灰樹(4)
ふわりと白が舞った。
意識の薄れている洸祈を後から抱き締めた陽季は、由宇麻を見詰める。
「司野さん、俺に任せて。双灯をお願い。俺、今会ったらとんでもないこと仕出かすだろうし」
「そやな。だけど陽季君、崇弥は連れて帰るからな」
「……………あぁ」
揺らぐ瞳。
会えなくなる。
「大丈夫や」
何が大丈夫なのか。
曖昧なのに由宇麻の言葉は陽季に響く。
「洸祈」
壊れ物を扱うように…。
そっと…。
そっと…―
「陽季…」
呼んでくれた。
「嫌いになった?陽季とは…セックスしようとしないのに…双灯さんとは…しようとするんだから…ううん…したんだから」
二人が互いに貪り合うのが想像できてしまう。
吐き気がする。
だけど…。
「嫌いになんかならない…でも…嫉妬した。双灯に嫉妬した。俺はまだまだなんだって…」
「違う…。陽季は…傷付けたくなくて…」
双灯ならいいのか。
でもさ、やっぱり俺はまだまだなんじゃないか。
まだ、お前の中では俺は弱いんじゃないか。
「洸祈…好きだよ。だからさ、このままでちょっといさせて」
胸の鼓動を微かに感じ、普段より少し高い体温を感じ、柔らかい髪と頬の感触をゆっくり味わう。
「この感じ…大好き」
陽季は掠れた声で囁いた。
「うん」
洸祈は小さな声で囁いた。
「洸祈、俺達が最初に会った日のこと覚えてるか?」
「うん……雨の日」
あれは雨の日だった。
ずぶ濡れになりながらも洸祈の手だけは放さなかった。
でも…
お前を見つけたのは…―
…―雪の日―…
酒の匂い。
甘ったるい空気。
見るからに花街だけど。
「ここどこだよ…」
陽季は着物の袖を揺らしてとぼとぼと歩く。
月華鈴の皆で死んでいった施設の子供達の墓参りに行った。いつか俺もここに仲間入りするのかと考えていたら煮え切らない感情が湧き出てきて一人で宿に帰ろうとした。
しかし、迷子。
治安の悪いこの世の中で全財産―といっても子供のお小遣いよりちょっと高い程度だが―を懐に忍ばせていたから1日泊まるぐらいなら問題ない。
けど、怖い。
小窓から漏れる少女の喘ぎ声。
薄いカーテンから少年と男のシルエットが浮かぶ。
異常だ。
「菊さん…」
何処にいるんだよ…
ここで泣けば誰かが構ってくれるが何されるか分からない。毅然としてなくては喰われる。
陽季は泣きたいのをぐっと堪えて前を見た。
と…―
「そこの人」
柔らかい声。
左耳から聞こえる。多分、娼婦か何かだろう。
陽季は無視して通り過ぎようとした。
「迷ってるんでしょ?」
ずばりと言い当ててくる。ついつい陽季は振り返っていた。
赤みがかった茶髪に緋色の瞳。窓から顔を出した少年は笑顔を向けてきた。
俺ときっと変わんない年だ。
陽季は少年の笑みに見とれた。
「何処に行きたいの?」
少年は訪ねる。
「え…っと」
宿の名前は?
分からない。
近くの店の名前は?
分からない。
………………………。
「橋!おっきな橋が…」
「二股に分かれている川?茶店が近くにあった?橋は竹?」
記憶を掘り出す。
橋は…―
「竹だった」
「八幡橋」
八幡橋というのか。
「そのまま真っ直ぐ行って。暫くしたら大きな街道に出るから川に沿って右にずっと行けば橋が見えてくるよ」
見れば、遠くの方に街道と川が見える。陽季は頭を下げると体の向きを変えた。
もっと話をしたかった。
すると少年は呼び掛ける。
「俺、清」
清。
名前を噛み締める。
あぁ…―
「その髪目立つからこれで隠すといいよ」
清は綺麗なシルクの布を陽季に放り投げて寄越した。
「あ…ありがとう…」
「もうこんなとこに間違っても迷っちゃいけないよ」
儚い微笑。
どうして君みたいな優しい人が体を売らなきゃいけないんだ。
どうして…
俺達だって学なんてないから芸で日々の生活費を稼ぐ。
一緒じゃないか。
ただ清はあそこに辿り着いた。
生きる為にあそこに辿り着いただけ。そうだろう?
名残惜しい。
あぁ…―
「清?」
清の華奢な肩に腕が伸びるのが見える。
「起こしちゃいましたか?」
女が清に凭れる様にして体を起こした。裸の女は陽季を見付けて清とは違ういやらしい笑みを浮かべる。
陽季はじゃりっと砂を踏んで後退った。
「余所見?だーめ。今は私が買い主なんだから」
「ごめんなさい」
「清は可愛いのね」
その白い頬にキスをする女。
見るな。
帰るんだ。
早く。
しかし、
目を背けられない。
体が動かない。
清は小窓から離れようと、陽季の目の届かないところへ引っ込もうとするが女の腕がそれを許さない。
「せーい」
清の着物に指を掛ける女。
「お客様!」
羞恥に顔を赤くして必死に着物を押さえる清。
「茉莉よ、清」
目を背けろ。
体を動かせ。
あそこにはあそこなりのルールがあるのだから。
陽季は無意識に拳を強く握っていた。
「茉莉さん!なんで―」
「アナタの為にお客さんを増やしてあげる」
「いやだっ」
現れる滑らかな肌。
綺麗だ。
息を呑んでいたのは陽季だけじゃない。いつの間にかショーに見入っていた通行人も息を呑んでいた。嫌がっているその姿でさえ見物でしかない。
「はい、オワリ。清、時間ぎりぎりまで堪能しましょう」
女に引かれる瞬間、陽季は清と目が合う。
泣きそうな瞳。
その時、陽季は目を逸らした。
「見たかよ、あれ」
男が囁く。
「マジ上物じゃん」
下品な笑い声。
「今夜戴きに行くかな」
脂臭い。
こんな奴等に…
「くそっ」
舌打ちした陽季は清がくれたシルクを被って道を駆け出す。
一瞬でも俺は欲しいと思った。
あいつらと同類か…
頬に熱いものの存在。
あぁ…
…―俺は惚れたんだ―…