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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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愛は惜しみなく与う(14)

ダレン・ヴィクトリア――困窮した民を見ずに圧政を強いる独裁者の右腕をつとめもる男の名前。

その男には三人の妻と七人の子供がいた。子供達のうち二人の娘と一人の息子は独裁者の男の養子となり、二人の娘と二人の息子がヴィクトリア家には残っていた。

ヴィクトリア家の長男と長女はそれぞれの分野でその国一番の学者達に勉学を教わり、次男と次女は隣国の学院に入学した。

次男と次女が家から離されたのは、『独裁者』の文字には『永遠』の文字は絶対に続かないことを知っていたダレンが、万が一の未来を考えた時にヴィクトリア家の名を残せるようにという思惑があったからだ。

そうして、次男のユウリ・ヴィクトリアは姉と共に学院の生徒となった。

学問は悪には屈しない。正しい世の為に使われるべき。

学院は純粋に学を究める場であり、生徒の志も高かった。だからこそ、ユウリや姉の存在は『悪』でしかなかった。

同級生達は二人を遠巻きにし、心優しい姉は早々に心身を崩して遠くの親戚の家に引き取られた。

そうして、一人学院に残ったユウリは遅く来た反抗期に従って、どんなに孤独だろうと学び続けることを選択した。

そんなユウリに出来たたった一人の友の名はシャルロッテ=ナディア・フォン・バレンタイン。

彼女はユウリを決して色眼鏡で見ることはなかった。

他の同級生達には負の感情を込めた目で眺められ、ユウリは檻のない動物園の中にいる獣の気分になった。本当は好き勝手に自由に生きられるのに、無数の目に気圧されて動けないでいる臆病な獣。

しかし、彼女の目はそんな獣を自由という檻の外へと誘った。新月の夜には煌めく金色の蝶が舞い散る花弁のように群れ、湖の水底に沈む巨大な宮殿は白い花に覆われ、そこには極彩色を纏う鯨が住まう――彼女の目は遥か遠くの景色を映し、「私が連れってあげるよ、ユウリ」と手を引いた。

彼女は友であり、ユウリにとっての光。もしくは、友以上の……。




「カーテ!カーテ!」

街中の人間が奇異の目で見てくるが、構わない。

「どこだ!カーテ!」

カーテが消えた。

ただの勘違いで、買い物に出掛けて迷子になり、何処かの宿屋の世話になっているだけなら、それでいい。

むしろ、そうであって欲しい。

「カーテ!!」

街の中は夜通し探した。それでも、カーテは見付からない。

ならば、彼女の望みは決まっている。

彼女は力を暴走させ、他者を傷付けてしまうことを何よりも恐れていた。

力の暴走を止めること――それがこの旅の目的だ。

彼女が正気でいられる時間には限りがあって、それは確かに短くなっていた。しかし、この街に来て、彼女の状況が良くなったように見えたことで、俺は馬鹿みたいに安心していた。カーテの立場になって考えていれば、キリキリと首を締め付ける縄の存在に冷や汗を掻いていたはずなのに。

街に来て一週間も経っているのだ。たったの一週間じゃない。一週間も、だ。

彼女はシアンを探すことを辞めたのだ。

力が暴走する未来が確定した今、彼女が望むのは、少しでも被害者を減らす事だ。

人から離れる。それだけだ。

「ヴィクトリア!彼女の痕跡を探すんだ!どっちへ向かったか、何でもいいから探せ!!」

野次馬が集まる中で俺はヴィクトリアに呼び掛けた。ごっそりと魔力が奪われる感覚がし、地面に落ちる俺の影が蠢く。

そして、濃いピンク色の硝子細工様の瞳と角を持つ灰白色のヤギが、前脚に力を込めて影から這い出てきた。ぶるりと身体を震わせたヴィクトリアはその蹄で煉瓦をかつかつと鳴らす。硬い地面を試すように何度も足踏みすると、野次馬は寄せては返す波のように揺れた。

もうどうだって良かった。シアンを見付けるとか、魔獣や精霊の暴走の原因を突き止めるとか、そんなことはどうでもいい。

ただ、カーテを失いたくなかった。

誰もいない地の果てでいいから、カーテと二人で生きていられれば、それでいい。

ヴィクトリアは鼻先を宙に向け、左右に動かす。

「カーテは精霊だ。魔力を大地から貰う。発作が起きると多くの魔力を広範囲から吸収するから、それを辿れば見付かるはず……!」

俺には大地を流れる魔力なんてわからないが、魔獣なら俺よりは魔力に敏感だろう。風系の索敵魔法が俺に使えれば……。

頭を垂れて角を地面に向けるヴィクトリア。しかし、近場を彷徨くだけで、方向は一向に定まらない。

「ヴィクトリア、まだか?」

離れれば離れる程、カーテを見付け難くなる。

一分一秒、自らの鼓動で生じる時差すらも、全てが惜しい。俺の思考を阻むぐらいなら俺の呼吸なんて止まってしまえばいいのだ。

「……っ、ヴィクトリア!」


「待って。あなたの焦りは彼女を惑わせる」


ヴィクトリアの角に触れて立つ少女。

赤茶のショートヘアに緋色の瞳。彼女はヴィクトリアを一切恐れず、慈しむように額を撫でる。

「君は……」

魔獣を恐れないのは、魔獣を知っているから。そうなると、魔法使いだろう。この街の者だろうか。

「カーテの名前を呼んでいたけど、君はカーテの知り合い?」

「!」

手元の籠には多くの卵とミルクの瓶。買い物帰りなのは判断できるが、カーテとどういう関係だ?シアンの居場所を掴む為に二人で聞き込みをしたが、彼女には会っていない気がする。

むしろ、俺の知らない間にカーテと知り合いになったのなら、重要な情報を持っている可能性が高い。彼女が魔法使いなら、カーテと踏み込んだ会話をしているかも。

「俺はカーテと旅をしていて、はぐれてしまったから探しているんだ。俺はユウリだ。ユウリ・ヴィクトリア」

悪意はなさそうだから、素直に答える。本当に善意の知り合いだった時に、はぐらかして無駄に警戒されたくはない。

「私はリトラ。昨夜、彼女と一緒にいた」

ヴィクトリアが額を撫でてくれたお礼と言わんばかりに、頬を彼女の頭に触れさせた。角が彼女の髪を流れる水のように梳かす。一族の者以外でヴィクトリアがここまで懐くのはカーテ以来だ。

「カーテは今どこに?」

過去形の文脈だから期待はしていなかったが、やはり彼女は首を左右に振った。

「一緒にいたけど、いつの間にかいなくなってしまった。……彼女と最後に会ったところまで君を案内するよ」

「案内してくれるなら、願ったり叶ったりだけど、君は用事の途中だろう?場所さえ教えてくれればいいよ。一人で行くから」

「私もカーテのことが心配だったんだ。手伝わせて」

「直ぐ済むから」と言って駆けて行った彼女は本当に直ぐに手荷物を籠から背負える鞄に替えて戻って来た。

「走ってもいいよね?こっち」

返事を聞く間もなく走り出した彼女。

まぁ、急いでいるのだから、有り難い。

持久力に自信はないが、俺は水を一口含んでから彼女を追った。




「…………そっか。先に気付くべきはそこだったんだ」

「そこ……?」

まさか、ろくに整備されていない獣道を近道だからと全速力で走らされるとは思わず、息を切らしてふらふらの俺を見たリトラさんは、怪我をしたら余計に時間が掛かると言って走るのをやめた。情けない話だが、正論だし、体力はだけは直ぐにはどうにもならないから、歩きで進む事にした。体力回復までの間、リトラさんは昨夜あった出来事を話して聞かせてくれた。

リトラさんは大地から穢れた魔力を取り込まないよう無理をして衰弱していたカーテを森で見付けて介抱してくれた。魔法使いで精霊の知識もあり、カーテに自身の魔力を分けてくれたようだった。そして、精神感応の精霊であることも知りながら、最後までカーテを心配してくれた。

介抱していたら意識を失い、目覚めたらカーテの姿がなくなっていたと言うことだが、おそらく、リトラさんを巻き込ませないようだろう。

俺はリトラさんを信用し、これまでの旅の経緯を全て話した。

口には出来ないが、小さな確信を持ちながら。

「カーテは私の記憶を見て、私もシアンを待ち続けていると知ったんだ。あの家に居てもシアンには会えない。だから、行ってしまった」

「リトラさんはシアンさんがループス村で一緒に暮らしていたという少女かい?」

「うん。ループス村で騒ぎが起きて、シアンが村の様子を見に行ったきり行方不明になったんだ。師匠と私とで探したけど…………今は……」

師匠とは『リク』のことだろう。街で定期的に日雇いの仕事を受けていた彼だ。

ある時から姿を見かけなくなったと聞いたが、彼の妹のリトラさんが街に留まっているのに、兄の姿が消えたとなると……深い事情があるのだろう。

ならば、少しでも彼女が明るい気持ちになれる情報を渡さねば。

「リトラさん、俺達は三ヶ月ぐらい前にループス村の外れにある君達の家に行ったんだ。そこで君達がシアンさんに宛てた手紙を見た」

「それでここまで追ってきたんだ?」

「ああ。だけど、その手紙にはシアンさんの返事が書かれていたよ」

リトラさんの足が止まった。

「『今から帰ります』って」

勢い良く振り返った彼女。

見開かれた瞳は驚きに満ちていた。呼吸を忘れた魚のように唇が微かに開き、そこからヒュッと空気が震える音が聞こえた気がした。

何かを言おうとしているのに言葉が出ないのか、睫毛を揺らして唇をきつく噛んだ。

「ネフロフィラリーの手紙にも返事があった」

眉間に皺を寄せた彼女はきっと痛むのだろう。拳を寄せる心臓が。

「オルニットに着いた時、カーテが言っていたんだ。シアンさんは近くにいるって。…………だから、大丈夫」

「だ……いじょうぶ?」

「彼は君のところへ帰ってくる。絶対に」

やっと彼女に追い付いた。

近付いて分ったのは、彼女はただ強くあろうとしただけであること。

一人また一人と家族を見失って心細かったはずだ。先の見えない不安を意識しないように、必死に生きてきたのだろう。大きなハリボテを背負って前が見えなくても真っ直ぐ歩こうとしたのだろう。

突貫のハリボテでも、彼女のは完成度が高かったから、ここまで近付かないと分からなかった。本当はまだまだ家族に甘えたい子供なのだ。

「…………なら、私も貴方と彼女の望みを叶えなきゃいけない」

俺から見えないように裾で顔を擦ってから腕を下ろしたリトラさんは引き締まった表情を見せる。どうやら、強い女の子の顔に戻ってしまったようだ。

だが、前向きになれたのだろう。目に灯る光は太陽よりも眩しかった。



「あそこが師匠と私の家」

森の中に突如現れた開けた場所。そこに建つ小さな木造の小屋。

窓から見える花柄のカーテンが可愛らしい。

素朴な感じが今まで見てきた他二軒の家と同じだ。やはり、住んでいる者によって家の雰囲気は決まってくるのだろう。

「昨夜まではカーテとここにいた。で、朝起きたらもういなかった」

「かなり時間が経っているから、夜通し歩いていたら……でも、弱っているカーテはそんなに遠くへはいけないはず…………」

街からでは無理でも、ここからならヴィクトリアが気配を感じ取れるかもしれない。

「ヴィクトリア、もう一度、カーテを探してくれ」

俺の影から這い出てきたヴィクトリアは何かを訴えるように俺を見る。

「……すまなかった。お前だってカーテのことを心配している。なのに、俺はお前を急かして怒鳴って…………本当にすまなかった」

頭に血が登ってた。冷静さを欠いていた。

俺に出来ないことをヴィクトリアにお願いする立場なのに、声を荒げて……カーテが見たらどんなに傷付くか。

「だから、お願いだ。間違ってもいい。カーテを一緒に探してほしい」

父親には威厳を持ってヴィクトリアを使役しろと言われた。だが、俺はヴィクトリアと契約だけの関係にはなりたくない。動物も魔獣も精霊も分け隔てなく愛しむ彼女のようになりたい。そうしたら、彼女の目に映る世界の片鱗が俺にも見えるようになるから。

大きな角を振りかぶりヴィクトリアは鼻先を天へと向けた。

光が降り注ぎ、何にも負けない輝きを放つヴィクトリアの角――その様は世界が大切に育んだ宝物みたいで、俺は思わず目を細めた。

やっぱり、この世界は美しい。









「離れて……!」

目の前のリスは木の実を口から落とし、毛を逆立てて走り去って行った。刺すような恐怖の感情が流れ込んで来る。

ああ、怖がらせてしまった。

傷付けたくなくてここまで来たのに、うまくいかない。

でも、大丈夫。

もう少しで私は消滅する。

「ごめんなさい……最後にこんな役目を押し付けて」

生存本能が魔力を寄越せと叫ぶ。だけど、それ以上に精神感応の力が寄せ集めた負の感情が私の生存本能を抑えつける。お陰で私は限界を越えて魔力を放出出来る。

放出先はその生命が今にも尽きようとしていた枯木にした。魔力を吸いやすいからだ。しかし、枯木は静かに眠ろうとしていたのに、魔力を押し込まれて、自らの根本では精霊が消滅しかけていて……怒っているだろうか。

「でも、とっても綺麗…………」

小さな花が密集し、房のように長く垂れ下がる。藤の花だろう。

魔力によって、季節を無視して花が咲いたのだ。

天から降り注ぐ雨のように花びらがヒラヒラと舞い落ち、世界は薄い紫色に染まる。

絵では見たことがあったが、本物は初めて見た。

なんて美しいのだろうか。ユウリにも見せてあげたい。

そう言えば、ユウリにホタルを見せてない。どんなに神秘的なのか話をしたら「見てみたい」と言ったから、次の夏に一緒に見に行こうと約束したのだ。学院から近いのに、とても入り組んだところに生息しているから、きっと誰も知らないだろう。私がいなくなったら、ユウリはホタルを見れなくなる。

「ああ…………約束…………」

色んな約束をユウリとした。

私からした約束もユウリからした約束も沢山あった。

そのどれもが大切で忘れてはいけない約束だった。

勿論、私は忘れてはいない。だけど、私が消滅した時、それらの約束はどうなるのだろうか。

私の中のこの感情たちもどうなるのだろうか。辛く悲しい感情だとしても、なくていい感情ではない。

叶わなかった望みや願い――胸を突き刺すような感情を忌避したくなるのは分かる。だけど、その感情を否定すれば、そこに至るまでの記憶や感情も否定することになる。

結果だけが全てじゃない。時間が経ってからそう思えることも私はあると思うから。

だから、今だけ投げ出してしまった感情を、いつか淡い思い出と思える時に元の持ち主に返したい。それこそが私の力の正しい使い方だろうから。

そんな願いももう何もすることはできない。

「本当に……ごめ……なさい…………」


ごめんなさい、ユウリ。


もう君を傷付けたくない。君が苦しむ顔は見たくない。

だから、私の理性があるうちに終わらせたい。




「勝手に完結するな!馬鹿ッ!!!!!!」




乱暴に腕を引かれ、世界がぐるりと一回転する。それから、はらはらと絹のように滑らかな糸が私の頬を滑った。

「ユ……リ……」

君の髪の触り心地が私は好きなんだ。

「俺はカーテの耳にたこが出来るぐらい言ったはずだ!」

ユウリは眉間に皺を寄せて私を見下ろす。怒っているのは自明であり、それは私の能力がなくても分かることだった。

「この手は放すな!約束した!」

枯れ草と藤の花が舞い上がり、視界を塞ぐ。それでも、私の手を握り締めるユウリの手のひらがほかほかと温かいのは分かった。

「っ、だけど……」

「先に俺が言う!街の人達が苦しむのは見たくない、は言っても構わない!でも、俺が苦しむのは見たくない、って言うのは絶対に許さない!そんな言葉は許さない!」

私の体は繋いだ手を通してユウリの魔力をスポンジのように吸収し始める。嫌なのに、ユウリは手を緩めないし、私の体はユウリから魔力を奪うのをやめない。

魔力と一緒にユウリの感情が流れてくる。

『許さない』が紛れもない憎悪を孕んだ言葉であることが分かる。

「……痛い…………」

君から流れてくる感情はとても痛い。怒りや悲しみを通り越して、痛いんだ。

「痛いさ!君を失いそうなんだ!痛いに決まってる!!痛いから!痛いから、俺は苦しんでる!!君が隣にいないから!だから、俺が苦しむのは見たくないなんて、絶対に君に言われたくない!!!!」

なら、どうしろと言うのだ。

痛いのはユウリだけじゃない、私だって痛い。

君との約束を守りたい。君の隣にいたい。

でも、残された時間がない。

細く張り詰めた糸がユウリの魔力を奪ったことで、今にも千切れそうになる。

「……私には……もう魔力のコントロールができない…………嫌だ……私に傷付けさせないでよ……!」

「なら、俺を傷付けてくれ」

――そうしたら、俺は痛くない――

君は眉尻を下げて涙を落としながら笑うんだ。

「………………君は…………どうして…………」

「好きだから」

私だってユウリのことが好きなんだ。

「昔、君が自分の力のことを俺に話した時、証明はできないけど、俺に精神感応の力を使ったことはない。って言っただろう?それに対して俺は証明なんて必要ないって言った」

「うん……」

ユウリは優しいから。そう答えるって心の何処かで思ってたんだ。

「もしも君が俺の思考を読み取ってたら、君は俺を拒絶するって分かってたから。…………俺はあの時から既に君のことが友人以上に好きだったんだ」

ユウリは唯一無二の大切な友。ずっとずっと隣に居て欲しい大好きな人。

「………………今言うことじゃなかったかも…………友人のままでいいから、俺のこと苦しめたくないって思ってくれるなら、この手は絶対に放さないで…………約束……」

「ユウリ!?」

ユウリの姿勢が崩れ、地面に寝転がる私の上に被さる。その理由は私が彼の魔力を一気にかつ大量に奪ったせいなのは直ぐに察した。気絶した訳では無いが、ユウリの意識は朧げで、私の名前を何度も繰り返す。

君が苦しむ顔は見たくない――口に出来なくて唇を噛んだ。

「ねぇユウリ…………こんなに苦しい約束をするなら……私の思考を読み取ってよ…………」

私が君のことをどんなに想っているのか。

私が君のことをどんなに好きなのか。

全部分かってほしい。

「ユウリ、好きだよ。友人に以上も以下もあるのか分からないけど、私は……君が好きなんだ。君に負けないくらい好きなんだ」

ピクリと手が動き、ユウリが身体を縮める。

好きだから。大好きだから。

私は君を傷付けるんだ。

「ぅ……っ…………ぁっ……」

ユウリの身体が震え始める。それでも、君は私の手を放さない。だから、私も君の手を絶対に放さない。

「ユウリ、痛いよね?傷付いたら、痛いんだ。だから、言ってよ。もうやめてって」

ユウリの呻く声が耳に響く。痛みを必死に堪える声は刃となって鼓膜を突き刺す。

痛くて堪らない。苦しくて堪らない。

「ユウリ……お願い…………もう嫌だ…………」

周囲が騒がしくなり、大小の生き物達が四方へと逃げて行く。感覚の鋭敏な野生動物達が本能的に危険を感じて散り散りになる。

それでいいんだ。

遠くへ遠くへ逃げて。

二人ぼっちの世界に行けたら。

それだけでいいんだ。


「遅くなって、ごめんなさい。あなたの声が聞こえていたのに…………見付けるのに手間取って」


木々の隙間から溢れた光みたいに優しくて温かい手のひらがユウリと繋ぐ手のひらに重なった。そして、顔を出した魚がたてた波が湖面を静かに滑るように穏やかな声音が私達を包む。

「あなたはゼノですね?僕があなたの暴走を止めます。だから、この手を放していただけますか?」

目を開けると、そこには夜明けを待つ瞳が。この瞳の先には温かい未来が見えるのだろうか。

ずっと待ち望んだ私の光。だけど――

「…………約束したんだ。この手は放さないって」

どこの誰が言ったって、お互いが傷付くだけの愚かな選択だとしても、この約束だけは絶対に守る。

「ですが……」

「シアン、私からもお願い。カーテに約束を守らせてあげて」

シアンさんの背後に立つのはリトラさん。ヴィクトリアが不安そうにユウリを見ている。

リトラさんには散々お世話になったのに、黙って出て行ったことを謝りたいが、心をすり減らしながら待ち侘びた彼にやっと会えたのに、私のせいで再会を噛み締める時間を奪ったことを謝りたい気持ちが勝った。けれども、それを謝れば、彼女は違うと否定することも分かった。

「私達はカーテに『絶対に』を言えないけど、この手を放さなければ、カーテとユウリは『絶対に』離れ離れにはならないから」

リトラさんが微笑んだのが見える。

真っ直ぐ歩いて来た彼女の笑顔は寄せては返す波のように確かなもので、紛れも無い確信を含んでいた。

私達はずっと一緒に居られる。私達がそれを望む限り。

「分かりました。…………皆さん、ここから少しでも離れてください。お友達たちや家族を連れて、少しでも遠くに。リトラさんもヴィクトリアさんと一緒に離れてください。契約主の方がここにいるので、そこまで離れられないと思いますが、ギリギリのところまで。何かあれば、ヴィクトリアさんを守ってください。お願いできますか?」

「うん。任せて」

ヴィクトリアを連れて離れていくリトラさん。そして、野鳥の一鳴きで様子見の動物達も離れて行った。一緒に特異な力を持たない精霊達がわけも分からぬまま流れについて行く。殆どの精霊は生まれ、ただそこに存在して消滅するため、思考することもなければ、危険から逃れるという本能も持たない。だから、誰かが意図的に扇動しなければ、彼らは私の力の影響で、意思も持たないまま他者を傷付ける恐れがあった。それをシアンさんは予防してくれた。シアンさんには力があり、それは他の精霊に影響出来る程の強い力と言うこと。今までも力の強い精霊は周囲の精霊に影響し、小さな災害として魔力を発散させて大地の魔力の偏りを正して来たが、あくまでも、彼らのテリトリーにおいてだった。しかし、セイレーンから生まれたはずのシアンさんは湖というテリトリーを超えて、周囲の精霊に影響を及ぼしている。自身が暴走することもなく、望むがままに。

彼が心優しい精霊で本当に良かった。

ヒトと共に生きたいと願う精霊で良かった。

「ゼノさん……いえ、カーテさん。これから僕はあなたの魔力を奪います。根本的な解決にはならないけど、今はそれしか方法が思い付かないから…………でも、それはあなたという存在と彼を危険に晒すことになる」

分からない。ユウリを傷付けてまで約束を守ることが正しいのか、正しくないのか。

でも、リトラさんは、手を放さなければ、絶対に離れ離れにはならないと教えてくれたから。正しい道が分からなくても、私は自分の存在もユウリのことも犠牲に出来るんだ。

こんなにも自分は感情的だったんだと思うと嬉しくなる。だから、状況に似合わずに笑う私を見たシアンさんは不思議そうな顔をした。そして、一緒に笑ってくれた。

「あなたはとても幸せそうだ。僕はそれがとても嬉しいです」

不安なんて一切ない。ユウリが隣に居て、君が助けてくれるなら。


ありがとう。

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