い映画は結末まで知って観た上でも感銘を受けるものだ)。

 また、ドノヴァン主演の「ハメルンの笛吹き」(一九七二年制作)のようにブルーレイを買ったは良いが、手持ちの危機では再生に一苦労する上に観始めると、どうにも単調で退屈で途中までしか観ていないまま棚に仕舞ったものもある(これは別な稿に書いたが、母の実家にあった『眠るのがこわい』という寺山修司編集の詩集でこの映画のスチール写真を観て子供の頃に想像したほどにはどうにも面白くなかった。期待値が高過ぎたのかもしれないが)。

 任達華の「香港人肉厨房」に関してもつい最近ネットで中古のDVDを見つけて買った。家族がいない時に動作確認のため一部再生したが、本編は全部観られないまま送られてきた時の封筒に入れてある。

 これは分類としては十八禁ではないが、まだ小学生の娘たちの目に進んで触れさせるべき内容ではない。

 ある意味、単純なポルノよりもっとインモラルな作品である。

 もっと身も蓋もない言い方をすれば、一般には万難を排してでも観るべき映画でもないだろう。

 それでも、子供の頃にビデオケースを眺めるしかなかった思い出の作品なのでいつかは観ようと思うし、手元にあって観ようと思えば観られることが嬉しい。

*1 Wikipedia「デザートはあなた」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AF%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F,(2025−5−10参照)

*2 Wikipedia「今村雅美」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E9%9B%85%E7%BE%8E,(2025−5−10参照)

*3 Wikipedia「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E3%81%A1%E4%B8%8A%E3%81%92%E8%8A%B1%E7%81%AB%E3%80%81%E4%B8%8B%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%8B%3F_%E6%A8%AA%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%8B%3F,(2025−5−10参照)

*4 殺人事件の遺体など警察関係者以外の個人が現場に立ち入って撮影できるわけがないし、警察の資料ならば外にはまず出さない。恐らくは実録風のモキュメンタリーだったのだろうと大人になった今では判る。ネットが普及して素人が撮影した事故現場等の動画が当たり前に普及する以前は怖いもの見たさを満たすエンタメとしてこうしたフィクションが商業として成立していたのだろう。

*5 Wikipedia「シバジ」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%82%B8,(2025−5−11参照)

*6 韓国映画「かまきり」

https://www.kinejun.com/cinema/view/43662,(2025−5−11参照)

*7 Wikipedia「林過雲」(繁体字中国語版)

https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%9E%97%E9%81%8E%E9%9B%B2,(2025-4-27参照)

*8 Wikipedia「八仙飯店一家殺害事件」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%99%E9%A3%AF%E5%BA%97%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6,(2025-4-27参照)

なお、映画の出演当時三十二歳だった黄秋生に対し、実際の事件で逮捕された黄志恆は五〇代で成人した息子もおり、八〇年代当時の感覚としては既に初老の年配であった。実際の本人の写真を見ても老年に近い。また、参照Wikipediaの記述からもこの事件は複数犯による可能性が高く、黄志恆は逮捕されて今後を悲観したことはもちろん共犯者を守るために自死したとも考えられる。


【参考文献】

渕上恭子著「シバジ――韓国・朝鮮における代理母出産の歴史社会学」、風響社、二〇二三年

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