生きる代償(2.5)
「炎!清は!?」
「あら、狼。それは私が言いたいわね。お仕事中にそっくりさん残して消え去るなんて」
「そっくりさん?」
狼は炎の背後からひょっこりと頭を出した。
くすんだ金に同じ色と紺のオッド・アイ。
えっ…と。
…………………誰かに似てる?
「清?」
口が半開きのままでちょっとアホっぽい。
「頭おかしくなったの?狼」
「はぁ!?」
「清は一夜にしてこんな青年にはならないわ」
あ、からかってる。
怒りに赤くなった頬にキスをした炎はベッドに腰掛ける俺に狼を突き飛ばした。
小さな体が宙を舞う。俺は一応、狼を受け止める。
「ちょうどいいわ。狼、その子を浴室へ。お世話よろしく。アナタ、清の保護者なんだからお世話好きでしょ?あと、夕食の残りを灰からもらってあげて。そしたらこの薬を飲ませなさい」
包装の中には白のタブレット。狼はむっくり体を起こした。
「こんなヤバそうなもの飲ませるわけないだろ!」
「風邪薬よ。食後しか服用不可だから」
あっさり。狼は意外な表情をするとそれを握って、徐に俺の手を引く。
「行くよ」
炎の優しさは狼には伝わらないらしい。炎が可哀想だ。
俺はシーツを纏ったまま彼の後ろを床をヒタヒタと進んだ。
座った俺の後ろに立った狼は俺の髪に鼻を近付けた。
「貴方から清の匂いがする」
「…お日様?」
皆がそう言うから。
「本当に清にそっくり…大人になったら清はこうなるのかな」
さぁ…。
狼は泡立てたタオルで優しく体を洗ってくれる。狼の動きはお世話に慣れているようだ。
「…やっ…」
しかし、うとうとしていたら指先が俺の体に滑り込んでいた。
「大丈夫、怖くないから。綺麗にしてあげる」
違う。そこは駄目…だ!
近付く指を必死に押し返した。だが、狼は俺の気持ちを理解してくれず、ぽけっとして強引に力を込める。
「うっ…あ…」
「気持ち悪いだろうけど我慢して」
掻き回される。
「やっ…だ…」
矢駄…っ。
「はる…き…」
止まらない。涙が溢れてくる。
どうして!
どうしてなの!
イヤだよっ!
陽季…陽季…陽季…陽季…陽季ぃっ!!!!!
「……やめて…」
「せ……い…………っ」
狼はピクリと手を止めるとゆっくりと抜いた。
「…これ以上…俺から…陽季…を…取らないで…」
もう奪わないで…。
「…ごめん…ね。好きな奴の…なんだね…」
その柔らかいキスを俺は拒まなかった。
洗われ、ふかふかになっていた自分の服を着た俺は狼の後ろに付いて歩いていた。
「灰さん」
「かみちゃん!わぉ!ホントに清君に似てるね」
「かみちゃん?」
狼がかみちゃん?なんで?
「“ろう”って“おおかみ”って言う字だから。おおかみの“かみちゃん”。センスないよね」
「酷いよっ、かみちゃん!」
しかし、彼女は楽しげだ。がらんとした食堂らしき場所だから寂しかったのだろうか。
「何かくれる?」
「うーんと…」
灰さんと呼ばれた若い女の人は冷蔵庫を探る。
「アップルパイだけどいい?」
皿に乗るパイ。それは俺の手に渡るが、狼はじっと目で追ってきた。
何?
「アップルパイ…」
狼の目が据わってる。
「かみちゃんのじゃないよ」
「もうないの?」
「あれで最後。ゆんちゃんが実家から送られるリンゴをお裾分けしてくれるまで次はありません」
死刑宣告でもされたような顔。その顔を見ていると、俺のせいじゃないのになんか罪悪感がする。
「………はぁ…」
狼が深く溜め息を吐いた。
狼と清の部屋にお邪魔し、端に立ててあったテーブルを戻して、俺達はもらったパイの皿を真ん中に座敷に座った。
じー。
何だろう?
俺はパイを摘み、持ち上げる。
じー。
狼の目線も上がった。
もしかして…欲しいの?
「いる?」
「い、いらない」
はぁ…ならいいよ。
じー。
凄くじれったい。
じー。
………………………。
じー。
………………………………。
俺は最後の一切れを半分にして皿に残し、狼の方に寄せる。
「いらないよ」
そう言うくせに皿のパイしか見ていないじゃないか。
「お腹一杯だから」
俺が目線を逸らして手元の半分を一口食べると、
じー。
ちらっ。
………………………………。
じー。
ちらっ。
………………………………狼の目を見るな!無視するんだ、俺!!!!
狼は皿のアップルパイを頬張った。一口で。
幸せいっぱいの顔をする狼。
やっぱり食べたかったんだ。
名残惜しそうに指先を舐めるので、俺は食い掛けだが狼にあげた。
「ありがと」
お礼を早口で言うとパイを一口で食べる。
「好きなの?」
「大好き」
と、即答。
可愛い。
ついつい狼を撫でていた。
「突然清も僕を撫でてくる」
ふと、狼が言った。
「そう?」
だけど、俺は清を知らない。
「そうだよ。本当にあなたは清にそっくりだ。でも…炎の言う通り、あなたは清に似て非なる人だ」
さっきとは違う罪悪感がしてくる…―
「…ごめん。清って子を…覚えてなくて。自分の素性も覚えてないし。覚えているのは…皆って言う誰かと…大好きな人だけ。何の手掛かりにもならないね……ごめん…」
俺には謝ることしかできない。それしか俺の持ち物はないから。
ごめん……狼。
「あ…」
狼の表情が固まった。
どうしたのだろう?
「狼?」
言葉を失っている狼は眉を曲げると腰を上げ、低い窓枠に腰掛ける。
その姿はまるで…―
「死ぬの?」
何故…俺はそんなことを訊く?
「死なない。でも…僕は…まずい…」
「どうしたの?」
近付いた俺に狼は抱き付いてきた。勢いを殺せずに一回り小さい狼と共に倒れる。
「清が…いない…。あなたは清じゃない…僕は清を…探さないと…清…!っ…」
動揺してる。
苛ついているんだ。これは先に吐き出させたほうがいい。
俺は狼に言わせることにした。
「清のこと忘れてた…最低だ!くそっ!清!!」
彼は自分に腹が立っている。俺との時間に俺を清と重ね、清を一瞬でも忘れたことを。
でも、彼は忘れていないと思う。ただ、俺が清に似ていただけ。それに、あまり言いたくないが、狼もここの従業員で、彼には清を自由に探せる力がないのだからちょっとだけ清の見つからない現実を心の奥にしまっただけだ。
それにしても、狼は清が本当に大事なんだね。
いいなぁ…―
「狼」
俺の腕に納めると、狼は体を震わせて泣き始めた。
嗚呼、やっぱり。君は子供だ。
「探してくるから薬飲んで寝ててよ」
彼は一通り泣くと、立ち上がった。強く擦ったせいか、目じりが赤い。だが、意思のある目をしていた。
「うん」
俺は見送ることしかできないんだね。
狼はああ言うけど、狼は悪くない。
「悪いのは俺だ…」
俺は誰だ?
「何故あんなとこに居たんだ」
何故だ?
……………………………陽季。
「陽季…」
眠いや…。薬のせいかな。
俺は狼には悪いが、眠らせてもらうことにする。
でも、なんとなく……清はもうすぐ帰ってくる気がする。
だよね、清。
夜中にしょんぼりとした顔で床についた狼をそっと胸に抱いた。