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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
短編3
46/400

愛情誤差 ―洸祈の場合―

体がダルい。


その日、洸祈(こうき)は朝からベッドで寝込んでいた。

「旦那様、お昼はどうしますか?何ならお粥を作りますが…」

琉雨(るう)がぼんやりと天井を見上げる洸祈を見下ろす。洸祈は暫くぼーっとしたままだったが、はっと息を吐くと、琉雨を見上げた。

「ごめん。何?」

「えっと…お昼は食べますか?」

「要らないや。ごめん、琉雨」

「謝らないでください。これ、ミルクです。少しだけでも飲んでください」

琉雨は肩までの髪を揺らし、洸祈に顔を近付けて額を撫でると包み込むような笑みを見せる。洸祈はそんな琉雨の中に“母親”を見て、口を開けた。

「琉雨…」

「はい。旦那様、どうしましたか?」

「お前は…成長したな」

どこまでも洸祈の理想に成長した。

それは、ふと悲しくなるくらいに。

純粋で…全てを赦す。

自らを赦してくれる人へ成長した。

「少しは背が伸びました」

「そうだな」

自らの逃場に育てた。

自分に都合のいい人へ成長させた。

「琉雨」

「はい」

洸祈は琉雨の名前を呼ぶと、彼女の柔らかな茶色の髪を撫でて指先を頬へ持っていく。琉雨の睫毛が彼の小指を擽った。

琉雨の澄み切った緋色の瞳が洸祈を静かに見詰めている。

「お前は、俺をどう思う?」

「どうって…旦那様は旦那様で…ルーの恩人です」

そうじゃない。

「琉雨、お前は分かっているはずだ。俺はとても卑怯だ」

「違います!」

琉雨は首を振って必死に否定する。しかし、洸祈も首を振ると、彼女の顔を両手に挟んだ。

「俺は父さんの死に泣けない。何故か分かるか?俺が殺したようなものだからだ。全て俺のせいだ」

「旦那様、違います!」

「違わない。(あおい)が泣くのも、ちぃが傷付くのも、皆、皆俺のせいだ。なのに、俺は逃げて見ないふりをしている」

琉雨は優しい子に成長した。

洸祈も分かっている。

琉雨はイイコだ。

出来の良い子。

だから、

「違います!旦那様は悪くありません!」


琉雨は俺を赦してくれる。


「旦那様は悪くありません。旦那様は誰よりも皆のことを思っています。旦那様はお優しい方です」

涙を浮かべて主張する琉雨の手を憂いを帯びた表情で優しく握った洸祈はその甲に接吻をした。そして、体を起こすと細い体を抱き締める。「旦那様…」と囁くように呼んだ琉雨は洸祈の肩に顔を埋めた。

「旦那様…ルーは旦那様の笑顔が大好きですから笑ってくださいね」

「うん。俺も琉雨の笑顔が大好きだよ」

一生消えない胸の傷痕を癒すように琉雨を引き寄せた洸祈はぱっと手を離してベッドに寝転ぶ。そして、その早さに困惑する琉雨を置いて背中を向けた。

「旦那様?」

「琉雨、今日は一人にしてくれる?夕食も要らないから」

拒否されていることに少女は息を呑む。たとえ、『お願い』として言われているとしても、洸祈の傍にいてきた琉雨には辛く重たかった。

しかし、今まで洸祈は琉雨に本当に優しかった。信頼されているのかと疑うほどに。もしかしたら、どうでもいい存在なのかもしれないと思ったこともあった。

だから、『お願い』辛いけど少し嬉しい。

琉雨は端から見ればキツい言葉に滑舌よく「分かりました」と答えると、ミルクの入ったコップを背の低いテーブルに残したまま部屋をそっと出た。



けほっ…―。

体がダルい。

琉雨の優しさにすがりたいところだが、敢えて我慢する。ミルクを乾ききった喉に通した洸祈は本棚を漁っていた。

「―…あった」

隠したら逆に何処にしまったのか忘れてしまっていた箱を棚の奥から取り出す。

「『宝物』…か」

お菓子の空き箱の側面には汚い字で書かれた『宝物』の字。

開ければ、そこには…―

「洸祈、大丈夫?」

葵が部屋の扉を開けて立っていた。

「!?」

洸祈は咄嗟に隠そうとしたが遅く、叫んだ葵に箱ごとそれを取り上げられていた。

「返せ!」

「洸祈!返せじゃないだろう!」

奪われ、慌てた洸祈と葵とが揉み合い、それが葵の手から落ちた。

けほっ…―。

落ちたそれを洸祈が取る。葵はしまったという風に表情を歪めた。

「洸祈、もうやめてよ」

そして、彼は宝物の箱をテーブルに置き、他所を向いて拗ねたようにする洸祈のそれを握り締める手に自らの手を重ねる。

「俺が分からないとでも?」

宥めるような葵の声音。

葵は洸祈の手の中のそれ、薬のシートをそっと取った。そして、それを宝物の箱に入れて蓋をする。

「…失望しただろ」

洸祈は長らく箱を見詰めていたが、葵がじっと目の前に立つので、ベッドに転がり、枕で顔を隠した。

「昔から向精神薬を医者から貰ってたのは知ってたよ。治療を受けてたのも知ってる。ねぇ、洸祈、もう治療は済んだんでしょ?お医者様がもう大丈夫だって言ってたよ?なのにどうしてこんなに隠してるわけ?」

葵は必死に声を抑えて兄を見る。

「どこでこんなに手に入れているの?」

「………」

「洸祈、俺の目を見て答えてよ」

家族なのに秘密が多い。

その事実に葵は苛立ちを隠して頑なに回答を拒む洸祈に訊く。

「答えないと全部捨てるから。この部屋くまなく探して捨てるから」

ぴくり。

洸祈が枕に隠していた瞳で射るような視線を葵に向けた。

実の兄弟のそんな姿が自らに向けられていることに震えた手を、葵はもう片手で掴む。

「洸祈、答えてよ」

声も震えていたが、葵は気にしてないと装って洸祈に迫った。

沈黙が続いたが、洸祈はベッドから降りると、箱を手に取る。葵はすぐに奪おうとしたが、洸祈が箱から鍵を取り出したので留まった。

鍵は机の引き出しの鍵で、洸祈はゆっくりと解錠すると、中の書類を叩き付けるように床に投げた。

「医者の診断書。5件通った。今はくれる薬が一番多いとこの治療を受けてる。時折、薬が減ると遠くに行く」

葵は書類一束を手に取る。

「…重度の鬱病」

「葵、ちぃとヤったか?」

ここではあまりに場違いな質問。

葵は当然、もごる。

「ヤったって…俺は…」

「これも分かってんだろうけど、俺はお前の何十倍…今なら何百倍もヤってる」

真面目に言う洸祈。葵が反射的に目を逸らした。

「嘘…だろ?」

小さな声で訊く。

答えを聞きたくないと言いたげに小さく、できることなら洸祈に聞こえなければいいと…。

「嘘じゃない。お前の双子の兄は赤の他人と夜を明かす人間だ」

しかし、洸祈は葵の質問に忠実に回答する。

「ちぃがお前に最初したようなことは序の口さ。胸の傷も背中の傷ももう消えない。一生残るんだ」

そう言って開かれたシャツには薄い胸板。しかし、今までは気づかなかったが、よく目を凝らせば傷が見える。それも無数の傷が。

葵は自らの質問の重さに気づく。

「洸祈…俺は…そんなつもりじゃ…―」

「出ていってくれ!」


ガシャン…。


琉雨の入れてくれたミルクのカップが壁にぶつかって割れた。

「今日は一人にしてくれ!」

「でも…薬の過剰摂取は…」

「持っていけばいい!」

力任せに洸祈は箱を葵に投げつけると布団を頭まで被ってベッドに踞ってしまう。

「…俺は……洸祈が心配で…」

決して、洸祈を悲しませるために来たのではない。それだけは分かってほしいと葵は動かない洸祈の作る小山に手を触れた。

「葵」

「うん」

「…ごめん」

「うん」

「…………ありがとう」

そっと頭があるであろう場所を手の甲で撫でた葵は宝物の箱を持って部屋を出た。


「あお、どうしたの?」

千里(せんり)…」

洸祈の怒鳴り声を聞きつけたのだろう。洸祈の部屋を出た葵に千里が駆け寄った。

「洸…どうかしたの?」

「傍にいて…」

葵は何も言わずに抱き付く。千里は洸祈の部屋のドアを見詰めた。

「やめて」

その時、ドアノブに伸びた千里の手を葵が手を重ねて止める。

「でも!」

「千里、俺の傍に」

そして、戸惑う千里の唇を奪った。

「あお…」

「今日はそっとしてあげて」

「…………うん」

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