第一章 In a Movie Theater(2)
・・・初投稿故に、人目に触れるように予約時間を調整中。0時とか8時の波に流されないように・・・(あざとい)
途中でいきなり回想に入ったりしているのはわざとです。
(2)
そしてそのままずっと空を見ていた。
赤い空はうねるように形を変えながら、遙か高みをたゆたっていく。雲があるとも見えないのに、油を落とした水面のように蠢く空。
その油――あるいは油ではないのかも知れないけれど――は、きっと高熱に曝された大地が吐き出した何かだ。冬には今見えるように灰赤色とまだ薄化粧だが、夏はまるで血が固まったかのような赤黒い雲が黙々と湧いて出てくる。
テレビで毎日のように流れている、戦争前の映像とは、比べるべくもないその景色。
映像の中の青や緑といった色の方がずっと心が落ち着く感じがするのに、もう色彩感覚もおかしくなっているのかも知れない。不安を感じるはずのその空に亜理朱は何の感慨も抱けなかった。
街の住人に至っては、空が赤くても「なんて清々しい青空だ」なんて言う始末だ。彼らにとっては、空が赤だろうが青だろうが黄色だろうが変わりがないのかも知れない。
あれは、ずっと昔の戦争で大量に死んでいっだ生き物の血の色だとか、その脂なんだとか、そんな怪談も流行っていいのに、まるで興味がないのか、学校で空の色が話題に上ることも無い。
(多分興味がないんだろうな)
あの空の下には何があるのだろうかとか、テレビの画面の中で流れているような風景はまだ世界のどこかに残っているのだろうかとか、そんな遠い世界の話でなくても、街を囲む街壁の向こうはどうなっているのだろうかとか、何でシャトルの駅はいつも臨時休業なのだろうかとか、極端な話この街の名前はなんていうのかなんて極々身近なことにも気が向いていない。
興味があるのは失われてしまった人間文化に関してばかりで、まるで街ぐるみでのノスタルジアにどっぷりと浸かっている。夢の中に微睡んでいるような街なのだ。
亜理朱はさっきの先生との遣り取りを思い出す。会話というより台詞あわせのような、あれが街での基本的な一日の生活だった。
(……昨日と変わらない今日、今日と変わらない明日……)
仮令昨日と違う台詞だとしても、いつかどこかで聞いた台詞。パズルのように対応する言葉はみんな決まっている。
(明日も明後日も明々後日も、一月後も、来年も再来年も、ずっと、ずっと……)
でも、それはきっとこの街だけの特殊な事情。そうであって欲しかった。
だって、亜理朱は知っているのだから。他の街に満ちていた喧噪を。台詞ではない会話の遣り取りを。そして会話が無くても確かにそこにある心の触れ合いを。
(嗚呼……あの空の下には何があるのだろう……。昔暮らしたあの家は、一体どこにあるんだろう……)
風はここでも昔と変わらず吹き抜けていく。なのに昔とは全く違って味気なく肌を撫でていく。
かつて暮らしたあの家では、同じ赤い空でもきっともっと鮮やかだった。
丘の上の木々が揺れて、またその切り口がキラリと瞬く。
(キラリと輝くのは、道具街の時計塔。父さん、兄さん、母さん達の目の輝き。一番綺麗なのは、目覚まし時計。父さん達が作ってくれた、目覚まし時計――)
――コロコロコロコロ…………
音がしていた。小さな音だ。
天井の奥でコロコロと、けれど音だけ。
アリスの目は暗闇だって見通すのに、アリスの小さな丸い部屋の中で、動いているのはアリスの瞳だけ。
丸い丸いアリスだけの部屋の底で、毛布にくるまりながら天井を見上げて、アリスはじっと待っていた。
朝が始まるのを。
えいっと跳び上がれば手が届きそうな天井。でも本当に跳び上がれば縦横無尽に天井を、そしてそこから丸く降りてくる壁を、煌びやかに彩っている硝子の紗を毀してしまうに違いない。
窪んだ床、窓のない壁、天井に開いた小さな穴。アリスの小部屋は地球儀の中に潜り込んだような、奇妙な部屋だ。父さん達が造ってくれた、アリスの寝室。
窓がないから朝の訪れはわからなかったけれど、そんな部屋に大好きなローグ兄さんが目覚まし時計を作ってくれた。手先の器用なロック兄さんとの共同作品だと言って、知らない内に部屋は綺麗な紗で覆われていた。
もうすぐ目覚まし時計が動き出す。
(――ううん、もう動いてる)
天井の小さな丸い穴の中から、引っ切り無しに何かが転がる音がしている。
だから、もう外には太陽の光が差している。
外には太陽光を利用した加速器がある。といっても、アリスの目覚ましのために銀の玉を揺り動かす程度のものだから、大したものじゃない。でも、とっても素敵なものだ。
――カラカラカラカララカラカララララ…………
音がどんどん甲高くなっていく。その音だけで目覚ましになるくらいに。
――シャーーーーーーーーーーーーッ
(来たっ!)
音が一瞬途切れたと思った瞬間、天井の穴から飛び出したもの。アリスは必死に目で追った。
――キュリリリリリリィ~~~~……ン!!
飛び出た途端、鈍く光を曳くその物体は、銀の玉は、受け止めるように手を広げた瑠璃の紗、いや、部屋中に張り巡らされたワイヤーレールの端に収まるべく収まって、透き通った氷の旋律を奏で上げる。
光の軌跡がその後を追う。
透明なワイヤーレールは、圧力が加わると発光する物質で出来ている。いつもこの光に惑わされて、ボールの行方を見失ってしまってしまう。
一番初めの銀の玉は、僅か部屋を一周するだけの螺旋を描いて、あっという間に消え去ってしまうのだから。
(今日こそは!)
一番初めの玉が何かをして、ステージの幕が本格的に上がる。それを今日こそ見極めるのだ。
(光は目の端、光は見ない……)
念じながら光の先にあるはずの銀の玉を追って、弾かれたようにアリスは首を振る。
(在ったっ!!)
硝子のレールを蹴立てて疾走する銀玉を目に捉えるのとほとんど同時に、アリスはその銀玉がレールの支柱を蹴り飛ばすのを見る。
続けて三本。
銀玉は見る見るうちに勢いを失って、最後は硝子の受け皿の中にポトンと落ちる。
支柱を飛ばされた紗のレールは、ググッと撓んでその形を変える。
――キュリィ~~ン!!
いつの間にか加速されていた二つ目の玉が同じ天井の穴から飛び出す。
音はやまない。まだまだ次の玉がある。
――キュリリリリリ…………
二つ目の玉は、一つ目とは違うなだらかなスロープに入り込み、予め十分に加えられた回転の力でまた幾つかの支柱を薙ぎ倒す。
またレールが形を変える。分岐する。揺り動かされてレール全体が発光し、光の紗が浮かび上がる。
(綺麗……)
今は天井の穴から絶え間なく次の玉が飛び出している。それぞれの玉が違う道を、あるいは同じ道を行き、氷の旋律と光の輪舞が小さなアリスの部屋を満たす。
形を変え、色を変え、走る閃光に光の舞踏。そして奏でられる天上の音楽。
いつも同じメロディーにはならないのに、不思議とちゃんとした音楽に聞こえるから不思議だ。もしかしたらセブン父さんとイシス母さんも協力しているのかも知れない。
セブン父さんは完璧な計算を、イシス母さんは芸術の高みを、こよなく愛しているのだから。
(さすがにテツジン父さんは部屋の中に入ってこれないだろうけど)
体の大きなテツジン父さんは、この部屋の小さな入り口からはとても入ってこれない。もしも入ってこようとしたことがあったのなら、それはそれで想像すると楽しかった。
そして想像の筈なのに気恥ずかしかった。きっとテツジン父さんならアリスの小部屋を見に来たがっただろうし、本当に見に来たのかも知れないから。
今や光と音の騒乱は最高潮に達していた。乱れ飛ぶ光と音。でも、もうすぐ加速器の中の銀玉が無くなって、目覚まし時計の幕が下りる。
今日は誰が起こしに来てくれるのだろう。
アリスはそっと胸の上の毛布を引っ張り上げた。
――ギュリンッ!
最後の銀玉が吐き出され、閃光を迸らせながら部屋の壁を駆け下る。そして銀玉は他の数百の仲間達が待つ受け皿の中へ、コトンと……落ちた。
駄目押しのように受け皿の底が開いて、雪崩落ちる銀玉が、チリチリチリンと硝子の鍵盤を掻き鳴らした。
そして近づいてくる足音。
――コツン……コツン……
決して急がない泰然とした足取り。
(……あれ?)
いつも起こしに来るローグ兄さんじゃない。イシス母さんでもない。
(クラマ……父さんかな?)
そうとしか思えなかったけれど、クラマ父さんが起こしに来るなんて滅多にない。
(何か……あったのかな?)
何かあったのかも知れないけれど、とにかくアリスは毛布を頭の上まで引き上げた。
――……コツン…………コンコン……
アリスの部屋の、ハッチか何かのような小さな丸い扉の前で止まり、ノックをする。
そして薄く扉を開ける。
中に入ってくる代わりに、
「アリス。今日はクロレプラントのメンテナンスをするから、早起きするといいことがあるよ」
渋味のある声だけ掛けて、しばらく待ってからまた扉を閉める。
――……コツン……コツン……
足音が遠ざかっていく。
アリスはガバリと跳ね起きた。
「クラマ父さんだ。…………プラント?」
プラントと言えば、地下にある食料プラントのことだ。それよりどうしてクラマ父さんは起こしに入ってきてくれないのだろう。
「――ああっ!!」
アリスは慌てて毛布を跳ね上げた。
肌着で寝ていたその上に、慌てて着替えを引っ被る。ズボンに足を通したら、ベルトも締めないままにアリスの部屋から転げ出た。
「と……父さん、待って!」
クラマ父さんは、駆け寄ってくる足音を待って、地下へ向かう階段の前で立ち止まっていた。追いついたアリスは手を繋ごうとせずにじっと見上げる。
「ふむ……一人で起きれたじゃないか。大したものだ」
「い、いじわるっ」
「ははは、アリスはそんなお寝坊さんじゃ無いだろう?」
「うー……」
がちゃがちゃとズボンを引き上げベルトを締めながら、アリスは不満げに唸った。
手早く身形を整えてから、
「ん!」
目を瞑って顎を突き出す。
暫くしても、何も反応が返ってこなかった。
「…………何かな?」
戸惑う壮年の父に、アリスは憤慨する。
「もうっ! ローグ兄さんはお早うのキスをしてくれるのにっ!」
そのまま、またぐっと顔を反らし続けていると、躊躇いながらも優しい掌が頭の後ろを支えて、クラマ父さんの鈍色の硬い顔が、そっとアリスの頬に口付けた。
「……おはよう」
「うん、おはよう!」
うん、と俯き、暫くしてから駆け出した。思わず口元が緩んでいた。後ろから幾分若くなったかのようなクラマ父さんの声が届く。
「アリスはいつもローグとこんなことをしているのかい?」
アリスはくるりと振り返り、少し誇らしげに胸を反らして、
「ローグ兄さんは、部屋の中まで起こしに来てくれるんだから」
言って、もう十歩ばかり遅れ始めているクラマ父さんに、
「ほら、早く! クロレプラントが閉まっちゃう!」
もう不機嫌だったことなんてすっかり忘れた笑顔で、促した次には走り出していた。
「父さん、早く!」
階段を駆け下りて辿り着いたクロレプラントの、まだほんの入り口の小部屋から、首だけ入り口の外へと向けて、でも心はプラントの中にばかり向いている。
本格的にプラントの中に入るには、ガッチリとした二重扉を開けて貰わないといけない。
それでも小さな覗き窓はあって、アリスはそこに駆け寄ると、齧り付くように熱心に覗き始める。
燦々と降り注ぐプリズムライトの光の下で、綺麗な緑色の宝石が眩いばかりに輝い……て?
(…………あれ?)
緑のクロレがすくすくと培養され殖えつつあるはずのプラントの中は、いつもより照明が落とされて、暗くはないけれど眩しくもない、そして何よりモップ(?)を持ってうろつく人影の白い背中が見えていた。
何故かアリスは焦燥に駆られて、
「あ……ああ~~っ!!」
バンッ! と覗き窓の縁を両手で叩いていた。
白い人影が振り返る。顔は頭まで覆った白い密閉服に覆われてわからない。
でも、アリスに気が付いて少し戯けたように覗き込むその仕草で、すぐにそれがローグ兄さんだとわかった。
大好きなローグ兄さん。でも、アリスより先にプラントの中に入っているなんて……。今日は起こしにも来てくれなかったし!
「ずるいっ!!」
アリスは地団駄を踏んだ。
「ほら、アリスも着替えなさい」
背後から掛けられた声に、
「――え!? 着替えるの?」
吃驚してアリスは聞き返す。
いつの間にかやって来ていたクラマ父さんは、ローグ兄さんが着ているのと同じ、でもアリスのサイズに合わせた小さな密閉服をアリスに渡した。
ずっとそのまま入れるのだと思っていた。
「私、生のクロレが手掴みで食べられるんだって思ってたのに……」
クラマ父さんは笑うと、くしゃくしゃとアリスの髪をかき混ぜた。
「生のクロレは食べられないさ。肥料の匂いがきついからね」
だから洗って調整するのだとクラマ父さんは言った。
それが無くても、強く残留するアンモニアだとか何だとかは、人工臓器を痛めてしまうのだとか。
「ほら、アリスも逃げたじゃあないか。昔プラントが故障して、地階に生のクロレが溢れ出したことがあったろう?」
「え……? …………あーーっ!!」
アリスは密閉服を頭から被ると、慌ててその中に自分の体を引き込んだ。ころんと転がって足も中に引っ張りこんだ。
「あれってクロレだったんだ」
「そう。まあ、食べたかったら止めはしないがね」
クラマはアリスの体を起こして二重のチャックを手早く閉めながら、自分も密閉服に着替えて各部の点検を始めた。
「内側ファスナーよし、……アリスも内側のファスナーは上まで閉まってるかな……そう、チャック……よし。じゃあ、私の後ろに回って背中側に穴が開いていたりしていないかチェックして……ああ……よし、大丈夫かな? ……よし」
父さん達は、いつだってアリスにも手伝わせてくれる。日常の細かなことだけじゃない。父さん達が仕事としているらしい、遺跡の発掘調査のことだって、アリスが手伝いたいと言ったらアリスの意見も求めてくれた。
それがとても嬉しかった。
「よし、中へ入ろうか」
「うん!」
扉を開けて四人入れば動けなくなる小さな部屋に入る。扉を閉めると、壁と天井に開いた小さな穴から、熱いシャワーが目の前にかざした掌も見えないくらいに吹き出て、その後に熱風が体を覆う密閉服を乾かす。チャイムが鳴ったら終了。アリスはクラマ父さんに続いて、漸くプラントの中に出た。
「ローグ!」
待っていたローグ兄さんにぶつかるように抱きついた。
「ん~~、アリスお早う」
密閉服のままおでこにお早うのキスをするローグ兄さんに、アリスもキスのお返しをする。でも、密閉服に顔まで覆われているままだ。キスしているのか何かを擦り付け合っているのかよくわからなくなる。
ローグ兄さんは、アリスを手だけで構いつつ、クラマ父さんに報告をする。
「汚染チェックはタンクと攪拌機までレベル3で終了。コロージョンチェック、オートで――」
アリスも神妙にその報告を聞いていようとしたけれど、でも――
そのアリスの様子に気が付いたクラマ父さんが、「ここはいいから、アリスのその目でチェックしてみなさい」と、そう言ってくれたから、アリスはすぐさまローグ兄さんがモップ(?)で脇に寄せたらしい、小山になっているクロレの元へと駆け寄った。
間近で見た生のクロレは、モップで押し遣られて大分と形が崩れているけど、多面体に増殖する性質があるのか、一辺五ミリ程の綺麗な面がいくつも組み合わさった形をしている。キラキラ光って見えるのは、この大小取り混ぜた無数の面に、光が当たって反射するからだ。
(緑色の宝石……)
指で掬い取ろうと手を伸ばしてみたら、軽く押しただけなのにひしゃげて崩れてしまった。
(あれ?)
もっとしっかり弾力のあるものと思っていただけに驚いて、指先に付いた潰れたクロレを目の前に持ってくる。しげしげと見詰めながら倍率は四十倍、八十倍、そして二百倍。多面体のその形で一つの塊だと思っていたクロレは、小さな小さな数ミクロンほどの、やっぱり多面体な藻のような生き物の集合体だった。
(なんだ。いつも食べてるクロレって、そのままクロレだったんだ)
小さなクロレは小さすぎてよくわからないけれど、やっぱりその面で光を反射してでもいるのか、キラキラと輝いているようにも見える。小さな粒と粒の間はゼリー状の何かが隙間を埋めていて、それで大きなクロレも面がしっかり出ているらしかった。
不意に視界が大きくぶれて、アリスは尻餅をついた。
「アリス、大丈夫?」
アリスの肩に手を置いたローグ兄さんが、焦った感じで覗き込んでいる。
「目が……ちかちかする……」
物凄く拡大して見ていたところだったのだと言うと、ローグ兄さんも安心したのかほっと胸を撫で下ろした。
「心配したよ。ぴくりとも動かないし、呼び掛けても全然答えないから」
ペロリと舌を出して立ち上がると、アリスはローグ兄さん達について回ることにした。クロレを脇に退けたのは、黴が発生したら床面を見ればすぐわかるのだとか、電位差を見れば腐食の度合もわかるんだとか、そんな解説を聞きながらタンクや攪拌機やクロレそのものの具合を見て回る。
気が付けばいつの間にか朝は終わっていて、「さあ、お昼にしようか」とクラマ父さんが言ったところで、言ったクラマ父さん自身が慌てていた。
「そう言えば、アリスは朝御飯もまだだったね。プラントに行くのだから、ここで食べればいいと思っていたのを忘れていたよ。体は大丈夫かい?」
「全然平気」
「う~~ん、アリスはしっかり寝ている分、エネルギーの消費が少ないのだろうかね」
すまなそうに首を傾げるクラマ父さん。ローグ兄さんは言う。
「いや、クラマ――。
アリス、人工臓器はエネルギー生成までのタイムラグが大きいから、しんどくなってから慌てて食べても遅いんだよ。暫く動けなくなるからね。いざとなったら直結することも出来るとは言っても……」
ここでクラマ父さんを責めても、アリスがいる前だからあまり良くないと考えたのか、しっかりして下さいという眼差しを向けるだけでクラマ父さんには何も言わなかった。
なんだかアリスも責められているような気分だ。しゅんとして首を竦める。
その日はその後お昼を食べてから、ローグ兄さんと一緒に、生のクロレを洗ってみた。本当はプラントの中で自動化されていることだけど、フラスコと試験管と何種類かの薬剤を使いながら。
「ほら、まずは火に掛けて。対流が自然とクロレを洗浄して、染み込んだアンモニアも熱で溶け出てくれるよ」
「へー……」
「で、コンプレッサーで飛ばして分離して」
「うん……」
「で、また火に掛けてを繰り返して」
「…………」
「最後に薬剤で調整して」
「薬?」
「ビタミンCとか色々。――舐める?」
「え、いいの? …………うわっ、すっぱいっ」
「はっはっは、良かったね、アリス。色んな味がわかって」
「……アリス、これクロレの味だと思ってた」
「ん?」
「あ、――私」
自分のことは私と言うのだとイシス母さんに教えられたけれど、ローグ兄さんといるとつい気が緩んで、昔のように「アリスはね」なんて言ってしまう。
「三回も洗えば食べられるだろうから……アリス、そのままのクロレも食べてみるかい?」
「えっ?」
見開いた目をローグ兄さんに向けて、洗ったばかりのクロレに向けて、聞き返す前にアリスの手は緑の塊に伸びていて、パクリと口に放り込んでいた。
「はっはっはっはっは」
ローグ兄さんがいつもより長く笑っている。
「そんなにおいしくなくないよ」
もぐもぐと口を動かしながら、アリスは言った。ローグ兄さんがまた笑った。
実際、昔、地下に溢れた匂いから想像する味より、味付けしていないクロレはずっと美味しかった。まだ少し匂いが鼻につくけれど、また別の――多分緑臭いと形容するのがよいのだろう――匂いが、口の中を清々しく爽やかにする。
笑顔を向けるアリスを、ローグ兄さんはいつものようにいつまでも優しく見守っていた。
次話を11時予約で投稿予定。
「いろんな味がわかって」・・・の台詞は、父さん達がアリスほどの味覚を持ってないことを暗に示しています。(イシス母さんはそれなりに味がわかりますが)
・・・まぁ、ここまで読めば、何となく彼らの正体にも勘付いていると思いますが・・・。