足りないもの(8)
「怪奇現象……ですか」
「そうよ。あなた達には怪奇現象の正体を調べて欲しいの」
「お化け退治?」
暖炉の火をぼーっと見詰めていた千里がくるりと顔だけ俺達の方に向けた。目が完全に据わっている。
昨夜、俺は由宇麻さんと琉雨ちゃんと一緒に洸祈のベッドで眠ったのだが、朝起きたら千里がフローリングの床で毛布を巻き付けて眠っていた。そして案の定、今の千里が出来上がったわけだ。
「『退治』は私の依頼内容とは違うわ。あくまで、怪奇現象の正体、原因を調べて私に教えて欲しいだけ」
「…………分かりました。その依頼引き受けます」
ご近所さんには完全に何でも屋か万屋と勘違いされているから大抵の依頼内容では驚かないが、今回はゴシック・アンド・ロリータこと「ゴスロリ」の格好をしたブロンドに紅色の瞳の日本語ペラペラな美女に怪奇現象の正体を突き止めて欲しいとか言われる日が来るとは思いも寄らなかった。怪奇現象なんてその手の専門家さんの所に行った方が良いと思うのだけれど。
かといって、今月ももう直ぐ終わるのに客は彼女一人だけ。
ここで専門外ですとお引き取りしてもらう勇気は俺になかった。
洸祈を見つけ出す前に店が潰れましたとか間違っても言えないし、それに、怪奇現象が俺達とは全く関係ないとは言えない。
幽霊や怨念の類は未知の領域だが、妖精も精霊も妖怪も大きくは『魔獣』に分類される。怪奇現象が力の弱い悪戯好きの魔獣の仕業ならば、俺達魔法使いでも見極められる。
しかし…………そもそも彼女は魔法が使える。その手の知識がある。だと言うのに、「用心棒貸し出します」の看板(貼り紙だけど)を掲げている俺達にわざわざ依頼するだろうか。
裏があるんじゃ――なんて勘繰るのは俺の悪い癖か。
「これが別荘までの地図。メイドがいるから最大で6人まで部屋と食事を用意できるわ。ゆっくりと怪奇現象の正体を調べてちょうだいね」
やっぱり変だ。なんで仕事がバカンスみたいになっているんだろう。
だが、単純思考で素直な千里は鼻声で「やったー」と喜んでいる。
「それで……怪奇現象とは具体的に……」
「桜よ」
「さくら?」
さくら、桜、櫻、千里?
何のこと?怪奇現象がさくら?どうなってるの?謎かけ?
その時、千里が片手で狐の形を作って暖炉の火に向かって「こんっ」と鳴き、その意味不明な千里の行動に俺の頭は逆に落ち着きを取り戻す。
そうだ。全てに理由を求める必要はないんだ。もっと気楽にならないと。
「さくらですか?」
「そうよ。私の家族は日本がとても好きでね。和食、和服……何よりも桜が好きなの。アメリカでも桜の植樹を活動内容にしているボランティア団体に多額の寄付をするぐらいに好きなのよ。それで、別荘の庭にもひぃひぃおじい様の代から桜が植えてあるの」
樹木の桜か。
桜の怪奇現象と言えば、「桜の木の下には死体が……」なんて。
「その桜が散らないの。今年の春からずっと。別荘の庭の桜は満開のまま」
それは由宇麻さんが喜ぶなぁ。由宇麻さんは毎年各地のお花見スポットをサーチし、一番良い頃合いを計って見に行くぐらい桜好きだ。
だけど、桜は直ぐに散ってしまうもの。散らないと言うのなら、寧ろ喜ばしい事なのではないのだろうか。
「桜は散ってこその花でしょう?だから、調べて欲しいのよ。桜が散らない原因を」
通な人にとっては桜は散った方がいいのか。ならば、由宇麻さんもそうなのかな。
「どうして怪奇現象は頑なに桜を散らせたくないのか。それが知りたいの」
どうやら、今回の依頼は思った以上に難しそうだ。
だって怪奇現象の正体どころか、桜を散らせたくない理由まで調べないと行けない。そんなのまず怪奇現象に意思がなければ聞けないし、対話も出来る相手でないといけない。
俺達の手には負えなさそう……なんて今更言えないか。
「問題の解決に繋がるなら出来るだけ力になりたいのだけれど。他に聞きたいことはあるかしら」
「じゃあ……昨年と今年で何か違うことあります?」
と、俺が聞けば、彼女は唸った。「アバウトな質問ね」と首を捻る。
それはそうだ。昨年と今年なんて範囲が広過ぎる。違うことだらけだ。
「すみません。他に聞きたいことはありません」
「何かあれば遠慮なく私に電話をしてちょうだいね」
「はい……」
そして、彼女は「紅茶美味しかったわ」と笑みを見せると、立ち上がり、店を後にした。
ブロンドの長髪を靡かせて。
『散らない桜ですか……由宇麻さんきっと見たがりますね』
「そうなんだよね。だから、内緒にしてね」
『どうしてですか?』
「由宇麻さんは仕事があるから。ほら、最初から知らなければ、見に行けなくて悔しい気持ちにはならないでしょ?」
『はう……そうなんですか』
「………………………………うん……」
「あのね、あお。氷羽がねー……依頼主さんのことを悪魔だって言ってたよ」
「悪魔?」
「うん。悪魔。あの人は悪魔だって」
お昼ご飯の時間。
俺はお粥を一口ずつスプーンに掬っては千里の為に息を吹き掛けて冷ましていた。
千里は俺の肩に頭を乗せてぼけっとした顔を晒している。
琉雨ちゃんは小さい体でフランスパンをちまちまとちぎっては苺ジャムを付けて咀嚼していた。因みに俺の昼飯もフランスパンにジャムだ。それと朝の残りのポテトサラダ。
「依頼人が悪魔って……家族がいるって言ってたぞ?」
悪魔にはヒトの子のように血のつながった家族、親は存在しない。敢えて言うならば、彼らの親は大地だろう。悪魔は大地から生まれる。
「でも、氷羽が言うんだよ。だから悪魔なんだって。呉君と同じ」
「呉君…………」
『もぐもぐ。悪魔にも家族います。ルー聞いたことあるです。むぐむぐ。悪魔の中にもヒトの家族の中で生きている者がいるって。むぐもぐ』
ああ……パンくずがお洋服に……。
『ルー達魔獣は魔力で生きてます。だけど、悪魔は魔力の他にヒトの負の感情を糧にします。だから案外、ヒトの傍で生活してたりするんですよ。でも、ヒトの負の感情を知るからこそ、ヒトから隠れて放浪生活をする悪魔もいるって聞いたこともあるです。………………ぷはー……美味しいです』
ドールハウス用のコップに入った紅茶をがぶがぶと飲み干した琉雨ちゃん。
彼女はその体の大きさの割に良く食べる。どこに消費されているのだろうか。
「琉雨ちゃんは物知りだね」
『全部、ミエリッキさんとタピオさんに聞いたです。一杯お話してくれたですよ』
「あおー……今日はもう眠るね……明日には絶対に治すから……それで僕もお仕事行くから…………置いてかないで……」
『はわわ、千里さんっ』
俺の肩からずり落ちた千里が俺の膝に頭を乗せる。彼の荒い呼吸が膝を通して伝わって来る。
彼の額に手を当てれば、熱い。昨夜の雑魚寝と長期旅行の疲れでここまで悪化したのだろう。
「置いてかないよ。お前の風邪がきちんと治ったら皆で行こう」
「うん……」
「琉雨ちゃん、千里をベッドに寝かせてくるね」
『はひ。ルーもはちみつ檸檬作るです』
琉雨ちゃんはふるふると体を揺らし、パンくずをティッシュの上に落とすと、風呂敷の要領でまとめて背中に背負う。怪奇現象の正体もこんな感じの可愛らしい少女だったら良いのに。
そして、俺が千里を抱くと、やはり温かい。耳元には千里の吐息が掛かる。「はぁはぁ」と……エロい。
だが、かなり悪そうだ。意地でも暖炉の前ではなく、ベッドで休ませておけば良かった。
「んん……あお……早く連れてって……頭馬鹿になってるせいで…………こうされると…………したくなる…………ごめん…………僕……馬鹿だから……」
何を言っているんだ、こいつは。本当に馬鹿だぞ。
とか言いつつ、千里は俺に股を摺り寄せようとする。何か質量を感じるし。
「連れてくから。盛るな」
「ベッドに連れてって…………じゃないとまじで……あおのこと泣かせたくなる…………」
「っん」
変なことを言うな。
耳を噛むな。
やばい……千里の毒牙に掛かりそう。
「葵、きみは分かっていない。散らない桜程滑稽なものはないんだよ」
千里が低い声音でゆっくりと俺の鼓膜を振動させる。……いや、この声は千里のものじゃない。
「氷羽」
「千里がただの馬鹿になっているからね。ぼくが出た」
「ありがとう」
「千里の体は限界だ。ぼくが無理矢理にでも這い出さなきゃ千里が本当にぶっ倒れそうだっただけだよ」
氷羽は俺に凭れたまま動かない。氷羽自身はヒトと触れ合うことは普通に嫌う為、こうして凭れたままなのは千里の体が相当疲弊していると言うこと。
だから俺は氷羽には出来るだけ触らないようにして、肩を貸す。
「氷羽、俺が言えた義理じゃないが、海外では千里を手助けしてくれてありがとう」
「そんなのは当たり前だろう?ぼくと千里は運命共同体だから」
当たり前と言ったって、運命を共にする決意をしてくれただけでも、俺には感謝だ。氷羽が千里を選んでくれたお蔭で今の彼がいるのだから。
氷羽はそっぽを向くと、よろめきながらも少しでも俺に体重を掛けないようにして歩き出した。なるべく他者に世話を掛けたくないと言う氷羽の気持ちが伝わって来る。
千里はそんな氷羽のことをツンデレとか言っていたが、俺からしたら、氷羽は千里以外の人間をあまり知らないだけだと思う。
他者との関わり方が分からないだけかもしれない。不器用なだけかも。
「千里の体を早く部屋に連れてってよ」
「そうだな。だけどその前に、危ないからもう少し強く俺に掴まってくれないか」
「……………………葵のくせに何言っちゃってんの。千里に翻弄されてばっかりのくせに」
煩い。良く喋ると思ったら――。
敢えて考えてはこなかったが、千里とその手のことをしている時、氷羽はどうしているのだろうか……とか。
千里を信用しているから訊かないが。
「っ……くしっ…………うぐ…………寒い……」
氷羽は俺に小刻みに震える体を押し付ける。そして、俺から熱を貰おうと強く抱き着いた。
しかし、先程の仕返しにと、ここでからかってはいけない。
氷羽に近付いてもらえるのは彼にとっては不覚だろうと俺にとってはとても喜ばしいことだし。
だから俺は無言で抱き着く氷羽をしっかりと抱き抱え、千里の部屋へと向かった。




