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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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怪奇現象(3)

「もう4時間はそこね」

彼女は湯気の立つコーヒー入りのマグカップを片手に息を吐く。薄いカーテンを透かして明かりを絞った部屋から都心部のカラフルなネオンを遠くに見ていた。

「久々の再会じゃないの。師匠に顔も見せずにいつまでそこで隠れている気?ずっとなのかしら?」


『ずっとです……師匠』


カーテンが夜風に舞い上がり、彼女の深紅の瞳が反射する微かな光源に揺れる。

「ずっとは私が嫌だわ。だから、クレハ」

コトン。窓枠にマグカップを乗せた彼女。

彼女は右手を徐に持ち上げると、丁度自身の胸の前で人差し指を目の前――外に向けた。

「今すぐ顔を見せなさい。三秒以内に。さん、に……――」

「し、師匠っ!」

傍目に見れば、ボロ布の塊。しかし、窓の向こうのベランダに現れた小さな黒い塊は彼女の弟子だ。

「クレハ。久しぶりね。早くあなたの元気な顔を見せなさいな」

こっちにおいでと手招きする彼女に弟子のクレハはよたよたと近寄り、とうとう彼女の直ぐ目の前へ。クレハは小さな手のひらを布の隙間から見せると、頭に被さるそれを除けた。

「どうしたの?そんな顔、あなたらしくないわ」

眉を寄せ、闇に溶けた黒髪の下で困り顔に似た表情を晒す少年。クレハの師匠である彼女は弟子の表情のあり過ぎる顔に違和感を感じている様だった。

「師匠……僕らはとても長生きです。とてもとても……」

彼女に招かれるまま室内へ。そして、自身を包み隠す羽織を脱ぎ、彼女がそれを回収する。

「それが私達の宿命だから。私達は長く生きることで、身に宿る、大地には還すことの出来ない数多の罪を消し去らなければならない。私達が消滅するその時までに」

「はい」

彼女の瞳は赤黒くなり、それを見詰めたクレハの漆黒の瞳も呼応するように赤黒く色を変える。

それが彼らの――積み上がったヒトの負の感情から生まれる悪魔の証だ。

「だからなんです……」

「だから?」

「僕らは必然的に沢山の命を見送る運命にあります。多くの者の生き様を見て記憶する。楽しい思い出も悲しい思い出も…………喩え、他者に忘れ去られても」

「そうね。だけど、クレハ……私があなたを覚えているわ」

クレハの頬を指先でなぞる彼女。

彼の師匠として、彼を導き道を示す存在として、彼女はクレハに敢えて触れる。ヒトに疎まれてきた彼らだからこそ、彼女はクレハに温もりを教え込む。

いくらヒトに蔑まれても突き詰めれば、悪魔はヒトよりもヒトに近い。悪魔が同類であるヒトを愛するのは当たり前だ。だからこそ、彼女はクレハにヒトなりの愛し方で接するのだ。

「そうじゃないんです。僕が言いたいのは…………」

「クレハ?」

師匠の手をクレハが鷲掴む。弟子の反応に戸惑いの表情を見せた彼女は薄く唇を開いた。

「どうしたの?」

「師匠。僕らは……僕は……ヒトに忘れられても、僕がヒトを忘れることがあってはいけないんです。だから……そんな僕だったから……僕は今までこんな気持ちにはならなかった。…………師匠……僕はおかしい……おかしくなってます。変ですよね?」

「………………おかしくないわ」

勝手に湧き上がる感情の波に誰よりも困惑し、恐怖していたのはクレハだ。

普段は無口の彼が唇が痺れる程に語る。

彼女は弟子に無性に愛情を感じ、ヒトの子のように怯える少年の腕を振りほどいて抱き締めた。

「……師匠…………」

「クレハ。それは愛おしいと言う感情よ。あなたはヒトを愛している。おかしくなんてない。それはとても良い事よ」

「?」

「分からないかしら?…………もし、あなたがお姫様のことを忘れてしまったら?忘れてしまったことに気付いたら?とても悲しいでしょ?胸が痛いでしょ?」

その言葉にクレハはきょろきょろと視線をうろうろとさせ、師匠に密着する自身の胸元を見る。

「…………痛いです。考えるだけで痛い………………僕はシエラ様を忘れたくない。僕の存在があの方を死へと導いたとしても……」

「それはあなたが彼女を愛しているから。忘れられることが悲しいんじゃない。忘れてしまうことが悲しいのなら、あなたが彼女を愛しているようにヒトを愛しているということよ」

「……………………師匠……苦しい。僕はシエラ様を愛しています。同じように『彼』を愛おしく思っているなら、きっと僕は苦しいままだ。だって僕は愛というものを僕の意思で消すことが出来ない。師匠には出来ますか?」

「出来ないわ」

ヒトは時に魔法を万能薬という。だけど、そんな力は魔法にも何にもないと師匠もクレハも知っている。

それでも、厄介な不治の病に掛かったと宣言されたクレハは下唇を噛むと、師匠の胸に額を押し付けた。愚かな事だと思いながらも「嫌です。助けて……苦しい……」と師匠に縋るクレハ。

「ごめんなさい、クレハ。慰めの言葉ならいくらだって言えるわ。だけど、それは根本的な解決にはならない。私にはあなたを本当の意味で助けることはできない。何故なら、これはあなたが自分の力で解決しなければいけない問題だから」

「でも、愛は消せないって……」

「それだけがあなたを苦しみから救う方法かしら?クレハ、考えて。ヒトは……あなたのお姫様ならどうする?こればかりは正解なんてない。ただ最善の、あなたの信じる方法を見付けて」

クレハのお姫様であるシエラはどんな時も笑顔だった。どんな状況でも人も動物も悪魔も愛していた。人に裏切られ、自身の命さえ奪われようとも。何者に対しても、恨みも憎みもしなかった。

「……………………師匠……僕……修行してきます」

師匠を見上げ、漆黒の瞳に月明かりを星のように揺らした。

「修行は構わないけど、連絡手段は持って。今この瞬間から丁度一週間毎に私に連絡すること。いい?」

「分かりました」

「ならよろしい」

彼女に認められ、クレハは安堵の表情を浮かべると、惜しむようにゆっくりと離れる。彼女も弟子の成長に喜びと寂しさを滲ませながら口元だけで微笑み、離れた。

クレハは彼女から羽織を受け取り、フードをおもむろに被ると窓辺へ。夜風にフードが棚引く。

「師匠…………」

彼女に背中を向けたまま呟くクレハ。

「……………………いつでも帰ってらっしゃい。あなたのいる所が私の家であり、私のいる所があなたの家でもあるんだから」

「………………はい」

一瞬、少年の体はふわりと宙に浮いたかと思うと、溶けて消える様に彼の背中は闇の中へと消えて行った。



「修行……って…………どんなのかしら……………………あの子のことだから心配ねぇ……」







「よし、やるか」

(あおい)は腕まくりをすると、深呼吸をし、黒に近い桜の木肌から満開の花達を見上げた。白色ワイシャツに透ける葵の背骨が素敵……なんちゃって。

そして、僕は冷えた麦茶の入ったグラス片手に縁側で休憩だ。

「ねぇ、あおー。やるって何するのー?」

「取り敢えず、観察だな」

「観察……」

葵は“見るだけ”でも本気なんだよね。

軍学校では演習もあったけど、漫画読んでた僕と違って葵は誰の演習でも真剣に見ていたっけ。それでレポート提出とかあった日には葵に泣き付いたっけ。予告もなくレポート課題とかやめて欲しいよね。

でもま、僕は葵を見るときはいつでも本気だ。

特にアレの時は葵のどんな動きも見逃さない自信がある。だからこそ、僕はその時その時で葵がどれくらい感じてくれてるかが分かるわけだ。

かと言って…………葵はじっと桜を見詰めて微動だにしない。本当に罪深いエッチな肩甲骨――背中で語るとかもない。

暇だなぁ。

氷羽(ひわ)ぁ……ヒントはー?」

「ん?何か言ったか?」

「…………今どんな感じー?」

「観察するだけならお前の隣でもいいかなって思ったところだ」

葵はくるりと振り返ると、すたすたと僕に近付き、隣に腰を下ろした。ふわりと昨夜のお風呂で使ったのであろうシャンプーの匂いがしてくる。

琉雨(るう)ちゃんいる?」

(あかね)さんのところだ。お世話になるから何かお手伝いしたいってさ。茜さんは琉雨ちゃんの気配を感じ取れるしな」

「ナイト家って凄いね。昨日ネット検索したらさ、まとめサイトあったし」

「まとめサイト?」

葵ってインターネットとか全然だった。だから葵は物知りだけど、ネットスラングとかは知らないんだよね。

「由緒正しい騎士の家柄で、何とかって爵位もあって…………なんか凄かった」

自分でも説明になってないじゃんと思いながら、やっぱり僕の話を張り詰めた表情で聞き終えた葵は難しい顔をして唸った。訊ねずとも分かる――「何とかって爵位ってなんだよ」と葵の態度は訴えていた。

ちなみに、僕の答えは「覚えてないし面倒くさいから分かんない」だ。

「それよりさ、観察はもう十分じゃない?実験しようよ」

「実験にはサンプルが必要で……どうやって咲いてるのか予測出来てない内から実験は……」

「咲かせるのが目的なら散らせる。それって有効な手じゃない?」

怪訝な顔をする葵は慎重だ。勿論、慎重なのは大事なことだと思う。常に守りでいるのは。

だけど、時には勇気を持って踏み出さなきゃ。

背中ばっかり気にしてたら前を走る人を守れないよ。

「それに、長引いて日焼けしたくないもん。さくっと犯人に出てもらおう?」

「え!?せんっ!!」

僕は葵の手にグラスを押し付けて桜に近寄った。

真下まで来ると桜の巨大さが際立つ。そして僕は手の届く高さに下がった木の枝を見付けて手を伸ばした。

小さくて綺麗な桜の花。可哀想だけど、僕はその花を取ろうと指で摘んだ。


『やめて!!』


「うにゃっ!!!?」

千里(せんり)?」

声が聞こえた。

僕でも葵でも琉雨ちゃんでもない声。少年の声だ。

「やめて」と言われ、僕は咄嗟に桜の花から手を放して後退る。

大切な桜だから傷付けるなと怒ってる。

だけど、それは僕にとっては好都合だ。

「やめて欲しいなら、桜がそんなに大事なら理由を教えてよ!」

もっと怒ってよ。声を荒らげてよ。姿を見せてよ。

僕は怒られるのは嫌いだ。誰かの怒りを買い、嫌われるのは嫌いだ。だけど、相手の大切なものの為に怒られるのは構わないんだ。

だって僕にも大切なものがあるから。

葵が傷付けられたら僕は怒る。嫌う。だって大切だから。

それは必要な怒りだ。

大切なものが傷つけられようとしていて、怒られないのは僕だって辛い。大切なものの為なら怒っていい。寧ろ、怒って欲しい。

僕って……そんなマゾだったっけ。


「やめてだけじゃ伝わらないよ!」

「大丈夫」だけじゃ伝わらないんだよ。


僕はそんなつもりでは無かったはずなのに葵を見詰めて言っていた。グラスに注がれた麦茶がぴちゃりと跳ね、彼が僅かに動揺を見せた。

今……もしかして言ったことと思ったこと逆だった?

僕は何をそんなにムキになっているんだろう。

その時だ。

葵の手からグラスが滑り落ち――。

「せんっ!」

「あお?」

今、ブラウスの袖口を掴まれた気がした。

何?引っ張られる……。

「千里から離れろっ!!!!」

怒りに感情を昂らせた葵が振りかぶり、腕で横一線を描く。そんな彼の瞳は美しい青色。

葵の色だ。

『千里!自分を護れ!!』

氷羽の声が脳に直接大音量で流れてきた。それは僕の迷いからも戸惑いからも、全てから優先される命令として僕に働きかけてくる。

そして、僕の魔法はそもそも僕の意思とは無関係に僕を護るが、今回は氷羽の命令が無ければ……敢えて意識しなければ、僕を傷付けていた――そう思えるような爆風が僕を包み込んだ。

踏ん張れなければ転んでしまう。目も開けられない程の強風が僕の真正面から吹いてくる。

この深く穏やかだが、押し潰されそうな重みのある魔力は葵の魔力。葵の風系魔法に違いない。

『くそ……葵め……興奮すると抑えがきかないんだから』

セックスの時もそうだよ――なんて言う暇はない。

葵は確かに僕から離れろと言った。ならば、葵の魔法は僕に向けてではなく僕の後ろにある気配に向けてのもの。

まだ僕の服の裾を掴んでいるそれに向けての……。

「僕は言ったんだ……僕の思い出を……もう壊さないでって…………」

それは僕の直ぐ後ろから聞こえた。

抑揚のない無機質な声だけど、間違いなくさっきの声。

「やめて」と言った彼の声。

僕は怪奇の原因を一目見ようと振り返る。

しかし、振り返った僕の視界には赤黒く染まった桜の木。

「な…………に…………?」

美しいピンクの桜だったはずなのに花も木も赤黒い。

違う。

「魔法陣…………」

桜の巨木から僕の足下へ伸びる魔法陣。それが光を発し、全てを暗く染め上げていたのだ。

葵の魔法陣はこんな色じゃない。だったらこれは声の主の……?

「千里!そこから離れろ!!犯人は魔法使いだぞ!!」

そうだよ。魔法陣を使うのは魔法使いだ。この桜はやっぱり魔法で咲いている。

『そんなことより、君は魔法陣の上にいるんだよ!逃げるの!!』

「あ……に、にげ…………うにゃっ!!」

魔法陣の外から手を伸ばす葵のもとへ走ろうとして、手が掴まれた。

冷たい氷のような手。それもこれは子供の手……やっぱりお化けだよ。桜の木の下に埋められた魔法使いの少年の霊とかだよ。

『千里!仕方がないからぼくに代われ!ぼくが片付ける!』

きっと氷羽ならどうにかしてくれる。だけど、そんなのはダメだ。この依頼は僕達が前に進むのに必要な依頼だって氷羽が言ったんだ。

「くそっ、千里!」

僕が極限まで機能停止した頭で必死に解決策を考えていると、待ちきれなかった葵が魔法陣の方へと走り出した。

このままでは葵まで魔法に巻き込まれる――


だから僕は傍の桜の枝を強く掴んだ。


「やめろぉぉおおお!!!!」

耳を劈く少年の叫び声。

感情に任せ、怒りのままに。大切なものを守る為に必死にもがく君の声。

僕が聞きたかった声だ。


そして、葵が魔法陣を踏む前に魔法は発動した。僕の狙い通りだ。

唖然とする葵の顔が赤黒い光に掻き消されていく。

あとは僕がこの未知の魔法に堪え切ればいいだけ。

直ぐに戻るからね。葵。




消えないで。

消さないで。

僕の思い出を。

僕の居場所を。

僕の家族を。

僕の愛する人を。


もう失いたくないんだ。

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