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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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裏切りと正義(14)

朝と夜の狭間。

無機質で軽くも重くも暑くも寒くもない空気が満ちた頃。


「なかなか大胆だよね、君」


(れん)は部屋の隅で蠢く影に向かって語り掛けた。

影は淡い青色の光を浴び、ゆっくりと蓮を振り返った。

「そのUSBの扱いは気を付けた方がいい。接続機器を尽く破壊するはずだから。それと、余計なお世話だろうけど、君が盗んだ情報はここ十年間の都内各観測地点の気象データだ。まぁ、無価値って訳じゃないけど、君が求めるものは何もないんじゃないかな」

二之宮(にのみや)蓮。情報屋でヤブ医者、序にオペラ歌手」

「歌手は『ついで』かい?これでもファンから花ぐらいは頂けるんだけどな。まぁ、いいよ。僕はアリスで二之宮蓮でウンディーネだ。どれで呼んでくれても構わないよ」

「中立の犬」

ノートパソコンからUSBを外した彼はそれを胸ポケットにしまうと、立ち位置を替えた。

黒髪に黒目。平々凡々な顔立ちの男が窓から差す僅かな明かりの下に現れる。黒の詰襟姿の男は飢えた獣じみた鋭い目付きで蓮を睨み付けていた。

「『犬』とは失礼だね。(きり)とはあくまでも対等であり、商売仲間なんだけど」

ベッドに上体を起こして座る蓮は徐に片腕を上げる。

男はその動作に素早く後方へ飛んだ。

しかし、男の警戒にも関わらず、蓮の指に小鳥が一羽留まっただけだった。

漆黒の体毛に赤色の瞳の小鳥。

セイがチチチと鳴き、蓮が毛羽立った小鳥の額を撫でる。

「君が欲しいのは崇弥洸祈(たかやこうき)の情報かい?そんなことなら、僕に直接聞けば良かったのに。君とは協力していく仲なんだからさ」

「誰がお前の言葉を信じるんだ?情報屋」

「信じる必要は無い。情報って言うのは全てが正しい訳では無いからね。ただ、僕が情報屋として重宝されるのは、正しい情報と偽りの情報を見極めるのが上手いからだよ。だから、君も見極めればいい。もしも君が誰の言葉も信じないのなら、君は軍の書庫で資料を読み漁りはしなかっただろう?」

「資料は情報を残す為のものだが、お前の口からの情報は相手を混乱させる為のものだろう?聞くだけ無駄だ」

「まぁ、そうとも言えるね。……分かったよ。好きに探すといい。僕は隠し事が上手いから、楽しめると思うよ。それと、後片付けぐらいは子供じゃないんだから出来るよね」

おどけた表情をした蓮。男――相楽(さがら)はチラと彼を見ると、鼻を鳴らして踵を返した。

勿論、机の上のパソコンを付けたまま。






早朝。

普段なら薄らと遠くの空が明るくなる頃だが、今日は違った。

分厚い雲が掛かった空はどんよりと暗く、雨が降っていた。

「せめて駅まで送らせてよ、神影(みかげ)君」

「蓮……」

背中に大きな荷を背負った神影は、リビングの窓の隙間から顔を覗かせる蓮を振り返る。静かにを心掛けて出てきたはずだったが、蓮に声を掛けられ、神影は開いた口が塞がらずにいた。

「君には沢山迷惑を掛けたから…………これからも掛けるだろうから、駅まで送らせて?」

両手の塞がった神影に傘をさすリトラが判断を仰ぐように神影を見る。神影はチラと背中で眠る少年を気にすると、暫くして小さく頷いた。



董子(とうこ)の運転する車の後部座席。蓮と神影が並んで座り、神影の膝には丸くなって眠る雪癒(せつゆ)がいた。幼い体は董子が用意した羽織りに包まれている。

「ありがとう」

静まり返った車内で、神影が口を開いた。

「…………君は本当に優しい。もっと怒っていいのに、君は怒らない。だから僕は甘えてしまうんだよ、神影君」

「俺は優しくなんてない。ただ、俺は借りを返しているだけだ」

「君の言う借りは相当大きいみたいだ」

「深海より深くて大きいさ」

「変な例えだね」

「ああ」

眉尻を下げ、頭を窓に寄せた蓮が唐突に感謝してきた神影に力なく微笑む。互いに目は合わせないが、神影もまた雪癒の髪を撫でながら言った。

「雪癒が起きない…………普段から寝坊はするが……眠りは浅い方なのに、いくら起こそうとしても起きない。疲れからだとは思うが………………なぁ……」

「僕がせっちゃんに魔法を使ったって知られたら、すっごい不機嫌になるんだけどね。でも、既に不機嫌にさせてるから――」

雪癒の髪を撫でる神影の手を包むように蓮の手が乗る。

ひんやりと冷たい手。まるで氷のような。

「おまえっ……」

異常な冷たさに神影が蓮を振り返り、蓮は瞳を波色に輝かせてじっと雪癒を見下ろす。二人の視線は交わらず。

「冷え症なだけだよ。………………………………何だろう……カミサマを診るのは初めてだから分からないけど、せっちゃんの魔力供給が止まってる……いや、本当に少しずつだ。残り少ない魔力を温存しようとして、眠っているのかもしれない」

「雪癒の魔力が無くなるとどうなる?カミサマは不老不死なんだろう?こんな状態でアリアスに会わす訳にはいかない」

「…………………………あんなせっちゃんは初めてだった。アリアスはせっちゃんにとって決して許すことの出来ない一線を超えたんだ。せっちゃんの意思は固い。誰にも止められない。多分、君にも。だから、僕の魔力をあげる。応急処置にはなると思う」

「……お前のこと止めるべきなんだろうけど、すまない。お前の言う通りで俺には雪癒を止められない」

「………………早く明るい話を聞きたいな…………楽しい物語を聞きたいんだ……」

誰かに語るでもなく、ぼそりと零した蓮。彼は神影から雪癒を預かり、小さな額に触れて目を閉じた。

神影は足下を見詰め、助手席のリトラは水滴の流れる窓ガラスを見る。

そして、董子は眉を寄せ、少しだけ唇を噛んで運転に集中していた。





「あれ……蓮さんは……」

二之宮家リビングにはアイスを頬張る遊杏(ゆあん)とソファーの端を陣取る相楽(さがら)。台所で作業する董子がいた。

これから作戦会議という時に、まとめ役となる蓮の姿がない。

(あおい)千里(せんり)の為に追加のアイスを用意する董子に問い掛けた。

「少し目眩がすると…………申し訳ございません。約束のお時間なのは承知の上で、私が無理矢理休むよう言ったんです。ですから、あと一時間だけ………………」

「アイス食べてるから気にしないでいいよ。僕達は蓮さんなしではこんなにも早く洸祈を見付けることができなかったから」

「ありがとうございます。少し蓮様の様子を見てきます」

食卓テーブルを挟んで遊杏の向かい側に座った千里は背中を丸めてアイスをフォークで突きだす。

手持無沙汰な葵は取り敢えず、ソファーに腰掛けた。

「崇弥」

「え……」

慣れない呼ばれ方。そして、慣れない声音。

葵は素っ頓狂な顔を相楽に向けた。

千里も横目で相楽を見る。

「お前の索敵能力はどれ程のものだ?昨日のが限界か?」

「それは……」

「何か関係あるの?」

相楽からの突然の質問に、葵がどう返事をすれば良いか迷っているところに、千里が口を挟んだ。宙を睨んでいた相楽の視線が千里へと移動する。千里も喉仏を上下させると、相楽を真正面に見た。

昨日とは打って変わって、彼は相楽から視線を逸らすことも、怯えた表情を見せることもなかった。

相楽はつまらなそうに鼻を鳴らすと、そっぽを向く。

「第四神域は他の神域より強い結界が施されている。僕のいる第七研究施設は所謂、内部監査施設。他にも軍の中でも後暗い部分を担う施設が入っている。僕達の捕まえたスパイも地下牢に捨ててるからな。そんなとこに何の対策もせずに近付けば、直ぐに見付かるし、そもそも結界内に入れるかも怪しい」

「限界じゃない。昨日は手加減してた。あなたが僕達をちゃんと追えるように、あおは手加減してた」

「千里……」

「なら、お前は?空間断絶魔法は結界にも効果あるのか?」

「え……あ………………その……僕のは……」

「結界にも効果はありますよ。時制型空間転移魔法で試し済みです」

「うわっ!?」

千里が椅子から飛び上がった。

相楽もソファーから立ち上がるが、声は出さない。

遊杏も手を止めたが、それだけ。リビングに現れた突然の訪問者を一瞥しただけだった。

(くれ)君!ビックリしたよう!」

「すみません。ですが、お二人が僕に内緒で出掛けるからですよ」

「ごめんね。呉君、ぐっすりだったから。今日は作戦会議の予定だったし」

葵が目尻を擦り、黒髪をはね散らかせた呉の頭を撫でる。

千里もそこに加わり、呉の履くズボンに入り込んだ上着の裾を出してあげた。随分と慌てて来たらしい。

「僕は生命維持活動に睡眠を必要としてません。ただ、僕が眠るのは趣味です。だから、遠慮なく起こしてください」

ムスッとした呉は気遣いで置いていかれた事に怒るに怒れず、身だしなみを整えてくれる二人に唇を尖らせるだけに留まる。

「確かに僕は年寄りですが、年寄り扱いはやめて欲しいです……」

「え…………それはどちらかと言うと、よく寝てよく育ってって意味の子供扱いなんだけどなぁ。まぁ、いいや。と、言うわけで、僕は結界にも強い!呉君のお墨付きだよ!」

胸を張り、妙な自信を付けた千里はしたり顔で相楽を見る。短気な相楽に対してあまり調子に乗るのは良くないが、葵がそれを口に出して指摘した方が悪化するのは目に見えている。葵は必死にアイコンタクトを取ろうと試みるが、勿論、鼻高々の千里には見えていない。いつもの事だが、それでは困る。ようやく取り付けた危うい同盟関係を千里の自慢顔に壊される訳にはいかない。

「おはよう、皆。遅れて済まないね」

相楽の眉間のシワが一本増えた時、蓮が董子の押す車椅子に座って現れた。「にー、大丈夫?」とフォークを持った遊杏が彼の膝にくっつく。

「心配してくれてありがとう。だけど、もう大丈夫だよ。寧ろ、遊杏の笑顔見たら元気出てきた」

「えへへ。ボクチャンもにーの笑顔を見ると元気になるよ」

遊杏の頬を両手に挟んだ蓮。彼らは互いに笑みを浮かべた。



「――随分と遠回りをしたけど、これで行く。僕達は崇弥洸祈を奪い返す」

と、蓮。

「はい」

と、葵。

「うん」

と、千里。

「了解しました」

と、呉。

「僕は戻る。藤堂(とうどう)が僕の首を斬りたくてウズウズしている所だろうからな」

相楽はソファーから立ち上がると、さっさとドアへ。

董子がお客様をこのまま返して良いのか迷っていると、蓮が首を左右に振る。

「手土産はあった方がいいんじゃないのかい?短時間とは言え、君の魔法はかなり派手だったから。軍もピリピリしてるだろう」

「余計なお世話だ。自分達の心配をしてろ。お前達が計画通りに動かなければ、僕は即座にお前達を見捨てる。同じ泥船に乗る気はないからな。崇弥洸祈と共に沈め」

「な……ッ!」

失礼な物言いに葵が握り拳を作るが、相楽はドアを開け放ったままリビングを出て行った。

直ぐに玄関ドアの閉まる音がして、千里が盛大なため息を吐いた。

「はぁぁぁぁあー……僕、あの人苦手。怖いよ……」

「俺も苦手です。正直、信用出来ません」

「別に信用は不要だよ。彼の目、鼻、口、頬。どれもこれも素直だ」

ふふふ。

このまま計画を実行しなくてはいけない事に暗い表情を見せる千里と葵を置いて、蓮だけは愉快そうに肩を震わせる。そんな彼の背後で董子は「ごめんなさい。蓮様も素直な方なので」と あらぬ方向への気遣いを見せた。

「あーごめんごめん。彼が裏切るか否かは君達は心配しなくていい。ただ、彼は僕達が少しでも計画から外れた動きをしたら、絶対に僕達を切るだろうね。素直だから分かるんだ。彼のことは信用しなくていい。だけど、彼に対して誠実でなければ、彼はそれ相応の態度を取ってくるってだけ」

「うう……ちゃんと頑張るけどさ……」

もともと自己肯定感の低い千里は蓮の話にすっかり自信を無くしたようで、俯いて両足の爪先を擦り合わせる。

「大丈夫。フォロー出来るよう準備はしている。最終手段は施設爆破と海外逃亡だから。僕の有り余る資金力でハワイ暮らしをするだけ」

「にーのいる所がボクチャンの家。ずっと一緒!」

「そういう事。緊張しなくていい。全力ならそれで。さて、と。今日は解散。明日一日じっくり休むこと」

「あ…………はい…………」

蓮なりに千里を応援したつもりだったが、届いたのは千里以外にだけ。千里は相変わらず爪先を見詰めて暗い顔をしていた。

そんな彼の横顔を見た蓮は、二人の心情を察する葵と目が合って苦笑した。

しかし、どんなに不安でも、やるしかない。

この機会を逃せば、相楽の協力はもう二度と得られないだろう。洸祈に会うことも見ることさえ難しくなる。場合に寄っては洸祈が軍の裏切り者として処分される可能性も十分にある。

葵は深々と頭を下げると、千里や呉と共に蓮宅を後にした。






……パシャ。

それはビニールに液体が掛かった音。

具体的にはコーヒーがゴミ箱内に設置されたゴミ袋に掛かった音。

つまり、藤堂がマグカップに入っていたコーヒーをゴミ箱に捨てた音だ。

(みね)、うるさい」

「はッ!はいッ!申し訳ありませんッ!」

「声もうるさい」

「はい……ッ……………………はい………………声も……?」

「さっさと報告して出てってくれるかな?君は存在がうるさい」

執務室の隅。鼻息の荒い巨漢――嶺は肩を強ばらせると、慌てて片手で口を塞いだ。しかし、鼻息は指の隙間からヒューヒューと出たまま。

振り返りはしないが、嶺に背中を向けたままの藤堂が彼の気配を察知して眉間を揉む。

「ッ…………はッ………………はい。相楽さんが只今戻りました。指示通り、空いていた第二作業室に待機して貰っています」

「待機、ね。随分と大人しい…………行方不明の間の事は何か喋ったかい?」

「黙秘です」

「分かった。じゃあ、出てってくれる?」

「はい……」

藤堂は椅子に腰掛け、嶺はガタイの良い肩を窮屈そうに丸めて廊下へと通じるドアを開けた。

「嶺」

「え……」

「君には暫くの休暇を与える。その腕、早く医者に診てもらいなさい。あと、労災申請忘れないように。書類出してくれたらサインするから」

藤堂は机の紙束を見たまま。

嶺はずっと庇っていた左腕を見下ろす。相楽に個室での待機をお願いした瞬間に無言で膝蹴りされた腕だ。最初、僅かな痺れを感じていたが、今では呼吸の度に酷い痛みを発していた。

藤堂とは一度も目が合う事はなかったが、嶺は少しだけ表情を明るくすると、「はいッ!ありがとうございます!」と感謝して勢い良く部屋を出て行った。

藤堂は静かになった執務室で机の上の内線電話の受話器を取り上げると、迷いなく番号を押す。

呼び出し音が一回、二回、三回…………二十回は鳴ったところで、相手が出た。

『………………………………』

相手は無言。

「………………………………」

藤堂も無言。

『…………………………………………………………藤堂』

「おかえり、相楽」

受話器の向こうの相楽の声に、藤堂は微笑した。

凍った目付きのまま。

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