第9話
ルーカン第3艦隊は、ドライブフィールドによる短距離ワープに入り込む直前にパラミデス艦隊と交戦することになる。圧倒的数の敵艦隊に挟撃され、ルーカン艦隊は壊滅の道を転げ落ち始めた。
一方ボールス艦隊は、ラモラックの艦隊に攻撃される。ラモラック艦隊が保有する宇宙空母の秘密が、今明かされようとしていた。
ミカエル・リーガン中将は、半ば祈るような思いで、味方艦隊のドライブフィールドのリチャージを待っている。すでに彼は、この恒星系内部での戦闘に関して、戦闘継続を行わないことを決めていた。
理由はいくつか存在しているが、特にパラミデス艦隊が、こちらの想定をはるかに超える戦力を投入してきたことが問題になっていた。パラミデス艦隊の兵数は、艦艇数1200隻。これはこちらが投入しているルーカン艦隊の倍に及ぶ数となる。いくら何でも、この数に対して正面から戦いを挑むという事は不可能であった。
艦隊の士気はまだ高いが、その士気の高さに任せて倍の数の敵部隊と交戦するわけにはいかなかった。同数であるならばまだ勝機を見出すことができるかもしれないのだが、倍の敵艦隊を、しかも連動して動く艦隊に対して、こちらはあまりにも不利と言わざるを得ない。
本国には、こちらが撤退を決めたことをすでに伝えてある。政治家たちはまだ敵とろくに戦ってもいないのに撤退とはどういう事だ? と詰問してきたのだが、それに対してリーガン中将はパラミデス艦隊の数が多く、対処できないこと。万一パラミデス艦隊に勝利できたとしても、今度は無傷のボールス艦隊と交戦しなければならないことなどを理由として列挙して見せた。
「戦えというのならば戦いましょう。しかし、その結果部隊が全滅し、あなた方の支持率が大きく低下することになるでしょうな」
政治家に対する脅し文句としてはこれ以上の物はないだろう。彼らが威張ることができるのも、選挙で勝利しているからに他ならないが、その効力は期限が限定されているのだ。政治家にとって、選挙の話を持ち出されてしまう事は不愉快極まる事であろうが、リーガンにとってはこの程度のことならば言わせてもらいたいものだと思っている
兵士の損耗と言うのは、勝利してこそ初めて意味がある。敗北してしまえば、兵士の損耗はそのまま出兵計画をまとめ上げた政治家たちの批判に向けられることになるのだ。その批判は容易に耐えられるものではなく、しかも政治家たちのその政治生命さえも一瞬で奪い取る場合も多い。
ルーカンの政治家たちは、勝利によって自分たちが次回の選挙でも勝利できるという確信と逆の状況に追い込まれてしまう物であることを、今更のように理解させられた。もはや自分達が今後も政治家であることを願うのならば、艦隊を撤退させるという決断を下すしかなかったのだ。
また、彼は短距離ワープを行う過程で、ルーカンとボールスの中間地点に第2艦隊を迎えにさし向けてほしい旨を伝えた。これは敵がもし追撃してくるようであれば、それに対応するために必要な戦力だ。もしパラミデス艦隊がこちらを完全に覆滅しようとしたとしても、第2艦隊と合流できる位置まで撤退することができればパラミデス側も無茶はしないだろう。
「閣下、ドライブフィールドはあと3時間で稼働可能になります」
「どうやら、間に合いそうだな」
リーガン中将は安堵の声を漏らした。偵察艦からの報告では、半径50光秒以内に適性反応はなく、此方の位置をボールスに補足されたという事もないとのことだ。あとはドライブフィールドを展開して素早く逃げ出すだけだ。
彼の安堵は部下たちにも伝わったのか、旗艦である重巡洋艦オデッセイⅤのオペレーターたちは、もう戦闘が発生せず、生きて帰れると確信しながら、同僚たちと他愛のない会話をしている。レーダー関係の確認を行うオペレーターが、交替前の最後の確認のためにレーダー画面を確認する。すると、通常の状態では検知されない、謎の反応を確認した。
彼はまだ若かった。その反応が、自分たちにとって災厄そのものであることを知らなかったのである。ともかく自分の上官に報告しようと席を立ちあがった次の瞬間、重巡洋艦オデッセイⅤ全体が異様に揺れた。
もしこれが惑星の大地を踏みしめての物であれば、地震の可能性を疑ったであろう。だが、地震が発生するはずもない環境であった。となれば、それ以外の要因で重巡洋艦が揺れたという事になる。だが重巡洋艦を激しく揺らすほどに強力な振動を宇宙空間で発生させるのはあまりにも困難なことだ。
最初、リーガン中将は大規模な恒星風でも発生して、それに巻き込まれてしまったのかと思ったがそれはありえないことだった。ボールスの中心から、あまりにも艦隊は離れすぎている。太陽から500光秒以内ならばあり得ない話ではないが、3000光秒も離れている状態では恒星風は届かないはずだ。ではどういう事か、リーガン中将はそれを理解すると、すぐに全ての艦艇に命令を下した。
「敵艦隊が来るぞ! 総員、配置につけ!」
「提督?」
「これはドライブフィールドによる短距離ワープ到着地点に発生する時空震動だ! 敵が艦隊付近にワープしてくるぞ!」
それは全くの予想もしていないことだった。そもそも、ドライブフィールドを用いた短距離ワープで、他の艦隊の至近距離に出現するという事は本来禁忌とされていることだった。下手をすれば、到着地点に要る艦隊だけではなく、短距離ワープした艦隊が、到着時の制動行動ができなくなってしまうからだ。もし制動に失敗してしまったら、その艦はドライブフィールドがないまま光速よりも速い速度で動くことになり、一瞬で分解してしまう事になる。
だが、敵艦隊はルーカン艦隊の前方10光秒の位置に出現する。制動ができるかできなくなってしまうかの瀬戸際ともいえる間合いであろう。
「敵艦隊出現! 国籍はパラミデスです!」
「もう1個艦隊がどこかにいるはずだ。探し出せるか!?」
「レーダーおよび偵察艦からの報告では確認できません!」
パラミデス艦隊が、1個艦隊だけでのこのこと出現するはずがない。どこかにもう1個艦隊ひそんでいて、それが攻撃を加えてくるはずだ。まさかそのもう1つの艦隊も、ドライブフィールドによる短距離ワープによって襲い掛かってくるつもりであろうか?
それを考えている時間的余裕はない。すでに前方のパラミデス艦隊は、此方に対して砲撃準備を開始している。此方もすぐに反撃しなければならない。しかもこの間合いでは、両軍ともに防御力よりも攻撃力の方が高い状態であるために、最初の一撃を加えた方が有利になる。
最初に砲撃を加えることに成功したのは、以外にもルーカン第3艦隊であった。パラミデス艦隊は砲撃を加える前に艦列を整えなければならなかったのだが、その間列を整える時間分、第3艦隊に攻撃の時間を許してしまったのだ。いくら何でもドライブフィールドから脱出したばかりでは艦列を維持することはできない。
「まさか、この件は敵にとってもアクシデントか?」
敵艦隊の動きが乱れに乱れている。もし敵艦隊が、この位置に此方がいることを知っていれば、相応の態勢を整えて攻撃してくるはずなのだが、それがまるでなかった。敵側の様子では、こちらの艦隊がこの位置に、このタイミングに存在していることは驚愕すべき事実だったのかもしれない。
事実パラミデス艦隊は驚き、その混乱からすぐに立ち直ることができなかった。こんなところにルーカン艦隊がいるとは思っていなかったし、そもそっもルーカン艦隊が恒星系内部に入り込んでいることさえも知らなかったのだ。
先日にはモルドレッドの艦隊を壊滅に追い込んだパラミデス艦隊が、今度は一方的に砲弾を浴びせられる番だった。別に攻撃力でも防御力でもルーカン艦隊がパラミデス艦隊に勝っているわけでなく、単なる混乱状態から立ち直れないだけである。それだけであまりにも一方的な暴力をふるう事に成功しているのだ。艦列を整えて戦う事の重要性を示したという点では、これほど教科書に記すべき例はないであろう。
「敵も別働艦隊が到着する前にこの艦隊を叩き潰す。弾薬を惜しむな!」
せめてドライブフィールドのチャージが終わるまでの間、この敵艦隊と交戦を続ければよいと考えているのだが、その間に敵艦隊ももう一方が襲い掛かってくるのは自明だった。いくら偶発的な戦闘とはいえ、味方を見捨ててしまうようなことをパラミデス艦隊は行わないだろう。そして、その通りとなった。
オペレーターは、半ば壊乱状態の敵艦隊の情報を読み取り報告を続けていたのだが、突然背後に大規模な艦隊がドライブフィールドから抜け出たことを報告してきたのである。後方に出現した艦隊は、やはりパラミデス艦隊だった。
「敵艦隊はわが方の6次方向に出現。現在こちらに向けて回頭中!」
「提督。わが艦隊の戦力では、2正面作戦を行うことはできません」
「ならば、正面の敵艦隊を強引に突破するしかあるまいな」
リーガン中将は、後方の敵艦隊を無視することを決めた。2正面作戦を実施するだけの戦力もなく、またこの場にとどまり続けて戦う事さえも困難だ。であれば、正面の敵艦隊を突破して、そのままドライブフィールドに突入するしかない。非常に危険な行為で、しかもこの突入を実行に移せば半数の艦艇が失われてしまう事になるだろう。だが、それでも挟撃されて殲滅されてしまうよりも、多くの人員を生存させることができるはずだった。
「重巡航艦を後方に回せ。旗艦もだ」
「提督?」
「幸い、本艦はまだ無傷だ。最後まで残り後方の敵を食い止めよう」
貧乏くじをひかせてすまんな、とリーガン中将は言った。彼は旗艦を艦隊の盾として運用しようとしたのである。それに対し、部下たちはそれに従った。
「どうぞ、提督の思うがままに」
参謀長は苦笑したように言った。中将の性格を彼らは正確に理解していたし、何よりも無傷の重巡航艦を最後衛に配置して、後方の敵艦隊からの攻撃に備えさせるのは合理的であった。
「最前衛を駆逐艦と軽巡航艦の編成で突撃させよ。一気に敵艦隊を叩き潰す」
敵艦隊に巨大な穴をうがつために、駆逐艦と軽巡航艦で編成される、機動性の高い編成の戦隊が一斉に敵艦隊向けて突進する。敵も当然のように迎撃してくるが、それに対する反撃は苛烈そのものだった。レールガンの砲弾が、敵艦の装甲を破壊し、そしてレールガンを撃った軽巡航艦は対応してくる敵艦に対して体当たりを仕掛ける。それはもはや戦闘と言うよりは乱闘と言うべきものだった。ルーカン艦隊は生き残るために必死で、敵艦隊に風穴を開けようとしたのである。
だが、前衛が突撃を慣行している間に、なんと後衛の重巡航艦艇が先に敵に集中砲火を浴び、一挙に壊滅へと秒読み状態となった。後方に出現した敵艦隊の砲撃が、リーガンの想像を絶するほどに強力だったのである。
「敵艦の火力が高すぎる! どうなっている!?」
「敵駆逐艦の砲撃が強力です! まるでモルドレッドの艦隊みたいだ!」
だが、そこにいるのは当然モルドレッドの艦隊ではない。パラミデスの艦隊だ。そのパラミデス艦隊が、いったいどうやってそれほどの火力を蓄えているのか調べなければならない。
その理由は意外と簡単な回答であった。パラミデス艦隊は、駆逐艦の主砲塔を、たった1門の戦艦サイズのビーム砲を搭載していたのである。
その砲撃は、駆逐艦クラスならば一撃で蒸発させてしまうほどの威力を誇る。重巡航艦であったとしても、その砲撃を何発も耐えることができるものではない。のちに、このタイプの駆逐艦を砲艦と呼ぶようになるのだが、この艦に対して、第3艦隊は対応することができなかった。火力も高いうえに、射程が長いために攻撃できないのだ。狙って沈めてしまうことは困難を極めてしまう。
「提督。すでに重巡航艦の4割が撃沈されております。このままでは……」
「どうやら敵戦力の見積もりが甘かったようだな」
やむを得ない。重巡航艦をこのまま踏み止まらせても無意味であることをリーガン中将は悟らざるを得なかった。全ての艦艇に前進を命じ、前方の敵艦隊を突破する。その命令を下した直後、旗艦オデッセイⅤが被弾する。
被弾箇所は後部主砲塔であった。だがその砲弾は、そのまま艦内をミキサーにかけるように破砕し、そしてCICに重篤な損傷を与えたのである。リーガン中将はCICで発生した爆発によって吹き飛ばされる。計器類に叩きつけられた老体の身体は、無残にも破壊された。
「提督! リーガン中将!」
負傷を免れた参謀の1人が、提督の身体を抱き上げる。リーガンは肝臓破裂させており、出血性ショックの状態となっていた。
「クレイグ准将。他のものはどうなった?」
「……残念ながら、全員死亡です」
「私の命令は有効か?」
「各艦には既に了解のシグナルを受けています」
「そうか……ならば、私の出番は終わりだな」
命令が伝達されていればそれであとはなんとでもなる。強引に突破し、艦隊がそのままルーカンの方角へと撤退してくれれば、あとは第2艦隊が彼らを拾ってくれるだろう。敵も追撃を仕掛けてくる余裕は無い筈だった。
リーガン中将が息を引き取ったのはそれから間もなくである。艦隊司令部唯一の生き残りであるクレイグ准将は脱出艇に乗り込み味方の軽巡航艦に拾われ、何とか戦場から脱出することに成功する。だが第3艦隊はこの戦闘で、493隻の艦艇を失い、人員の9割を損耗した。
ルーカン第3艦隊は、事実上消滅したのであった。
ルーカン第2艦隊は、壊滅に追い込まれた第3艦隊の収容自体には成功した。
第3艦隊はクレイグ准将の統率によって解体は免れ、残存艦艇32隻は奇跡的にも秩序を保ち続けていたのである。負傷を免れたがゆえに、将兵たちにとって司令部唯一の生き残りが頼りだったのだ。そしてこの生き残りの将官は、絶望した兵士たちを励まし、彼らの静観を約束し続け、報われた。
ドピニエ中将は、僚友であるリーガン中将の戦死報告を受けたとき、驚きよりもやはりと言う思いを持ちながらもその死を悼んだ。だが彼はその死に対して口に出すことはなく、それよりも別の問題を口に出した。
「これでわが軍は2個艦隊しか残らない状況になったか。少なくとも遠征はできなくなったな」
それが良いことか悪いことかと言われると、何とも言えないと言わざるを得ないのが彼の立場であっただろう。数十万人の将兵を戦死させて、それによって今後は外征はせずに国力と軍事力の回復を待たなければならないという結論は、確かにこれからのことを考えれば最良の選択ではあるだろうが、では現状ではどうなのかと言われると必ずしも最良とは言えない。
それ以前に、第3艦隊を無駄に消耗させてしまった責任はだれが取るべきだろうか? そのことの方が大きな問題になってくるだろう。政治家連中は、自分たちの自己満足のために数十万人を犠牲にしてしまっても心は痛まないだろうが、責任の回避のために躍起にはなるはずだ。
「中将。各艦の負傷兵を収容が完了次第、直ちに帰還しますがよろしいでしょうか?」
「無論だ。我々は戦うためにここに来たのではないからな」
今更前線に赴いたところで意味はないし、そもそも第2艦隊がボールスとの中間宙域までやってきたのは第3艦隊と合流するためだ。その第3艦隊が、まさか全体の95%を失ってしまう状態とは、流石に予想もしていなかったが。
だが、何もボールスを攻撃しているパラミデス艦隊と、第3艦隊と交戦後、現在その姿を現さないラモラック艦隊の動向については神経をとがらせている。この2つの恒星系のうち、ラモラックに関しては宇宙空母が存在していたというかなり大きな違和感を覚えてしまう報告も届けられている。これらの情報を精査して、状況を把握することも、第2艦隊にとっては重要な任務であった。
少なくともボールスを一部勢力に奪われたままにすることはできない。最終的にはルーカンがボールスを掌握する形でなければ意味がない。しかし、特にパラミデス艦隊が本格的な侵略艦隊を投入し、しかも現状で2個艦隊も撃滅してしまっている状況を考えると、もしかしたらボールスは陥落することになってしまうのではないかと思えてしまって仕方がなかった。
「ボールスの艦隊に期待するしかないが、はたしてこちらの期待通りに事が運ぶのかどうか……」
恒星系内部の叛乱に関してはほぼ鎮圧が完了したという報告は得ている。という事は、ボールスの宇宙艦隊もある程度の迎撃戦闘力を有しているという事なのだろう。だが、その戦闘力がそのまま、純粋な戦力に直結するとはドピニエ中将は思っていない。現状では、7割程度の力を発揮できれば充分と言うところであった。
「やはり、作戦参謀の意見を聞くべきだな」
どうもこの案件に関しては袋小路に入り込んでしまっているので、この状況を打破できる人材に聞くのが一番良いだろう。そう考えたドピニエ中将は、アンドレイ・マキス大佐を呼び出した。
マキス大佐は、艦隊司令官が悩んでいる内容に関して把握はしているが、その打開策を問われたときには、流石に返答に窮した。彼の方でも、まさかパラミデスが2個艦隊も投入して行動しているとは思っていなかったのである。人間は全知全能ではない。いくらマキスが有能だとしても、全く情報がない中では対応できるはずもないのだ。
「現状ではどうしようもないですな。仮にパラミデス艦隊と戦うという事になりますと、第3艦隊の二の舞でしょう」
「ふむ……」
「それに、今頃はボールス艦隊と交戦を開始している頃でしょう。我々が出向いたところですでに先頭が終わっており、勝利した敵艦隊と交戦することになり、しかも……」
この状況でなお、不確定要素としてラモラックの艦隊が存在している。この艦隊をどうにかしない限りは、戦場に乗り込んだところで後背を襲われて叩きのめされる危険性もある。ラモラック艦隊の所在が分かれば、ギャンブルを仕掛けることもできなくはないが、負傷兵を抱え、また本国防衛のことを思えば、冒険に出るわけにはいかなかった。何より第3艦隊の生存者を、早く帰還させてやりたい。
「やはりここはこのまま帰還して、状況の推移を見守るのが得策か」
「そうなりますな。個人的にはどこかの恒星系の艦隊が、2個艦隊も派遣されて防備が薄くなっているパラミデス本星を攻撃してくれることを願っていますが、そんなうまく事が運ぶとも思えませんので」
そんな小説や映画の世界のような展開を期待して戦略を練るなど愚かしいにもほどがある。
ところが、パラミデス艦隊の動向を探っていた偵察艦からの報告で、パラミデス艦隊が突然ホールゾーンから艦隊を撤退させようとしていることが確認されたというのである。マキスは流石に、最初その報告が誤報ではないかと思っていた。
「そんなうまい話があるものか。何かの間違いじゃないのか?」
「いえ。それがパラミデス艦隊は突然艦隊をホールゾーンに向かわせたようです」
「……パラミデス本国で何かが起こったかな?」
「だとしても、艦隊を全て引き返すというのは尋常ではありません」
本国が陥落寸前という事であればわかるが、流石に1個艦隊は残しているだろう。また、パラミデス艦隊も、自軍兵力の過半をボールスに投入していることのリスクは承知しているのだから、逆侵攻された場合の防衛措置も充分整えている筈だ。
だが次第に情報が明らかになっていく。それは、トリスタンの艦隊がパラミデス本国に駐留していた艦隊を撃滅し、そして丸裸になっている本星に迫ろうとしているという事実であった。
パラミデス艦隊が一斉にボールス星系内から離脱を開始したことで、本来であればボールス艦隊はこれを追撃するべきであった。だが、カタヤイネン大将は、撤退を開始したパラミデス艦隊を追撃する前に、すでに交戦を開始していたのである。
正確には、強引に戦闘に引きずり込まれたと言ってもよかったかもしれない。ラモラックの艦隊がまだ残っていて、その艦隊がボールス艦隊に襲い掛かったのだ。
この時のラモラック艦隊の艦艇数は480隻。一方ボールス艦隊は1000隻を超える大軍であった。数の上ではどう見ても敗北する要素はないが、完全に先手を打たれた上に、ボールス艦隊は全く想定していなかった兵器による攻撃を受けたのだ。
突然1隻の敵艦が、ボールス艦隊のど真ん中に出現する。ドライブフィールドによるワープであろうが、その艦艇は、ラモラック艦隊にのみ存在の確認されている宇宙空母であった。
その宇宙空母は、艦全体に設けられたハッチを開いた。次の瞬間、そこから全長3メートルほどの機動歩兵が出現したのだ。
機動歩兵は、主に宇宙空間で、とくに大気の存在しない場所での作戦行動を行うために開発されたパワードスーツの一種であった。その戦闘力は、宇宙空間に歩兵を投入するのと同様であるから、基本的なところは歩兵のそれと変わらない。だが、この歩兵たちが一斉に、そして集団で艦艇に張り付いて攻撃を加えてきたとき、その破壊力はボールス艦隊の将兵たちの想像を絶したのだ。
その戦い方はまさにトリスタン軍の戦術をオマージュしたものであった。機動歩兵にスラスターユニットを装着させ、それを噴射させることで敵艦に接近し、艦の外壁を破壊して乗り込んでいくのだ。戦闘用艦艇の乗組員は、艦内での戦闘発生を想定した訓練などは受けておらず、せいぜいハンドガン程度の装備しかなかったのだ。その程度の装備で、重装備である機動歩兵に対応できるはずもない。
カタヤイネンにとっては、まさか宇宙空母が機動歩兵を搭載した軌道強襲艦であるとは想像もしていなかった。トリスタン軍との交戦経験がないために、敵の戦術を完全に理解するまでに時間がかかってしまったことも不運であっただろう。
「敵の機動歩兵が艦隊の方角から接近してくれれば楽に片づけられたのだがな」
カタヤイネン大将は臍を噛んだ。このような戦術が成立すること自体あり得ないことだと彼は思っていたのだ。だが、実際には機動歩兵の無謀なまでの突撃戦闘によって艦隊に被害を出している。特に重巡航艦が狙われて、艦が内部から破壊されていくのだ。
宇宙空母が、もし艦隊の懐に入り込まずに陸戦部隊を展開してきたのならば、いくらでも叩き潰してやることができる。だがひとたび内側に入り込まれてしまうと艦隊はあまりにも脆かった。その光景は、巨大な象を飲み込む蟻の姿にも似ている物だったかもしれない。
カタヤイネン提督は、機動歩兵を撃破するためには、まず機動歩兵を艦隊から引っぺがす必要があると考えた。それは紛れもない事実であっただろうが、それをラモラックの艦隊が許さない。彼らは後退する艦隊を巧みに牽制射撃で動かさないように抑え込み、そして機動歩兵が突入しやすい環境を整えている。ここまで徹底した戦術を駆使されてしまうと、流石に対応の仕様がなかった。どうすれば機動歩兵を黙らせることができるのか。それを考えていくと、カタヤイネン大将は1つの答えを導き出さざるを得なくなる。
「敵に乗り込まれた艦を吹き飛ばせ!」
その命令は狂気の沙汰であるように多くの兵士には思われた。まだ多数の味方兵士が乗り込んでいる艦を、カタヤイネンは砲撃を加えて撃破しろと言ったのである。流石にそれには多くの将兵がためらった。
「敵に乗り込まれれば確実に制圧されるだけだ。敵に乗り込まれた艦は味方艦と思うな」
カタヤイネン大将の命令は非情であるが、理にはかなっている。脱出のための時間を与えてやることも考えたが、脱出ポッドに敵の兵士が乗り込んでしまう可能性を考えると破棄せざるを得ない。
同僚を殺してでも敵の攻撃を阻止しろとの命令は、ためらわれながらも、だが実行に移された。敵に乗り込まれて制圧された艦が、最終的に全て自爆させられているのを見て、乗り込まれれば絶対に助からないことを彼らは知ったのだ。トリスタン軍のように、乗り込んで制圧した後には乗組員は脱出させてくれるという事はしない。ボールスと言う自国以外の恒星系で、捕虜に対して情けをかけられる余裕がないのかもしれない。
であれば、ボールス艦隊は戦いに勝つためと言うよりは、自分たちが生き残るために、味方艦艇を破壊しなければならなかった。突然味方艦から砲撃を受けた軽巡航艦は驚き、何が起こったのかを司令部に問い合わせようとする。
「此方軽巡航艦ビリヤード331。此方は味方だ、砲撃を中止せよ!」
司令部からの返答はない。その代りに砲弾が飛んできた。旗艦である戦艦クローダスから、レールガンによる砲撃を受けてしまったのだ。敵に乗り込まれた艦艇に対して通信関係の機能をシャットダウンしているため、彼らはどうして自分たちが砲撃を加えられてしまったのか全く知らない。知らないままに、軽巡航艦ビリヤード331は被弾し、爆発した。乗組員と、多数の機動歩兵を巻き込んで。
これには、機動歩兵を駆使しているラモラック軍も驚いた。機動歩兵が突入した艦に対して攻撃が行われているので、それらを撃破するための処置であろうという判断はできるのだが、まさか味方艦艇に連絡も入れず、また脱出もさせずに攻撃を加えていくなど想像を絶する非情さだ。そこまでしなければ自分たちは生き残れないと考えているのだろうが、眼前で展開される光景は、流石にラモラック艦隊の将兵たちを驚かせる。
ラモラック艦隊を率いる人物は、ゼップ・グラベル少将という29歳の新進気鋭の提督である。22歳で少尉に任官され、わずか7年で将官に上り詰めたこの男は、機動歩兵を用いたこの戦術の考案者でもある。だが、実際に機動歩兵を投入した作戦を実施して、自分の詰めの甘さを実感した。敵は味方艦に攻撃をためらうか、もしくは脱出して艦を沈めるかのどちらかを選択するものであると考えていたのだが、まさか味方が乗り込んだままの状態で砲撃を加えて沈めてくるとは思っていなかったのである。
「ボールスでは、兵士の命は非常に安価で取引されているようだな。そういった傾向はアレスタント軍だけかと思っていたが」
あるいはここで敗北すれば、ボールスに未来がないことを知っているからか。どちらにせよ尋常ではない戦い方であろう。
このような狂乱兵じみた戦い方に付き合ってしまうと、こちらの兵の損耗も馬鹿にはできない。それに、機動歩兵が全滅したら、恐らく敵は体勢を立て直してくるだろう。元々、機動歩兵の運用データや、各国軍が消耗した段階でのボールス攻略と言う前提で作戦を立案をしていたラモラック艦隊が、これ以上不必要な戦闘を継続する理由はなかった。退くべきタイミングを見定めて、素早く撤退して見せることは、有能な指揮官に必要なスキルだった。
「機動歩兵隊に、敵艦隊旗艦クローダスを攻撃するように指示を出せ」
「グラベル司令? どうされるおつもりですか?」
「この状況では、他の艦に乗り込んだところで被害が増えるだけだ。それよりは機動歩兵を敵の旗艦に送り込んで指揮系統を叩き潰す」
その言葉の裏には、機動歩兵自体は単なる使い捨てでしかないという考えがある。そもそも機動歩兵を用いた戦術には大きな欠陥があるのだ。それは、戦闘で勝利しない限りは機動歩兵を回収する手段がないという事である。この欠点に対して、機動歩兵たちにはトリスタン軍と同様に敵艦を奪って此方の方に戻るように命じてあるが、そのような命令で彼らが生還できるはずもなかった。敵に奪われていることを知れば、敵は容赦なく砲撃を加えて撃沈する。トリスタン軍のように、突入した感がシールドを展開して自軍勢力の中に艦艇を避難させていくような芸当はできないのだ。
したがって、機動歩兵を敵艦隊の旗艦に対して差し向けるのは、戦闘が終わりつつあることを意味している。機動歩兵隊には自分たちが消耗品ではなく、戦闘の最終局面において、旗艦を攻撃して指揮系統をつぶすことは勝利するために絶対に必要な事なのだと伝えた。
「あとは彼らが敵の戦艦を仕留めてくれれば完璧だな」
グラベル少将は、それが偽りであり、本音は機動歩兵が敵旗艦との交戦で殲滅されることを願っている。最初から機動歩兵は使い捨ての消耗品としてみなしている以上は、それが最後まで消耗品であることが望ましい。敵戦艦内部に入り込んで、旗艦を掌握してくれれば確かに理想的な勝利を得られるが、戦艦ともなれば1000名からの人員が乗り込んでいる。それをたかが100人程度しか生き残っていない機動歩兵で制圧するのは不可能であるし、そもそも接近さえも許してくれないだろう。
グラベル少将の考えは的中していた。戦艦クローダスは、接近してくる機動歩兵の姿を確認すると、クローダスは出力を抑え込んだビーム砲を、機動歩兵に向けてはなったのだ。
出力を抑え込んでいると言っても、機動歩兵に致命傷を与えるには充分すぎる火力だ。直撃すれば確実に蒸発してしまうが、部分的に命中したとしても、人間は真空へと突然変わる環境に耐えられずに死んでしまう。しかも機動歩兵たちは、クローダスからだけでなく、あらゆる方角からビームを撃たれてしまうのだ。
数分もしないで、機動歩兵たちは無残な屍を宇宙空間にさらすことになる。機動歩兵部隊の識別信号を確認できなくなったことを確認すると、グラベル少将は艦隊を撤退させることを部下たちに命じた。
「機動歩兵隊は勇敢に戦ってくれたが、彼らが全滅してしまった今我らに勝機はない。遺憾ながら撤退する」
その言葉がいかに、機動歩兵を完全な消耗品としてみなして運用していたかを物語る。だがそれに気が付いたものはこの時点では皆無であった。何よりも、敵艦を200隻は撃沈して見せたが、ラモラックも50隻以上の損害を被っており、このまま戦い続ければ、数の論理で敵に押し切られてしまう事になる。彼が撤退を判断したのは、勝利することができないであろうという合理的判断だったのだ。
ラモラック艦隊は速やかに撤退を開始する。それを追撃する余力は、今のボールス艦隊には存在しなかった。まずは撃破されてしまった友軍艦艇から生存者を救出することが最優先であり、逃げる敵艦艇を追いかける余裕など全くなかったのだ。
しかしこの判断が、カタヤイネン大将に大きな影を落とすことになると、だれも予想できなかった……。