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桃の流れていく先は

 果物の名を任意に挙げた時、一般に、真っ先に出てくるのは、林檎りんごだろう。


 果物をテーマにした油絵のステレオタイプというと、大体は、真っ赤な林檎が主役であり、名前がそのまま色になっているオレンジ、黄土色の梨と来て、レモンでなければバナナが明るい黄色のアクセントになって、紫か緑の葡萄ぶどうが添えられているといったイメージだ。


 贈答用のフルーツバスケットも、基本はそんな構成になっているように思う。


 林檎は西洋の伝説や逸話には欠かせない存在だ。

 旧約聖書のアダムとイヴの盲をひらく「知恵の木の実」とは、通常は林檎と解釈されている。

 また、羊飼いのパリスに審判が委ねられた女神たちの美人コンテストにおいて、勝者に贈られる賞品は黄金色に輝く林檎であった。

 近代に入り、ニュートンに万有引力の法則をもたらしたのも、この赤い「知恵の木の実」である。

 そして、スティーブ・ジョブズが創設し、今や現代社会の必須アイテムとなったパソコンことパーソナルコンピュータを最初に開発した企業は、その名も正に「アップル」であった。


 しかし、林檎が日本に入ってきたのは明治時代以降だ。日本人の中での歴史は浅い。


 果物をモチーフにした日本のおとぎ話といえば、一般に最も有名なのは、「桃太郎」か「猿蟹合戦さるかにがっせん」だろう。

 ただし、「猿蟹合戦」に出てくる柿は飽くまで争いを引き起こす小道具(または殺傷用の凶器)であるが、「桃太郎」だと桃は主人公を生み出す母体そのものとして登場する。

 赤ん坊の桃太郎を宿した巨大な桃が川を流れてくる場面での「どんぶらこ、どんぶらこ」という擬音語は、この物語のこのシチュエーションでのみ使われるものとして日本人の中では固定している。

 他の有名なおとぎ話でもここまで普遍化した表現の例はほとんど見られないだろう。

 植物の中から出てきた主人公が実子を持たない老夫婦に引き取られるパターンとしては、他に有名な例として「竹取物語」があるが、例えば翁が竹の節を割る音などが固有の擬音語で表現されることはない。


 話を「桃太郎」の筋書きに戻すと、拾ってくれた老夫婦に養育された桃太郎は、自分の意思とはいえ、まるで再び放流されたかのように生家を後にし、犬、猿、雉を引き連れて、鬼が島に赴く。絵本の挿絵ではこの一連の流れでの桃太郎は決まって角前髪すみまえがみに鉢巻を締めた風貌で描かれている。

 前髪を残したこの髪形からも明らかなように、この時点での桃太郎はまだ元服前の少年である。

 その後、功成り名遂げて故郷に帰還する結末は周知の通りだが、まだ成人もしていない少年が、犬、猿、雉といったいずれも人より小さく非力な鳥獣たちを従えて、鬼たちに挑むという構図はいかにも無謀で過酷である。


 そもそも、桃は淡い紅色の外皮、指で押せば跡の残る柔らかい果肉、そして蜜をたっぷり含んだ甘やかな味わいからも連想されるように、むしろ女性的な印象の果実だ。

 月から舞い降りたかぐや姫が仮の宿としていた竹にしても、青緑で硬質な形質といい、また、さっぱりした気性を評して「竹を割ったような」という表現が多くの場合は男性に対して用いられることからも明らかなように、男性的な印象の植物である。この対照は興味深い。

 鬼が島に向かう桃太郎について「力強く成長した」と説明されてはいても、イメージとしては角前髪に鉢巻を締め、正装に帯刀した、紅顔の美少年である。


 それはそれとして、同じ「太郎」と名が付いていても、「金太郎」だと、腹巻にまさかりを担いだ、幼児と力士が渾然一体となったような一種グロテスクな趣がある。

 また、「浦島太郎」だと、本来は平凡な一漁師だったのにふとした偶然から異世界に連れ去られ理不尽な転変に見舞われる、近世版「世にも奇妙な物語」の主人公といった印象になる(見方を変えれば、『世にも奇妙な物語』の主人公たちの方が『浦島太郎』の現代的なリライトなのかもしれないが)。

 三者の中では、「桃太郎」が一番、公共のために敢えて苦闘に挑むいたいけさも含めて正統派的なヒーローである。


 数年前、現代のオフィスや居酒屋に桃太郎、金太郎、浦島太郎の三人が姿を現して交流するというシュールな設定のコマーシャルがあった。

 三人の太郎には「少年隊」の三人がそれぞれ扮していたが、桃太郎役は東山紀之だった。色白の細面、切れ長の目をした彼は、明らかに西洋的なパッチリした目が称揚される以前の古風な日本人的美男子といった風貌であり、更に言えば、グループ名が他ならぬ本人たちへの嫌がらせとしか思えない年配に入っても、三人の中では一番表舞台で活躍しているのも彼である。

 また、つい最近も、小栗旬扮する桃太郎が仲間と共に鬼が島に向かうまでのストーリーをハードボイルドな西洋神話風のファンタジーのイメージに転化したペプシコーラのコマーシャルが放映された。

 名前は出していなくとも、コマーシャル中で示唆されている「鬼」がペプシコーラの最大のライバルであるコカコーラであることは、これまでの両者の関係(とペプシコ社のコカコーラ社に対するネガティブキャンペーンの歴史)を知る視聴者には明らかである。

 そんなメディア上の演出にも、「桃太郎」の凛冽としたイメージは揺曳している。


「桃太郎」の冒険譚としての性格に着目すると、所持している黍団子きびだんごを元手に仲間を引き入れて鬼が島への旅を続けていく、義勇兵を募るのではなく、飽くまで傭兵を率いて敵を倒すドライな経済活動の面があることに気付く。

 ロングランヒットした有名なゲームシリーズに「桃太郎電鉄」がある。

「伝説」と「電鉄」を掛けたタイトルだが、ここでも角前髪に鉢巻を締めた愛らしいキャラデザインの桃太郎少年が誘導役となり、電鉄に乗って日本列島を周遊する一方で、各駅でそれぞれの資産に応じて物件を購入する内容になっている。

 これは、伝説中の桃太郎の経営者・戦略家的なイメージを現代的な方面に大きく応用・発展した例と言えよう。


 それはさておき、「桃太郎」伝説は、桃の産地として名高い岡山が発祥とのことで、そもそも黍団子には材料としての「きび」と共に、岡山の旧名である「吉備きび」の意味も含まれているとのことだが、私の故郷の福島県もやはり桃の産地である。

 小さい頃、春を告げる花と言えば、当時住んでいたアパートの近くの畑に大量に植えられていた桃の花だった。

 テレビで桜の開花予想を告げるニュースを見ても、「あれ、畑ではもう綺麗に咲いてるのに、どうしてまだ先だと言ってるのかな?」と桜と桃の区別も付かないまま不思議に思っていた。

 その後、小学校に入って、畑に咲いているのが「桃」で、学校の校庭に植えられているのが「桜」だと知ったが、満開になったソメイヨシノを見上げながら、私が最初に感じたのは「桃の花の方がちゃんとピンクで花びらも大きくて綺麗なのに、どうして、こんな白かピンクか分からない花を、皆、綺麗だと言うんだろう」という、うっすらとした不満であった。

 また、花が散った後にソメイヨシノの緑の葉陰になった小さく赤黒い実を「これ、さくらんぼだよね?」と好奇心半分で齧ってから、あまりの苦さに吐き出し、「花も微妙なら実も最低」と心中改めて桃に軍配を上げたりした。

 ソメイヨシノと佐藤錦などの食用の果実がなる品種が別物だということはこの小学一年生まで知らなかったが、桃に関しては「あかつき」「白鳳はくほう」「夕空ゆうぞら」「川中島かわなかじま」といった個別の品種名をそれ以前から耳にして知っており、ソムリエのように説明なしに食べさせられて銘柄を言い当てられる芸当こそ出来ないものの、複数の種類が存在することを漠然と知っていた。

 実家での夏の食後のデザートは「暁」でなければ「川中島」、イレギュラーで西瓜も食べると相場が決まっていた。

 やはり、小学校の低学年の頃、他県の親戚のお宅に泊まりに行って、夕食後に出された輪切りのパイナップルを頬張りながら、「どうして桃じゃないんだろ?」「ここのうちの人が嫌いなのかな?」と口に出せないまま自問自答したのを覚えている。

 地元にいた頃は、「センカジョー」(『選果場』という正しい字面と意味を知ったのは、小さい頃に話し言葉として覚えてから随分経っての話だ)の特売所に自家用車で行って段ボール箱単位で安く買って帰るのが普通だったので、大学入学後に上京し、スーパーで売られている桃のあまりの値段の高さに驚いた記憶がある。

 福島には梅、桃、桜の春を代表する三つの花が同時期に咲くことから、「三春みはる」と名付けられた町もあるが、私の中で春を告げる花としてまず脳裏に浮かぶのは桃の花であり、夏の果物として真っ先に思い当たるのも桃の実であり、そして、一番好きな果物はと問われて思い出すのは、故郷の「あかつき」のまだ固さを残した時期のあっさりと甘い味わいである。


「フクシマ」が「チェルノブイリ」と並んで放射能汚染地の代名詞となってから、憶病者の私には、ずっと、一番好きなはずの故郷の桃が食べられない。

 どこからともなく流れてきた桃から生まれたおとぎ話の少年は風聞をものともせず、敢然と鬼が島を目指して、故郷に錦を飾った。

 福島の桃を散々食べて育った私はというと、今、故郷に纏わる様々な風評が流れる中、どこに一歩を踏み出すべきかすら、見えていない。

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