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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
391/400

愛は惜しみなく与う(8)

「ちょっ、なんて事を……………………あーもう!ほら、お前は勝手に行くな!こっちだ!ノワール!」

「うー………………お腹空いた……」

黒色のワンピースの上からお腹をさすったノワールは、自分の襟首を掴むリクを見上げた。

「分かったから!砂糖の塊ならやるから!」

リクは懐を探ると、『角砂糖』と書かれた袋を取り出し、膨れっ面をする少女の唇に角砂糖を触れさせた。

薄桃色の唇が開き、微かに見えた小さな歯が角砂糖を器用に口の中へと運ぶ。シャクシャクと砂糖を咀嚼する音が響き、満足したノワールはきょろきょろと辺りを見回すと、リクの腕を両手でがっしりと掴んだ。咄嗟に嫌がったリクだが、「ヤダ」と一言発した彼女に負けて片腕を貸すことにした。

それに、片腕を犠牲にする事で自由奔放な性格の彼女を少しでも制御できるならそれに越したことはない。

「次は……どこ……行くの?」

ノワールを脇にくっ付けながら無施錠の通用口を開けたリクは迷わず地下への階段を降りて行く。

「あそこから離れられれば何処でもいい。兎に角、ノワールはもう絶対に勝手な行動はするなよ?俺が言うまで、何かを爆発させるのは禁止だ」

「何か、って?」

「何かは何かだよ。何もかも、全部、ってことだ」

コツン、コツ、コツ。

少女のローファーが不規則な音を生み出し、それに気付いたリクが歩く速度を緩めた。ノワールも彼の気遣いに気付くと、体を寄せて歩幅を合わせた。

「………………お魚……うようよ……」

「目がいいな。………………シアン君に影響を受けて……か」

「お腹空いた……」

「食べるな。そもそも精霊を食べても腹は膨れな――捕まえるなって!」

「あう……」

宙を掴んだノワールはおもむろに口を開く。慌ててリクがその腕を掴んだ。

「絶対に食べるな。いいか?精霊を傷付けるようなことはするな」

「…………………………食べない」

暫くリクの真剣な表情を見詰めたノワールは、やがて固く握り締めていた手を開いた。殆どの人間には見えないが、リクとノワールの目には解放されて逃げる様に空間を泳いで行った魚の尾びれか見える。

「リクは精霊が好き?」

「…………好き以前の話だ。俺の生きる意味は精霊を守ること。だから、精霊を傷付けることは許さない」

「……傷付けない…………やくそく……」

「…………ありがとう。ノワールに精霊の加護がありますように」

目を閉じてノワールの額に自らの額を当てたリク。ノワールは嬉しそうに口角を上げると、リクの背中に腕を回した。



霜と氷柱に覆われた地下通路。

人気のないそこを歩いていた二人だったが、リクが気配を察してノワールを背中に隠すように立ち止まった。

「ノワール、俺から離れるな」

「……うん」

頷いたノワールは四肢をリクの影に隠し、顔だけをひょっこり覗かせる。味気のない通路の先――床を何かが叩く物音が。そして、ブーツの爪先が脇道から現れ、黒の詰襟を着た男の横顔が見えた。

じろり。

リク達と男との距離は10メートルはあったが、闇よりも深い黒目が二人を悪意を持って睨んだのは感じた。

「誰だ?」

男の短い問い掛けにリクは口を固く閉じる。

見慣れた黒の詰襟はテレビでも良く見る日本軍の制服。それを着る男は軍人で間違いないだろう。軍の施設なのだし。

しかし、纏う雰囲気は正義を掲げる軍人とは違う。

「ああ…………お前達か。爆弾魔は」

「……………………」

「好きにしろ。僕の邪魔をしなければ、それで構わない」

侵入者だと分かっていながら、軍服の男はリク達から目を逸らして他所へ行こうとする。リクも無用なぶつかり合いは避けたいところだが……。

「…………リク、行ったよ……」

「…………………………ああ……」

あれは間違いなく、氷系の魔法使いだ。この施設を氷の城にした魔法使い。

アリアスが相手にするなと言った魔法使い。

リクは勝手に高鳴る胸を押さえ、男とは別の道を選んで進もうとした――

「そこの二人、待ちなさい!」

ノワールが振り返ると、背が高く、肩幅の広い屈強な男が立っていた。黒の詰襟姿は先の氷系の魔法使いと同じ。

軍人だ。

それも自身の正義を信じて疑わない軍人の見本のような匂いをさせた男。

リクは腰に手を当てると、振り向きざまに刀身が細く尖った小刀を抜いて見せた。斬るよりも刺すに特化した刺突剣。30センチ程のそれをリクは構えた。

「先程の爆発はあなた達ですね!一体、どういう目的で――」

「聞くだけ無駄です。ペラペラと馬鹿正直に目的を話す侵入者なんているわけがない」

リク達は一方的に爆弾を使用した敵だ。交渉する気がないのは誰だって分かることである。男は遮る様にリクに言われて口を閉じた。リクも男がチラチラと白髪の少女を気にしているのに気付く。大方、子供だけは傷付けたくない、だろう。

「目的を聞きたいのなら、実力行使に限ります。遠慮はいりません。幼子はいますが、頭数は俺達の方が多い。互いのハンデを考慮すれば、対等です」

男にとって少女は守るべき対象なのだろう。ノワールはそもそも幼い外見を生かして相手の懐へ入り込み、暗殺する――そういう目的で作られた機械人形だ。男が躊躇するのは適正な反応である。かと言って、それを理由に永遠に通行の邪魔をされても困るのだ。

リク達に引く気はないと察した男は無線機を腰のホルスターに戻すと、代わりに黒塗りの小型銃を取り出した。男の大きく厳つい手にはまるで玩具のようである。しかし、リクにはそれが男にとって何よりも使い慣れた獲物であることは直ぐに分かった。






「コウキの居場所……」

「そうだよ。研究棟の方に向かったってことだけは分かっているんだけど」

羽黒(はぐろ)を先頭に、(くれ)千里(せんり)兼守(かなもり)と続く。向かう先は研究棟。

「…………研究棟……」

千里の情報に兼守は記憶を探るように唸る。

そろそろ兼守には道筋を示してもらいたいところだが…………。

「ああ、前にコウキを変なところで見たことがあったな」

「変なところ?」

「定期点検で7階にいたら、8階からコウキが階段で降りてきたんだ」

「8階……確かに変っすね」

羽黒は頷き、エレベーターの呼び出しボタンを押した。

「鼻歌歌いながら降りてきて、俺にも気付かずにそのまま降りてった」

ピンとくるはずがない千里達に気付いた羽黒は「8階以上はどこの研究室も入ってなくて、予算が付かなくて手付かずのエリアなんす」と説明してくれる。

「出入口も階段だけだし、檻みたいな頑丈な柵があって、鍵がないと入れない場所なんだ」

「でも、それって滅茶苦茶怪しい場所じゃん」

「そうっすね」

到着したエレベーターに乗り込み、7階のボタンを迷わず押す羽黒。エレベーターのパネルに8階以上の数字はない。

そうして、一同は8階へと続く階段の踊り場に到着した。柵の向こうは薄暗い。

呉が柵に付いた取っ手を引くが、鍵が掛かっていてビクともしない。柵自体も床と天井に埋め込まれるように設置されており、破壊するにはかなりの労力と何かしらの道具が必要なのが分かる。

「開かないね」

「………………ちょっと待ってくれ。雪之丞(ゆきのじょう)を呼ぶから」

この場にいない雪之丞は、兼守が千里達に協力を約束したことが気に食わなかったのか、居残りを希望した。兼守が機械室を出る時は「行けばいいよ。誰か来たら兼守さんはサボりって言うから」とそっぽを向いてストーブに当たっていた。多分、今頃は兼守への不平不満をぼそぼそと呟きながら、煎餅でも食べていると思われるが。

「雪之丞?俺だよ。お前の手を借りたくて……」

『は?ヤダね!サボりの兼守さんの手伝いなんか、絶対にするもんか!ばーか!!』

兼守の持つ携帯からは、その場の誰もが聞き取れる程の大音量で雪之丞の怒鳴り声が聞こえた。そして、プツリと電話が切れる。

「あー……ドンマイっす」

「………………………………」

消灯した携帯の画面を見下ろした兼守は無言のままリダイヤルボタンを押した。千里は兼守を取り巻く空気が切り替わったのを感じる。

『何?俺、手伝いなんかしないって――』

「いつもの一式持って、今すぐ研究棟7階のエレベーターホールに来い!!」

プツリ。

今度は兼守が相手の反応を待たずして電話を切った。

兼守の変わり様に周囲は静まり返る。触れぬ神に祟りなし――羽黒が呉を盾にして隠れる。

「騒がしくした。すまない。雪之丞を迎えに行ってくるから」

「あ……はい」

すっかり怯えた羽黒を見ても兼守は表情を崩さず。エレベーターホールへと歩いて行った。

「な、なんすか……あれ……」

「なかなかいいスジしてるね」

「千さん?スジって何のすか?」

「飴と鞭の使い分け…………あ、もう戻って来たよ」

「ついさっき行ったばっかりじゃ……」

兼守が肩にカバンを掛けて階段を上がってきた。後ろには顔を赤くして項垂れる雪之丞の姿が。

兼守の電話の後、超特急で道具を用意し、猛ダッシュでエレベーターホールまで来たのだろう。そして、怒られた。上下関係はきっちりしているらしい。

「急がせてすみませんっす……」

「大丈夫だ。ほら、雪之丞、このドアを開けたいんだ。手伝ってくれ」

「…………………………了解」

初対面の時と打って変わってすっかり萎れてしまった雪之丞。兼守は彼のことは一切気にせずに鍵穴に集中する。雪之丞も肩を落としながらも兼守の指示に素早く応えていた。

それから5分。

「開いた」

兼守は無事にピッキングを終えた。背後で雪之丞が道具を片付ける。

「それじゃあ、コウキさん探しを再開するっす」

「ああ。雪之丞はどうする?」

静かに解錠していた兼守が雪之丞に話しかけ、彼はぽかんと口を開けて固まる。あまりの衝撃だったのか、手に持った小さな工具が床に落ちて甲高い金属音が響いた。

「え…………………………俺……」

「一緒に行くか?それとも、戻るか?」

「あ……………………」

振り返った兼守と見詰め合い、雪之丞は反発し合う磁石のように直ぐに視線を他所へ。兼守は落ちた工具を拾い上げると、落ち込んで拗ねる雪之丞に差し出した。

「一緒に行こう?お前がいると心強い」

じっと雪之丞の回答を待つ兼守が優しい笑みを浮かべているのを千里は見逃さなかった。千里の言う『飴』である。そして、飴を渡された雪之丞は――

「………………………………………………行く」

ムスッとしながらも、頷いて工具を受け取った。



「ほへ…………木造。変な感じ」

「へぇ。こんなになってるんすね。学校みたい……」

「昔はここに幹部候補生用の学校があったはず。当時のまま改装されずに残っているんだろう」

研究棟らしい無機質な白色から温かみのある茶色へ。

長い廊下を軸に引き戸の個室が並び、各部屋には簡素な机と椅子、教卓が整然と並んでいた。兼守の言う通り、ここは学び舎だったのだろう。

「でも、こんなに広いとどこ探したらいいのか分からないっす」

『洸くんは行動が猫みたいなものだから、狭くて静かで温かい場所を探せばいい』

「ありがとう、氷羽(ひわ)。…………ねぇ、洸は狭くて静かで温かい場所にいると思う」

「猫かよ」

機嫌を直した雪之丞が手当り次第に扉を開けて中を見る。羽黒もいつも通りな雪之丞に安心した様子で彼の後ろに付きながら興味津々に覗く。

「ところで、コウキのピンチって何なんだ?」

兼守が今更のように訊ね、羽黒は目を丸めると、くるりと顔を千里に向けた。

相楽(さがら)さんを止めるために藤堂(とうどう)さんがコウキさんを探してるって聞いたっす。千さんは藤堂さんより先にコウキさんを見付けたいんすよね?」

「うえ…………あ、うん」

羽黒だけならば、ふわっとした会話で良い方向に考えてくれていたが、兼守には誤魔化しは効かないだろう。逆に怪しまれてしまう。

だからこそ、これ以上突っ込んだ会話は避けたいところだが。

千里が『はい』以上の言葉を続けなかった為に妙な沈黙が生まれる。

「……………………千さんはコウキを知っているのか?」

「千さんはコウキさんの友達っすよ」

「いつからの?」

「………………僕がここでバイトを始めてちょっとしたぐらい…………」

具体的な日付けは言わない。勿論、再度質問されれば、矛盾がないであろう日付けを答えるつもりではあるが。

正直、白魔法により記憶が改竄された現在のコウキに関してより詳しいのは、家族同然だったはずの千里達ではなく、羽黒や兼守なのだから。

「…………気を悪くしたならすまない。ただ、コウキはここへ来る前の記憶がないんだ。もしかしたら、昔のコウキのことを知っているのかと思ってな」

「そう……なんだ」

洸祈には過去の記憶はない。

――千里は胸の痛みを悟られないように、眉を顰めるだけに留めた。

「多分、ハルキって人がコウキの過去を知ってるはずなんだ。千さんはうち以外の神域(しんいき)で清掃のバイトとかやってないのか?ハルキって名前の人――」

「ううん。神域はここが初めてなんだ」

「コウキさんって記憶喪失なんすか?初めて聞いたっす。でも、ハルキさんって何者なんすか?その人ならコウキさんのこと分かるんすか?」

「本人も覚えてないんだ。ただ、自分の名前とハルキって名前だけは所持品から分かって。きっととても大切な人だったんだと思う。もしかしたら、神域の人じゃないのかも…………」

「ちょっと、想像するだけでメソメソしないでくれる?」

「俺は泣いてない」

「泣かなくてもメソメソしてるから。ジメジメしてて鬱陶しいな」

教卓の下を覗き込む雪之丞。しかし、いくら洸祈(こうき)が狭いところが好きと言っても、成人した大人が入るには窮屈過ぎるだろう。

「でも、俺もコウキさんにハルキさんを会わせてあげたいっす!………………ハルキさんって男っすかね?」

「どっちでもいいだろ」

「ま、相楽さんのストーカーさんっすからね。今度、こっそり職員名簿で探してみるっす」

「ありがとう」

千里と呉を置いて繰り広げられる会話に、なんやかんやで洸祈を心配してくれる同僚がいたのかと安心する一方、洸祈が陽季(はるき)のことを名前しか分からないということに落ち込んだ。

陽季がこの事実を知った時にどういう反応をするのか、もしも自分が陽季の立場なら…………考えたくない。

『分かっていたことじゃないか。洸くんは全てを忘れるため、忘れさせるために魔法を使ったんだから。魔法は良くも悪くも素直なんだ。魔法が何をもたらすかは、魔法使い次第なんだよ』


僕の魔法は誰も守れない自分勝手な魔法。


千里は背中にチクリと針が刺さった気がした。

「8階にはいない。となると……狭くて静かで温かい場所………………」

カーテンの引かれた窓を見た兼守は隙間から零れる光をじっと見つめると、9階をチラと覗いて10階へ。

「温かいのは日当たりの良い場所。つまり、南か東だ。コウキは良く日光浴をしていたからな。静か……はどこも静かだから……あとは狭くて居心地の良い場所だ。まずは、あそこを見てみよう」

「校長室?確かに、ここが学校だったなら、あそこが一番日当たり良くて居心地がいいところに違いないっす!俺、校長室入るのって初めてなんすよね!優等生だったんで」

「羽黒って人畜無害な顔でシレッと敵を作るよな」

「俺は常連だったな。良く女校長に誘われて寛がせて貰ってたけど、俺も若かったなぁ……」

「兼守さん、その話マジで勘弁してくれない?」

千里は雪之丞がこの場にいて良かったとつくづく思った。

立場上、ボロを出さないように発言は控えたいどころだが、もしも雪之丞というツッコミ役が不在だったなら、千里は我慢出来ても、きっと氷羽が耐えられなかっただろう。事実、既に氷羽は我慢の限界で、イライラはピークに達していた。

因みに、千里は職員室の常連ではあった。

「んー、居ないっすね」

「見当違いだったか……すまない」

扉の向こうは校長室だ。

埃っぽいが、時代が時代なら、立派であったろうソファーが並び、奥には大きな机が残っていた。床にはすっかり色褪せたカーペットが敷かれている。

しかし、洸祈は居ない。

『…………いや、いるね』

「え!?」

思わず声を上げた千里に呉含めた4人が一斉に注目した。

「どうしたんすか!?」

「あ…………いや……あう……氷羽…………」

『右奥。あれはクローゼットじゃないよ』

氷羽に言われて無意識に無視していた折れ戸に目を向けた。他の者も千里に合わせて味気のない戸を見詰める。

「一応、開けとくか」

兼守が蝶番を軋ませながらゆっくりと戸を引いた。

「…………ただのクローゼット……ではないな。隠し扉か?」

「なにこれ!絶対に秘密基地の入口っすよ!開けるっす!」

一枚も洋服が掛かっていないクローゼットの壁面にはドアノブが付いていた。そして、冒険者気分の羽黒は我先にとドアノブを回した。



隠し扉を開けると、そこは本当に狭い小部屋だった。と言っても、狭い原因は部屋の大きさのせいと言うより、大きなソファーと観葉植物の鉢植えのせいだろう。それ以外にも、謎の置物や小物が窓枠やこじんまりとしたローテーブルの上に乱雑に置かれ、天井の照明器具からは宇宙飛行士とロケットのモービルが吊るされていた。壁にも色々な装飾品が画鋲で貼り付けられている。そして、この部屋だけは不思議と温かい感じがした。暖色系が多いのも一因だろうが、確かに窓が外との気温差で曇っていないのだ。この部屋だけ寒さから逃れている。

部屋に入った一同は、寒さで強ばった筋肉が解れるのを感じた。

「これは……見るからにコウキの秘密基地だな」

「あいつの意味不明な思考回路を映したみたいな部屋だしね。金ない金ないお腹空いたって言ってたけど、無駄遣いしてただけだろ」

「あ、何か作ってってせがまれて作ったトランシーバーだ」

兼守自作の黒くて味気の無いトランシーバーがソファーに置かれている。兼守がそれを手に取って電源を付けてみると、緑色のランプが光った。

「何そのチョイス…………ホント甘やかし過ぎ。兼守さんは直近の部下である俺のことを蔑ろにして、コウキを融通すんの?」

「え?コウキに嫉妬してるのか?」

「は?なんで?ごく当たり前のコミュニケーションの話してんだけど。兼守さんこそ、コウキのことを必要以上に構ってる自覚あるでしょ」

「う……」

兼守は痛いところを突かれたみたいに唸る。返す言葉もないらしい。

「まあまあ。今はコウキさんっす。秘密基地は見付けたけど……やっぱり居ないっすね」

だが、洸祈はここに居る。

氷羽がそう訴えているのだから。

「……っ、洸っ!いないの!?隠れないで!僕は君のことを――」

『千里、落ち着け』

通信機から響く(あおい)の声に、千里は言いかけた言葉を飲み込んだ。

呉も千里の腕を強く掴む。

「千さんがこんなにも心配してるのに……コウキさんは一体どこに行ったんすかね」

「はぁ……………………おい、コウキ。近くに居るんだろう?怒らないから出て来い」

「え?」

兼守が手の中のトランシーバーに声を掛けていた。

千里も羽黒も首を傾げるが、呉と雪之丞は探る様に周囲を見る。

「兼守さん?どうしたんすか?」

「このトランシーバーは対になるのを二つ作ってコウキに渡したんだ。そして、この緑のランプはもう一つの電源が入っている状態かつ近くにそれがあるって意味だ。もう一つを持っているのは、きっとコウキに違いない。で、盗み聞きしている。だから出てこい。ここにいるのはお前の味方だけだ」

――…………ザ……ザザッ……――

トランシーバーから漏れるノイズ。

「蜜柑の恩を返しに来た」

――………………兼守さん……ここ……助けて?――

今、洸祈の声が聞こえた。

洸祈と陽季の結婚式の動画で聞こえた洸祈の声が。

「助ける?ここって何処だ?」

――ソファーの下。挟まった。……出れないよぉ……――

「挟まった?」

千里がソファーの下を覗くと、薄暗い中に溜まった埃と骨ばった手が見えた。携帯のライトを付けてみると、赤茶の後ろ髪が。

「確かに挟まってるっす」

「一生ここに挟まってればいいんじゃないの?喋らなきゃ誰にも見つかんないでしょ」

――うう……覚えてろよ!いつかトイレの個室に閉じ込めてやる!――

「言ってろ!俺だって煎餅の恨みを忘れてないからな!」

腕が動いてソファーがガタガタと鳴るが、抜け出せはしなかった。かなり無理をして入ったのだろう。そんな彼を雪之丞はケラケラと笑い、兼守は溜め息を吐く。

「羽黒さん、そっちの端を持ってくれるかい?千さんは真ん中。このソファー、思った以上に重いな」

「はいっす!」

「は、はい」

洸祈に会える。

期待と不安。色々な感情が渦巻き、それでも兼守に指示されるがまま、千里は思いっきりソファーを持ち上げた。




「っ、けほけほ」

髪も服もどこもかしこも埃まみれの青年。

咳払いをした彼は頭を振り、服を叩くと、振り返った。

えんじ色のズボンに黒色のウインドブレーカー。

赤茶の髪と緋色の瞳。

家族写真よりも幼く見えるが、葵と同じ顔のこの男は――崇弥(たかや)洸祈だ。

『嗚呼……千里君、そこにいるのは崇弥洸祈かい?』

(れん)さんが僕を気遣いながら丁寧に訊ねてくる。しかし、僕にはその質問に答える余裕がなかった。何故なら、僕は崇弥洸祈に会えた時に何よりもまず確認したいと思っていたことがあったからだ。

確認の末に僕自身が酷く傷付くだろうと知っていながら。

「……………………洸…………僕は君をずっと探して……」


「兼守さん、この人……誰?」


分かっていた。

はずだった。

しかし、本人を目の前にして本人の口から直接言われて、大きく深く心臓が鼓動し、それから電池が切れたみたいに止まった。

「あ、俺はセキュリティセンターの羽黒って言うっす!よろしくっす!」

「知ってるよ。食堂でいっつも漬け物の大盛りを強請る人でしょ?ご飯は普通盛りなのにさ」

「俺のこと知ってるんすね。てか、そんなとこまで見られてたなんて……怖いっす」

「うん。人間観察が趣味だもん。で?誰?とっても綺麗な人だね。てことは…………俺の兼守さんのカレシ!?」

「は?」

兼守さんが洸祈の薄汚れた頭を強めに叩き、「いつ俺がお前のになったんだ」と怒る。

――が、兼守さんは徐ろに口を閉じると、僕を見詰めた。雪之丞さんも兼守さんの隣で眉を寄せながら僕を睨む。

「まぁまぁ、コウキさん見付かったんすから。良かったっすね、千さん!」

「良くないでしょ。羽黒、こいつら何者なのさ?」

「だから、二人はコウキさんの友達っす」

「友達ならコウキが知らないわけないじゃん」

「え?…………探してる人は違うコウキさんとか?」

優しい羽黒さんは必死に僕らを擁護してくれる。しかし、僕には彼を騙す為の嘘をもう吐けない。

「……違わない。僕の探している洸祈は彼だ」

「友達じゃないなら、コウキを探す目的は?まさか……藤堂の仲間?藤堂よりも先にとか言って、本当はこいつを誰よりも早く見付けて捕まえる為に――」

「雪之丞。憶測で話すな」

苛立ちを露わにする雪之丞さんを兼守さんは宥めるが、洸祈を背中に隠し、僕の一挙一動に警戒していた。羽黒さんは僕の裏切りを信じたくないのか、目を見開いて固まっている。

『千里君、彼らに説明は不要だ。君は彼らから洸祈を引き離し、呉君の空間転移魔法で用心屋まで連れてくるんだ』

蓮さんが警告し、彼と同意見らしい呉君が僕の行動を見張る。

そうだ。

洸祈の記憶が無いのは覚悟していた。

いくら洸祈が喚いて暴れようとも、陽季さんの待つ用心屋に連れて帰ると心に決めていた。

誰よりも大切な陽季さんに会えば、きっと洸祈は思い出すと思ったから。

だから――

「君は藤堂さんとは違う。コウキを探していたのは何か別の理由だろう?君は何者で、どうしてコウキを探していたのか……教えてくれるか?」

「僕は――」



「お前は(さくら)千里だ」




「!?」

千里は慌てて兼守、雪之丞、羽黒を見た。しかし、全員が口を閉じており、彼らも聞き慣れない声に対して一体誰が喋ったのかと驚いていた。

「いっ!」

洸祈の短い悲鳴に全員が振り返ると、男が洸祈の髪の毛を掴んで立っていた。

「痛いよ!」

「先に見付けてくれてどーも」

男は洸祈とあまり身長が違わない。しかし、洸祈は両手首に黒い枷を嵌められていて逃げられないでいた。

あれは魔法使いを消耗させるための黒曜石の枷だ。

「なぁ、櫻がどうしてこれを探しているのかは俺も興味があるね。話してくれるかい?」

「お前に話すことなんてない。洸を放せ、(まき)!」

千里が手を伸ばした瞬間、槇は不気味な笑みを引っ込めて目に寒い冬の月明かりに似た冷えた光が走る。そして、鋼色の短刀を洸祈の首筋に掲げて見せた。窓からの陽光が刃に反射して輝く。

「はっ、その命令口調何様?一族を貶めた櫻の恥が」

「…………………………」

『ああ、マキって「槇」ね。プリン頭のヤンキーなんて親族にいたんだ?』

揶揄う口調の氷羽だが、千里には彼が千里への侮辱に怒りを抑えられないでいるのは分かった。今にも千里の意識を押し退け、槇の顔面を殴り、洸祈の首根っこを捕まえて店に連れ帰りたそうだった。けれども、千里も槇の言葉を否定できるほど厚かましくなれなかった。

千里自身、槇は櫻一族が抱く感情を代弁したに過ぎないと重々承知しているからだ。千里は血と歴史を重んじる一族の絆を根元から切ってしまった。寧ろ、『櫻の恥』どころではないだろう。

「何だっていい。槇さん、コウキに乱暴しないでくれ」

落ち着いた口調で兼守が喋る。

目の前で槇に部下を射殺された過去のある兼守が。

しかし、残虐性を持つ槇にその手の言葉は一切伝わらない。寧ろ、弱味を見付けて目付きの鋭さが増す。

「あんたってホントにキモいよな。血を見ると直ぐにわんわん泣いて。デカい赤ん坊みたいで気持ち悪い。既に泣きそうだし。そこのお子様達に慰めてもらえば?」

「槇、てめぇ!?兼守さんへの暴言は俺が許さねぇぞ!」

「許さない?内部監査室のする事に文句?ああ、お前も瀬能(せのう)の教え子か。植田(うえだ)と同じ。植田は最後までお前の名前を出さなかったが、お前だけが例外なわけないのにね?」

「俺は――」

「やめてくれ。雪之丞は裏切り者じゃない。監査室はそう結論付けたはずだ」

「まぁ、いいや。これは監査室の権限で連れて行く。邪魔しようとしたことはお前達の経歴にきっちり残させてもらうから」

「さっさと動け」と槇に肩を押され、洸祈はクローゼットの隠し扉から校長室側へと倒れ込む。微かに唸る彼は四肢に力が上手く入らないようであった。

「洸!」

「動くな。少しでも動けば撃つ」

短刀から拳銃へ。真っ直ぐ千里の額を狙ったそれに彼は硬直した。しかし、それは撃たれることへの恐怖からではない。千里の魔法は千里の意思に関係なく、千里を守るだろう。けれども、それに気付いた槇が次に誰を狙うか、そう考えた時、千里は迂闊に動けなくなった。千里が標的の内は全員安全だ。そして、外へ出た槇は隠し扉を閉めると、扉の向こうからは家具を動かすような音が響いた。慌てて羽黒がドアノブを掴むが、何かがつっかえているようでビクともしない。

「ま、槇さん!酷いっすよ!」

「もう近くにいませんよ。僕、耳が良いので分かるんです」

壁に耳を当てた呉。開けるのを諦めた羽黒はそんな彼を見下ろすと恐る恐る口を開く。聞いていいのか十分迷い、しかし、彼が勇気を出して口を開いたのが傍目に見ても分かった。

「……………………呉君…………二人は誰なのか、ちゃんと聞いてもいいっすか?」

「……………………」

呉は答える立場にないと示すように千里の横顔を見上げ、視線が千里に集まる。千里もここまで協力してくれた彼らに話すか否か決めかねていると、通信機を通して蓮が助言をくれた。

『話さない方が警戒される。千里君の名前は既にバレているしね。それに、彼らは君達のことを売ったりはしなそうだ』

櫻本家が退いたと言えど、軍上層部では未だに櫻一族の影響力は大きい。その櫻の名前を櫻一族である槇から聞いても、彼らは偏見で語ることはしなかった。櫻の名前を知らない可能性や信じていない可能性もあるが、それ以上に千里はもう他人とは思えない彼らに嘘を重ねたくなかった。

「僕は櫻千里。彼は春日井(かすがい)呉。僕達は親友で家族の崇弥洸祈を探しに来たんだ」

「……でも、コウキさんは二人のことを知らないって言ってたっすけど」

「それは話すと長いんだけど……あ、じゃあ、これが証拠」

斜め掛けにした鞄を広げた千里は内ポケットから小さく畳まれた紙を取り出して羽黒に渡した。羽黒は兼守と雪之丞に見守られながら紙を広げる。

「写真………………コウキさんっすね。ここに写ってるのは皆コウキさんの家族っすか?」

「うん」

用心屋の前で取られた写真には琉雨(るう)や呉の半袖を靡かせる夏の風の匂いがするようだった。少年少女を挟むようにして洸祈、葵、千里が立っている。どうしてこの写真が撮られたのか、今の千里には一切思い出せないが、不思議と懐かしい気持ちになるのだ。

「じ、じゃあ、ハルキさんは?ここにいるんすか!?」

「ううん。万が一に備えて個人情報の分かるものは持つなって言われたんだけど、これだけはこっそり持ってきたんだ。洸に見せたくて。でも、陽季さんだけは洸の本当に本当に大切な人だから……陽季さんに何かあったら、きっと洸に記憶がなくたって、凄く傷付くと思うから」

「そうなんすね」と呟いた羽黒は目尻を赤くした。千里もそれを見て嬉しくもあり、寂しくも感じる。

「今この時も陽季さんはこの家で洸の帰りを待ってるんだ。だから、僕は少しでも早く彼に会わせてあげたい。ごめんなさい。嘘をついて」

「そんな……!友達を助けたいって気持ちに嘘はなかったっす!だから、俺は二人を手伝うっす!」

羽黒からは夏休み明けの上司から逃げる為でもなく、不運の仲間としてでもなく、純粋に千里の友達として手を挙げたのは千里にも分かった。彼に続けて兼守も「俺も手伝う。知ってしまったからな……ほっとけない」と頷く。

「槇がムカつくから俺も手伝う。それに……帰る場所があるなら、あいつにはさっさと家に帰ってもらいたいしな。その方が仕事が捗る」

「雪之丞…………いい子に育ったなぁ……」

「ちょっと、やめて。いつ俺の保護者になったわけ?」

「ずっとだよ。お前のことは瀬能さんに任されてるからな」

槇に煽られた時、雪之丞は『瀬能』の名前に怒りと悲しみの表情を浮かべた。兼守は咄嗟に雪之丞を庇い、羽黒も青ざめていた。

「…………ありがとう。本当に」

内部監査室や槇に逆らえばどうなるか。三人は分かりきっている。それでも千里達に協力してくれる。

軍は千里にとって呪いの様なものだった。櫻を縛り、母を捨て、父を奪ったからだ。そして、洸祈を奪った。しかし、少なくとも彼らは違かった。軍人と一括りにするのは愚かだ。

千里はこんな時に泣いている場合じゃないのに、目頭を強く押して誤魔化す。


「じゃあ、改めましてよろしくっす。千里さん、呉君」

羽黒は子供みたいに大きな笑みを見せた。





「っ、引っ張らないでよ!引っ張ったらまた転んじゃうだろ!」

「騒がないでくれる?折角、楽して見付けられたんだから、逃亡させてたまるか」

「見付けたって言わないよ。横取りって言うんだよ。折角、兼守さんが見付けてくれたのに……。あ、嫉妬した?俺の事好きなの?」

「いや?心の底から大嫌いだけど?」

「…………俺の苦手なタイプ」

「褒め言葉どーも」

「じゃあ、俺も君のことが心の底から大嫌い。お互い気が合わなさそうでいいね。ねぇねぇ、あの金髪の子は誰?あんな狭い部屋に今世紀稀に見る美人さんと一緒に閉じ込めたら、兼守さんがドキドキしちゃうじゃん。雪之丞はいい気味だけど」

「後で全員始末しとくから黙ってくれる?」

「その時は俺もあんた始末するから黙るよ」


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