谷の子供達(5) 千鶴
「千鶴!すっごい綺麗よ!!」
林が私の手を取って、笑みを浮かべた。
それが微かにひきつっているのは、きっと…
「ありがとう、林」
「うんっ…でねっ…それでねっ…本当に…―」
堪えられずに、林は泣き出した。
「本当に…おめでとう」
震える声で、抱き付きたいのであろう衝動を抑えて、私の差し出したティッシュ箱を掴んだ。
瞼を腫らし、鼻の頭を赤くした林は私の大切な親友だ。
「綺麗だな、千鶴」
そこへ、礼服姿の親友が現れた。
「慎君!…って!ここは男子禁制、花嫁の園よ!!」
林が頬を膨らませて、慎に怒る。慎は今気付いたかのような表情をするが、きっと、知ってて来たのだろう。
「私だって柚里君に会いたいけど会わないんだから!」
「林がこれを忘れてくからだ。柚里の部屋の前で右往左往して、俺が部屋を出ようとしたのに慌てて、落っことしただろ」
バサッと揺らしたそれは花束。
「ブバルディアにカスミソウ。お前らしい」
何が林らしいのだろうか。
「ブバルディアは幸福な愛。それで?カスミソウの清らかな心って…」
慎が博識だ。
「よく知ってるね」
「日ごろの努力」
ぐっと親指を立てる慎は、どこか抜けている。
まず、親指を立てるのは古いような。
そして、花言葉を覚えるのは努力に入るだろうか。
「綺麗なお花は心に響くの!!」
林はぷくっと頬を膨らまして言った。
「お前らしい」
ぐりぐりと林の頭を撫でる慎は、ちょっと緊張しているようだ。
私は慎に水を渡す。
「慎、ちょっと、熱あるんじゃない?」
小声で聞くと、慎は水を慌てて飲み干し、小声で返してきた。
「昨日、飲みすぎてさ…廊下で寝てて、風邪引いた」
昨夜は、林とお祝いで飲み明かしたのは知っている。
結婚式を翌日に控えた私達は、それに参加できなかったが。
「相変わらず、慎はひ弱ね」
見た目では柚里の方が軟弱そうなのに、案外、慎の方が菌に弱い。
「薬飲んだし、お経聞いたし、お祓いしてもらったし、お祈りもした。釈迦が見放してもキリストは見放さない。逆に、キリストが見放しても、釈迦は見放さない。どっちにも見放されたら、現在の医学があるから大丈夫だ」
どの宗教も信じてないくせに。
最初から、医学が一番、確実で安全だと思う。
風邪薬は多くの人間が試しているから、それこそ大丈夫だ。
「柚里は知ってるの?」
「怒られた」
そうだろう。
「林は知ってるの?」
「知ってたら、こそこそ話さない。言ったら殺されるより酷い、生殺しだ」
まぁ、そうだろう。
だが、きっと慎は林に怒られることよりも、あのことを心配しているのだろう。
意識不明の重体。
あんなに弱った林だけは、私も慎も柚里ももう見たくない。
原因は眞羽根の行方不明だ。
軍の陰謀か知らないが、捜査はすぐに打ち切られ、林は一週間以上塞ぎ込んでいた。
私だって、眞羽根の失踪は悲しい。
しかし、林はずっと彼の世話をしてきた。
眞羽根も林をとても慕っていた。
そんな、彼を理不尽な戦争で失った林の悲しみは私よりずっと大きいのだ。
そんな彼女が暴走したのは、一時は回復したと思ったあとだった。
実践だったらしい慎が折った足を引き摺って帰って来た時のことだった。
医務室に運ばれる慎を見て、林が叫んだ。
きっと、同じように怪我をして、医務室に運ばれる途中で行方不明になった眞羽根と重ねたのだ。
魔力の暴走に耐え切れなかった林は倒れた。
それから三日も寝込んだ林。
「なーに二人でこしょこしょ話してるの?」
「なんでもないわよ。ね?慎」
「あぁ。それじゃあ。林、行くぞ。千鶴、最高の笑顔を見せてくれよ」
「千鶴、またね」
慎の何気なく差し出された手を、林は何気なく握り締めた。
そんな二人が微笑ましい。
「千鶴姉ちゃん!起きて!」
夢が遠退き、現実が現れる。
千鶴は目を開けた。
「ん…?夏…君?」
揺すっていたのは夏だった。
「泥棒だ」
彼は息を潜めて言う。
「泥棒!?」
「庭を泥棒が徘徊してる」
「どうして徘徊?」
わざわざ居座るものだろうか。
「中に誰もいないかよく調べてるんだ」
「春君、春君!」
千鶴は並べた布団の隣で眠る春を揺すった。
「何でここにいんの?」
「寒いって。春君!起きて!泥棒!」
がばり。
「泥棒!!!」
跳ねまくった髪の春が勢い良く体を起こした。そのせいで、見下ろしていた夏の額と彼の額がぶつかる。
夏は顔を歪めて千鶴の布団に突っ伏した。
春は何事もなかったように―というより、別のことで頭が一杯で―立ち上がる。
「僕の水田!」
着込んだ衣服で重たそうにしながら、襖にへばりついた。
「駄目よ!危ないわ」
そんな彼を千鶴は止める。
春は4兄弟の中で、修一郎と千鶴を合わせた中でも一番弱いのだ。おまけにこの大雪の中、春には酷過ぎる。
「でも!僕の水田!両親の形見!谷の命!」
「水田は盗られない!てか、どうやって盗るんだよ!」
「酷いです!僕の水田は盗られるに値しないんですか!」
盗られたくないのか、盗られたいのか、一体どっちなのだろう。
夏の言動に春が噛み付くように言い返す。
「そうじゃないよ!土地の権利書でも取られない限り、春兄ちゃんがこの家を売るまで水田は盗られないってことだよ!」
「売らないよ!だから、権利書を守る為に行きますよ、二人とも!」
千鶴と夏はゆっくりと立ち上がった。
月明かりに照らされたリビングにいた。
“泥棒”が…―
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
誰かの悲鳴が、琴原家中に響き渡った。