SubEpisode―包む光―
「立喜ぃ」
気だるそうな声。
「何?因みに、飯が不味いって言ったら追い出すから」
俺は子供だからって容赦なんかしない。
すると、
「頭が痛いよ」
スプーンを置いて、彼はうーうーと唸る。
「あぁ、俺の頭も痛くなった」
こんな餓鬼んちょの相手とは。
「昨日は早くに寝たか?」
「夜の9時だよ?」
「何時に起きた?」
「朝の8時だよ?」
11時間睡眠って多いのか少ないのか分からない。
「ゲームのし過ぎか?」
「立喜が出来なくてムカついて投げたゲームをコンプリート?したよ」
あーあー。マジでムカつく。
「はい、氷羽のそれはゲームのし過ぎだな」
「じゃあ、立喜のせいだぁ」
はい?
何故、俺のせいになる?
「俺をお家に閉じ込めるから」
そうきたか。
「俺は大学で忙しいんだ。衣食住提供者に失礼だぞ」
「お外に行きたい!砂場で遊びたい!」
こいつはぁ!
「お前が作った砂場の落とし穴でマンションの人が転んだからって、俺が謝ったんだぞ!?全く懲りてないだろ!!試験勉強にバイト!炊事洗濯!これ以上、俺に迷惑掛けんな!」
「たつ…きぃ…」
またこいつは…。
堪えきれずに落ちそうになる涙を拭っては鼻を啜り、ご飯を喉を鳴らしながら食べる。
何でこんな直ぐに泣くんだよ。まるで俺が悪いみたいじゃないか。
やめろよ。
「氷羽、堪えるなら隠れて泣くんだな。そーゆーのムカつく」
いっそ、目の前で大泣きされた方がマシだ。
俺は箸置きに箸を置くと、残ったものにラップを掛けてリビングを出る。
「たつ―」
「もう寝るから。食器はそのままにしてくれればいい」
俺は氷羽からわざと目を逸らして寝室に入った。
進める予定だったレポートを書く気にもなれず、ベッドに転がる。
不思議とお腹は空いていなかった。まぁ、あんなことがあれば空かなくても普通だが。
最近、食べることがだるくなってきた。作ることじゃない、食べることだ。
体が重い。
頭が回らない。
もう氷羽のことなんか忘れていた。いつも寝ているベッドが母親の腕の中のようが気がして、俺は瞳を閉じた。
「いいって言ったのに」
だるい体を引き摺っていつものように朝飯を作ろうと台所に立てば、氷羽の食器が洗われていた。
あれ?
思えばテレビの音がしない。
いつもは起きた氷羽がソファーに座ってテレビを見ている。
現在8時30分。
「おい、氷羽?」
あいつに決まった寝室はない。俺と一緒に寝たり、勉強で遅い時は気を遣ってソファーで寝る。背凭れで見えないが、まだソファーで寝ているのかもしれない。
「まだ頭が痛いのか?」
が、
いない。
「氷羽?」
俺の部屋にも何処にもいない。
もしかして…なのか?
「家出……か…」
マジかよ。
家出って…雪野瀬になんていやぁいいんだよ。
『氷羽をよろしく』
なんて言ってどっかに行っちゃった奴だけど、定期的に連絡は寄越すし。
「家出して帰ってこないなんて知れたら殺される」
あいつなら俺をいかに事故に見せ掛けて殺すかで悩むだろう。
あいつはかなり変わってる。
大切なものは何と訊かれて親の名も激愛する妹の名も言わず、土地、地位、財産とも(言うような性格じゃないが)言わず、ましてや悪友の俺の名など言うことなんて…………あった。
あいつは俺の名を言ったんだ。
『大切なもの?…君』
『は?伊緒ちゃんは?』
『大切なものだろう?伊緒は僕の妹だ』
『大切じゃないわけ?てか、何で俺?』
『伊緒は妹として大事だけど、大事と大切は違う』
『は?同じだぞ?知らないのか?』
『確かに同じだ。人の作った紙切れの上では。でも、僕にはこの一文字の違いがとても重要なんだ。そのことを踏まえるなら僕は妹のことが大切じゃない』
『大切じゃないとは…妹の為にわざわざフランスからワインを直送させるぐらいなのに?』
『多少の犠牲はやむを得ない。そう思えるものが大事なもの。自分の全てを切り捨ててまで護る価値があるものを大切なものと言うんだ。それが君さ。ま、僕にとってはだけど』
『だから、何で俺?』
『だって好きだし』
『……………………近寄るな』
『矢駄なぁ。僕が君とキスしたいと思ってるように見える?』
『見えなくもない』
『伊緒が好きなんでしょ?』
『言うなぁ!!!!』
『ま、僕が言いたいのは、たとえ時代が違えど、僕は君に会うと思う。時をも越える腐れ縁でね。ほら、それくらい長い付き合いをするんだから大切に決まってんじゃん』
『前世でもこんなで来世でもこんなだから大切?ないない』
『そうかな。僕は大学の入学オリエンテーション前から君に会ったことがある気がしたんだけど?』
『俺はない』
『ふーん。伊緒も君に気があるようだし、妹共々よろしく、悪友』
『え!?待って、今何て?伊緒ちゃんが…え!?』
『気がある』
『ホントか!?』
『いつもお土産にお菓子を買ってくるお兄さん程度だけどね』
『あ…そう…』
そんなよく分からない雪野瀬が預かってくれと連れてきたのが氷羽だ。
信用してるからこの子を暫く預かってと言われて早半年。
いつ連れて行ってくれるんだと一方的に掛かる電話で言うと、彼は「氷羽は元気?」と、話を逸らす。
伊緒ちゃんとこに預けていいかと訊くと、君しか信用してないと嬉しいような嬉しくないようなことを言う。
そして、切る直前には、大切な氷羽を護ってくれと低い声音で念を押される。
氷羽が消えた。
「探さないと」
信用されてる分、それに答えたい。
俺はコート片手にマンションを飛び出した。