第3話
ボールスに戻ってきた艦隊を出迎えたラインバックはその日の夜、夫から恐ろしい話を聞かされる。それは軍の一部が突然、民間人を徴兵したという話だった。当初は後ろ暗い噂の多い国防委員長が何かしでかしてしまったのではないかと彼女は疑う。だが、この問題は、政治家たちとは無関係に、そして恐ろしい事態さえも引き起こしていった……。
ボールス軍の宇宙艦隊が、首都星ゲイネスに帰還した時、ゲイネスに住む30億人の人々は、30億の表情で、帰還した艦隊を歓迎した。
少なくとも、彼らを罵倒した者たちはいなかったのは確かである。一方で、少数ながらも悲しみの声が聞かれたのは事実であった。119隻の戦闘用艦艇を撃沈され、約3万9000名もの戦死者が出てしまったからである。遺族たちの悲しみの声と言う物は、いつの時代も絶えることはないのだ。
カタヤイネン大将は、敵艦隊を撃退することに成功したと喧伝されるが、本人は撃退に成功したのではなく敵が自発的に撤退したのだという事を自分の中で言い聞かせている。ただそれを大きな声で主張するようなまねは彼はしなかった。ただ簡潔に、自軍が勝利した事実だけを国民には語るのである。
「わが軍が受けた損害は決して少なくはない。すぐにでも、戦力の立て直しが不可欠だ」
カタヤイネン大将は、インタビューに対してそのように答えた。別に嘘は言っていない。単に、自軍が劣勢であったことを言わなかっただけだ。だがこれだけの内容でも、実は戦闘自体は決して優勢でなく劣勢で、やや追いつめられていたかもしれないと思うであろう。
ニーナ・ラインバック国防委員は、艦隊の帰還を聞いて駆け付けていた。味方艦隊の損害に関してもすでに聞いているが、当初産出されていたものよりは少ないというべきで、しかも撃破された艦艇からも生存者を救出することができた。従来の艦隊戦では、撃破された生存者の救出は戦闘中に行うことができずに困難で、戦闘終了後に救出活動を行おうにも、その時にはすでに死亡している場合が多い。戦闘時に身に着ける宇宙服では、真空状態での活動は4時間が限界なのだ。だが艦隊戦はほとんどの場合半日を超える。今回の先頭時間は非常に短かったために、それだけの生存者を救出できたと言える。
「今回の戦闘での勝利、おめでとうございます、提督」
「あれは勝ったとはいえませんな」
ラインバックと2人で話す時間があり、そこでカタヤイネンは真実を話した。報道と言う物は常に屈折された情報を垂れ流す。正しい情報を知ることは、よほど深く精査しない限りはできないことだ。勿論、ラインバックは正しい方の情報をすでに入手しているが、少なくとも敵艦隊が先に撤退したのは事実であった。
「敵艦隊は最初から、隕石群での一撃を加え、そのうえで旗艦目掛けて集中砲火を浴びせてきました。恐らくそれによって、此方の指揮系統を崩壊させようとしたのだろう。失敗したと判断するとすぐに撤退した」
「敵の指揮官は優秀だった、という事ですか?」
「ええ。忌々しいまでに」
ただ、あの一撃が失敗しただけですぐに撤退を選んだというのは、あまりにも解せないと提督は思っている。わざわざ1ヶ月弱もかけてこのボールス系の外延部にまで到達していたというのに、此方に加えた攻撃が、近くにあった小惑星群から隕石を引っ張ってきてそれを叩きつけることであったというのは、何とも理解に苦しむ。
「私の予想では、現場の指揮官はあまり好戦的ではなかったのではありませんか?」
「と言いますと」
「この時期、確かルーカンでは選挙があります」
「ああ……なるほど……」
選挙で票を得るために、戦闘に勝利したという対外的な宣伝がほしかった政府と、むやみやたらに出兵して兵を消耗することを嫌った軍部との対立と言う構図が、カタヤイネン大将には容易に想像できた。このボールスでさえもそういったことは起こる。そして現場は常に、そういった我儘に翻弄されるのだ。
そう考えれば、勝ち目が薄いと判断してすぐに撤退したのも納得できる。わざわざ政治家たちの票集めのために死ににいこうなどと考えたくもないものだ。かといって、軍人は政府に隷属される存在である以上は命令に従わなければならない。そういった中で、あのような折衷案を思いついたのだろう。となると、何とも敵側の指揮官に同情したくなってしまう。
「政治に翻弄されるのは戦争の常ですが、選挙のための道具としての戦争は御免蒙りたいものですな」
「その点は、私たち政治家のモラルの問題ですわ」
無論、ラインバックは自分が選挙のために出兵計画を練るなどと言ったことはしないと明言できるが、必ずしもそう言い切れる議員ばかりではないこともまた事実だ。ただ、彼女は自分が国防委員として、選挙目的の出兵計画がもしあった時には絶対に阻止して見せるという。それに、彼女の基本的な戦略概念は、そもそも出兵計画そのものを否定するものであった。
この戦争ではごく一部の例を除き、常に侵攻側が敗北している。長大な距離を遠征し、常に万全の状態で待ち構えている防衛側との戦闘を余儀なくされる。あまりにも不利な戦闘ばかり強いられてしまうのだ。はたしてこのままでよいのかと言われれば否である。どうにか自国の損耗を減らす手段を講じる必要があるが、それは非常に簡単なことだった。出兵するからこそ損害が大きくなるのだから、出兵せずに自分たちの恒星系の中で独自の経済活動を行える状態を構築すればよいのだ。何も自分から損害を被りに、わざわざ遠征する理由はない。
まずは自分たちの守りを固めて、周囲の国々の消耗を待つ。自国の軍事力と経済力を温存し、そして一気に解き放つのだ。むやみやたらに遠征と言う冒険をしても返り討ちに遭うのは目に見えている。
だが、彼女の主張はどこの恒星系でも行われるもので、そしてほとんど無視されるものである。理由は敵の攻撃を受けてばかりでは、いつまでも自分たちの恒星系が敵の攻撃にさらされるのを耐え続けなければならない。そのストレスは尋常なものではなく、また国民に与える精神的負担も大きいというのだ。
この言い分は一面を見れば確かに正しいのだが、そこに本音は存在していない。敵側に侵攻する最大の理由は、軍需業者のもうけのためだ。戦争中は何よりも軍需業者が一番設ける。そしてそれらの企業を背後に持つことができれば、その政治家は強大な資金を持つことができるようになるのだ。
更に、戦争に勝利するというというのは、同時に自分たちが支配する領域が広がるという事を意味する。それは自分たちが支配する世界が広がることを意味しているのだ。だが、それに何の価値があるのかと誰もが思うところだろう。第一、これだけの損害を受けた結果で領土を2倍に広げたところで、経済的には赤字になる。領土を2倍に広げたければ、まずはもともとの経済をしっかりと整えなければならないのだ。
「そのあたりは政治家に期待するとして、我々は前線に力を入れさせてもらうとしましょう」
さしあたり、損害を受けてしまった艦艇および兵の補充を行い、それらの練度を向上させなければならない。数は同じでも、兵の練度によって戦力は大きな差が出る物であればなおさらだ。今回はそれほど大きな損害を被ったわけではないが、アレスタント宇宙軍の攻撃を受けた際の損害も考えての軍編成を考えなければならなかった。
「思いのほかアレスタント軍との交戦では損害が大きく、現状では第3艦隊を解体し、第3艦隊の残余艦艇を第1、第2艦隊に振り分けるつもりです。数がそろえば、第3艦隊を再編してもよいのですが」
勿論、最終的には再編成する以上は、第3艦隊の司令部は名目上残さなければならない。なのでポスト調整などがまた面倒なことになるが、これは軍隊の常のようなものだ。
「そのあたりに関しては、軍の方にお任せします。私はこれから、国防予算に関する会議がありますので」
ラインバックはそういって、自分の職務に戻る。彼女の秘書官がカタヤイネン大将との話が終わったことを確認して、ラインバックに近づいてきた。
「議員。この後、アルトマン国防委員長との会食があります」
「……変ね。私の記憶では、この後は国防委員会に出席だったはずよ」
「国防委員会は急遽中止になりました。副委員長のマックバーン議員が、緊急入院されたためです」
「それはいつの話?」
「7分ほど前です」
それで、急遽国防委員長が、会食を申し出たというのは何とも奇妙なものだった。それに、彼女は一部の議員が表に出てこないところで会食するというのにあまり良い印象を持っていなかったし、何より密室政治と言うのは国民に忌避されるものであり、また政治の腐敗の始まりだと彼女は考えているのだ。彼女は少々ためらいながらも、国防委員長からの会食は断るよう、秘書に指示した。
「談合と受け取られかねない会食はお断りしますと言っておいて。それに、今日はこのまま帰って資料の整理をしたいから」
「承知しました」
国防委員長には失礼な気もするのだが、もともと、公私混同が多いとも言われている人物だけに、彼女が必要以上に警戒してしまうのも無理はないだろう。
「あ、それと、マックバーン副委員長の病状を確認しておいて。明日様子を見に行くわ」
副委員長が入院となったことは、いずれマスメディアなどにも取り上げられることになる。その時、漸く公式に国防委員長の方で何かしらの発表があるとは思うが、現時点では彼女はそれらに触れることはしなかった。
自宅に戻ったラインバックは、多くの議員のように議員宿舎に居を構えているというわけではない。ごく普通の4LDKマンションに、夫とともにごく普通に暮らしている。26歳の夫、クランツ・ラインバックは、どうやら会社の仕事がまだ終わっていないのか帰宅していなかった。
「最近、あの人も忙しいみたいね。珍しい……」
夫の会社は残業が多い会社、と言うわけではないし、夫自身も、総務に努めるからなのかは知らないが、あまり遅くはならない。まあ人事異動などがあって、別の部署になったりして忙しくなってしまうという事も充分にあり得る。結婚した際に、お互いに自分たちの会社のことに関してはなるべく触れないようにする、と決めていたので、彼女は夫の状況をよくわかっていなかったのだ。
残業が長くなるのかなと思っていると、その夫が帰ってくる。夫は少々疲れたような表情をしており、これは夕食よりも先にシャワーを浴びさせた方がいいかなと彼女は思った。
「お帰りなさい。先にシャワーを浴びた方がいいわよ」
「うん……それより、大変なことになってきたんだ」
「どうしたの? まさか会社をクビになったっていうんじゃないでしょうね?」
流石にそういったことになったら大変よと彼女は思うのだが、極端なことを言えば、彼女は夫が働かなくとも生活はできる程度の稼ぎを持っている。ただ、いずれる作ることになる子供の養育費などを用意することを考えた時には、できれば夫にはもう少し稼いでもらいたいものだった。
だが、夫であるクランツから、全く予想もしていなかった言葉が飛び出てきた。
「うちの会社から、軍に人員を出すように要求が来たみたいなんだ」
「……ちょっと。それってどういうこと?」
彼女は耳を疑った。軍がもし率先して、民間の会社から人員を徴用するようなことをした場合、それはあくまでも会社がと社員両方の同意がなければならない。もし無理矢理社員を徴用するという事になれば、それは軍が民間企業に対する脅迫行為を行ったとみなされることになるからだ。
だが、会社側が社員の意思など尊重せずに、勝手に社員を軍に引き渡す、と言う例も決してないとは言い切れない。実際、毎年のように何件かそういった事例が報告されているのだ。だが、今回聞いた限りでは、それらの内容がまだ可愛げがあるとさえ思えてくるものだ。と言うのも、人事側から突然通告された挙句に、そのまま軍に連れて行かれるといった事例が起こったらしい。夫はそれを今日だけでも数回目撃していた。
「流石にこれはないと思ったよ……」
「勿論あってはならないことよ。これは明日、国防委員会で議題にしないと」
強制連行に近い状態で連れて行かれてしまった人々を保護し、また会社に対しても監査を入れる。経営者に対しての刑事罰もあり得ると彼女は考えていくと、それは同時に夫の蜀がなくなってしまうことになると気が付いた。さすがにそこまでやると、その会社は社会的信用を失ってしまうことになる。だが、これを見逃すことは絶対にできないことだ。
「あなた、もしかしたら……」
「分かってる。それが君の仕事だからな」
夫は、妻の仕事と言う物がどういうものか理解しているし、それが最終的に社会のためになのだと分かっている。こういう人だからこそ、彼女は彼と結婚したのだから。
翌日、ニーナ・ラインバックは起床してからすぐに国防委員会の副委員長であるマックバーン議員が入院するボールス中央病院に足を運んでいた。
ボールス中央病院は、24時間体制を敷いている病院であり、この首都星ゲイネスにある病院の中では最大規模の病床数を誇る。ここではボールス系でも最先端の治療が受けられることでも知られており、マックバーン副委員長が入院したのもそういった経緯があったからであろう。
マックバーンが緊急入院した原因は、急性虫垂炎であった。当初、ラインバックは倒れたと聞いた時に、伝え伝えで聞いた話では心筋梗塞という非常事態であり、最悪の場合はそのまま墓場に直行するのではないかと危惧さえ抱いたほどだ。だが、どうやらそれは杞憂に終わることになるらしい。
「申し訳ない。まさか虫垂炎にかかるとは」
「大事な病気ではなく、良かったですわ」
「だが、流石にすぐに公務に復帰、と言うわけにはいかないようだ」
医者側は、せめて5日ほど入院してほしいと言っている。急性虫垂炎であって、その手術には成功したのだが、念のため精密検査も受けてもらいたいのだという。マックバーンはさっさと退院して公務に復帰したいというのだが、病院では医者の方が国会議員よりもはるかに権力が強い。
「養生してください。委員長が不透明な分、副委員長が頑張らなければならないのですから」
「アルトマン委員長も嫌われたものだな」
だが、アルトマン委員長には後ろめたい噂が付きまとっているのは多くの人間が知っている。そして委員長と副委員長が、その件について様々な闘争を行っていることもまた事実であった。マックバーンは、アルトマン委員長とは異なり、殆ど財界からの支援を得ていない人物だ。それだけに企業側から献金を受けていたりして、それが汚職につながると言った内容の不祥事を期待されるこてゃなかった。ある意味ではメディアにとって、一番誇りをたたきにくい人物なのかもしれない。
ラインバックとマックバーンは、基本的にそれほど仕事関係上では同意する点が少ない。ラインバックは艦隊の運用に関し、要塞を建築して対応することを主張するのに対し、マックバーンは艦隊戦力を増強すること念頭にしているからだ。だが、少なくともアルトマン委員長を信用していないという点では一致している。2人はその点だけで協力関係を築いていると言ってもよかった。
「それで、ラインバック議員。君がわざわざ見舞いに来たのは、ただ単に私のことが気がかり、と言うだけではないのだろう?」
「ええ。実は相談したい事が有りまして」
彼女は、夫の会社で行われた軍の行動と、その会社の異常な体質について話した。もちろんそれは尋常ではないほどに危険なもので、その話を聞いたマックバーンは最初自分の耳を疑ったほどである。しかしいくら彼女の話でも、自分の夫のことが絡んでいる以上は嘘など言わないだろう。
「勿論それは、軍の暴走だ。すぐにでもやめさせなければならん。そもそも、銃後を無視した国家が戦争に勝利した例はない」
「そのような論法、既に通じないところまで来ているのだと思います」
「どちらにせよ大問題だ。こうしてはおれんが、やはり医者がうるさいのでな」
この病室からでもできることを行うべきだが、どのようにするべきか、それが課題となりそうだった。それについて、提案があると彼女が言いかけた時、突然病室のドアが、やや荒く開かれた。そこには、2人が陰口をたたいていた人物がいて、何食わぬ顔で病室に入り込んできたのである。
「マックバーン議員。具合はどうかね」
「ええ、すぐにでも退院して公務に復帰したいものですな。このままでは給料泥棒と言われてしまう」
この返答は、なかなか手厳しい皮肉と言うべきであろう。アルトマン委員長は一次期、国防委員会にも出席せずに行方をくらましたことがある。その時一体彼がどこで何をしていたのかは不明であったが、無断で国会を休んでいたにもかかわらず給料が支払われていた事実が発覚したのである。当然大きな問題となったのだが、ボールス議員法に箱のような事態における対応は明記されておらず、結局はそのまま批判が雲散霧消してしまった。その時のことをマックバーンは皮肉に込めて批判したのである。
だが、アルトマンは全く気にしていなかった。そもそもこの男に羞恥心と言う言葉など存在しないようにさえ見える。それに、彼は副委員長と言い争いをするためにここに来たわけではなかった。
「ラインバック委員。昨日の私の誘いを断ったことに関しては特に言わないが、少しは人付き合いと言う物を考えてはどうかね?」
「密談と受け取られかねないことはしたくはありません」
「ふむ……まあそれは良い。ところでラインバック委員、マックバーン副委員長が入院中の間、君を副委員長代行に据える」
それはあまりにも突然であり、そして彼女の警戒心を向上させるのに充分であった。彼女はまだ1基の新人議員であり熟練した議員ではない。それだけでも国防委員会への抜擢は異例であったのだが、そこにさらに副委員長代行のポストが回ってきたのである。
「私では役者不足と思いますが」
「他に適任がいない。他の連中はそこまで国防に関して熱心ではないからな」
それはあなたのことではなかろうかとラインバックは思ったが、流石に口に出すようなまねはしなかった。こんなところで、国防委員会が全く団結しておらず、むしろ対立が目に見えるほどの状態であると知られてしまったら、妙な記事を書かれかねない。
「それに、いくつか連絡事項もあるしな」
「それは?」
「軍が行った強制徴用についてだ」
「とっくにご存知かと思っておりましたわ」
それは、今回の軍の行動には、アルトマンも関与しているのではないかとこの2人は考えていたからだ。だが、アルトマン自身、この軍お行動に関して知りえたのは今日の朝だったという。
アルトマンは当初、たちの悪い噂話だと考えていた。軍が現在兵役を敷いていることは知っているのだが、それはやむを得ないことだとしていたし、そこから派生してそのような根も葉もない噂が、戦争反対派から流されていると思ったのだ。だが、同様の報告が3件も続けて発生すると、流石に噂話では済まされなくなった。
軍の査察部及び憲兵本部に調査を命じたが、どちらも調査には時間がかかると言っている。だがそれは所詮、軍内部で互いにかばい合っているに過ぎないことだ。民事事件に関しては疑わしきは罰せずであるが、軍隊においては疑わしきは罰せよ、これが真理となる。
軍隊と言うのは、その気になればいくらでもその武力を用いて政治を操ることができるが、それを行った時、その国家は長くは保たない。今の軍人たちはそのことをよく理解している筈なのだが、彼らの行為はまさに軍閥政治そのものだ。
「少なくとも陸軍の連中は役に立たない。宇宙軍はどうかね?」
「カタヤイネン司令長官は信頼できる思います」
「彼はシビリアンコントロールに関しては軍の中でも人一倍うるさい人物だからな。確かに信用できるだろう」
それに、宇宙軍はその規模だけでも50万人を超える大所帯であり、陸軍とも決して仲が良くない。となれば、こちらに協力してくれる可能性も高いだろう。
本来であれば、このような会話はあってはならないことだ。シビリアンコントロールもまとも出来ないような国家が信頼に値するはずもない。だが、その信頼にこたえられない行為を軍隊が行った時、国家はそれを裁けなければならないのだ。それも、国民が見ている中で。
今回の軍の行動は、それに値する行為だ。裁かれたとしても文句は言えないし言わせない。アルトマンは、現在警察の武装チームを準備しているという。その武装チームは、彼の権限で動かすことができるという。
「それは司法権に対して政治が介入しているようなものですわ」
「勿論、建前は変えてある。だが、いつの世も非常時に備えた組織は持つべきだ」
アルトマンの言い分は、非常時に備えた戦力を平時においても解散せずに個人の武力として用いる人間の言葉そのものであったが、この時ばかりはラインバックも彼の言い分を正面から否定するというわけにはいかなかった。軍が政治に対して反逆を行ったのであれば、政治は一時的にせよ武装しなければならないからだ。
「まずは陸軍総司令部を抑える。罪状はこの際でっち上げてしまうつもりだ」
「民間人の拉致、これで充分では?」
「駄目だな。軍なら簡単に証拠は潰す。ならば言い逃れできないようにまずはでっち上げの罪を作り出し、そこから余罪を吐き出させる」
そして余罪を起訴内容にすり替える、と言う物だ。でっち上げた理由で逮捕はするが、そんなもので起訴はしないし、仮に起訴したとしてもでっち上げだとすぐにわかって無罪釈放となってしまう。それでは基礎に追い込んだ意味がなくなるし、無罪に追いやられてしまって本命の余罪の基礎にも影響が出てしまうだろう。
「……何ともやり口が悪辣ですわ」
「じゃあ他にいい方法があったら言ってくれたまえ」
「いいえ。この際、やり方に関してはお任せします。私は証拠集めを行いましょう」
ラインバックにとってはむしろそちらの方が本職に近い。情報を集め、その中から必要な情報を抜き取って開示するのは彼女の十八番だ。陸軍が相手になるという事だが、それでも検察などを相手にするよりはまだ楽だと彼女は考えている。
病院から出た彼女は、運転席にいる秘書に、宇宙艦隊司令部に向かうように指示を出した。病院の中でいったいどのような会話がなされていたのか把握していない彼女は、その突然の命令にやや驚いているようだった。
「大至急、カタヤイネン司令長官に会わなければならない用事ができたわ。急いで頂戴」
「畏まりました」
事態は急を要する。カタヤイネン司令長官に会い、宇宙軍の協力を取り付けることができなければ、圧倒的に此方が不利だ。その程度の計算は彼女にもできている。
「ところで議員。実は病院を出たあたりから、尾行されているようです」
「……もう感づかれたみたいね。構わないわ。このまま向かって」
さすがに国防委員会の3人が、1ヶ所に集まったら何かあると思うのは当然のことだろう。彼女はもしかしたら襲撃されることがあるかもしれないと覚悟する。陸軍が民間人を事実上拉致したことが国防委員会で問題となったことを知れば、すぐにでもこちらを制圧してくるという可能性も否定はできない。
幸い、宇宙艦隊司令部まで、その備考の車はついてきたが、車を横付けした段階で、その備考者は彼女のことを何かしようとするわけではなかった。
ラインバックの来訪は全く予定になかったことであり、司令部玄関を警備する2人の衛兵はいったいどうしたのか? と彼女に訊ねた。それは彼らの職務としては当然の物であったが、次の瞬間、2人の衛兵はラインバックに質問することから彼女を守ることに切り替えなければならなかった。彼女の車を付けてきた車が、突然走り出して、彼女目掛けて突っ込んできたからである。2人の衛兵は、ラインバックを急いで施設内に押し込んだ。
衛兵はラインバックを救うことに成功した代わりに命を落とした。突っ込んできた車は、衛兵の身体を跳ね飛ばし、そして外壁に叩きつけたのである。1人は即死して、もう一人は下半身を完全に潰された。だが、下半身をつぶされながらも、その衛兵は意識を保ち、更に左わきにぶら下げていた拳銃を取り出すと、ドライバーに向けて発砲したのである。ドライバーは、その弾丸を頭部に受けた。
玄関で想像を絶することが起こっていることを司令部ビルにいた兵士たちが知って駆け付けた時には、2人の生存者と3人の死体がその場に転がっていた。ラインバックとその秘書は何とか生きていたが、ラインバックを襲った犯人と、国防委員を守ろうとした衛兵2人は、すでに息が絶えていた。
「ラインバック議員? これはなかなか派手なお越しで」
そういったのは、第1宇宙艦隊司令官のクレランボー中将であった。豪胆な性格の彼は、玄関で発生した異常事態に多少は驚きつつも、見た目上は平然としていた。
「申し訳ありませんクレランボー提督。至急カタヤイネン司令長官に会わなければならなかったものですから」
「次回からお越しになるときには衛兵をなぎ倒さずに綺麗に横付けしてください。あなたが来られる度に衛兵が吹っ飛ばされてはかないませんので」
「あれは私じゃありませんわ」
「分かっておりますとも」
猛将として知られるクレランボーは、相手が議員であろうと平然と冗談を言える。だが、どうも冗談では済まされない内容を抱えて彼女がここに来たのは確からしく、クレランボー中将は、すぐにカタヤイネン司令長官のオフィスに、彼女の秘書を同伴したうえで連れて行ったのだった。
「……それが事実であるとすれば、宇宙軍は全面的に国防委員会に協力すべきですな」
カタヤイネン中将は、ラインバックから話を聞いたとき、すぐには信じられなかった。
陸軍が独自の行動として、民間人を拉致するというのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい上に、何よりも理由がなかった。常に人員を多数消耗する宇宙軍に対し、陸軍は兵員を損耗するような事例が起こりにくいからである。
戦争そのものは、殆ど宇宙艦隊による海戦に終始して、陸戦が発生しにくい。宇宙空間で陸戦部隊の出番はないし、そもそも陸軍の任務は地上防衛であって、宇宙に出ることもないのだ。もし出るのであれば、その時は敵恒星系に対して安全な進行ルートを確保した場合に限る。だが、現時点でそこまでのことを成功させた恒星系はないし、仮にあったとしても補給の問題で躓くことになる。現代戦においても、距離に対して補給の困難さが比例するという法則は変わらない。むしろより難易度を増していると言ってもよいだろう。
そのため、現時点では各恒星系ともに、陸軍の増強に関しては積極的ではなく、せいぜい偵察部隊を編成して艦隊に同行させる程度の物でしかなかった。
しかし、それが突然兵の不足を問題視するかのように人狩りを始めたのだとすれば、よほどのことが陸軍に発生したとみるべきだ。少なくとも、陸軍はそうすることで、しかも国防委員を殺そうとするほどに重要何かがだ。
「どちらにせよ、国防委員会をはじめ、各議員にガードを付けるべきですな」
「できれば武装憲兵隊をつけていただきたいところですが、現在の憲兵隊も……」
「陸軍出身者が多いですからな。宇宙艦隊から、衛兵たちを護衛につけましょう」
今のところ議員たちの身の安全を確保するのであればこれしかない。勿論この程度では不足であるとカタヤイネンは考えているが、これ以上警備を増やしたところで無意味だ。それよりも先に、陸軍が本当に暴走を始めているのかを確認し、そのうえで対応しなければならない。だが、それ以上に彼には頭痛の種になりえる懸念があった。
「こんな時に外から攻められてしまってはたまったものではないな」
さすがにすぐに、という事はありえないだろうが、ボールスの内情を知ったほかの恒星系が、これに乗ぜよと言わんばかりに艦隊を向かわせてくることも充分に考えられる。その時、宇宙軍は直ちに艦隊を差し向けて迎撃しなければならないのだが、首都星がこのような有様で、果たして本当に戦えるのか不安を覚える。
ゆえにカタヤイネンの考えは、迅速にこの問題に対応し、そして解決させて状況をこの問題が発生する以前の状態に押し戻すこと。これに尽きる。彼はその方針を固めると、ラインバックとともに、直ちに行動を開始したのだった……。