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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
373/400

裏切りと正義(6)

午前4時。

夜と朝の狭間。

世界が止まる時間。

一日の中で最も心地よい時間。

このまま時が止まればいいのに。



(みやび)、あの子は見付かった?」

「…………申し訳ございません、千弓(ちゆみ)お嬢様……まだ……」

「いいわ。ねぇ、この子達を家までお願い」

「千弓お嬢様も……千歳(ちとせ)お坊ちゃまは我々が必ず見付けますので」

「大切な弟よ。私も探す。だけど、千早(ちはや)千鳥(ちどり)は限界。風邪をひいてしまうわ。だがら、家に」

「……分かりました…………申し訳ございません……」

「謝ってばかりね。千景(ちかげ)姉さんを見習いなさいよ」

「……申し訳ございません…………」

「…………………………妹達を家まで送り、直ぐに合流しなさい。いいわね?」

「………………分かりました」




「は、放して……!」

何あの子供。

子供どころか殆どの大人も寝てる時間だってのに、柄の悪いのに目を付けられて。

――俺も含めてだが。

「お子様は家に帰る時間だぞー」

「おい、俺らと遊ぼーぜー」

「家出のちびっ子じゃん!ウケる!」

パーカーにジーンズ、スニーカーに野球帽の少年。

その時、少年を囲む男達の1人が彼の帽子を奪った。

震える声の少年の涙に塗れた顔と赤銅色の髪が街灯に晒される。彼の片手は腕にジャラジャラと金属の鎖を巻いた男に掴まれており、空いている方の手で必死に帽子を取り返そうと手を伸ばしていた。

「お前にそれは被れねーだろ」

「分かんねーぞ、ほら、がんば、れ、ば、多分っ、行けるっ」

赤い野球帽にはとある野球チームのマークが付いていたが、それが歪む。

「返して!返してよ!返せよっ!」


………………俺の世界が穢される。


「おい!どこ行ってたんだ!帰るぞ!」

「うぇ」

男達の間抜け面と少年の泣きっ面が揃って俺を見る。

それもそうだろう。

俺はこの場の誰とも知り合いでもなければ、真夜中に正義を振り翳す公務員でもない。

俺は誰も何も信用しない人間だ。

だが、今回に限っては、俺は彼の兄……まぁ、家族ということにしておく。少年の名前も知らないが、俺は彼の家族。だから、俺は家族の腕を取り、少年の細い腕を握り締める男の腕を鷲掴みした。

「弟がすみません」

大学生だろうか。

一般的に『不良』の枠に入るのには違いない。

序に、俺よりも年上。しかし、同情の全く湧かない赤の他人の為に兄の振りをすると言うのは、逆に気楽な気持ちで対応出来る。

恐怖などない。

俺は不良達のことも少年のことも本当にどうでもいいのだから。

ただ、静かにして欲しいだけ。俺の密かな楽しみの時間を取り戻したいだけ。

男は俺を見上げ、見定める。

自分よりも格下か、格上か。

「ぼーし、返してやれよ」

無駄に高い俺の背が一役買ったみたいだ。

男は少年の帽子で遊ぶ男女からひょいとそれを取り上げると、少年の頭の上に返し、俺の手を振り払う。

あれは『もうお前達には関わらない』の仕草だ。だから、俺はぺこりと頭を下げ、少年の手を引いてその場を離れることにした。



「ありがとう……ございます……おじさん」

おい。

「どこら辺が、おじさんだ!」

俺はまだ16だぞ。

いくら相手がガキんちょと言えど、『おじさん』呼ばわりは悪意しか感じない。

少年はビクリと震えると、これでもかと深々とお辞儀をしてきた。

「申し訳ございません……っ」

変な子供だ。

見た目も態度も子供なのに、謝る姿だけ小さな大人。大人ぶるとかではない。子供の俺の感想だから違うかも知れないが。

だけど、こんなガキんちょの時から大人になろうと背伸びする彼に俺はとても悲しくなった。俺がこれぐらいの時は何も考えずに鍵で家のドアを開け、テーブルの上の金を手に「セレブだ」とか思いながらコンビニ弁当を買っていた。そして、テレビゲームをし、夕飯を食べ、弁当の空き箱もそのままに寝ていた。

「こんな夜遅くに何してるわけ?迷子?それとも家出?」

「……………………散歩」

それは大人の言い訳だ。

「お……お兄さんこそ、何してるの?」

……………………何をしているのやら。

「散歩」

「……………………」

「……………………一緒に散歩するか?」

「…………うん」


ろくな人間しか活動していないこの場所、この時間で、俺と彼は土手を並んで歩く。


別に目的地なんてない。

向こうのネオン街を眺め、時々、街の明かりで美しさを奪われた月を見上げるだけ。

その時だ。ふと、思い立った。

「俺の秘密の場所、連れてってやる。行くか?」

「え……?」

「ま、一般人に見付かったらヤバいんだけどさ。ちょっと危ないし。お前がいいなら――」

「行きたい」

返事は早かった。

警戒心がないのかと思えば、俺の一挙一動にビクビクするし、臆病なのかと思えば、知らない人間に二つ返事でついて行く。

帽子を取り戻す手助けしただけだと言うのに、俺は彼の絶対的信頼でも手に入れてしまったのだろうか。

「……こっちだ」

「うん」

こくり。

素直に頷く少年に俺は手を差し出しかけ、直ぐに辞めた。

別に取ってもらえない手を出す意味がないという訳ではなく、取ってもらえない手を出して恥ずかしくなる自分が容易に想像出来たから。

愛情を強請っても貰えない事には慣れているが、俺は与えた愛情を拒まれる事には慣れてない。だから、一人が好きなんだ。

しかし、裾辺りに気配がして、ポケットに突っ込んだ手を見下ろせば、すぐ隣にまで近付いていた少年が俺の腕を引いていた。

「…………」

何だか、痒みの感じる首筋を掻き毟りたい衝動に駆られるが、そこをじっと耐えてポケットから手を出してみる。すると、少年が「連れてって」と囁きながら俺の指を握った。

やはり、首が痒い。






少年の爪先が階段をカンカンと鳴らす。

だから、おんぶした。

そしたら、背中が温かくなった。

そしたら、人の温かみに触れるのは随分と久しぶりであることに気付いた。

別に俺は高校で教室の隅の埃のように過ごしている訳じゃない。授業中だろうとお喋りをするくらいの仲の友達はいる。昼休みにサッカーをする仲間もいる。

だけど、ペンの貸し借りやプリントを渡す時にほんの一瞬だけ手が触れ合う以外で、俺はじっくり誰かと体温を分かち合うことはなかった。

だから、少年の意外な温かさに困惑した。

「高いね」

「だな」

勇気ある少年が地上に目を向け、直ぐに俺の背中に顔を隠す。

「もう少しで着く。風が強いかもしれない。落ちないようにしっかり掴まってろよ」

「うん……!」

目の前には侵入防止目的の柵。だが俺は階段の手摺に足を掛けると、柵の横、つまりは体を手摺の外側――宙に身を出す形で乗り越えた。

少年の鼓動がバクりバクりと鳴り響き、「ひゃう」と腑抜けた声を出しながら俺の首を強く絞める。正直、苦しかったが、柵から落ちて5メートルは下の地面に叩き付けられることと比べたら屁でもなかった。死に勝る苦しみなんてない。

そして、ものの数秒で柵を乗り越えた。

広い地面にとても安心する。

思えば、出会ってまだ数時間、名前も知らない少年をこんな所に連れて来て、俺は傍から見ずとも、誘拐犯だ。

「うー」

俺の首筋に湿っぽくて熱い吐息を掛ける少年。俺は少年にもこの安心感を味合わせてやろうと、そっと、腰を屈めた。しかし、ゆっくりと下したつもりだったが、少年はぱたぱたと靴底を鳴らした後、こてんと尻から床に倒れた。

「あでっ」

「あ、大丈夫か?」

帽子が落ち、少年の素っ頓狂な――緊張で赤くなった頬と新しいことに興味津々のきらきらした目、驚きで震える唇と、随分とちぐはぐな表情が月明りに照らされた。

「…………危なかったよな……ごめん」

何も知らない少年をこんな道へ連れ込んで……俺だって子供だけど、彼よりは大人なのだ。大人は正しい道を示してやらなきゃいけないのだ。

「……ううん。ありがとう」

少年は頭を振って立ち上がる。帽子を拾い上げ、胸に抱いた。そして、空を見上げた。

「俺……初めて見た。こんなに一杯の星」

「ああ…………この時間のこの場所が一番良く見える」

夜明け前の午前4時、都会の明かりから離れたビルの屋上。

星が最も輝く瞬間。

「星って、月だけじゃないんだ?」

「無数にあるだろ。学校で星座の勉強してないのか?」

「それくらい知ってるよ。オリオン座とか。でも……」

床に体育座りする少年。俺も緊張した足を休めるように座った。

「寝なさいって言われるから。沢山寝て、早く成長して……立派な……当主に…………」

「?」

「どうしたらお兄さんみたいな立派な大人になれますか?」

「え……」

不意だった。

少年が生真面目な顔で俺を見詰める。

この自称不良の俺を。

俺みたいな立派な大人って……馬鹿にしている顔でないのは確かだけど。

「俺は立派な大人じゃない。立派な大人はこんな時間に起きてない」

夜の10時には寝て、朝の6時ぐらいには起きて、栄養を考えた食事を取り、全うな仕事をして、昼飯を食べて、家に帰って、夕飯を食べて、風呂入って眠る。

「規則正しい生活している奴だよ……きっと。だから、俺よりもお前の方が立派だよ」

どうして彼はそんなに大人になりたがるのだろうか。

時間に追われて、星も見れない大人になるなんて、俺は嫌だ。それがどんなに立派な大人だとしても、俺はそんな大人にはなりたくない。

このまま、世界が止まってしまえばいいのに。

それこそ、子供みたいな願いか。

「違うよ…………俺なんか…………………………」

帽子を抱きしめ、俯く少年。年老いた老婆のように腰を丸め、小さくなる。そして、彼は喉を鳴らした。

泣いている。

「……どうした?」

学校で虐められているとか?家で虐待に遭っているとか?

初対面なのだから、分かるわけない。

「どうして俺なの……俺に期待したって、何にも出来ないのに……」

なんだろう。

この少年に会ってから、世の中には凡人とエリートとクズしかいないと思っていたが、そこに新しく変人が加わった。クソ野郎でもインテリでもないが、非凡なのは確か。でもそれは頭の良い方向にという訳でもない。だが、誰かと比べ物にならない――比べる土台を感じさせない彼は、特別な人間に見えた。

俺達とは立っている場所が違う。

「期待ってのは裏切るためにあるってテレビで言ってた」

「そうなの?」

「期待するのは簡単だろ?大安売りってか、無料だ。期待するだけならどこの誰だって、いつだってできる。だけど、期待に応えるのは有料だ」

努力なり犠牲なりが伴う。

「期待なんて裏切って当然。それでいいんだよ。それで怒る奴がいるなら、お前がやれって言っとけ」

期待が安すぎるから、皆が期待の無駄遣いをする。手当たり次第に期待して、勝手に憤っている。

「だからいいんだよ、無理に期待に応えようとしなくたって」

俺の場合、期待されたことがないから、これも他人事でしかないが。しかし、少年はうんうんと頷くと、またじっと空を見上げる。そんな彼の目尻は赤かった。

哀愁漂う雰囲気のその時だ。


ぐぅ。


腹の虫か?

確かに、俺も夜食調達の為にコンビニに向かっていたところで、彼に出会し、結局、夜食を買えずじまいだったことを思い出した。少年も俺と同じでお腹が空いているのかと、同志を見る目で見ようとすれば、少年が月明かりに丸々と輝かせた瞳で「お兄さん、お腹すいてるの?」と言ってきた。

直ぐに俺は首を左右に振る。

割と大きめの音だったが、断じて俺の腹は鳴ってない。

「じゃあ、誰の音……」

「千歳お坊ちゃま!そちらですか!」

柵の向こう。

非常階段からだ。

咄嗟の癖で俺は後ろ手を着き、中腰になる。いつでも逃げられるように。

「…………雅さんだ……」

少年はそう呟くと、狼狽えた表情を見せながら立ち上がった。

そして、「逃げなきゃ」と繰り返しながら辺りを見回すが、ここはビルの屋上だ。逃げ場などない。

ない……のだが。

「お兄さん、ごめんなさい」

少年は俺の背中に逃げた。

お陰様で、俺が逃げられなくなった。

お坊ちゃまなんて呼ばれて、随分と可愛がって貰っているのに、誘拐未遂犯の俺を盾にするのか。

「お坊ちゃま!一体、どれだけの者に迷惑を掛ければ……」

柵を隔てて、俺と男は見詰め合った。……執事だ。燕尾服に白の手袋。階段を駆け上がった男の背筋は恐ろしいぐらいピンと伸びていた。

本物臭の漂う執事が探す、お坊ちゃまとは何者か。

――少年はホンモノのお坊ちゃまかもしれない。

そして、俺はホンモノの児童誘拐犯になるかもしれない。

「お邪魔して申し訳ありませんが、これくらいの野球帽を被った少年を見ていませんか?」

柵の向こうから礼儀正しい態度で訪ねてくる執事。しかし、夜な夜なビルの屋上に佇む見知らぬ男に深々と頭を下げた彼は、水底のように感情の失せた瞳で俺を睨んでいた。まるで執事の格好をした猟犬だ。

「……見てない」

俺の心臓は射貫くような男の視線に萎縮していたが、冷静を装って答えた。瞬きを増やして男を見ないよう努める。

少年を守らなくては。

年上の意地か、はたまた奇妙な出会いの影響なのか、俺は少年を隠すことに必死になっていた。

「そうですか……レイヴン」


ぐぅ。


まただ。

こんな大事な時に少年の腹が鳴った。

「うっ、ぅあっ!」

「!?」

執事の目力に負けまいと意地になっていたせいで気付くのに遅れた。

俺の背後で縮こまっていた少年がド派手にこけ、執事の眼前に曝け出される。

「おいっ」

「千歳お坊ちゃまに触らないでください!レイヴン、お坊ちゃまを守りなさい!」

誰だってちょこっと知った仲の少年が転んだら手を差し伸べるだろう。しかし、俺の差し出した手は少年の肩に触れることなく、電気が走ったみたいに痛みが指先から腕を駆け抜けた。手を引っ込めるが、痺れているのか、ぴくぴくと陸に上げられた小魚程度しか動かない。

「っ!」

「レイヴン、やめて!」

金切り声に心底驚いたが、腕が動かないことに変わりはない。そもそも、この黒い鳥はなんだ。

安全柵に留まる鳥は真っ黒で大きい。

鴉だ。

鴉はぐぅと鳴くと、少年の頭に脚を乗せた。少年は「乗らないでよ!」と言いながら両手で鴉を追い払おうとするが、鴉は長い翼を羽ばたいて抵抗する。

「千歳お坊ちゃま、こちらへ!」

「うぅっ、やめてよ!やめてって言ってるじゃないか!」

「一体、どれだけの人間に迷惑を掛けていると思っているんですか!あなたは――」

正直、この短時間では執事と鴉と少年の関係など全く理解出来ず、俺の腕は一時間正座に耐えた足のようにビリビリと震えてどうにもならない。取り敢えず、少年の味方に付きたいところだが、これでは無理だ。

「雅!千歳!黙りなさい!」

「千弓お嬢様……」

女性の声だ。

誰にも曲げられない芯を持った声なのは、直感で感じた。そして、非常階段を上がってきた女性は俯く執事の脇をすり抜けて、侵入防止柵の前へ。南京錠が掛かっていたはずのそれをいとも容易く開けて少年の前に立った。

スカートから覗くタイツに包まれた足は長く細く、赤銅色の長髪と瞳は少年と同じ。俺よりも背の高い彼女は灰色のロングコートをたなびかせていた。

「ユミねぇ……」

お坊ちゃまにお嬢様。どうなっているのだ、彼らは。

「レイヴンは千歳から離れなさい。主に対して無礼よ」

鴉は少年――千歳と言うのだろうが――から離れ、女性の足元に降り立った。鴉は無礼だと叱られたと言うのに、彼女の足に嘴をすり付ける。

「ゆ、ユミねぇ、ごめ……ごめんなさ――」

「黙りなさい」

「うぐっ」

家出少年には思った以上に心配する家族がいて、そんな彼を連れ回していた俺は居場所がない。家族に虐められているようではないし、連れて帰るなら連れて帰ればいい。

それに俺にはこの状況下で彼を隠したり、逃がしたりできる力なんてないのだから。

「本当に申し訳ございません。私の馬鹿な弟と愚かな執事がご迷惑をお掛けしました」

お嬢様は流れ落ちる髪を耳に掛けながらしゃがみ、俺の肩に触れた。その瞬間、何事も無かったかのように痺れが消え去る。

「千弓お嬢様……誰とも分からぬ者に――」

「黙りなさいと言ったはずよ、雅。耳が悪いから、千歳がやめてと言ったのも聞こえないのかしら?彼は私達の保護対象。桐の人間であることを自覚しなさい」

執事が母犬に突き放された仔犬のような顔をした。

「ご迷惑をお掛けした代わり……いえ、弟を保護してくださったお礼にご自宅までお送りさせて頂きます」

さて、どうすべきか。

俺は夜の散歩中に偶然、この少年に出会し、安全とは言い難いここに案内をした。

俺は迷惑を掛けられた覚えもないし、お礼をされる謂れもない。三人で帰ってくれればそれでいいのだが。

しかし、ここで断れば、執事が叱られそうで気の毒だ。俺がそんなことを考える義理もないが、彼が叱られた原因に俺が全くの無関係ではないし、若干、俺のせいだ……とは言えなくもない。だから俺は彼女に送られることにした。

この時も少年は終始何かを言いたそうにしていたが、彼女の手前、喋る訳にはいかず、目だけが左右に頻繁に泳いでいた。

「雅、千歳を家へ。家を飛び出した事を怒るのは、千歳が夜更かしした分を寝かせてからよ。いいわね?」

執事も目が泳いでいたが、彼は少年の肩をがっちりと掴み、その態度で、もう家出はさせませんからと訴えていた。


……息苦しかっただけなんじゃないかな。

――なんて、俺の妄想でしかないけど。



「弟を見付けてくれてありがとうございました」

と、頭を下げられても……。

「誰でもないあなたが見付けてくれて良かった。でもまぁ、夜遊びは大概にね。家族も心配するわ」

さして遠くもない――と言うより、近所の自宅まで黒塗りの軽自動車を運転してくれて彼女は(きり)千弓さんだ。少年の名は桐千歳くん。勿論、執事は雅さん。

「親は朝にならないと帰らないから」

朝になっても帰らないことはザラだけど。

「そう……うちも同じよ。母はほとんど家には帰らない。だから、妹や弟達の親代わりが私であり、私の姉であり、雅達なの。家族ってそういうもの。血の繋がりなんて関係ない。だから、あなたも家族よ。家族だから、私も心配するの」

「家族ってそんな簡単なものですか?」

「簡単に聞こえた?」

俺は何もしてない。何もしてないのに、感謝され、家族にされたのだ。簡単だろう。

「言っとくけど、うちは金持ちよ。そして、千歳は我が家の次期大黒柱であり、うちの組織のトップになる子。あの子が誘拐されようものなら、うちはいくらだって出す。それぐらいの価値がある子なの」

その瞬間、彼女に対して怒りが込み上げてきた。ついさっき、執事に「無礼だ」と怒っていたのに、彼女の方が失礼だ。

「俺はそんなこと考えた事ない!」

「ええ、今のは大変失礼だったわ。だけど、普通は声を掛けない。関わろうとはしない。それが悪い事ではないわ。無関心もまた正しい道」

知らないでいい事、関わろうとしなくていい事も世の中にはある。まだ16の俺でも学校生活とアルバイトを通して学んだ。

「でも、あなたは関わった。見ず知らずの小学生のあの子に。お金も携帯もないあの子に。それって世間一般的に簡単なことかしら?」

「気まぐれ…………じゃない」

気まぐれじゃない。……が、彼女の大人びた“お見通し”の顔には逆らいたくなる。

思春期で反抗期の俺にはどうにもならない感情があるのだ。

「送ってくださり、ありがとうございました。……………………じゃあ、これで」

俺はさっさとアパートの階段を上がる。家族だなんだ言ったって、家に帰ればもう赤の他人だ。


「またね、相川幸徳(あいかわゆきのり)くん」


「え……」

名前を言った覚えがない。

しかし、それに気付いて振り返った時には、彼女の軽自動車は消え入りそうな遠くの街灯の下を滑るように進んでいた。






「ありがとう、オズ」

『ながら運転は駄目よ、ペトルーシュカ』

「停めてる。でも、彼のこと調べてくれてありがとう。朝早いのに」

『朝早いのは貴女のところだけ。私はどうかは分からない。ま、普通の人間を調べるのは苦労するけど、彼にはあり過ぎたから。ざくざく情報が出てきて困惑したぐらい』

「両親ともに前科者というだけでなく、本人も3件の傷害の前科あり」

『16歳にしてはやんちゃな子だこと。それで?彼も新しいお友達かしら?』

「親がどうと言うのは子供に関係ないこと。あとは本人の件。だけど、可愛い弟の為だから、暫くは様子見ね」

『…………。さて、報酬の話をしましょうか?』

「そうね…………うちは正式に弟を当主にする。日付は彼の12の誕生日に。お祖母様の決定だから間違いないわ」

『お姉さんは喜んだんじゃない?当主になるのを嫌がって独断専行で留学を決めるぐらいだもの』

「どうかしら……姉さんはそう言って出て行ったけど、本当はレイヴンの契約を得る為に勉強しに行ったんだと思う。留学先は世界的にも魔法契約の研究が認められている大学だったし。姉さんは中立の当主である以上、レイヴンだけは外せなかった」

『面子が立たないと言うのかしら?』

「ざっくり言うと、そう言うこと。レイヴンがいるからうちは中立でいられる。抑止力を持たなければ、理想を語るだけの政治家と変わりないわ」

『そして、弟くんは12という若さで期待を一心に受けるのね。歴代当主の二の舞にならないといいけど?若くして自殺したあなたのお父さんみたいに』

「……………………千歳はそうはさせない。私達家族がサポートする」

『ま、遺産争い程、醜い見世物もないし、すんなり決まって良かったわね。でも、もしお姉さんが魔法契約についてもっと知りたいって言うのなら、私を紹介してね』

「オズ、今の発言は、あなたと私の関係だから水に流すわ」

『そうね。報酬は頂いたし、もう切るわね、ペトルーシュカ』

「じゃあね、オズ」








「千弓ねぇ、決めた」

千弓の書斎のドアを開けたのは、学ラン姿の千歳。

「婚約者候補は40人はいたはずだけど……早いわね。一目惚れした子でもいたの?」

部屋の隅でキーボードをカタカタと鳴らしていた千弓が眼鏡を外して彼を見上げた。千歳は直ぐに「違う」と言おうとしたが、ソファーを占領していた制服姿の女子二人が携帯と本からそれぞれ目を離して、千歳を見詰める。

「千早のおすすめはナンバー18、月夜(つくよ)ちゃん!女優さん!サイン欲しい!」

「私は……えっと………………35番の金剛(こんごう)さん。なんか優しそう……」

携帯を振るのは三女の千早。本を抱えるのは四女の千鳥。

前者の千早は高校2年、千鳥は1年生。どちらも同じ高校、同じ制服を着ている。にも関わらず、上着に缶バッチを多数付けてオシャレをする千早と、ひざ丈よりも更に長いスカート丈に、第一ボタンまで絞められたシャツの千鳥はぱっと見、同じ高校の者どころか、家族にも見えない。かつ、明るい性格と物静かな性格――二人は見た目だけでなく、性格も両極端に位置している。趣味も異なり、二人が同じ行動を取るのは食事と睡眠の時ぐらい。しかしながら、二人は大抵の時間を好んで一緒に過ごしている。

「えーっと、35……35……ああ、いいね、この人!私も好き!」

「……うん」

「ちょっと、違うよ!決めたのは婚約者じゃないよ!」

「あら、違うの?」

「うちにスカウトするんだ!」

それを聞いた三姉妹の顔。

千弓と千早は兎も角、二人よりは気遣いのある千鳥も興味の失せた顔でそれぞれの興味に没頭し出す。

「大勢の年上の女性を待たせておいて、スカウトとか、どうでもいい」

「ねー。千早が自力で月夜ちゃんのサインをゲットする方が早いかも」

「そうだよ……金剛さんがいい……」

「待ってよ!婚約者は早いよ!それに、姉ちゃん達に勝る女性なんていないだろ?」

キラキラの瞳が6つ、直ぐに千歳に向いた。弟に弱い姉達の目である。

「いい女、だから、ね」

「千歳のこと一番に想ってるのはおねーちゃん達だからねー」

「ありがと……千歳」

「俺も、自慢出来る姉ちゃん達がいて嬉しいし。…………それよりさ、スカウト――」

「相川くんはダメよ」

「!」

千早、千鳥がキョトンとする中、千弓が手元のキーボードに目を向けた体勢で突然、言い放った。まるで千歳の言わんとすることを分かった上での返事だった。事実、千歳は口を開け、泣きはしないが、泣きたそうに表情を歪めた。それだけで、千歳にとって姉の存在や言動が重要であることは明らか。

「相川くんって誰?ゆみは知ってるの?」

千鳥の肩に凭れながら、携帯を弄る千早がそれとなく尋ねる。しかし、なんてことない姉弟の会話だと思っているのは千早と千鳥にとってだけ。

「彼はあなたに似ている。優しくて優しくて優しすぎる。オトモダチならいいのよ?優しい相川くんは私も好きだから」

「優しいって。とりとり好きなんじゃない?」

「優しくても……男の人……怖い……」

「もーっ、とりとり可愛い!」

「うー、千早……」

千鳥の黒髪を掻き回す千早。千鳥の艶のある長髪がぼさぼさになるが、彼女はさして表情の変わらない顔で唸る。

「千早、千鳥、ちょっと外してくれる?」

「ごめん……千弓お姉ちゃん……」

「とりとりは謝らなくていいの。ね、ゆみ?」

「……ええ。千歳とないしょの話したいだけ。ごめんなさいね?」

「だから、おしゃれしてお出かけしよう?」とまだ困惑する千鳥の腕を千早が引いた。そして、立ち尽くす千歳の脇をするりと抜ける。

二人が千弓の書斎を出ると、ドアから隠れるようにして男が一人立っていた。燕尾服の男は千早が4歳の時から同じ家に住んでいる。

「雅」

千早が背の高い彼を横目に見た。彼女の背に隠れるようにして、千鳥も男を見上げる。10年は一緒に生活しているが、千鳥はまだこの男が苦手だ。

「はい、千早お嬢様」

「千歳はゆみと内緒話するの。雅もどこか行って」

「ですが……」

「雅は千歳の執事でも、ゆみの命令の方が上なの。お祖母様がそう言ったんだから、早くどっか行って。お祖母様に言いつけるよ?」

「……………………………………承知しました……」

雅こと桐の執事を務める彼は桐の人間には逆らえない。そして、桐の人間の中でも命令が優先される順位があり、一番トップにいるのが、千歳の祖母だ。祖母が千歳よりも千弓の命令を優先しろと言うのなら、雅はそれに従うしかない。

彼はすたすたと歩き出す千早達の背中に頭を下げると、放り投げられていた千歳の学生鞄を持って、千弓の部屋を離れた。そんな彼の肩から黒い鳥が床に降り立つと、閉じられたドアに目を向け、そのまま直進する。そして、当たり前のようにドアをすり抜けて行った。



「千弓ねぇは俺と相川がどれだけ長い付き合いかは知ってるだろ!?」

「5年、かしら?」

「そうだよ!相川は優しくて誠実で、信頼できる。なんで駄目って言うんだよ!」

「あなたこそ、何故、トモダチでは駄目なの?うちにスカウトすることの意味、分かっているの?」

背凭れの高い回転椅子から立ち上がった千弓は目で千歳にソファーに座るよう促す。千歳は学ランの首元をきつそうに何度も直しながら、千弓の目線から必死に逃げようと視線を逃がしていた。そんな彼の不誠実な様子を千弓は敢えて指摘しない。

「桐は中立。我々は常に多数の味方。それは少数の敵であると言うこと。99の人間がいて、49が反対しても、50が賛成すれば、我々は49を排除し、50を守り抜く。その差がたった1だろうと関係ない。何故なら、それが我々と国民とで決めたルールだから」

「知ってるよ……」

何度も何度も何度も聞いた。耳にタコができるくらいに。

千歳は唇を噛んで、絨毯の隅をジッと見る。じわじわと湧く手汗を隠すように手のひらを強く膝に押し付けた。

「相川くんは優しい。だけど、優しい人間ほど、うちには向かない。いえ、傷付くだけ」

「あなたのようにね」と千歳と同じ赤銅色の瞳は細められる。

「いいじゃない。トモダチで。我々の保護対象のままで」

これで話は終わり――千弓は幼い弟の頭を撫でようとして、その腕を千歳に掴まれた。

「千歳、女の子の腕はこんなに強く握っちゃ駄目よ。嫌われちゃうわ」

「………………千弓ねぇ、俺は相川がその49に入ったら、無視なんて出来ないよ。だって、家族だから」

「家族は国民よ。『皆』の為に行動しなさい」

姉からは見えないところで、弟の瞳で微かに浮かんでいた光が揺れる。しかし、千歳はそれが零れ落ちてしまうのをぐっと堪え、千弓を見詰めた。

「俺はできないよ……だから俺は誰にも認められない……」

「ちと……せ……」

「皆なんて無理だ。皆って誰?俺は誰の為に行動すればいいの?……ねぇ、父さんは誰の為に当主を続けてたの?」

千弓の表情が固まる。そして、手のかかる弟への深い愛情が窺える表情から痛みに堪える表情へ。

「………………分からない。もう誰にも…………だって、死んじゃったから」

死人の、それも自ら命を絶った者の心の奥。推測する事は出来るが、結局はただの推測。生者の考えた都合のいい妄想に過ぎない。

「おかしいからだよ。桐はおかしい」

しかし、敢えて言及するのを避けた千弓に対し、千歳は目付きを悪くした。千弓は千歳の鈍感な態度に故意を感じて、彼女も千歳を睨みはしないが、目付きを険しくする。そうした二人の顔付きは同じ。濃い血の繋がりの分かるものだった。我の強さが滲んでいる。

「今の桐に入れば、相川は傷付く。俺は相川が傷付くのは嫌だ。でも、俺は桐を変えたいんだ。その為には相川が必要なんだ。だから、明日、相川を正式に桐に迎える。千弓ねぇには認めて欲しかったけど……」

「私は認めない」

「認めなくていいよ。でも、桐の当主は俺だ。お祖母様でも、千弓ねぇでもない。俺は俺の責任で、桐の当主として相川を迎える!俺の決定だから!」

がこっ、ごかっ、ばんっ。

千歳は踵を椅子にぶつけ、膝をローテーブルにぶつけ、両手でテーブル板を叩いて立ち上がった。そんな彼の肩に鴉が一羽留まる。

そして、彼はドアを力任せに開けると、床をドタドタと踏み鳴らして書斎を出て行った。片手を使って後ろ手にドアを閉めるのを忘れずに。

書斎に残ったのは、千弓と、遠くへと続く慌ただしい足音、「千歳お坊ちゃま!」と呼ぶ執事の声。

「……忘れ物ね」

千弓は絨毯に落ちていたくしゃくしゃの紙を広げた。

それは憤った千歳がポケットから落としたものであり、千歳の通う高校の三者面談の案内。

付き添い人は『姉』『桐千弓』。

千歳が相川のスカウトを報告した後で千弓にお願いする予定だったろうもの。

「思春期で反抗期で……男の子って難しいのよ…………雅は世間話一つしないし…………父親がいれば……………………」

出欠席の『出席』の方に丸を書き足した千弓は紙片を丁寧に畳むと、雅に渡すつもりでポケットに入れた。



「どうして…………あの子を選んだの……レイヴン……」

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