夢遊(5)
一人ぼっちのカミサマは言いました。
「ぼくと友達になろうよ」
少年は頷きます。
だから、彼らは友達になりました。
ずっと一緒だと約束しました。
何があってもずっと一緒だと…―
少女は彼に言いました。
私があなたの物語を紡ぎましょう。
背中の羽が大きく羽ばき、彼女は空へと手を伸ばしました。
愛する彼の手を掴むために…―。
「んっ…う…あっ……もうっ」
「やだっ」
千里は葵の胸に突っ伏した。
「…早い」
鼓動に囁く千里。
「もう無理…」
体に這わせた千里の舌に葵は艶のある声を漏らす。
「物足りないよ…」
我が儘な子供の声。
「あお、お願い」
「駄目っ…くたくた」
「むぅ~」
はむっと唇を啄む千里。そして、そのまま濃いキスへと変える。
「だ…から…もっ…せん」
「最後。最後の一回だから」
いいでしょ?
千里の瞳が潤む。
あ、かわいい…―
はぁと溜め息を吐いた葵は肩の力を抜いた。
「最後の…一回。俺のことは…考えなくて…いいから…味わっていいよ?」
了解しました。
自制心はハンマーで一崩しし、千里は葵の柔らかい四肢をぎりぎりまで曲げる。
「頑張るから許してね」
楽しむから許してね。だけど。
「ゆー…ゆー…ゆー…」
ふらふらと歩みを進めた清はある部屋の前に来た。
早朝5時。
彼はそっとドアを開ける。
「ゆー?」
全裸の千里と葵が安らかに寝ていた。千里は葵を護るように抱き締め、葵は千里に少しでも触れようと身をぎりぎりまで寄せている。
清はベッドによじ登ると二人の頭上を這って葵の背中にきた。
もぞもぞ。
清は葵の背中にぴたっとくっついて布団に潜る。
「おかーさん」
目を閉じた。
「くしゅん」
「千里、大丈夫?」
「清に布団取られたからだ…」
パズルに夢中なその背中を千里は怒りたいけど怒れないと複雑な気持ちで睨む。
「朝は何がいい?」
「お粥。僕が作るから葵はソファーで休んでて」
千里は小さな花弁の散りばめられたエプロンを身に着けた。
くいっ
「清」
千里は清を見下ろした。
「おかーさん、苦しそう」
リビングの奥を指す清。千里は火を消すと棚を探った後、葵のもとに走り寄った。
葵の吐息は荒い。
「あお、おでこ出して」
「…あ…うん…」
お徳用、冷えぴたを貼り終わると葵は顔をしかめて千里を抱き締める。
「お粥…まだなんだけど」
「熱…ない?…俺から…移ってない?」
熱い手のひらでそっと千里の額に触れた。
「うん。昨日は…」
熱があるのにエスカレートしてベッドの中でやったことに千里は今更だけど謝ろうとして…。
「辛いの…忘れられた。気持ち良かっ…た…」
葵の濡れた瞳は揺れている。千里はごくりと喉を鳴らした。
「この瞬間にでも熱で苦しそうなあおに激しいことしようかと思った…けど…お休みが先だね」
「…うん。清のことよろしく」
ゆっくりと閉じられる青。やがて寝息を発て始める葵。
しかし、千里の顔はチクリと痛みが刺したかのように微かに歪んでいた。
くいっ
「大丈夫だよ」
そして、おかーさん。と甘えた声を出して葵にすがる清の頭を優しく撫でた。
「ゆーは?」
なんか清の切り替えが早い。さっきまで葵の手を握ってぐずっていたのに。葵を見て心配になったのかもしれない。
「まだお仕事」
「すぐ来てくれるって言ったのに…」
しょんぼり。
あーあ、店長がしょんぼりって、なんかこっちまで落ち込むかも。
「あお、朝御飯」
ソファーに席を移した千里は葵を抱き起こす。
「おかーさん、ご飯だよ」
「あぁ…ご飯…」
スプーンを摘むように取った葵は重いのか、頭を俯かせた。その頭を千里は持ち、汗ばむ額を乾かすように前髪を上げてあげる。
「早く食べようよ」
清はさほど深刻な顔をしていない。ここまで落ち着きがないのは千里だけなのかもしれない。
「うん…いただきます」
千里が手を合わせると清は楽しそうに口に運び始めた。
「あお、食べて」
「お腹空いてなくて…頭痛い」
カランとスプーンは手から落ち、床に跳ねる。千里はそれを拾うと、流しに持って行き、新しいのを食器棚から持ってくる。そして、彼は「あお、食べて」そう繰り返す。
「食べたら寝ていいから」
千里は冷ましたそれを僅かに開いた葵の渇いた唇から入れる。
お粥を嚥下する葵。熱がかなり酷くなってきた。額は燃えるように熱い。顔色が悪い。
千里はその衰弱に内心狼狽えていた。思い出してはいけないのに思い出してしまう。
『お父さん!お父さんってば!』
弱くなる呼吸。
イヤだ。
『ヤダ!僕を置いてかないで!お父さんっ!』
僕とお母さんを見捨てないでよ。
行かないで。
僕を一人にしないで。
『パパ、死んじゃやだよ!!!!!!!』
このままじゃ葵も…―
「死なないから…安心しろよ」
!?
「なんっ…で―」
「…千里は……不安な時…目を逸らす」
泣き顔を見せようとしない。いつも無理矢理にでも笑う。
「俺は…普通に…丈夫だ」
千里は唇を噛んだ。
でも、僕は泣かないよ。
だって…泣いたら皆いなくなってしまうから。
『お前が誰も傷つけずに生きたいたいと言うのなら、誰にも泣く姿を見せるな。誰にもお前の弱い姿を見せるな。弱いと思わせたらお前を私益に利用する奴が近づく。いいな、弱い自分を誰にも見せるな。見せたとき、お前はその力で大切な人を傷つける』
祖父の言葉でこれだけははっきりと覚えている。
泣いたあの時、僕は父を失った。
だから、僕は泣かない。泣けない。
泣いたら葵がいなくなっちゃう。
「飯、食うよ」
「無理は…」
葵は千里からスプーンを取るとお粥をゆっくり口に運ぶ。
「うん、美味しい」
「電話だ」
「俺が」
店長不在時は葵が代理の店長だ。
立ち上がりかけた葵を千里は座らせる。
「僕が出るよ」
「駄目だ。千里は…駄目だ」
「僕じゃ頼りない?」
「お前は…櫻だぞ。駄目だ」
そう、僕は櫻に追われてるから。
僕はここにいる。
僕は洸のいるここにいる。
僕は洸を利用している。あおは違うというけれど、退学後、櫻に帰れと言う祖父から逃げて洸の店に行った。洸は軍から解放されている。だから、洸の傍なら安全だと思った。
僕も祖父から解放されると思った。
僕は軍学校に入る代わりに自由を手に入れた。それも、卒業するその時までの束の間の自由を。
退学をしたのなら約束通り、櫻本家に帰らなきゃいけなかった。
でも、退学して、行く場所考えて、怖くなった。
もう…殴られるのも地下に閉じ込められるのもイヤだった。
それに、二人から離れるのはもっとイヤだった。
祖父のせいだよ?
僕を洸祈に会わせた。
僕を葵に会わせた。
僕に親友を作らせた。
父の死に何もかもを捨てて祖父の道具になろうとしたのに、僕に光を掴ませた。
本来、僕の人生で掴むはずのなかった光を掴ませた。
僕には籠の中の小鳥にはもうなれなかった。
僕は洸祈に謝りたい。
僕は葵の傍に居たい。
助けて。
たすけて。
狂いそうな僕を助けて。
まただ。
葵の腕。
あったかい。
「ごめん。お前を…こんな狭いところに閉じ込めて…」
どうして謝るの?
閉じ込めた?
違うよ。
「謝るのは僕だ。あおは僕の為に言ったのに、僕のことを信頼してないんじゃないかって勘違いして苛々をぶつけようとしたんだから」
「お前は親友だろ。信じてるよ」
うん。ありがとう。
でも、僕を信じちゃだめ。
だって、あおが一番で…洸が二番なんだから。
「蓮お兄ちゃん!」
そう言い合っている内に清が受話器を握っていた。
「清…」
蓮だったことに葵は溜め息一つで済ます。
「おかーさんとおとーさんのお家だよ?ん~?…おかーさん、蓮お兄ちゃんが呼んでる。急いでって」
「僕が」
千里は洸祈の頭を撫でると受話器をもらった。
「蓮さん?あおは今熱で―」
『いいかい、よく聞いてよ』
「なんですか?」
『今すぐそこから離れるんだ』