夢遊(2)
「…あ…あ……」
止めて…止めて…止めて…。
言う通りにするから…。
もう止めて…。
……………………た……や……―
「うっ……あ…あう……」
ごめんなさい…ごめんなさい…。
謝るから土下座するから…。
もう赦して…。
……………………………崇弥!
バスタオルを腰に巻いた由宇麻は彼の肩を揺すった。
「崇弥!崇弥!!」
「あ………う……」
体を丸く縮める彼。
「崇弥、大丈夫や。俺や、由宇麻や。お父さんや」
「や…て…やめて…ごめん…さい…ごめんな…さい…」
震える体。
「大丈夫や」
由宇麻は彼の体を持ち上げるとその腕に抱っこした。
赤子をあやすように揺する。
「大丈夫や…大丈夫や…」
震えが収まった彼を由宇麻は一息吐いてベッドに寝かせた。
やがてゆるゆると上がる瞼。
「崇弥、起きたん?大丈夫か?何処も痛くない?」
そして、彼に伸ばされる由宇麻の腕。
彼は緋色の目を見張ると素早く体を起こして後退った。
「たか……まさか……俺のこと…覚えてへんの?」
うっすらと瞳に溜めた涙を見て由宇麻は泣きたくなるのを堪える。
駄目や。泣いたらあかん。
「えっと…な…」
と、
彼は怯えながらも由宇麻の腕を引き、ベッドに引き摺り込んだ。そして、由宇麻に驚く暇を与えずに、彼の体をまさぐり始める。
「何するんや!!!?」
「今すぐ…今すぐ気持ち良くしますから…どうか…ぶたないで…下さい…」
バスタオルに触れる彼の手。
「止めてや!!!!!!!!!」
由宇麻はびくりと体を震わせると彼を突き飛ばしていた。
「ごめん!たか…や…」
化け物でも見るような恐怖に満ち溢れた目。腕で肩を抱き、小さくなる。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!何でもしますからごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ぶたないで!!」
全身を恐怖に震わせる彼。彼はごめんなさいを繰り返す。
「崇弥!童顔君!どうした!?」
そこに二之宮が老眼鏡に白衣のまま入ってきた。
怯える彼と絶望した顔の由宇麻を交互に見やる。
「あらら。童顔君、無垢な崇弥を襲ったのかな?」
「…………襲われたんや」
「そうかそうか。襲ってたらベランダから突き落とすとこだったよ」
自分の白衣を脱ぎ、茫然自失している由宇麻の肩に掛けると体育座りで踞る彼の前に座った。
「何もしないからこの問いに答えてくれ。君は洸祈か?清か?」
「……………………………清」
「僕は狼の親友だ。君のことは狼から聞いている。狼の歌を好きだと言ってくれた狼の大切な親友ってね」
「……………………狼の?」
顔をゆっくりと上げた彼。
「そう」
見慣れたくすんだ金髪と同じ金と紺のオッド・アイに安心した彼は濡れた瞳を二之宮に向けて、堅く閉じられていた口を緩める。
「……狼とおんなじ…狼は?」
「記憶が混乱しているんだね。館で狼が僕に君を託したんだ。君が寝ている時だったから怖がらせちゃったね。ごめんね」
「狼は大丈夫なの?炎様に殴られてない?」
「大丈夫。殴られてない」
くしゃりと二之宮が彼の髪を撫でると最初はびくりと肩を震わせたが、やがてしゃっくりをあげて二之宮に泣いて抱き付いた。
「由宇麻さん、こっち来て」
由宇麻は二之宮の彼の扱いの上手さに悲しそうに溜め息を吐き、首を横に振った。
「…無理や…怖がられてもうた…もう崇弥を泣かせとうないし、あんな目で見られとうない」
「あっそ。じゃ、崇弥は僕の家で預かるね。清ということは…うまくいけばあんなことやこんなことができるわけか」
二之宮はニヤリと口の端を吊り上げる。
「蓮君!!」
それに怒りを覚えた由宇麻は眉をしかめた。それを見た二之宮の瞳は鋭さを増し、唇は堅く結ばれる。彼の泣く声しか聞こえなくなった部屋で二之宮は由宇麻を睨み返した。
「由宇麻君」
感情の隠った紺の瞳が由宇麻を鋭く射抜く。
「あんたは父親だ。崇弥の傍にいたい。崇弥が欲しい。そう言ったよね。この子も崇弥洸祈だ」
泣き叫ぶ彼の頭を撫でた二之宮の言葉に由宇麻は表情に影を落とした。
「今のこの子は清。あんたの知る洸祈じゃない。毎日毎日何人もの老若男女と寝てきた。汚れてる。でもね、本質は変わらない。実験台にされても、全ての記憶を失っても、犯した罪の重さに押し潰されそうになっても、羞恥に堪えて心を空っぽにしても、崇弥洸祈だ。清を拒むということは崇弥洸祈を拒むということだ。あんたは拒むのか?拒むというなら僕の権力とコネを使ってあんたを崇弥洸祈の父親から落とす。僕をナメるなよ。あんたをあの家から追い出すことだってできるんだ。勿論、崇弥の視界に入らないようにすることも。誓いを裏切って僕を失望させないでくれ」
だって、と道を求めることをせずに止められずに溢れる涙を白衣の袖で拭う。ひっくと喉を鳴らした彼は自分の頭を掻きむしった。
そして…―
「…清君、俺は由宇麻や」
右手を開く由宇麻。彼は二之宮にしがみついたまま由宇麻を見つめる。
「由宇麻君、清は目を見て判断するんだ。そんな怯えた目じゃ近付かないよ」
怯えてるんか…。
怖がっちゃいけない。
崇弥の方が怖いんや。
悪夢に魘されて起きれば知らない世界。殴られると思って仕事を真っ当しようとすれば突き飛ばされる。
めっちゃ怖いはずや。
「俺な、君に会いたかったんや。俺の大切な人がな、君の昔の頃に似てるらしいんや。あいつ、無口で意地っ張りで負けず嫌いでよう分からん。だから君に会いたかったんや。君を昔のあいつを知りたいんや」
温かい手のひら。
彼は由宇麻の手に自分の手を重ねた。
「好きなの?」
掠れた声。
「大好きや」
「その人もきっと…貴方のことが好きだと思うよ」
くすり。
微笑む。
その貴重な笑みに抱き寄せたくなる衝動を抑えて由宇麻は彼の手を握った。
「清、彼は君のお父さんだ。呼んであげたら喜ぶよ」
「おとーさん?」
理性は消え去り、由宇麻は彼を抱き締めていたのは言うまでもない。