信用商売(2)
「最悪」
「ほら、上体起こしてよ」
肩を後ろに押されて渋々上体を起こすと、首に温かい布が当てられた。
「もうトイレまでついていっちゃったんだしさ」
お湯に浸して絞ったそれで二之宮は優しく洸祈の体を拭いてあげる。
次に、ズボンを上に上げると露になった足首を拭いた。
「ひゃっ!やめっ」
上がりきらなかったズボンの裾から手を忍ばせて股を拭くときた。
洸祈は動く左手でそれを引き抜く。
「そこはいいから」
「崇弥って本当に綺麗だよね」
「変なこと言うな!」
ズボンを下げた二之宮は傍らに置いた服を抱えた。
「お洋服着せてあげますからねー。はい、先ず左手を通して…いいこ、いいこ。次はそっち。いくよ……はい、お仕舞い。良くできたね~」
「わざとらしいんだよ!」
「あの美人看護師ならこうなってただろうなって。崇弥、トイレは我慢しなくていいんだからね?体に悪いから」
洸祈の腹を擦った二之宮は彼の頭を胸に抱いて優しく話しかける。
静かになる病室。
「恥ずかしくて死にたい…」
知っている仲とは言え、ズボンからパンツまでを下ろしてもらい、排泄している間ずっと支えてもらう。
彼には耳栓をさせているが…―
じゃあ、尿瓶か?
最悪だ。
なんかいろいろとヤダ。
今もトイレに行きたいのに必死で我慢している。
洸祈は流れる涙を拭えずに唇を噛んだ。
最近、簡単に涙が流れるようになった。
「厭だな…―」
なんかもういろいろと厭だ。
「?…僕は僕の意志で君のお世話をしに来たんだ。恥ずかしいのは分かっている。だからこそ僕を頼って」
「っ…ぅ……」
「座って」
車椅子をベッドの脇に付けた二之宮は洸祈を支えて椅子に導く。
その間、洸祈は呪文のようにごめんを繰り返していた。
「ごめん…ごめん…ごめん」と。
「はぁ~」
「お疲れ様」
ベッドに身を沈める洸祈。二之宮はその頭を撫でた。
「崇弥、暇な時間何する気なわけ?」
することなんて……ぐるるぅ。
「伊予と遊ぶ」
「寝てるから。そうそう、これ飲んで。治りが早くなるから」
二之宮は医者だけど医者じゃない。
しかし、詰め込まれている医学の知識と経験は他の医者に退けを取らない。洸祈は二之宮の差し出した緑の液体を飲み干した。
「甘い…」
苦くない。
「凄いでしょ」
こくこくと洸祈は首を上下に振る。
「じゃあ、一緒に遊ぼう」
「へ?…んっ…」
唇の端に残った液を拭うように舌を滑らせた二之宮はそのまま口付けへと変える。
「ん…ぁ…はふ…」
「最近会えなかったでしょ?鬱憤、溜まってたんだ」
「何で…俺…なんだ…よ!」
「だってほら、崇弥って可愛いから。その目とか頬とか手とか足とか。皆、可愛いんだもん」
可愛いと言われても…なぁ?
「崇弥」
ふと真剣な表情を見せるのは二之宮。彼はその顔とは裏腹にベッドに入り込むと、洸祈の耳朶を噛んだ。
「お金貰って男と寝たって本当?それもジャッジメントと」
耳を塞げないように耳朶をくわえたまま彼は訊く。
「寝てない」
「じゃあ―」
「襲われた。最悪」
つぅと頬を伝う涙。拭えずに洸祈は舌打ちをした。
だけど、どうして流れるんだ…―
「どうせ金だろって。札束放り投げてさ、クロスのブローチ見せつけて俺を放置しようとした」
「崇弥…」
「だからさっ…両腕折ってあげたんだ」
と…―
さも普通に
さも無邪気に
さも可愛らしく
彼は泣いて笑った。
二之宮の曇らせた表情に洸祈はかくっと首を傾げる。
何で?
「怒ってる?」
「……………崇弥」
「何?」
「君が政府に頼る他ないのは分かってる。それを盾に体をいいように弄ぶなんて最低な奴らだ。だけど―」
「腕を折るな?何言ってんの?二之宮は俺に好きでもない奴に体売れって言うの?また館の清のようになれって言うの?」
「洸祈!!!!!!!!」
体の自由のきかない洸祈を二之宮は凄い形相でベッドに押さえ付ける。
くすんだ金髪がさらりと二之宮の頬にかかった。そして、金と紺の瞳が歪む。
「どうして…君は…今回の依頼だって…」
言いかけて、二之宮ははっとした。
「今回の仕事、盗み聞きしてたんだな」
洸祈は曖昧な顔で二之宮を睨み付ける。
「……」
二之宮は顔を背けた。
「してたんだな。悪いか?」
それを肯定と受け取った洸祈は逆に挑むように言う。
「…………悪い」
二之宮は答えた。
それは否定。
今、洸祈を否定することは、二之宮自身をも否定することになる。
それでも否定する。
「お願いだ…」
二之宮は呻く。
「体を大事にして…人を大事にしてよ…」
「あんな奴ら大事になんかできない。俺の大切な人達の安全が保障されたなら…俺は政府も軍もぶっつぶす。跡形もなく。人も建物も武器も。全部だ」
「駄目だよ。絶対にだ」
「二之宮の言葉、矛盾してる」
悲しい矛盾。
「僕は…」
二之宮の言葉は途切れる。
体を弄ばれてほしくない
人を傷付けてほしくない
矛盾。
一つを取れば一つを捨てなくてはいけない。
どちらもは無理。
「二之宮はやっぱり変わった。変わらないのかも知れない。きっと、二之宮は出会ったのが俺じゃなくても同じことを言う。同じようにキスをする。同じように触れ合う。俺と出会ったから矛盾となった」
崇弥洸祈という人間に出会ったから。
「崇弥…君は…」
そう、またも洸祈は間違えてしまった。
あの時のようによく知りもせずに。
綺麗な瞳を輝かせた二之宮は馬乗りになり、骨折の他に打撲傷が至るところにある洸祈は低く唸った。
「もし崇弥葵に会っていたとしても駄目って言ってキスして触るって?」
「………そうだろ?」
「崇弥…君、最低だよ」
最低。
一番下のランクへと洸祈を引き摺り下ろす。
「まさか僕をそんな人間と思ってたの?」
「思ってな―」
「僕は久々に怒ってるよ」
そう言った二之宮は洸祈の口腔に舌を滑り込ませた。それを押し返そうとしては舌が絡み合い、口からは喘ぎが漏れる。
「んっ…ぅ…ぁ……やめっ」
「崇弥…君の天然に僕は…癒され慰められる…でもね…時々、厭なくらいその天然にイラつきを覚える」
「何…言って」
「そう、今だ。今の君、苛つくし…そそる」
「にの―」
「煩い」
再び繰り返される行為。
「やめっ―」
「謝れ。僕に謝れ」
「何で…ん…だ…よ…」
「君の“生意気な小僧”の称号通りの口調でお得意の脅しを使えよ!もう自分を売るような言葉を使うな!そう僕に誓いやがれ!!!!」
そうさ。
第三の選択だ。
口腔の絡み付く舌に前歯を立てた。二之宮は顔を歪めて舌を引き抜く。
「イタッ」
「随分生意気になったんだな。俺に誓いやがれとはね」
片腕で洸祈は二之宮を強く抱きすくめた。
「崇弥…僕の方が年上だろ?」
「…ごめん…最近の俺、どうかしてた。殺すしか考えずられずに…今思えば、他の方法があったはずなのに…」
「……………」
小さく呻いた二之宮。
「崇弥…追加事項」
「?」
上げた瞳はいつもに増して力強かった。洸祈は身構える。
「“殺す”を使うな。殺戮は考えるな」
「殺戮…」
「君の力は殺戮だ。君の為にも由宇麻君の為にも」
「何で司野―」
「軍の計画に司野由宇麻が組み込まれてしまうかもしれない」
「そんな―」
洸祈の体が震え、二之宮を引き剥がそうとして唇を奪われた。
「……君のせいじゃない。しかし、由宇麻君が役人である以上、政府にはもう捕まってる」
「司野を護らないと!司野はどこだ!?」
「ここだよ。僕の子が視てくれてるから大丈夫。それに彼にはカミサマがいる」
「あんなやつ信用っあ…!」
病服に手をかけた二之宮は効果的な遣り方で洸祈を沈める。肩に歯を立てたまま二之宮は囁いた。
「彼は由宇麻君に相当入れ込んでいる。由宇麻君に訊いたのだけど中にいるのは―あやき―というらしい。彩樹は多分―さいじゅ―のことだ。“さいじゅ”は生命力のカミサマ。由宇麻君の元気はそこからだ。聞くところによると二十歳、由宇麻君は彩樹に会ったらしい。由宇麻君が病院を脱け出したのは?」
「二十歳の誕生日の数日後…」
「由宇麻君に病院から家まで、それだけの体力があるはずはなかった。しかし、今は何ともない。発作は起こすらしいが比較的元気だ。病人の由宇麻君にしては元気過ぎる」
不安。
「司野に負担は!?カミサマがいなくなっても司野の体は大丈夫なんだよな!!?」
心臓の上を撫でた二之宮はにこっと笑顔を見せた。
「先月、診させてもらったよ。大丈夫。寧ろ、一般人には程遠いけど由宇麻君の体は丈夫になってきている。カミサマのお陰だよ。千里君と同じさ」
「氷羽…」
「今、彩樹がいなくなっても完全に病院生活だけど体に異常は起きない。安心した?」
こくり。
二之宮はその額をかき揚げてキスをしてやると布団を洸祈に掛けてやる。
「今日はもうオヤスミの時間。僕がここで舞台を演じてやるから。ウンディーネの美声でオヤスミを」
「…司野に会えないかな」
「明日ね」
明日また…―