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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
記憶追悼―由宇麻―
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麦畑の少年(12)

「ぼくの世界はスッゴく小さいんだ」

「小さい時からずっとここだからね」

「うん。この子と加賀(かが)先生がいるこの部屋がぼくの世界」

瑞々しい桃色の花弁を風に揺らす芝桜を見詰めた由宇麻(ゆうま)は腕を広げた。加賀は見せた笑顔に微笑する。

「加賀先生がお父さんだったらいいのにな」

「由宇麻君…」

「それで、お母さんは姫野(ひめの)さん」

そう笑い続ける彼は小さくて幼くて、加賀はそっと、頭を撫でていた。

「ありがとう、由宇麻君」

「こちらこそありがとう、加賀先生」

彼は眠りにつく。




「おじ…おじさん」

「んあ?」

あぁ、厭だ。と思った。

煙草を吹かして、だらしなくパンツ一丁でソファーに座り、テレビを見ながら酒とツマミを手に口をクチャクチャと鳴らしている。

ぼくとお母さんとお父さんのお家に異物が一つ。

裕次(ゆうじ)、姉さんの子の由宇麻よ」

叔母さんはぼくの背中を押した。ぼくは近寄りたくないのに押すから近づいてしまう。

「ふーん。由宇麻君、おじさんってやめてくんない?これでも美恵子(みえこ)より年下だし」

おじさんはおじさんで図々しい。ここはおじさんの家じゃない。

ぼくはおじさんが厭だ。

「由宇麻、裕次お兄さんね」

叔母さんの肩を掴む指が痛く、ぼくは小さな声で仕方なく「…裕次お兄さん」と言った。


「今日はお休みだし、家族で何処かに遊びに行きましょう?」

次の日の朝、ご飯を食べている時に叔母さんはそう切り出した。

「どこか?」

あ、しまった。

叔母さんはぼくを睨む。

ぼくは黙ってなきゃいけないんだった。

「由宇麻も楽しめるところ」

叔母さんの笑顔はどこか作っているように見えた。

「裕次、何処がいいと思う?」

「俺はパス。二人で行ってこい。昨日の酒で頭いてぇ」

「そ…そうね」

叔母さんは悲しそう。

ねぇ、この人の何処がいいの?

「でも、由宇麻の為に」

ぼくの為?

おじさんはぼくを睨んだ。それは叔母さんのよりすごく怖い。

ぼくは縮こまる。

それに機嫌を良くしたのか、おじさんは臭い息を吐いて立ち上がった。

「しゃーねーな。由宇麻君の為に遊園地でも行くか」

そして、おじさんはぼくの肩を痛いくらい強く叩いて盛大に笑う。

「な、由宇麻くん」

「…うん」

その時のぼくの顔を覗き込んでくるおじさんの顔は怖かった。



「叔母さん…」

「なぁに?」

「トイレ…行きたい」

叔母さんに露骨に嫌な顔をされた。だけど、加賀先生が行きたくなったら言ってくれと言っていたからであって、わざとでも嫌がらせでもないのだ。

「お、由宇麻君がトイレか?裕次お兄さんと連れションするか」

そこにやってきたおじさんがぼくを抱き抱えた。ぼくはおじさんの息が臭いから顔を逸らす。

「ありがとう、裕次」

そう言った叔母さんは笑顔を見せた。ぼくにはそれが綺麗な笑顔に見えた気がした。

「おうよ」



遊園地は初めてだと思う。それよりも初めてじゃないのを思い出す方が大変だと思う。

確か、一度だけ家族で動物園に行った気がする。その他には…思いあたらない。

動物園でいつの間にか倒れてて病室に戻っていたことがあって、それからのたまの休日はいつも家で寝てて、ちょっと美味しいもの食べて、いつの間にか家に帰ることもなくなった。その頃の辺りからお父さんとお母さんは仲が悪くなっていった。

病室の前で怒鳴られたら流石のぼくも分かってくる。

ぼくのせい。

ぼくが生きているせい。

そう思っていると段々と心が変わっていく気がした。

テレビの何気ない会話から嫌な言葉だけ耳に響くようになって、目の前は暗くなる。

深い暗闇の中で誰かを呪う。

ぼくはぼくを呪う。

そして、沢山の傷を体に刻み付けた。

お母さんが怒った。

右足を切る。

お父さんが怒った。

左足を切る。

お母さんが焦った。

右腕を切る。

お父さんが焦った。

左腕を切る。

お母さんとお父さんがぼくが要らないと言った。

窓枠に足を掛ける。


そこに姫野さんは現れた。

ぼくを抱き締めて要るって言った。沢山沢山泣いて傍にいるよって言った。

どうして泣いてるのって訊いたら、泣かない君の変わりに泣いてるのって言った。

彼女はぼくの光だった…―。


「なぁ、由宇麻」

おじさんがぼくを呼び捨てにする。ぼくは反射的に叔母さんの姿を探して、掛かってきた電話に「お父さんっ…」と焦った顔でぼく達から離れて行ったことを思い出した。現在、叔母さんは遠くの方で携帯に向かって何だか言い争っているように見えた。

「何?おじさん」

「お、生意気な奴め。裕次お兄さんだっつーの」

しかし、ぼくのことを呼び捨てにしたし、ぼくにはおじさんは“お兄さん”に見えない。茶髪でイヤリングしてネックレスしてて見た目はヤンキーだけど、中からにじみ出ている気と言うか、雰囲気と言うか、なんかじじくさい。

「ま、いっか」

ほら、こういうところがじじくさい。

「お前さ、美恵子の餓鬼だろ」

つまりは?

「ぼくが叔母さんの子供だと?」

「だろ?」

何を言っているのだろうか。

ぼくが叔母さんの子なわけがないではないか。じゃなきゃ、叔母さんを“叔母さん”とは呼ぶはずないではないか。もし、ぼくが叔母さんの子なら、ぼくは叔母さんを“お母さん”と呼ぶはずではないか。

おじさんの言っていることを整理しようと黙って考えていたら、おじさんは勝手にぼくが叔母さんの子だと思って話し始めた。

「あーゆー女、よくいるんだよな。大体、親が離婚すると母親が子を引き取る。夫の仕送りを条件にな」

そうなんだ。

「そこに、俺はつけこむ」

つけこむ?

「おじさんは悪人?」

「まぁな」

おじさんは肯定した。

ぼくの頭の中でおじさんに悪い人のレッテルが貼られた。だけど、それ以上はなくて、ぼくは叔母さんが悪い人に捕まっていることになんとも思わなかった。

「俺はな、ちーっと愛想振り撒いてサービスして、金を貰う。美恵子はいつか俺が美恵子を好きになってくれるって思って、俺にせっせと貢いでいるのさ」

つまりは?

「叔母さんからむしれるだけむしり取ろうって考えてるわけ?」

「由宇麻は頭いいなぁ」

おじさんは肯定した。

「実の息子なのに“叔母さん”なんて呼ばせるとは。お前、愛されてねぇなぁ」

愛されるとはなんなのだろうか。

敢えて“愛”というものを考えるなら、ぼくは姫野さんを愛していた。

では愛されるとは?

誰かがぼくを愛してくれるということだろうか。

おじさんはぼくは叔母さんに愛されていないと言った。つまり、おじさんは叔母さんがぼくを愛しているか考えたはずだ。

ぼくは叔母さんが愛してくれるなんて考えたことすらなかった。

「おじさん、優しいんですね」

「それが俺の売りだからな。俺、もう行くわ」

「行く?あぁ、叔母さんを捨てるんだ」

「正解」

ぼくは離れていくおじさんの背中を見詰めていたら、ふと思った。

叔母さんも愛されていないね。

ただそれだけ思った。


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