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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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怪奇現象(2)

広い襟周りから鎖骨を覗かせ、袖口や襟首をギャザーで搾った純白のブラウスを着た青年。彼の瞳は左右で色が違い、片目は鈍い金色、もう片目はディープブルーの色をしていた。そんな彼はフライ返しを片手にリビングテーブルに置いたホットプレートの前で肌色の生地が焼けるのを真剣な表情で観察していた。


「にー、おやつまだー?」

「まだ駄目。今引っ繰り返したら、先の失敗の二の舞だ。僕は学んだんだ。ホットケーキの難易度を甘く見ていたと」

「でもお腹空いたー。にー、このおこげ食べていい?」

「だから駄目だって!人生初の妹への手作り菓子が焦げ付いたホットケーキなんて、僕のプライドが許せない!!」

「シスコン過ぎだよー。でも、お客様来たよ?」

「知らん。僕は忙しいんだ。居留守だよ、居留守。ほら、見てよ。これがベストな返し時に違いない」

「分かんないよ。でも、面白そうだからお迎えしてくるねー」

「あー……うん。…………お、いい焼き色だ。………………………………え?…………あ……遊杏(ゆあん)?」


そうして8枚目となるホットケーキをフライ返しで引っ繰り返した時、振り返った(れん)の背後に半袖の紺色フリフリワンピースの遊杏はいなかった。





「で。何?君は何しに来たわけ?」

分厚く重ねた3枚のホットケーキ。

そこに蜂蜜を垂らした蓮は据わりきった目で小さく小さくナイフで切って行く。

「んー。少なくとも二之宮(にのみや)の代わりにホットケーキを焼きに来たわけじゃないな」

「アポ無しはホットケーキを焼く義務がある。僕の家のしきたりだ」

「ホットケーキに執着してんな。そんなに好きかよ」

カチャン。

ホットケーキに突き刺したフォークが真っ白な皿にぶつかって音が鳴る。その音にホットプレートの前で黙々とホットケーキを量産していた陽季(はるき)が隣で車椅子に座る蓮を見下ろした。

「僕達ってこんな仲だったっけ?僕は君の演劇の先輩ってだけだった気がするけど」

満腹でお昼寝に入った遊杏を膝に乗せた蓮。彼は一口サイズにしたホットケーキを口にする。陽季もボール一杯だったホットケーキの生地が底を尽き、木製の椅子にどっしりを腰を下ろした。

「お前も薄々気付いてんだろ」

「何を?」

「俺達は大切だったものを失っている」

「失っている?僕は今でもう幸せだよ。ま、今日は董子(とうこ)ちゃんがお休みで寂しいけどね。それとも君も僕の大切なものだって言って欲しいかい?」

遊杏の額を撫で、片手間に切り刻んだホットケーキを食していく。

そんな蓮の態度には何か来るものがあり、陽季は彼の項をじっと見た。癖のある鈍い金髪を彼は黒色のゴムで適当に括っている。ちょこんと生えたそれは兎の尾のよう。

とは陽季は言わないが。

崇弥洸祈(たかやこうき)のことだ。お前は歌姫ウンディーネであり、ヤブの薬屋であり、情報屋。何より、お前は自分自身を常に考察しなきゃ済まない男だ。だから、お前は必ず知っている」

「……………………ふぅん。普段なら買い被り過ぎだよって言うんだけどね」

陽季は手を伸ばすと、蓮が背を向けているのをいいことに、蜂蜜の染みたホットケーキの欠片を摘まんだ。

「君には言うだけ無駄だろう?」

「時間の無駄だ。お前だって少しでも早く俺の情報が欲しいだろ」

残り5つになったホットケーキの欠片。

陽季は思いの外の美味しさに3つ目になるホットケーキの欠片を盗み食いしようとした時、蓮ががばりと彼を振り返り、陽季の手の甲を遠慮なく叩く。「いでっ」と悲鳴を上げた陽季が蓮を睨み、同時に蓮にゴミ屑を見るような目で見降ろされ、真顔のまま視線を左へと逸らした。

「崇弥洸祈は何者だ?彼は君の何だ?彼は僕の何だ?君の情報を全て僕に寄越せ」

皿を端に寄せ、蓮はテーブルに片肘を突く。誰が聞いても随分と失礼な物言いであり、特に客商売の蓮を知る陽季からしたら失礼を承知でわざとやっているのは十分理解しているが、陽季はふーっと息を吐くだけで、蓮の方に向いて背筋を正した。

「俺も先に言っとく。俺が情報を渡したら、お前の考えを俺にも話せ」

「あまりお勧めしないけどね」

「何だっていい。俺は洸祈を見付ける」

「熱心だねぇ」

唇の端を吊り上げ、目尻を下げた蓮。

心底どうでもいいと言いたそうに彼は鼻で笑う。

しかし、陽季は寧ろ蓮に対して生真面目に「俺の愛する人だからな」と言った。

「愛するって……」

蓮の表情が固まる。

目を細め、目の前の陽季が着る飾り用のボタンが多く付いた灰色ワイシャツのシワを見た。否、ただそこに視線を置く。

「もし……もしもだよ……彼に再会しても…………」

「そんなの分かってる。俺だってまだ何一つ思い出せてないんだからな。だけどな、理由が必要だってんなら、洸祈は俺が愛し、俺を愛してくれた男だ。十分過ぎる動機だろ」

「………………君は単純だよね。つまり、馬鹿」

「おい。ホットケーキすら焼けないド不器用に言われたくねぇよ」

………………………………。

黒曜石のような漆黒の瞳と深い海の底のような紺色の瞳。その二つが絡み、タイミングを合わせたように右と左に分かれた。

まるで犬と猿、水と油だ。互いに分かり切っていたが、仕事を除けば全く気の合うところのない二人はいつも通り口を真一文字に結ぶ。

その時だ。


「何?」


「遊杏?」

蓮の膝で昼寝をしていたはずの遊杏が上体を上げてリビングから玄関廊下へと繋ぐ扉を見詰めていた。彼女の背中にはワンピースに刺繍された大きく色鮮やかな向日葵が。

そして、そんな彼女の瞳は波の色に淡く光り、蓮が素早く彼女の視線の先を睨む。彼の瞳もまた、波色に光っていた。

「陽季君」

「な……なんだよ」

険悪なムードになっていたと思っていたのに、蓮の纏う雰囲気は一瞬で張り詰めたものに変わり、理解の追い付かない陽季は自身の不機嫌を解くべきか解かぬべきかで無駄に焦る。

蓮は多分、先の言い合いを忘れている。そんな中で陽季だけがねちねちと引き摺るのもカッコ悪い。

が、この短時間で憎き蓮の馬鹿発言を忘れることも出来ない。

そうして陽季一人が悶々としていると、蓮は扉に睨みを利かせたまま「何を連れてきた」と凄む。

「ここは僕の家だぞ。僕の魔法の支配下だ。出入りするものは必ず分かる……はずだ」

「は?……何言ってんのか分かんないけど、連れてきたって――」


「もうお邪魔してええ?」


「……………………お前は何だ」

ゆっくりと開いたドアから顔を覗かせたのは、くりくりとした枯草色の瞳を眼鏡の奥に見せた男。赤茶色のパーカーにジーンズ姿。

細い枯草色の髪を揺らした童顔の男がぎこちない動きで二之宮邸のリビングに入って来る。

「あ、司野(しの)さん!すみません!!来て直ぐにホットケーキ焼かされてたせいで忘れてましたっ!!!!」

蓮の緊張感の正体――今日陽季と一緒に蓮のところに訪ねて来ていた司野由宇麻(ゆうま)と気付き、陽季は一人ぼっちで彼を外に待たせていたことを思い出した。

確か、気難し屋の蓮に由宇麻をどう紹介しようか迷った陽季は取り敢えず彼を玄関先に待たせ、一人で蓮のもとへと乗り込んだのだった。

「あう……そうだったんやな。あ、勝手に入ってごめんな?失礼やて分かってたんやけど…………あの……二之宮蓮君に会いたくて……」

「司野さん……ねぇ。陽季君、彼は何者?」

遊杏をしっかりと抱き抱え、知らない人間に警戒する親猫のような蓮は由宇麻の一挙一動を注視する。そんな彼の視線の熱さを感じ取った由宇麻も四肢を固まらせ、その場から動けないでいた。

となると、ここは陽季が気を遣うしかない。

「彼は司野由宇麻さん。俺達が忘れてたことも忘れてた崇弥洸祈の関係者。というより、崇弥洸祈の義理の父親。俺達は司野さんとも知り合いだったんだ」

「にー、やっぱりだ。このヒトからは魔力を全然感じない。このヒトは魔力を持ってない。だからにーの結界を擦り抜けたんだ」

蓮の腕に守られる遊杏はじっと由宇麻の目を凝らしていた。彼の衣服、皮膚、筋組織、その更に奥を見透かすように。

由宇麻は蓮に加えて幼女に見詰められ、おろおろとした顔を陽季に向ける。「助けてや」と彼が目で訴えていた。

「あのさ、司野さんホントにいい人だから。俺よりずっと心の綺麗な人だから。マジで」

「いい人かどうかは僕の決めることだ」

「そりゃあ、そうだけどさ……司野さん虐めの度が過ぎると……」

「虐め?何の何が虐めなんだい?魔力を持たない未知の生物なんだ。慎重にならない――」

――と。

ぱこん。

軽い物音がし、陽季と蓮、遊杏が音の方向を見る。

由宇麻の足下、フローリングの床に音の原因であろう薄茶色の紙袋が。ピンク色筆記体で何か印字されていた。

「うぐ……あう……俺…………俺……仲良くなりとうと思って…………」

重力で紙袋がぺらりと開き、中の透明なプラスチックケースに入ったブッシュ・ド・ノエルが見えるようになる。由宇麻からの手土産だと言うのはその場の誰もが分かった。

「ケーキ作ったんやけど……おやつホットケーキやし…………あの……ごめん…………また後日……………………ホンマに……」

頬を火照らせ、眼鏡を曇らせ、手足を震わせ、パーカーの帽子をおもむろに深く被る。

それから、くるりと踵を返し…………パタン。

ドアが閉まった。

由宇麻が出て行き、静まり返る室内。蓮の顔を遊杏が見上げる。

「にー。帰っちゃうよ。お客様なのにおもてなししないで帰したら、とうちゃんに怒られちゃうよ?いいの?」

ぽんぽんと小さな手が蓮の腕に触れた。それはまるで怯える子供を安心させようとする母親の手に近い。

そう。

遊杏は誰よりも蓮の未知に対する恐怖を感じ取っていた。

「…………遊杏が…………お客様と言うのなら………………董子ちゃんに怒られるのは嫌だし………………陽季君、彼を……呼んで来てくれるかい?」

「何で?お前が行けよ。お前が司野さんを未知の生物とか言ってさ。感情ある人なんだよ。ちょっと考えれば酷いこと言ってるって分かるだろ」

しかし、蓮の心情にまで気が回らない一由宇麻の知り合いである陽季としては、彼に憤りを感じて腕を組む。

そもそも蓮の王様的態度が気に食わない陽季は蓮の手足になることを嫌う。一応、蓮の脚の事情は重々承知して気にもしているが、今回、陽季は蓮の言い方にカチンと来た。

蓮は陽季に叱られ、しかし、理性ある大人だからこそ、彼の正論に顔を背ける。蓮だって認める時は自分の非を認める。

彼は項垂れると、遊杏を膝から下ろした。

そして、覚束無い操作で食卓テーブルから離れようとする。

引っ掛かるのか、ガタガタとテーブルの足に車輪をぶつける。

「二之宮、俺が呼んで来るよ。だけど、謝るのはお前だからな」

「………………僕が行くんだ。僕が行く」

車椅子の手摺に体重を掛けた蓮。彼は今度は車椅子を軋ませ、自分の脚で立ち上がろうとする。蓮の額には脂汗が浮き、陽季は自分が彼の負けず嫌いや煽られ耐性を舐めていたことに気付いた。

陽季が「俺が呼ぶから」と何度声を掛けても彼は決してそれを受け入れないのだ。

「二之宮。分かってんならいいんだって」

「煩いな!僕だって感情あるんだよ!他人にされて嫌なことを僕はしたんだ!」

「ああああっ!お前は何でそんな頑固なんだよ!俺のせいか!?俺のせいだろ!座ってろよ!」

「何で君がキレんだよ!」

「お前がキレてんだろ!」


「もーええよ。その気持ちだけで十分や……で?」


髪を赤くした頬にへばり付かせた由宇麻が上目遣いで苦笑いをしながら扉を開けていた。

蓮の胸倉を掴んだ陽季は口をぽかんと開け、蓮は――


「……………………二人とももう帰れっ!!!!!!」


真っ赤な顔で怒鳴った。

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