第一章 In a Movie Theater(4)
(3)を改稿しています。
(1)で明日は何も変わらない、と言いながら、明日はきっと違うからと言う方向での茉莉花崇拝があまりに酷かったので……
少しマイルドにしていますので、改稿前を読んでいただいていた方々はご注意下さい。
どちらにしても、この節もリズムが悪い上にだらだらしています。
おそらく中盤まで書いた後で纏めて見直しを掛けることになるかと思いますが、ご容赦願います。
(4)
学校の門を出たところにある大通り。それはただ『大通り』とだけ呼ばれる通りだ。今はもう遙か後方の、いつもは暇そうなおじさんが番をしているだけの北門から、今亜理朱達が歩いている役所街を抜け、繁華街向こうの街の南端、シャトル駅のある南門まで街を一直線に貫いている。街の外へ出る出口はこの北門と南門の他にはない。
街は直径五キロメートルのほぼ円形をしていて、生活局やその他諸々の官庁に大きな図書館のある役所街はその中心にある。
南北の大通りを中心で十字に交わる東西の大通りは、街壁内側の外周通りまでは通じているけれど、街の外に出ることは出来ない。街をいつも掃除している清掃局は、東西の外れの閑静な場所にあった。
街の東西と北の端にはそれぞれ小学校と中学校があり、居住区も大体その周りに決まっている。街唯一の高校は、役所街と北門との中間地点だ。
南にある超高速浮揚列車、通称シャトルの駅は――実は動いているのを亜理朱は見たことがない――亜理朱がこの街で暮らし始めた十二年前から、ただの飾りと化して鎮座するばかりだった。
それらの駅、施設、通り、それに街の区画や南北の門は、大通りが『大通り』としか名付けられていないように、役所街のような役割の他には、決まった名前というものがない。三つずつある小学校や中学校も、『小学校』に『中学校』なだけだ。街そのものの名前も聞いたことがない。そんなことで誰に郵便物を送れるのだろうとも思うけれど、そういう特別な誰かに何かを贈るという機会もないのかも知れないから、何も問題は起こらないということなのだろう。
ともあれ、街はその時々で、似たようなドラマや映画のシーンに合わせてころころと名前を変えた。より感情移入が出来るからか、みんな名前っていうのはそういうものだときっと思っている。
でも本当は――
古い建物やなんかをよく調べると、この街の名前が『富士』という名前だということが分かる。図書館の奥にひっそり飾られていた記念プレート、役所の片隅『定礎』と書かれた四角い石の蓋。古い建物になる程、必ずと言っていい程その名前がどこかに隠されている。
みんな忘れてしまったその名前は、きっと街から北東にその威容を示す赤い山が、昔富士山と呼ばれていたことに由来するのだろう。
かつては頂に白い雪を抱いていたという富士の山も、今では赤い死の山と変わり果ててしまっていた。赤富士なんて有名な絵もあったらしいけれど、その赤味は汚れた油によるものでは有り得ない。朝日に燃ゆる壮麗な富士の山を描いたもののはずなのだから、今の富士の山を見れば、きっと昔の画家達は大いに嘆き悲しむことだろう。
富士の山が死の山と変わり果ててしまったから、街も富士の名を捨ててしまったのだろうかと一度考えたこともあるけれど、でも富士の山があんな姿になったのは、遙か昔のことなのだ。そんな事情が理由になりそうもなかった。
この街は、何とも奇妙な街だ。
街は名前のみならず、まるで自らを忘れ去ろうとしているかのようだ。どこへ行っても歴史が感じられない。過去の記録を紐解こうとしても望む情報を見つけられる可能性は限りなく低い。
この街がいつ出来たのか、一体誰がこの街を作ったのか、そんな昔の話じゃなくても、いつからシャトルが動いていないのか、駅前の新しそうな映画館は何年前に建ったのか、そんなことすら分からない。
ずっとずっと昔、人間時代の映画やドラマやニュースのような益体もない情報ばかりはどうしようもない程に溢れているというのに。
そんな街に住む人々は、これもやっぱり奇妙な人達だ。
誰も自分の言葉で喋ろうとしない。それが出来ない訳じゃあないのに。
亜理朱は昔、この街で友人もおらず、街の住人と触れ合うことも疎み、ずっと一人で古い建物や駅の構内を探検していた時に、そんな奇妙な街の事情に気が付いた。
此処は舞台で、演目は『人間の街』。つまりはそういうことなんだ。
いつからそうなのかはわからない。でも、忘れられた地下の街に眠る日記、中央図書館の書庫で埃を被っている富士シェルター史、それらの古い書物が教えてくれる街の姿は、もっと活気があって生活の匂いを感じさせた。
亜理朱達が通う北中学校から、早足で約三十分。辿り着いた役所街も、建物だけは昔に通じる古い一角である。立ち並ぶ建物のどこかに、富士の街の名前がしっかり刻み込まれている。
地下にもひっそり忘れられた街が広がる古き街。きっと此処が富士の街の中心なのだ。
「あ、生活局だ。ミルドリンク貰えるかな?」
背中で茉莉花が呟いた。
役所街にある建物は、生活局の他に大きくは中央図書館。またそれぞれに細かな部署はあるけれど、大雑把にはそれが全てである。
生活局はその名の通り、住民の生活全般に関わる業務をこなしている。当然住人の食事は生活局の受け持ちだ。
「ね、亜理朱。ミルドリンク貰っていこうよ」
茉莉花が身を乗り出して亜理朱を揺さぶる。
ミルドリンクは、ほとんど唯一と言ってもいい、この街での食事だった。薄めて飲みやすくしたものや、固めて固形物にしたものと種類は豊富だけれど、おそらくその成分は全部同じ。
言ってみればクロレと同じ役割のものなんだろうけど、クロレと違ってとても食べにくい。喉に絡まる感じが亜理朱は好きになれなかった。
「う~ん、ミルドリンクか」
左手に見える、通りに面した受け付けには、普段でも常に何人かミルドリンクを貰いに来る住人の姿がある。今日は若干その数が多い。十人少しの男女が順番を待って並んでいた。
バスに乗ることを諦めた人達なのだろう。みんなちらちらと心配そうな視線を、大通りの彼方にある繁華街へと投げかけながら、湯気の立つカップに収まったミルドリンクを啜っていた。
亜理朱が足を止め、腰を落とすと、もそもそと茉莉花が背中からおりてくる。
茉莉花が鞄からポーチを取り出している間、亜理朱はずれたリストバンドを直していた。
亜理朱もポケットから財布を出して小銭を拾い出していると、
「あれ? 亜理朱、住民カードは?」
茉莉花が口を開けて亜理朱を見上げていた。
「持ってないのよ」
と、亜理朱は さらりと言った。
住民なら、ミルドリンクは無料で配給を受けることが出来る。ただし、配給を受けるには住民カードの提示が必要となる。
住民カードは街の住人が生まれた時に、その体質等の情報も全て入力されて発行されるものだから、亜理朱のような街の外の生まれに対しては発行されることはない。
元から持っていない亜理朱のような存在は、ちゃんと代金を払わないといけないことになっている……というか、そういうことに亜理朱がした。
施設にいれば亜理朱の分のミルドリンクも分けて貰えたし、学校でも用意されていたけれど、それ以外で手に入れられないのは不便だったから、強引にドラマの台詞を借りて、一食分百円ということにしたのだ。
「亜理朱、ミルドリンクいらないの?」
湯気の立つカップを持って茉莉花が聞いた。生臭い匂いが鼻を突いた。
「……じゃ、買おっかな」
亜理朱は財布から取りだした二百円を、カウンターならぬ受付テーブルに載せると、
「いつもの、二つ」
既に顔馴染みの受付嬢にそう告げる。
ドラマの台詞を梯子して、今やその一言で通じるようになっている。
何故かいつも嬉しそうな受付嬢に、いつものように手渡されたのは固形タイプのミルフードだ。街の住人に合わせたミルドリンクは、やけに古びた脂分が多くて、亜理朱の体には合わない。
臭いも酷くて、とても美味しいものじゃない。
固形のミルフードならまだ食べられた。コンロで炙って油を落とせられれば尚いい。臭いも少しは香ばしくなって食べやすくなる。
(う……)
包み紙まで何故だか脂っぽく湿っているように感じる。
食べないと参ってしまうから仕方がないけれど、出来れば食べずに済ませたい食べ物だった。
「うわ、凄い。何か亜理朱、格好いい!」
茉莉花が妙なところで感動して、歓声を上げている。
亜理朱はじっと茉莉花を見詰める。
「……茉莉花、美味しい?」
「うん!」
亜理朱はガシガシと、元気よく答えた茉莉花の髪を掻き混ぜた。
「じゃ、行くよ」
そのまままた大通りへと足を進める。受付前のベンチに座り掛けていた茉莉花が、目と口を開けて見送って、その後、慌てて亜理朱の後を追い掛けた。
「何で、亜理朱!? 休んでいこうよ」
まだ予定の時間まで二時間以上あると告げる茉莉花に、亜理朱は違うと首を振った。
「今日は新作の日なんでしょ。いつもと違うよ」
亜理朱は茉莉花が追い掛けてきてから足を緩め、そしてそのまま並んで歩く。
「ここから駅前まで約一時間。駅前から映画館までで三十分。下手したら映画館に着いてから席に辿り着くまでで更に一時間ぐらい掛かってもおかしくないんだから」
「え、嘘!?」
「どこから出てきたのかって思う程、人波に埋もれるのよ。何て言っても新作の日だから。台詞を憶えきるまで誰も帰らないから、殆どの街の住人が映画館に集まるの」
だから映画は嫌いなのだと亜理朱は続ける。
「二年前に『アリアドネの糸車』が公開された時も、六年前の新作ラッシュの時も、物凄かったんだから。普通のお店も臨時定休日にされちゃってるし、新作って厄介なだけよね」
それでいて本当は新作なんかじゃないのだ。
亜理朱は『アリアドネの糸車』を、五年も前に図書館で見た。『黒雲のマルフェス』も六年前公開される前にやっぱり図書館で見た。そしてまだ公開もされていない『二丁拳銃の女』や『教授、雲に乗る』なんてタイトルが、図書館の地下で今も埃を被っていることを知っている。
みんな忘れ去られてしまっていた、遠い昔の夢の名残だ。誰かがそれを発掘してきて、こうして『新作』として公開される。
「探せば新作なんていくらでもあるのにね」
茉莉花はただぽかんと亜理朱の顔を見詰めていた。
「ろくねんまえ??」
思わず舌足らずに問い掛けてしまうのがどうしてなのか知っている。茉莉花は六年前のことは知らないのだから。
「そう、だって私はもう十五歳だもの」
と告げて、にっこり笑った。
「そ……そうよね、六年前なら、今十五歳だもん、知ってるよね」
引き攣った愛想笑いで茉莉花は言うと、一息に残るミルドリンクを啜り込んだ。
「はいよーはいよーはいどーどー♪」
そして十分後、茉莉花は再び鞍上の人となり、今は勇ましく行進の音頭を執っている。
「赤城の山も今宵限り…………富士山だけど」
亜理朱も茉莉花に台詞を合わせてみた。
「何それ?」
「だから富士山。後ろにあるでしょ?」
正確には北北東というところだから、真後ろじゃない。
何だか色んな場面で使われてきた台詞だから、亜理朱も元々の出典なんて知らなかった。
「え? ……富士山?」
惚けた声で茉莉花が繰り返す。
茉莉花も富士山ならテレビで幾度となく見知っているはずなのに、今は両手で亜理朱の頭を抑え込むようにして、無理矢理背後へ振り向こうとした。
ぐいと亜理朱の頭を捻る。もぞなんてものでなく背中で動き回る。とうとう亜理朱の肩に膝を立て、よじ登ろうとする段になって、とうとう亜理朱も呻き声を上げた。
「もう、降りてよ、莫迦!」
でも結局亜理朱自身が後ろに振り返ると、おんぶをされている茉莉花もその動きを止めて大人しく背中に納まった。
「富士山……?」
まるで茫洋とした声で、茉莉花が囁いた。
「うん、そう、富士山。この国で一番高い山なんだって」
「…………あれが富士山…………」
茉莉花は何だかぼんやりとしているみたいだ。
「ほら、富士山ならいつでも見れるんだから」
亜理朱は促して、再び背中を富士山へと向ける。茉莉花は不思議と逆らわずに、しかしはむんと亜理朱の首筋に顔を埋めてきた。
「く、くすぐったい!」
思わず悲鳴を上げてから、二人笑い合って歩き続けた。
ナインのいる中央図書館も遙か後ろに、遠くに見える繁華街へとてくてく歩く。
「――間違いなく富士山だったら。私ね、自分が何処にいるのかわからないのが悔しくて、星の見方とかしっかり勉強したんだよ。緯度も経度もあれは富士山だって言ってるもの。それに街の名前だって――」
そんなとりとめのない話をしながら。
昔なら、自分の現在位置を手っ取り早く知る為には、GPSの出番となるのだろうけれど、空に広がる油膜が電波を吸収してしまって、ジャンク屋にいくつも転がるそんな機械も今の時代物の役には立たない。そもそも戦争の結果、まともな人工衛星は落とされているだろう。
それこそ太古の昔から行われていたように、星から位置を知る方法が、誤差は大きくても確実な方法だった。
そんなことを思いながら、亜理朱は茉莉花とお喋りをする。
昔の家の場所は、思い出そうにも正確な星の位置を思い出せず、泣く泣く断念する他はなかった。
「……街の名前?」
「うん。この街の名前」
「…………」
「この大通りも大通りとしか呼ばれていないけど、多分調べれば名前が見つかるんじゃないかな。…………『富士』っていうのよ、街の名前は」
ずっと一緒に友人をしてきて今頃明かすのも変な話だと思うけれど、何だかんだといいながら、亜理朱と茉莉花の関係はこれまで学校の中だけでの友達だったのだ。こうやって街の中を一緒に歩くなんていうことも、数える程しか記憶にない。
長い間この街で過ごしてきたのだ。この街で間借りしているのは、未だ何の身分も無い子供達のための施設。学校を一歩出れば、制服を脱いでしまえば、そこに中学生の亜理朱はいない。
施設の中では異邦人だし、中央図書館ではかつてアルバイトしていたOGだし、早朝の住宅街なら新聞配達の小柄なお姉さんだし、駅前に行けばもう身分も何も関係ない一般市民になる。
そういう街の流儀に染まってしまっていて、まともな人間関係というものがわからなくなってしまっていたのかも知れない。
今にしたって、制服を着たままだから中学生の亜理朱でいいけれど、これで顔馴染みのジャンク屋のおじさんに出会ったり、はたまた制服を脱いでしまったりした場合には、どう対応すればいいのか正直悩むところだった。
(これがナインなら何も悩む必要はないのに……)
中央図書館の地下に棲む、あの秘密の友人ならば何も気にすることはないだろうに。
でも……と、亜理朱は思い直す。
考えてみれば、己の身分がこうもころころと変わるのは、実のところ亜理朱ぐらいのものなのかも知れない。
茉莉花や他の子供達は、家に帰ったら家に帰ったで、きっと中学校に通っている子供をしているのだ。亜理朱のように自分の肩書きを会う人によって変えることは、亜理朱がこの街で身につけた処世術なだけで、それがそのままこの街の在り方ではないのだと、――今更ながらに気が付いた。
「誰もそれが正しいなんて言ってくれないけど、街の中を探検してみれば、色んな所に街の名前が書いてあるから」
じっと耳を傾けている様子の茉莉花に、教えてあげる街の話。
もしかすると、茉莉花達はずっとドラマや映画の中の会話しかしないできたのだから、こんな話は聞くこともなかったのかも知れない。亜理朱は小学校に通ったことは無いけれど、横目に見ていた小学校の在り方も、どうにも演劇の練習の練習といった感じだったから、やっぱり街の歴史やそういったものは誰も教えて貰ってないのだろう。
そう思って実際「知ってた?」と聞いてみると、
「ううん。茉莉花、そういう話、初めて聞いた」
と、予想通りの答えが返ってきた。
新聞配達はあるけれど、郵便局はない。迷子になっても、自分の家の場所を伝える番地がない。せいぜい北小学校の近くだとか、生活局の裏手だとか、そういう目印になる建物の名前でしか伝えられない。
随分と不便なシステムなのにまるで改善されないのは、この街が同じことの繰り返しで成り立っている街だからに違いない。
でも、同じことの繰り返しの筈なのに、いつの間にか街の名前等が失われていってしまっているのは、同じことを繰り返しているつもりでも欠けていくものがあるのではないのかと亜理朱は思う。
逆に言えば、そういうことの積み重ねで、こんな奇妙な街が出来たのかも知れない。
そういうのが二十年も続けば、もう昔のことを知っている人はいなくなるのに違いない。
「……はぁ、まだ名前が残っているのはバス停ぐらいのものか」
バス停の名前だけは、雰囲気を出すための呪文のようなものではなく、それぞれの場所に残された地名と合致していることを、亜理朱だけは知っている。
「ね、どうする? このまま映画見に行く? それとも街の中探検して古い名前を探してみてもいいけど」
試しに言ってみた亜理朱の言葉に、茉莉花は暫く考えてから、
「ううん。亜理朱とはいつでも遊びに行けるから、今日は映画を見に行こうよ」
どこかしんみりとした言葉でそう返された。
富士山ならばいつでも見られる。でも、亜理朱はいつまでこの街にいるのだろうか。
亜理朱の胸がチクリと痛んだ。
「あれ? 亜理朱、バスが来るよ」
茉莉花を背中から下ろして、背筋を伸ばしていた亜理朱は、そう茉莉花に袖を引かれて後ろを振り向いた。
まだ役所街の建物がしっかり見える。やっと半分来たというところだろう。
そして丁度その前を走る、白い軽トラックの姿も見えた。
「あ、珍しい。自家用車だ」
「自家用車?」
「うん。ほとんどいないけど、車持ってる人もいるんだよ」
そう言いながら、亜理朱はじっと目を凝らしてみる。
きゅきゅきゅと視界が調整されて、運転席ばかりが倍率二十倍、五十倍……
(…………おかしいなぁ。ミルフードって効率悪いのかなぁ)
昔はもっと素早く焦点が合ったのにと、なかなか合わないピントにやきもきしている内に、誰かの軽トラックは滑らかに亜理朱達までの半分程を走り過ぎている。
「あ、見えた。…………あっ! 小父さんだっ!」
それが顔見知りのジャンク屋主人であることに気が付いて、亜理朱は車道に飛び出ようとした。
(……おっと)
大きく振れる視界に、慌てて倍率を元に戻す。
一瞬、制服を着たままだと小父さんにわからないんじゃないかという考えが頭をよぎったけれど、その答えも知りたくて、亜理朱はそのまま車道に出た。
そして大きく手を振る。
「小父さ~~ん! ジャンク屋の小父さ~~ん!」
ぴょんぴょん跳びはねる亜理朱に相手も気が付いたのか、亜理朱達が二十分掛けた道を数分で走り抜けながら、徐々にスピードを緩めて亜理朱の前でピタリと停まった。
右側にある運転席から、身を乗り出して助手席の窓を開ける。そしてじっと亜理朱を見詰めるその人物は、見ようによっては小父さんと呼ぶのが酷な、まだ若い短髪の男性だった。
「んや? 亜理朱でないかい。また珍しい格好をしているじゃあないか」
朴訥というにはおおらかでよく喋る小父さんに、
(……口を開けばやっぱり小父さんだ)
なんて思いながら、亜理朱はその場でくるりと回ってみせた。
「可愛いでしょ。北中学校の制服だよ」
「ははぁ。――随分達者な中学生だ」
「今は制服を着てるからね。制服を脱げば徒の少女Aよ」
知らない人の振りをされるのではないかという思いはどうやら杞憂に終わり、亜理朱は明るく笑顔を見せた。
不安げに袖を引いていた茉莉花が、
「亜理朱の知り合い?」
と訊ねてくる。
そして小さな声で、
「なんてドラマなの?」
と付け加えた。
「ドラマじゃ無いよ。普通にお話ししているだけ」
そうなのだ。街の中にも普通にお話し出来る人たちはいる。
初めからお話しできたのは、このジャンク屋のおじさん。それと図書館の主、ナイン。
亜理朱とお話しする内にお喋りが出来る様になったのは、施設の子供達に施設の先生、それと図書館でバイトをしていたときに話をした子供達が少しだけ。
変わらない明日なんて嘘っぱちだ。何でそんな風に思い込もうとしていたのだろう。
「ははぁ、亜理朱のお友達さんかな? 珍しいこった」
そう。何も変わらないと思っていたから、亜理朱はいつも一人だった。
話をしていても、それはそこでの役割を果たしているだけ。シーンが変われば、わざわざ自分から関わろうとは思わなかった。
茉莉花で無ければ、映画に誘われても、今日は用事があるっていう一言で終わりだっただろう。
だから、茉莉花が友達というのは嘘じゃ無い。
「そうよ。学校の友達で茉莉花っていうの」
少し胸を張って、誇らしげに答えていた。
「そうかいそうかい、お嬢ちゃん、よろしくな」
笑顔を向けられた茉莉花は、いつも亜理朱と話をしている、小憎らしい雰囲気をどこかに忘れてきたのか、
「よ…………よろしくお願いいたします」
ガチガチに緊張した様子で返事をした。
「ほほう! 茉莉花ちゃんは、ちゃんと会話が出来るのかい? 大したもんだ。亜理朱の友達ってこたあらあな」
うん、偉い。ガチガチになっていたのは予想外だったけれど、ちゃんと返事を返したのだから。
「そうよ。茉莉花は私の親友なんだから!」
それでね、と亜理朱は続ける。
「それでね、小父さん、これからお店に戻るところ? お願い! お店まででいいから、乗せてってくれないかなぁ?」
いいよいいよという小父さんに、ありがとうと告げて助手席に上ると、茉莉花を引き上げて体の前に抱え込んだ。荷台に載るのも面白そうだったけれど、今日はとても寒い。亜理朱はともかく、茉莉花には辛そうだ。それに荷台には、ガラクタにも見えるなんやかやが、所狭しと積み込まれていたから、今日は乗るにも難しそうだった。
茉莉花が小さく「ありがとうございます」と小父さんに告げている。うん、偉い。
車はそのまま大通りを外れ、西の裏通りを駅前へと進んだ。小父さんの店は、駅前を少し西に外れた場所にある。
南門から入ればすぐなのに、何故北門から入ってきたかと言えば、それもやはり今日が新作の日だからだそうだ。ほんの少しの距離なのに、車が通るのは到底無理なんだとか。
「しかしねぇ、今度の新作って、ありゃ流していいもんなのかねぇ」
「え? 小父様はどんな映画かご存知なんですか?」
「いやいや、儂も宣伝分しか知らんがね。今度の『東市松なんちゃら』ってのは、任侠ものなんだろう? 真似しか出来ない街の奴らに見せていいもんなのかねぇ」
茉莉花が少し不安そうに、亜理朱を見上げる。
いつの間にか小父さんと普通に話をしている茉莉花は、本当に大したものだ。
「亜理朱、任侠って何?」
「……さぁ?」
「亜理朱でもわからないの?」
「ううん。任侠って、暴力と恐怖で支配しようとする様なマフィアかギャングみたいな描かれ方をしたり、警察が出来る前の時代から地域の揉め事の解決をしたりしている纏め役として描かれていたり、正直私にもよくわからないんだ。あんまり興味のあるジャンルでも無かったしね」
どちらにしても、人が簡単に死んでしまう様なのは好きじゃ無い。途中で見れなくなって、見るのをやめてしまうのが常だ。
「期待外れなのかなぁ……」
「さぁ? もしかしたら面白いかも知れないし、茉莉花が折角取ってくれたんだもの。楽しみにしないと罰が当たるね」
「そうだねぇ、映画は楽しまなくちゃ。現実と一緒にして、真似をしてはっちゃけるなんて以ての外だなぁ」
その後は、学校の生活や、小父さんがどこへ行った帰りなのだとか、小父さんとの出会いとか話していると、すぐに駅前に着いてしまった。
学校の他のクラスメートとも、お喋りが出来る様になるかもしれないと言うと、小父さんはそうかとどこか満足気に頷いた。
小父さんが、ジャンク品の調達に、街の外に出ているとは知らなかった。他の街の場所も知っていると聞いて、ドキリとする。今度街の外へ行くと言うときには、絶対についかないとと心に誓う。
小父さんとの出会いは、街を探検していたときに偶然見つけたのだというと、茉莉花は感心していたけれど、小父さんはどこか奇妙な顔をしていた。
どうしたのだろうと思っている内に、車はジャンク屋の前を少し過ぎて、駅前の人集りが見えるところまで送って貰っていた。
「小父さん、ありがとう!」
茉莉花とともにお礼を言って手を振ると、小父さんは少し奇妙な表情のまま、
「ああ、気をつけてな。それと、亜理朱と出会ったのは、もっと昔じゃぞ? なんと言っても、街の外で倒れていた亜理朱を見つけてきたのは、儂じゃからなあ」
と言う。
えっ、と思う。
頭の中が真っ白になる。
小父さんの車が方向転換をする。
行ってしまう……行ってしまう。
茉莉花に袖を引かれて、よろめいて。
…………
ああ、駄目だ。今は駄目だと亜理朱は思う。
今日は茉莉花と映画を見よう。
そして施設へ帰って、しっかり考えて、何を聞きたいのか考えて、ちゃんと覚悟を決めて、そうしてからジャンク屋をもう一度訪ねよう。
そう心に決めて、亜理朱は遠ざかる白い軽トラックを見送った。
『東市松一本男』『アリアドネの糸車』『黒雲のマルフェス』『教授、雲に乗る』
いやぁ、自分で題名考えながら、どんな映画かと気になりますですよ。
(『二丁拳銃の女』は、西部劇で実在するタイトルですがw)
なかなか映画館に到着しない…。小説大賞投稿バージョンではとっくに映画を見終わってる頃なのですが…。それだけにあっけなかった中身が増強されているのでよしとしましょうか。
しかし、今回の投稿で本気でストックが無くなりました。次回はかなりお待たせいたします。ご容赦を。