君の囁き(3)
「……………………今……………何時?」
洸祈は瞬きを繰り返した。
「…6時だよ」
日の光を受けて赤くなった彼の髪を陽季は優しく撫でた。
「帰ら…な…きゃ…」
洸祈はぎしりとベッドを揺らして体を起こそうとするが、途中でカクッと膝を折ってベッドに突っ伏す。
「力が…入んない」
「もう少し休んでからにしたら?」
「駄目だ…司野にバレる」
「バレたっていいさ。司野さんにお前を力ずくで家に返す権利はない」
ルームサービスで頼んだボールに入った木の実を陽季はそっと洸祈の口に入れた。
「甘い…」
「ココチだよ。体力回復に役立つんだ」
「魔法使いじゃないのによく知ってるね」
「ま…まぁ…ね」
もごる陽季。
洸祈は口を閉じるとベッドに腰掛ける陽季を見上げた。
「似たようなのにユークラシットって言う実があるよね。朱色の豆粒みたいなやつ。店の近くにあるしそろそろ食べ頃かな。琉雨にもあげよ―」
「おい!!!!」
陽季が怒声をあげていた。
洸祈に掴みかかる。
「それはユークラシットじゃない!魔獣に与えると死ぬぞ!!」
くすっ
「大正解だよ、陽季」
洸祈は唖然とする陽季の耳に囁いた。
「なっ…!まさか!!!?」
「補足説明をしてやるよ。確かにユークラシットに体力回復促進効果がある。しかし、それは俺が言ったものではない。“朱色の豆粒みたいなやつ”これはユークラシットと良く間違えられるユークラシスだ。因みにユークラシットは赤銅色で雫のような形の実をつける。俺はこいつが咲かせる漆黒の花が好きなんだ。で、だ。ユークラシスは食べると幻覚作用を起こさせる。麻薬みたいなもの。依存性はない。しかし、一気の食い過ぎは身体に悪い。頭痛、嘔吐に悩まされるので注意が必要。で、これは人間の場合。魔獣にこれを与えると良くて瀕死状態。悪くて死、または消滅だ。野生化している魔獣はこれを本能的に危険と分かるが、使い魔や護衛魔獣、護鳥など人に使役されているものはそういった感覚が鈍っているのでこれまた主の注意が必要。はい、補足説明終わり」
「嵌めたな!」
陽季の頬が怒りに赤く蒸気し、洸祈の胸ぐらを掴む。
「陽季、悪いことは言わない。魔法使いでない者が魔法薬を造ろうなんて考えるな」
揺れる漆黒の瞳。
「…そんなの…洸祈には関係…ないだろ…」
「陽季が造ろうとしているのが事実なら俺は止めなきゃいけない」
「どうして…!!!!」
見逃してくれと陽季は目で訴える。
しかし、洸祈はふるふると首を横に振った。
陽季は泣きそうな顔をすると仰向けの洸祈に馬乗りになって彼の腰からナイフを抜き、首に突き付ける。
「俺には…必要なんだ…」
緋い瞳は俯く銀髪から目を叛けない。
「ココチ、ユークラシス、タシ、純水…そして、人の…それも子供の綺麗な血」
動揺を見せる陽季。
「何動揺してんの?子供の血を採取するつもり…もう採取したのかな?そんな奴が材料言うだけでビビるなんてね」
「黙って…洸祈…」
黙らない。
「もっといいこと教えてあげる。どうせ陽季は子供の血に困ってるんでしょ?選んだ方法からして陽季は危険が伴う代わりに早くそれを製造したいんだろ?次の新月は来週の火曜日。1リットルの血液を集めるには沢山の子供が必要。施設の子供が適任だけど罪悪がそれを戸惑わせる」
「黙れよ!」
ナイフが洸祈の首の薄皮を切った。そこがうっすらと赤く滲む。
陽季はびくっと方を震わせるとナイフを退こうとして洸祈に腕を掴まれた。
「そう、大正解だよ。魔法使いの血を使えばいい」
恐怖に顔を歪めた陽季は必死にナイフを退こうとする。
「何しているの?チャンスだよ?魔法使いの血を使う代わりにそこのココチの量を2倍にすればいいだけだよ?」
「やだっ!!洸祈!!!!」
滲んだ血は流れてシーツを染めて行く。
「魔力が高い魔法使いの血を使うほど製造の危険度は低くなる。一石二鳥だよ、陽季。俺は化け物って呼ばれるくらい膨大な魔力があるんだから」
「やだ!!やだ!!!!」
「っ!」
激しい目眩に襲われた洸祈はナイフを離した。
陽季はナイフを投げ捨てるとまだ浅い傷をベッドのシーツを破って押さえる。
「洸祈!!洸祈!!」
気道を潰さないように陽季は優しく強く押さえる。
「陽季…まだ…話は…終わってないよ」
「喋らないで!」
「いや…喋る―」
開いた唇に陽季は噛み付いた。
「喋るならキスする!」
「何度…キスしたって言うよ。陽季…聞いて。お前を…力ずくで止める権利は…ない。でも、止めてくれ―」
キス。
「魔法薬製造には…全ての生物がもつ…魔力の流れが重要なんだ。魔法使いは魔力の流れに…敏感だけど…陽季は…―」
キス。
「違う。失敗しても…二之宮みたいに…失敗とは分からない。だから―」
キス。
「陽季の造ろうとしている…万能薬が毒薬になる可能性だって…十分に…あるんだ―」
キス。
「それに嬉しい?…子供の血を使った万能薬で…治ったとして…嬉しい?…―」
キス。
「死ぬ…かもしれないんだよ?…身体…に影響を与える魔法薬は…危険なんだ。拒絶反応…だって起こす。万能薬を使う前より…酷い後遺症が…残るかもしれない」
ぽたっ
「…止めよ?」
ぽた…ぽた…
洸祈の頬に落ちる雫。
「だって…必要…なんだ…どんなに…手を尽くしても…治んないんだ…寝込んじゃて…」
「?」
「院長先生が…」
児童養護施設の院長。
陽季の…否、月華鈴全員の母親代わり。
「早くしないと…死んじゃう」
子供のように涙を流す陽季。
「原因は?」
ぎっくり腰…って。
「は?」
「ぎっくり腰って!院長先生が死ぬ!!って叫んでたんだよ!?」
あぁ…死ぬな。
「ぎっくり腰って知ってる?」
「不治の病って…万能薬しか」
陽季は泣いてすがる。
どうすればいいんだよ!と…
「誰が言ったの?」
「双灯に聞いて…蘭さんに確認して…菊さんにもう一度確認して…ことさんにやっぱり確認して…やよさんに確認したんだけど…不治の病って…」
あぁ…皆ね。
何てことを…
双灯さんから始まって最後の希望の綱の弥生さんも切れたと…
完全にからかわれてるよ。
「陽季、大丈夫だよ」
「何処がだよ…」
ぐずる陽季。
洸祈は血が止まったのでシーツを取ると、陽季を力一杯抱き締めた。
「院長先生が…院長先生が…」
「陽季、ぎっくり腰は―」
『しーにーまーせーん!』
頭に直接響く大音量。
…………………………………?
漆黒の蝶。
「二之宮か…」
窓の向こうでヒラヒラと飛んでいる。
『はーるーきー君、あーけーてーよー』
陽季はスッと立ち上がると窓の前まで行き―
「うっせぇ!!!!!」
カーテンを閉めた。
『魔法薬の効き目はどうやらあったみたいだねぇ』
「ホントだね」
二之宮と洸祈の間で交わされる言葉。
「何だよ、効き目って」
頬を膨らまして陽季は訊く。洸祈はカーテンを引き、蝶を中に入れると答えた。
「何ともないじゃん」
『この声。頭痛くないだろ?』
「ほんとだ…でも、一体いつ…」
『さーてね』
そんな曖昧な言葉に陽季の反応はあまりなかった。
それよりも違うことに頭がいっていた。
「で、死なないって!?二之宮、不治の病治せんの!!!?」
『不治の病は治せないから不治の病ね。可哀想に…』
陽季はいじけてベッドに潜り込んだ。
「二之宮、陽季これでも随分堪えてるんだから」
『知ってるよ。それはもう悲惨だねぇ』
「陽季」
洸祈はしくしくと泣く陽季から布団を剥がす。
「ぎっくり腰ってのは―」
『ストーップ!!』
遮って陽季の頭に留まる蝶。
『陽季君、僕なら治せる』
「ほんとに!!!?できることなら何でもするから」
「陽季!」
遅かった。
『そーかそーか。じゃあ今日あったこと逐一教えて。特に3時以降。ぜーんぶね』
って…!!!!
「二之宮、何訊いてんだよ!!」
『何?話せないの?院長先生の命よりも大切なの?』
うぜぇ…。
陽季は顔を輝かせて洸祈の二度目の訪問からを詳しく細かく話始めた。後、2分もしたら濃い夜のことをを語り出しそうだ。
洸祈はしょうがないなぁと微笑した。
『その首、後で僕の家おいで。破傷風にならないようちゃんと消毒しなきゃ』
洸祈とだけの通信。
洸祈は頬を赤らめて話す陽季を見詰めて頷いた。
ぎっくり腰の正体を知って月華鈴メンバーに怒鳴り、笑われ、二之宮にありとあらゆることを話したことを後悔する日は近い。