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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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裏切りと正義(4)

相川(あいかわ)、例の子、迎えに行ってくれないかい?あっちの不手際で車が確保出来なかったんだって」

「え……」

「私は運転が出来ない。だから、よろしくね」

「了解しました」

「あ、そうそう。背後にはくれぐれも、気を付けて」

そう言って、藤堂(とうどう)さんは車の鍵を俺の手のひらに乗せた。



相楽幸生(さがらゆきお)

相楽さん。

資料では夏生まれ。妹が一人いた。彼女とは半分だけ血が繋がっていた。

今はもう彼女とは他人。

何故なら、相楽さんは母親の連れ子であり、母親の再婚相手である男との間に生まれたのが妹。そして、妹が5歳になる前に相楽さんは家族と縁を切り、家を出、母親の旧姓である『相楽』を名乗った。

因みに、相楽さんの旧姓――つまりは父親の苗字は『加藤(かとう)』。

ここまでの経歴はまぁ、なくはない。

しかし、それ以降は割と特殊だ。

相楽さんは氷系の魔法使いであり、本来であれば、15歳になる前には初期検査の結果を受けて、軍から軍学校入学の通知が届くはずだった。けれども、彼が12歳になる頃には家を出ていた。かつ、一匹狼さながらのバイタリティを持つ彼の行方を知る者はおらず、結局のところ、相楽さんは自分が魔法使いであることも、軍学校の入学しなくてはいけなかったことも知らずに15歳を迎えた。軍も彼の行方を追っていたが、彼は一向に公共の場に姿を現すことがなく、見付けられないでいた。

事件が起きたのは彼が18歳の時。

彼は一般人多数を負傷させた。それも、氷系魔法を使って。

軍学校は魔法の制御について学ぶところ。その機会を得ることなく、魔法制御を教わっていない相楽さんは自身の感情に任せて魔法に呑み込まれた。

しかし、皮肉にも彼が大事を起こしたことで、軍は相楽幸生を見付けることができた。

そうして、彼は18歳にして軍学校に入学することとなった。

事情があるとは言え、そこまでの事件を起こした彼を社会が許すことはなく、彼を野放しにしていた軍への非難と同時に、相楽さんは学校卒業後の軍への入隊を強制された。要は軍と言う名の檻に彼は一生閉じ込められることとなった。それが社会から彼に課せられた贖罪。

だから、基本的に相楽さんが神域の外に出ることはない。そもそも許されていない。

しかし、彼の短い人生に詰め込まれたあらゆる波乱を切り抜けて来た生命力から察する通り、彼は強い肉体と精神を持つ。かつ、自分よりも弱い者に命令されるのを極端に嫌う。それが通じるかと言うと、全くないのが軍だ。上下がはっきりとしている。前科持ちの相楽さんは下の下。勿論、彼がそこから上がることはない。

そんな彼が権力の傘しか持たない者達にへこへこ頭を下げながら一生を過ごすことに耐えられるか?

答える必要もないだろうが――耐えられるわけがない。

減給も謹慎ももろともしない、寧ろ処罰上等で見境なしに敵を作る。問題児中の問題児。

軍もちゃっちゃと外に出したいが、そうは社会がさせない。

手っ取り早く、窓際と噂の庶務に彼を異動させたらしいが、監視役の上司が存在する限り、相楽さんは誰にも止められない。

となると、最終手段は“ここ”しかない。

軍所有の第七研究施設。

魔法の研究施設と言うのが建前の、ただの内部監査施設。

監査対象は本部から情報が送られ、それをボスである藤堂さんが精査する。そして、俺達に指示を下す。

他と相変わらずに上司が存在するが、それでもここが問題児達が最終的に行き着く場所。

ここは誰であろうと容赦しない。裏切者は平等に罰せられる。

偉かろうが関係ない。

それなりの力があれば誰だって受け入れる。寧ろ、裏切者に返り討ちになっても不利益にならないであろう、問題児の方が軍としては気楽だ。

藤堂さんの前任も処罰しようとした裏切者に先手を打たれ、背中を刺されて引退した。その裏切者も藤堂さんの指示の下、直ぐに処分された。要は、殺された。

しかし、藤堂さんは前任とは違う。纏う雰囲気が他の誰とも違う。はっきり言って優秀な人だ。

掴みどころがないようで、何をするも計算尽く。裏切者探しに余念がない。不用意な言動は自らの首を絞めるだけ。

俺としては……………………。

俺の前の相方は藤堂さんに潰されている。任務中の不注意と言えばそれまでだが、きっと藤堂さんはこうなることを分かっていた。

相方は藤堂さんのことを調べていた。単純に藤堂さんの態度が気に食わなくて、弱みはないかと調べていただけだが。そんな矢先、俺達の動きに勘づいた裏切者に先回りされ、相方はやられた。重症の彼の治療に立ち会った際、俺は藤堂さんに『災難だったねぇ、彼。君も背中には気を付けるんだよ』と言われた。しかし、あれは俺を労う発言ではない。藤堂さんの目は愚かな相方を嘲笑していた。

藤堂さんは鼻が利く。

怖いぐらいに。

だから、新しい相棒だけは……相楽さんだけは守りたい。

俺の勝手で構わないから、相楽さんが素直に過ごせるようにしたい。我ながら、会ったこともないのによく言えたものだが。




『身分証をどうぞ』

壁に埋め込まれたスピーカーから男性の声が聞こえ、下にある小さな監視カメラに俺のIDを提示すると、暫しの沈黙の後、門が開いた。

この門から先は『神域』と呼ばれる場所になる。

日本国でありながら、日本の法律の及ばない場所。

日本を守る軍が日本の法律を使っていないと言うのもおかしな話だが。

だからこそ、この国には『政府』がいて『軍』がいて『中立』がいる。

さて、藤堂さんが言うには相楽さんは第一資料棟にいるとか。日々、書類整理と保管期限の切れた書類を廃棄する仕事をしているらしい。大層楽そうで、つまらなそうな仕事だ。しかし、そんな淡々と始まって淡々と終わりそうな仕事の中でも、相楽さんの喧嘩癖は治らないらしい。先週も上司に殴り掛かっている。

資料棟の駐車場はガラガラだった。一応、植木が割とあるが、今の時期は葉を落とし切った木々が並ぶだけで、閑散とした雰囲気はどうしようもなさそうだった。

俺は藤堂さんが用意した軽自動車を隅に止め、上着を着こみ、足早に正面玄関から入った。

自動ドアを抜けると、そこはドーム状の天井はガラス張りで、曇り空と窓枠に引っかかった落ち葉が見える。壁には良く分からない風景の絵が飾られ、真正面にカウンターがあった。

カウンターテーブルには『受付』と刻まれたプレートが立てられている。

その時、カウンターの奥で欠伸をしながらパソコン画面を見詰めていた30代ぐらいの女性と暫し見詰め合った。現在、昼の2時を回ったところ。眠くなる時間だ。

彼女はえんじ色のブラウスに深緑色のベスト姿をしており、ベストには五芒星の刺繍がされていた。ここの制服なのだろうが、俺のような黒の詰め襟と違って優しい印象を受ける。

「お疲れ様です」

取り敢えず、挨拶をした。

すると、彼女にぺこりと頭を下げられ、俺も頭を下げると、彼女も「お疲れ様です」と返した。

「資料請求ですね。請求書をそちらにかざしてください」

彼女は手のひらでテーブルに埋め込まれている液晶を示す。きっとこの上に書類を置くと、内容を読み取って資料を探してくれると言う仕組みの機械なのだろうが……俺の目的は全く違う。

「…………あ、いえ」

「?」

「私、第四域のもので、この度うちに異動になった相楽幸生さんのお迎えに上がったのですが……」

「さが……相楽さん…………」

視線を右往左往させた女性。伸ばしたブラウスの袖で口元を隠した。これは彼女が考える時の仕草なのだろうか。

「うーんと……、書庫班……だったっけ………………まゆちゃん、いる?」

彼女は背後を振り返り、どこでもない所に声を掛けた。

「ふあーい。なんですかー?」

図書館に流れる独特の空気を表すなら、俺は『まゆちゃん』の声を例に挙げるだろう。間延びした日向のようなほんわかと掴みどころのない声。

カウンターの奥、薄暗くて狭そうな廊下から大理石の床をコツコツと鳴らして現れたのはくるくるとしたショートカットの黒髪に丸眼鏡を掛けた女の子。

女性と言うよりは女の子だ。今にもずり落ちそうな赤縁の眼鏡を揺らす彼女は腕に書類の束を抱えてカウンターの女性の横に立った。えんじ色シャツに深緑色ベスト、五芒星の刺繍の下に鳥がモチーフのブローチを付けていた。

まゆさんは小さな口を開け、俺を下から上へと見上げる。

「お。……お疲れ様です」

俺が何者か判断しかねて戸惑っている。けれども、自己紹介をしたばかりの相手もいる中で繰り返すのは変だと思い、わざと姿勢を崩し、話し掛け易そうな男と思われるようにしておいた。

「お疲れ様です」

「ねぇ、まゆちゃん、相楽さんって書庫班よね?」

「へ?……あ、相楽さんですか?書庫班ですよー?呼んできます?」

「お手を煩わせるわけには、教えていただければ、私一人で――」

「序ですよー。私も書庫に用事あるんです」

そう言われたら断るわけにもいくまい。

しかし、問題行動ばかり起こしていると聞いていた割には、相楽さんの名に対する彼女達の反応は意外だった。てっきり、有名人かつ嫌われ者になっているかと思っていたのだ。

「こっちです。付いてきてください」

まゆさんはぺこりと頭を下げようとして、慌てて眼鏡を片手で押さえて顔を上げた。苦笑いをした彼女は書類を抱え直して踵を返す。

まぁ、神域にある施設の見取り図は大方頭に入っている為、案内は不要なのだが。しかし、資料棟と無関係の所に属す俺が強引に断るのは、無意味な警戒心しか生まない為、俺は彼女の後を追うことにした。



「第四域ってどんなところなんですかー?オシャレなお店とかあるのかな。私、ここにずっといるんで。第五域はカフェとかあるって聞きました」

『第四域』とは正式には『第四神域』のこと。ここのような軍事施設地域は全国に何ヶ所か存在している。そして、軍人は一番メインの地域を『神域』と呼び、他を第二、第三域と呼んでいる。俺のいる場所は第四域で、残念ながら彼女の言うような店はないが、地域によってはカフェやレストラン、はたまた映画館もあったりする。特に第五域は北九州に存在し、働く者の心身の健康に気を遣い、福利厚生も充実していると聞く。これも各地域のトップ次第らしい。

「第四域は建物三棟分しかありませんので、オシャレなお店とかは……。ただ、他の方に聞くと、第四域の食堂のご飯は安いし旨い、ということで評判らしいです」

「そうなんですか。良いなぁ……。どうしたら他の地域に行けるんでしょう」

相楽さんのように問題を起こし、上の手に余るようであれば、或いは。

「神域は良いところだと思いますよ。空間転移魔法の使用制限が他よりも断トツで緩いですし。うちはアナログなので、車で来ないと」

「魔法使いがこんなにいるのにアナログって、何だか不思議ですねー」

確かに。

しかし、空間系の魔法使いは貴重。特に転移魔法は空間を歪め、本人あるいは他人、生き物を転移させる為、かなりの危険を伴う。空間転移魔法の魔法使いであっても、空間転移魔法の軍人として認められるには厳しいテストに合格しなければならない。

空間転移魔法の軍人は数少ないのだ。それをどこにどう割り振るかと言われれば、神域に殆どを配置し、ド田舎だろうと、表向きは引き籠もり部署扱いされている第四域は最後。そもそも割り当てられる人員もない。

それに、軍事地域は外部及び内部からの攻撃を防ぐ為に、基本的に魔法制御の結界が張られている。だから、外の人間と同じ様に、電気やガス、水道料を払って生活している。

結局は魔法は強さの象徴であっても、生きやすさには替え難い。

不思議なものだ。

「ここですね。お邪魔しまぁ……」

まゆちゃんこと、真幸(まゆき)さんは腰を低くし、首を竦めながらゆっくりとドアノブを回した。木製の重厚な扉が静かに開き掛けたその時、「この、ッ、禿げ!!」と言う怒声と共に中からの衝撃でドアがバタンと閉められた。重たい何かがドアにぶつかったせいだ。

「ひぁっ!?」

真幸さんが踵を鳴らして後退りする。俺は咄嗟に彼女の肩を支えた。

「何事ですか?」

「今の、相楽さんの声……怒ってます……」

「今のが……」

ほんの少しも喧嘩せずに待つことは出来ないらしい。

しょうがない人だ。

俺は真幸さんの前に立ち、ドアを塞いでいる何かごと力を込めて押し出した。


「……は?誰?」

据わった黒目が俺を睨む。

真幸さんらと同じ制服の青年が分厚い本を何冊も抱えて立っていた。

「お疲れ様です、相楽さん」

「…………………………」

真幸さんが自主的に前に出て挨拶するが、相楽さんはぷいとそっぽを向く。

それよりも、てっきり相楽さんのやらかしによって誰かが突き飛ばされてドアにぶつかったのだと思ったのだが、ドアの前にあったのは本だけだった。あれを投げて……禿げ?

「こちらは、相川さん。第四域の方で、相楽さんに御用らしいんですけど」

「僕は仕事中だ。邪魔するな」

「あ……ごめんなさい……」

相楽さんはそれだけ言うと、俺の存在を無視して本棚の奥へ。俺は戸惑う真幸さんに短く感謝の言葉を告げて彼を追った。


「相楽さん」

「仕事中。邪魔すんな。喋んな。煩い。気が散る。失せろ」

「もうあなたの仕事は書庫の整理ではありませんよ」

「………………ああ……あっそう………………あ、そうですか。監査の方――」

「お迎えに参りました」

バサバサと手元の本を床に落とした。貴重そうな黄ばんだ書籍のページが落ちた拍子に折れてしまう。

俺は一冊を手に取って傍の棚に本を押し込んだ。

そして、無を映す瞳で俺を見る。いや、もっと奥だ。俺の胸の内。俺を見定めている。

「いつもそれ?僕なんかに敬語使って、頭下げて……疲れませんか?」

分かった気がする。

彼はやはり素直な人だ。正直過ぎて、裏がない。表ばかり。それも、全く隠しきれない口の悪い表ばかり。

彼を前にすると、気が抜けてくる。俺の“目的”が藤堂さんにバレないか毎日冷や汗を掻いているのがどうでも良くなるぐらい。

「俺は相川」

棚に肩を凭せ掛け、凝った首を休める為に頭も乗せる。怪訝な顔をする相楽さん。

「似てるな」

「似てる?何が?意味分かんないから。通じ合うとか無理なんで、主語入れてくれます?」

あからさまに引かれた。素を見たいと挑発してきたのは彼だと言うのに。

「相楽。相川。似てる。相棒に相応しい名前だな」

本当に、俺と彼、似ているのは名前だけ。

必死に上っ面を作り、誠実な軍人の相川を演じる俺と彼ではこれっぽっちも似ていない。なのに、どこか俺達は似ている。

程良く正直で程良く嘘吐きな普通の人間と違う――その点で俺達は似ている。

「え、キモ」

そう言うと思っていた。彼はとても正直な人だから。

「よろしく、相楽」

だから俺も嘘しか吐けない人として、彼の返事に微笑み返した。

「…………聞けよ」

この時、似てないのに似ている者同士、俺達は上手くやっていける気がした。





俺と彼が相棒になって半年。

「何故、ここに座るんです?他に席はいくらでも空いてます」

相楽はラーメンを啜りながら、器用に俺に話し掛けて来た。

俺は相楽の隣に座って今日の献立の食べる順番を考える。先ずは好きな料理に順位を付ける。が、より好きな料理を後にするだけではつまらない。かと言って、適当はもっと駄目だ。

さて、今日の食べる順番は……。

「テレビの見える位置がな……ここが一番良い」

「………………そうですか」

カツン。相楽の箸が止まり、どんぶりの端にぶつかる。きっと相楽は「飯が不味くなんだろ」とか思っているのだろう。

しかし、彼は不快感を態度に表すだけで、言葉にはしない。出会った頃と比べれば、大層な進歩だ。

相楽は決して馬鹿ではない。

ただ、損得を考えていても、自身の感情を優先する。特に負の感情を。

つまり、不平不満にはストッパーが効かないのだ。しかし、半年の間、根気強く指導したら、彼は言葉遣いをまぁまぁ改めてくれた。と言っても、俺以外にはまだ悪い癖が出るようだが。

「相楽」

「食事中です」

「仕事の話だ。食べながらでいい」

相楽はスープを啜ると、テレビをじっと睨む。聞いてくれるようだ。

「新人が来る」

相楽の箸がどんぶりの底を突いた。かつ。こつこつ。

どっとストレスが溜まってるな。

「形式上、俺達の部下になるが、彼は監視対象だ」

ごつ。

低い音がした。

「藤堂の差し金か」

まるで地響きのように深く重々しい声音で彼はその台詞を吐き捨てる。他の動物が絡むとすこぶる機嫌が悪くなる。人間しかり、犬猫しかり。脳みそのある動く物体は全て相楽の敵になりうる。

「藤堂さんも上に押し付けられたらしい。本人、去年の冬より前の記憶がないとか。自分の名前も分からないと言ってるとか」

「ガキのお守りかよ」

「生活する分には支障はないようだ。それに、彼は集束型炎系魔法。即戦力になれるだけの能力はある」

ずずずずず……ごくり。

どんぶりに残ったスープを飲み干した。

「炎系は大嫌いだ」

彼のその感想は彼が集束型氷系魔法の魔法使いだからに他ならない。

炎系の魔法使いは炎に耐性がある。そのせいか、暑さは割と平気で、逆に寒さに弱い。

一方、氷系の魔法使いは寒さに強く、暑さに弱い。春の時点で、彼はわざわざ部屋の壁に霜を這わせて冷蔵庫のようにし、貧乏揺すりをしながら恨み言を吐いていた。俺が知らずに部屋のカーテンを開けると、「死ね」と間髪入れずに言われた。

ちなみに、魔力の属性による体調への影響は、魔力量によるとか。つまり、より魔力を蓄える器が大きい者程、その影響を受けると聞く。俺は自分の水系魔法で体調に違和感があるとは感じないが。

「言っときますけど、僕は世話なんてしませんからね。監視対象の世話は僕の仕事じゃない」

「それは俺がやる。ただ、先も言ったが、監視対象だ。藤堂さんが疑っている」

「確かに、時期が悪い。それに、記憶喪失なんて普通の奴はなりませんからね」

「上から情報が一切降りてこない。藤堂さんには彼が何者か調べろと言われた」

「ふーん」

藤堂さんにも分からないこと――相楽はニヤリと笑みを浮かべた。

情報を得れば、藤堂よりも優位に立てる。相楽の考えは大体そこらへんだ。

「上は何故、記憶喪失設定の奴をここへ寄越すのか。嫌われ者の藤堂なら、何だってありえますね。暗殺でもされればいいのに。僕の目の前で。そしたら、奴も消せて一石二鳥」

「相楽、今は俺しかいないからいいが……」

「僕の仕事は裏切り者を見付けて、処分するだけ。それだけです」

ぱん。

背筋を伸ばし、両手を合わせた相楽は目を閉じながら「ごちそうさまでした」と囁き、勢い良く席を立った。お盆を持ち、食器返却口へ持って行く。勿論、返却口奥でせっせと食器を洗う女性達に「美味しかったです。ごちそうさまでした」と言うのを忘れない。

別にこれも俺の指導の賜物と言うわけではない。これは彼が進んでやっていることだ。

俺が直そうとしたのは彼の口の悪さだけ。

彼が姿勢を正してご馳走様を言うのも、彼女達に感謝するのも、自主的にだ。俺が彼と過ごしてきた時間から考察するに、彼は自分に絡まない――無関係の者には当たり障りのない、寧ろ、礼儀正しく接する。彼は誰かとの“関係”を嫌っているのかもしれない。

「相川、君は相楽使いが上手いね」

「藤堂さん」

白衣の藤堂さんがついさっきまで相楽が座っていた席に座る。つまり、俺の隣だ。

「彼は誰の話も聞かないのに、君にだけは言うことを聞く。コツでもあるのかい?」

彼の手元にはいつも使っているマグカップしかない。ブラックコーヒー入りのマグカップだ。

「どうなんでしょうか。コツ……私は普通に接しているだけです」

「私も普通に優しく接してあげてるんだけどねぇ。不機嫌じゃなかったことがない。君は信用させるのが本当に上手い。怖くなるよ」

それは……怖い。

俺が怖い。

前髪の隙間から一瞬だけ冷え切った瞳を覗かせ、直ぐに笑顔に変わる。

「相川、私も君を信用しているよ」

………………嫌だ。

信用しないで欲しい。

しかし、俺は「ありがとうございます」と返事することしかできない。そして、藤堂さんは1分もしない内に席を立ち、わざわざ可燃ゴミ用のゴミ箱にカップの中身を捨てて、食堂を後にした。

彼が何をしに来たのか。俺と相楽の会話を聞いていたのか。

俺は藤堂さんの考えが読めなくて怖い。藤堂さんは俺が裏切者であることに気付いて、敢えて泳がせている可能性もある。すると、今回、俺達の部下として配属される新人も藤堂さんの予定の一部かもしれない。

新人が来ることは伝えときたいが、外への連絡は暫く控えた方がいい。俺の存在がバレれば、俺だけでなく、他の仲間が危険に晒される。それだけは避けたい。

俺は胃がずしりと重くなる感覚を覚えながら、順番など考えず、ただ目の前にある食べ物を口に運んだ。






「相川君、あなたには重要な仕事をしてもらいます」

「はい」

「万が一の時は、我々はあなたを助けられない。我々はあなたを見捨てる。裏切る。そういう仕事です」

「はい」

「一つだけ。我々の主があなたを呼び戻す時、あなたの仕事は終了となります。…………すみません。この様な形でここから送り出すことになるとは……」

「いいえ。俺の全ては主のものです。寧ろ、恩返しをする機会を頂き、ありがとうございます」

「あなたって人は………………いえ。分かりました。……行ってらっしゃい」

「はい。行ってきます」

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