怪奇現象
「わお。本物だ」
建造物に偽物も本物もあるかだが、今回に限って言えば、俺も千里と同様に「本物だ」という感想を持った。
さて、散らない桜の怪奇現象の謎を解いて欲しいという依頼を受け、俺と千里、琉雨ちゃんの3人で依頼人の別荘へとやって来ていた。しかしその別荘と言うのが、俺の想像を遙かに越えていた。普通、別荘といえば、せいぜい1・2週間のバカンスを過ごす為だけの控えめな一軒家だろう。それが俺の実家よりも更に2周りはでかいとしたらどうだろうか。それも浮世絵で良く見る平安貴族の住まいと同じ佇まいをしていたら……。
瓦屋根の木造平屋。
別に何を比べるわけでないが、この家に勝てそうなのは崇弥一族一の金持ちである和泉家ぐらいだ。確かに、千里の実家もこの別荘よりは大きいが、ここまで徹底した奥ゆかしい日本家屋ではない。だからこそ、俺も千里も別荘を目の前にした途端、「本物だ」と思ってしまった。
「あお、庭に川が流れてるよ」
「…………川だな」
和歌を詠むあれーー平安貴族の代表的な遊びをやりそうな川が、竹製の柵の間から見える。これが日本に憧れた海外のセレブの本気か……。
「でも、散らない桜はどこかな?」
「ここからは見えないな」
「……それにしても凄いね……これが別荘って……あおの家は別荘って――」
「ない。そんな金は崇弥家にはない。寧ろ、お前のところは絶対にあるだろ」
「んー。櫻のは大きさよりも数で、各地に点々とあるよ。それに、分家も含めた一族皆で共有してる別荘って感じかな」
「へぇ、親戚同士で共有してるんだ」
正直、意外だ。
「今、意外って思ったでしょ」
千里は俺の顔をのぞき込むようにして笑う。俺はそんなに顔に出るタイプだったろうか。
「櫻ってお家にうるさい人が多いんだよね。イベントごとに一族総出。だから逆に仲良しなんだよね。本人達は違うと思っているだろうけど、なんでもかんでも一緒にやってたらねぇ?別荘だって共有しちゃうし」
「正月とか凄そう」
「餅つき大会してるよ。貸し切りにしたゴルフ場で」
それは仲良しさんだ。間違いない。
「でも僕はやっぱり、いつでもあおとお家でぬくぬくしたいな。そもそも僕は親戚に化け物扱いされちゃってるんだけどね」
今、息をするように千里が自身の辛い境遇を語った。
……いや、千里本人にとっては辛くも何ともないのかもしれない。それこそ、意識せずに呼吸するのと変わらないくらいに。
だけど、俺は嫌だ。
千里が化け物扱いされるなんて許せない。
「あれ?……化け物のくだりは僕がどんなにあおの膝枕が至福かを伝えるためであって……」
「よしよし、ごめんね」と千里は半笑いしながら俺の頭をごしごしと撫でくり回した。
「だけどね、親戚には煙たがれていたけど、逆にお祖父様は僕を本当にただの馬鹿な孫だと見ていたと思う。お祖父様は僕を特別扱いはせず、ヒトの子として見ていたんだよ」
確かに、千里の祖父は千里の中のカミサマを恐れはしなかった。かと言って千里を蔑み、自分勝手に憎んだことに変わりはしない。千里がいくら許そうと、俺はきっと千里の親戚や祖父に嫌な感情を持ち続ける。……そして俺はそんな自分が嫌いだ。恋人の考えることじゃない。
「あれ?なんか僕、お祖父様のこと褒めちぎってない?やだなー。もうお祖父様なんてツンデレなんだからね。ふんふん」
千里が何かぼそぼそと言っているが、相変わらず俺の手を優しく握り、不思議とそこから体の中が暖かくなる。
――誰か来たですよ?――
「え!?」
店から出た途端姿が見えなくなってしまった琉雨ちゃんが俺の左耳元で喋った。「ルーは葵さんの左肩にいますね」と言っていたが、暫く無言だったため、突然の声にかなり驚いた。
――はわわ。綺麗なヒトです――
「あれがメイドさんなの?着物のメイドさん?」
「本当に日本が好きなんだな。あの人」
「用心屋さんの皆さん、お待ちしておりました。私、皆さんのお世話をさせていただきます、ナイト家使用人の茜です」
パッと見、白い肌に黒髪、着物が良く似合う茜さんだが、草履をパタパタと鳴らした彼女が俺達の数メートル先まで近づいて来た時、彼女の灰色がかった瞳が見えた。ハーフだろうか。
茜さんは茜さんで、俺と俺の背中に咄嗟に隠れた千里を見、世にも珍しい千里の金髪に一瞬だが目を見張った。
「こんにちは。お世話になります。用心屋店長、崇弥葵です。で、後ろは櫻千里です。…………人見知りなんです」
――ルーは琉雨って言います。聞こえないと思いますが――
俺は分かっているよ、琉雨ちゃん。それよりも初対面の人には本当に駄目になる千里が問題だ。背中が暑いし、隠れたくて仕方がないのか俺の背中に重量が掛かっている。それに動き辛い。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
茜さんは俺の手から荷物を「お運びしますね」と言いつつも有無言わせずに受け取ると、くるりと踵を返す。そして、肩より僅かに長い黒髪を翻した。
「千里、重い」
「……………………知らない人だもん」
「今は知ってる人でも最初は知らない人だろ。俺だって知らない人だった」
「あおは…………」
俺の服を握っていた千里がぴたりと動きを停止した。
「千里?」
「君だよね?……僕を呼んだのは。最初に僕を呼んだのは葵……」
「……………………」
真冬の冷気の中、着込んだ上着の中は暑く、俺は白い息を吐きながら走っていた。鼻は冷たく、手足の指はじんじんと痛い。
だけど、走らなければ、彼を見失ってしまうから。
『どこ……』
背中が暑い。
彼はどこに行ったんだろう。
すると、聞き慣れた怒鳴り声が家の外壁に沿って聞こえてくる。あっちに彼がいる。あっちに行かなきゃ。
『――。どうし……』
縁側で美しい金髪を見た。
真っ黒な着物に映える月明かりのように眩しい光。
それが千里との出会い。
千里の名を最初に呼んだのは…………。
「千里。失われた記憶に不安になる気持ちは俺にも分かる。だからこそ、今は俺もお前も互いを呼ぶんだ。もう誰も忘れないように」
保障なんて無い。こんなのは気休め程度にしかならない。
明日、千里のことを忘れても、きっと忘れていることを忘れてしまうから。
それでも、怖がって脅えているだけでは何も解決しないのだ。そうだろう?千里。
「だね。僕らは前進あるのみだもんね」
――早くお屋敷に行きましょうよ!ルー、散らない桜見たいです!――
「あ、そうだった。桜!夏の桜見たい!」
ぴょこんと俺の背後から飛び出した千里は上がったテンションに任せてスポーツバックを振り回しながら走って行った。
しかし…………。
「あぐっ、早く来てよ!僕、ぼっちになるよ!!」
一人で玄関まで走ってから我に返ったかな。
息を切らした千里が裏切られた!と言いたげに、ムスッとした顔で叫ぶ。
本当に分かりやすい性格だ。そして、それが心地よい。
「今行くよ」
俺は背後から流れてくる夏の訪れを告げる風に押されるように前へと進んだ。
「こんなこと初めてです」
そりゃあ、初めてだろう。こんなこと早々あるはずが無い。
自然の摂理に反して桜が散らないなど、重力が逆転するような珍事。否、奇跡。
「最初は散ってたんですよ?」
「ほへ。最初?」
茜さんが冷えた麦茶を用意している間から生八ツ橋を頬張る千里が首を傾げた。八ツ橋の表面に付着している粉で彼の唇は白くなっている。
「桜が満開になるまでです。桜が満開になったと思ったら、散らなくなりました。どんな強風にも花弁が一枚たりとも落ちないように」
桜が最も美しい姿の時に犯人は桜の時を止めた。
それはまるで――
――とってもロマンチックです――
琉雨ちゃんが「はふー」と息を吐く。
彼女は庭の光景に感嘆していた。
それもそのはず。
開け放たれた襖を埋め尽くす巨木と薄桃色の無数の花。青々とした葉を靡かせる竹林を背景にして、初夏の光に煌々と輝く桜。
異様ながらも美しい……見惚れないはずがない。
「ホントに不思議だねー」
「はい」
その不思議の原因を調べようって時に千里は呑気だ。
――と思った矢先に彼は口許を拭って俺を見詰める。
「あお、やっぱり魔法かなー?」
「え?あ……まあ。こういうのは魔法だろうな……」
「咲かせ続けるにしろ、時間を止めるにしろ、魔力を使い続けてることに変わりはないよね。どれくらいの魔力がいるのかな」
「本人の魔力の性質に寄るだろうが、4月からとすると」
これだけの大きさの桜を、他の生物に影響を与え続ける。
魔力の量、魔力を蓄えられる器の大きさは千里よりも軍学校時代の同級生よりも俺の方が大きかったが、俺がこの桜を揺らすだけの強風を吹かせ続けられるかと問われれば、数日で息切れだ。魔力の消費に対する生成量を考慮すると、1週間が限界だ。
シロツメクサ一本ぐらいなら1ヵ月は持ちそうだが。
「お前や俺よりも魔力の器も生成量も比べ物にならないぐらい大きい奴だ」
「ふーん。あおよりもってなると、犯人は限られるね」
「私に出来ることがあれば何でも言って下さいね。あ、皆さんは何か食べたいものや嫌いな食べものはありますか?」
「苦いの嫌い。後、えのき嫌い。えのき嫌。ハンバーグ好き。あおは好き嫌いないよ。ね?」
誰よりも早くペラペラと伝えたのは千里だった。世話になりながら少々厚かましい気もするが、好き嫌いをきちんと言えるのは、遠慮して言わずに食事する時になって残してしまうよりは良いのかもしれない。極論は、好き嫌いせずに食べてくれるのが一番だが。
「ないな」
俺に関して言えば、真奈さんのご飯に嫌いなものなんて無かった。敢えて挙げるなら、父さんのごちゃ混ぜ男飯は口に合わなくて嫌いだったが。父さんは美味しいものを混ぜれば何だろうと更に美味しくなると言う、ちょっと考えれば間違いだと分かる謎理論を展開していた。美味しさは甘さや塩っぱさ等の味のバランスで決まるのに、自分からそのバランスを崩して行くのだ。
「了解です。あなたは好き嫌いありますか?」
茜さんは俺でも千里でもないテーブルの隅を見る。
「え?」
「?…………そちらにいらっしゃる……お嬢様は」
――あう……なんでも好きで……す?――
「え!?見えるの?」
今の琉雨ちゃんは大地に流れる魔力を借りて存在を固めているに過ぎない状態だ。可視化出来る程の魔力を持たないため、俺達ヒトには姿を見ることができないはず。
しかし、彼女は口許を押さえると、暫し考える素振りをして、ハッとした表情に変わった。
「私、殆ど目が見えないんです。代わりというわけではありませんが、魔力を感じ取る力はあるようで。今もあなた達の魔力を感じ取って距離を計っております」
「氷羽も琉雨ちゃんの気配を感じ取って、居場所を見付けてくれたんだ。それと同じってこと?」
となると、茜さんは彼女の持つ微量な魔力を感知したということか。視力の弱い人は一般に聴力が高いと聞くが、彼女は魔力の感受性が高いようだ。
――葵さん。茜さんはルーが見えてます。だって、茜さんの周りには普通の人には見えない小さな精霊さんや妖さんが沢山いて……――
琉雨ちゃんの声が左から聞こえて来たと思ったら、茜さんの視線は俺の左肩へ。確かに、彼女は琉雨ちゃんがいる場所が分かっている。
――皆さんが茜さんに力を貸しているみたいです――
つまり、大地に愛された女性ということか。
「氷羽さん?琉雨ちゃん?」
茜さんが首を傾げた。それも当然だ。彼女にとってその名は初めてのはず。
「あ。琉雨ちゃんだよ。茜さんの言う女の子の名前」
「琉雨ちゃん…………琉雨さん。あなたの魔力は小さくとも光り輝く太陽のように眩しく、素朴ながらも陽だまりのような匂いがします」
――はわわ。あ、ありがとうございます…――
まるで口説き文句だ。琉雨ちゃんが照れるのも分かる。でも、琉雨ちゃんが肩に居る時、ぽかぽかと温かくなっていたのは俺の錯覚では無かったようだ。
彼女の魔力は主の魔力。
体臭は魔力の影響も受けるらしいから、きっと洸祈も陽だまりの匂いだったのだろうか。
しかし、茜さんは確かに魔力の感受性が高い。そんな彼女が言う桜の怪奇現象。魔獣の類が原因なら気付くはず。先も千里に言ったが、もしも魔法が原因ならそれだけの魔力を持つものがいるということ。実際にそんなものがいるかというと……怪しい。となると、百歩譲って幽霊の類とか。
「今日は長旅で疲れましたよね。これからお屋敷を一通り案内させて頂きますので、お夕飯までごゆっくりお過ごし下さい。桜をお調べになるのは明日からでも」
「はーい!!探検だ!」
――探検です!――
千里も琉雨ちゃんもすっかり旅行気分だが、俺の心はどうにも晴れない。
怪奇現象の原因が分かるまで、いくらでもこのお屋敷に泊まっていい、食事にも困らない、依頼料も別で払う。ここまでされたら、怪奇現象の原因を突き止めるまで帰るに帰れない。
このまま一生、狂い桜の隣で生き続けるのかも。見れば見る程不気味な雰囲気を纏う桜と……。
――考え過ぎなのかな。
「葵」
「うん?もう遅いぞ。冷えるし、早くベッドで休め」
「あおに言われたくないよ。冷えちゃうよ」
月明かりに浮かぶ満開の桜を前に縁側でぼーっとしていた俺の背後に現れたのは千里だ。
ぼさぼさの髪に胸元の乱れた浴衣姿の千里。紺色の裾の隙間から太ももが覗いている。なにこいつ……変なところでエロい格好して。
「んもー、夜桜なんて一人で楽しんでさ、罪なオトコだね」
千里はべたりと俺にへばり付き、そのまま滑る様に胡坐をかく俺の膝に頭を乗せた。素足に千里の髪が絡み付いてくる。
俺は肌けた浴衣の裾を直した。
「今日はずっと浮かない顔してたよね、あお」
「え?」
「長旅だったからかなって思ったけど、夜な夜な桜を見てるし。……もしかして、原因はこの依頼?」
くるりと顔を俺の方に向けた千里。
月光に千里の翡翠みたいな瞳がキラリと輝いている。
「綺麗な桜だよね。とっても綺麗……だけど、散らない桜はやっぱり寂しいや」
千里も氷羽と同じことを言う。やはり、桜は散ってこそ美しいのだろうか。
「なあ、千里。満開の桜の時を止める理由をお前はどう思う?」
「そうだね……もしも怪奇現象が時を止めたんだとしたら、その理由は満開の桜に思い入れがあるからじゃない?人が写真に思い出を残す様に、怪奇現象は時を止めた……みたいな?」
「分かんないや」と笑みを溢して笑った千里は桜に目を向けた。俺も桜を見る。
「桜が散るのを見たくなかったのかもしれないね」
「散らない桜は寂しいのに?」
矛盾している。散って欲しいのか、散って欲しくないのか。
千里も首を傾げると、「あれれ?」と唸る。
しかし、千里にはあまり深く考えずに喋る時が多々あるし、俺も解決できそうにない問題を長々と考えるのは苦手だ。だから、「気にすんな」と言って千里の頭を抱いた。その時、ちくりと痛みがし、千里に腕を噛まれたのを感じた。
「散らない寂しさ以上に、満開の桜を失うことの方が怖かったんだよ。…………ねぇ、葵。今はただこの桜を観賞しよう?何も考えずにさ」
「ああ……そうだな」
時を止めたのは、これ以上失いたくなかったから。
まだ時を止めたとは決まっていないが、俺にもしも時を止める力があれば、きっと先の見えない未来よりも幸せな今の為に時を止める。
特に家族だった洸祈を失った今なら。
だけどそれは今の幸せの為に未来を捨てると言うこと。もう洸祈に会うことは出来なくなると言うことだ。
『分かっているんですよ。こんなの無駄な足掻きでしかないってことは』
なあ、今、聞こえなかったか?
ほら、男の子の声で。
…………千里?
「あお?……葵?…………寝ちゃったの?」
千里は背中を丸め、自分の肩に額を付けて動かない葵を見上げる。薄く口を開け、目を瞑っていた。
「嗚呼、可愛いなぁ」
葵の膝から抜け出し、千里は自分の膝に葵の頭を乗せると、肌けた太ももに指を滑らす。
「ん……」
「おやおや。エロ可愛いんだから」
膝頭から太ももへ。葵が寝ているのを良いことに、ボクサーパンツの柄を大胆に確認する千里。パンツの裾に指を掛け、ぱちりと音を発てて放す。
その時、葵の頬がぴくりと動き、彼は膝を曲げた。それは明らかに千里の行為を嫌がる姿だが、千里にとっては葵に嫌がられてこそ、ご褒美に値する。もういっその事、葵のパンツを剥ぎ取ったっていいぐらいに。
――なんてことを他人の家でやったら、本気で口も聞いてくれなくなる未来が見えている為、絶対にしないが。
「黒も良いけど、たまには強気なピンクも見たいな」
「今度、お揃いの買う?」と千里は寝顔に語り掛ける。それから漸く葵の浴衣の裾を直した。葵も千里の悪戯が終わって安心したのか、小さく唸ると、千里の膝に顔を埋めた。
『千里』
「なにー?」
不意に氷羽が千里に語り掛けてきた。
お昼頃に満開の桜を目にしてからぶつぶつと独り言を言って引き篭もりモードになっていたが、やっとこさ千里と話をする気になったらしい。特に思い当たる理由もなく氷羽が気分をコロコロと替えるのは長年の付き合いから分かっている為、千里もあまり気にせずに氷羽の声に返事をする。
『あの桜、人には良くない影響を与える。魅入られたくなる気持ちも分かるけど、必要以上に近付かないで』
「その言い方ってさ、絶対に犯人分かってる人の言い方だよね」
『犯人の予想はついてる。動機は不明だけどね』
「え!?誰!?」
夏に夜桜も良いが、葵がこの依頼に引っ掛かりを感じているのら、千里としてはさっさと犯人を見付けて店に帰りたい。だからこそ、氷羽に犯人は予測出来てると言われ、彼は背筋を伸ばして氷羽に聞き返した。気持ち、お行儀良くだ。
『…………ぼくもそろそろ千里を成長させてあげようかなって思うんだよね』
「……つまり?」
氷羽と“させてあげる”のセットからは嫌な予感しかしない。
氷羽は他者に不必要に干渉するのを嫌う。関わっても、純粋に自分の為か、自分の愉快の為に相手を弄る時ぐらいだ。まぁ、例外がないわけでもないが、千里の知る限りでは気の迷いとも言えそうな気紛れに近い。
『今回は葵と琉雨と三人だけで解決して。……先に文句たらたら言われそうだから言っとくけどさ、今のぼくに任せると、桜が向こう5年は咲かなくなる。そんなの嫌だろう?』
「だからって、犯人が誰かくらいはいいじゃん!てか、氷羽の意地悪!」
『ほらね、文句だ』と呟いた氷羽。
千里について何も知らない者から見れば「見えないオトモダチ」に噛み付く痛いヒト扱いだが、眠る葵以外は周囲に誰もいないことを分かった上で千里は宙に向けて唇を尖らせた。
氷羽は意地悪だ。
『これもぼくの優しさだよ?きみが言ったじゃないか。頼れる男になるって。崇弥洸祈に頼りっぱなしにはならないって。これはぼくからの試練。きみを成長させる為の試練だよ』
千里は確かに誓った。崇弥洸祈に頼るだけの男にはならない、強くなると。
しかし、よりにもよって、千里の一番である葵が不安がっている時に試練など……。
「…………あおが何か嫌そうなんだもん。この依頼に変なことないよね?お化けだけだよね?未確認生命物体だけだよね?桜満開の不思議魔法だけだよね?裏とかないよね?」
葵が不安なのは千里の不安になる。誰よりも傍にいるからこそ、千里の心の揺れは氷羽が分かっていると千里も思っていた。
すると、千里の頬を何かが撫でる感じがし、彼はそれが氷羽の愛撫と気付く。
「氷羽?」
『さっき言っただろう?あの桜は人には良くない影響を与えるって。葵は繊細な子だから図太いきみよりも影響を受けやすいだけ。それに彼は頭もいい。きみと違って』
「うん。あおはすっごく頭いいよね」
地上がどうなろうと黙々と流れる地下水のごとく――決まり文句に常套句、当たり前と言わんばかりの真顔で氷羽の嫌味に気付かなかった千里。それが表面上ではないのは、同じ体を使う氷羽だからこそ十分に分かっていた。千里の動揺は彼自身以上に分かる。
『…………………………。図太いよね……ホント……。だからね、きみが気にするような裏はないよ。犯人が分かっているぼくが言うんだから。これで安心した?』
「僕は氷羽を信じてるもん。だから安心した」
『………………ありがと』
「うんうん。氷羽が言うんだもん。成長するからね」と臆病我が儘プーの千里にしては前向きな発言に、氷羽は声を小さくした。そして、試練を与える前から既にしていた千里の成長ぶりに掛ける言葉を失ってしまった彼は、慈しみを込めて葵の頭を撫で出した千里の中で目を瞑った。
「あお、これは僕達が越えなければならない試練なんだよ。洸に会う胸張って会う為の……」