八重の桜咲く季《とき》
近所でも染井吉野が赤紫の花芯を見せるのと入れ替わりに八重桜が見ごろになった。
白ともピンクともつかない前者に対して後者は白ならば純白、ピンクならはっきりした濃いピンクである。
ちなみに私の観る範囲では濃いピンクの八重桜が多い。同じように薄紅の花海棠も盛りなので近所は正に艶やかなピンク祭りの感がある。
以前にも繰り返し書いたが、私は福島出身なので春の花と言えば近所の果樹畑一面に咲く桃の花であった。これは本当の桃色、ピンクである。
その時期にはやはり薄紅のリンゴの花、白い梨の花が咲いて近隣の果樹園一面が花霞に包まれるので「果物の木の花が一度に花開く季節」という認識だった。
染井吉野に対しては
「花も白かピンクかはっきりしない色だし、サクランボみたいに実も食べられないし何がいいんだろう」
と軽い反発すら覚えていた。
大人になっても染井吉野より桃の花が好きだし、同じ桜でも河津桜や八重桜のようなピンクの濃い種に目を引かれる。
八重桜に関しては多重咲の花が毬のように細い枝に載っていて他の一重咲の桜より「たわわに咲いている」という感じになるし、花の重みでぽきりと枝が折れてしまいそうな危うさもどこかに漂う。
また、多重咲のため他の桜よりも花びらの総量も倍になるのか、心なしか花吹雪も凄まじい気がする。
染井吉野が優婉で品の良い佳人だとすると、八重桜はより艶やかではあってもどこか情が深過ぎたり脆かったりする薄幸の美女に思える。
中編の「君に花を葬る」で旧家の末息子の乳母を務めて生き延びるヒロインの千代に対して自死を遂げる惣領息子の乳母の名は八重としたのはそんなところからも来ている。
忍耐強く献身的に仕えてきた貞吾の不慮の死を目にした彼女は糸が切れるようにして首を吊る。
また、短編の「ウィンナーコーヒーと八重桜」で愛らしい赤子を置いて自死しようとする母親を出したのも、そもそも事件を目撃する男主人公自体も希死念慮を抱えたキャラクターなのも八重桜の華やぎの中にある脆さが筆者の念頭にあったためである。
ベビーカーの我が子を置いて死のうとする母親も、再就職活動に行き詰まって自裁を期す青年も、アルバイト初日で苦闘している女子学生も、皆、失敗を繰り返してきた私の分身である。
ちなみに就活(最初のも、二度目以降のも)中も面接の帰りにどこかの喫茶店に寄って少しゆっくりしていると、落ち込んだ気持ちが和らいだのでその経験も反映している。
ただ、作中の男主人公やウエイトレスのように自分が苦しくても見ず知らずの赤ちゃんに手を差し伸べる優しさがあったかと振り返ると、自信がない。
こちらの思いをよそに外では今も八重桜は花を散らせていく。