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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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足りないもの(7)

彼女は本当に小さな光だった。

今にも消え入りそうな光だったが、それはもう美しい淡い青色で、風に舞ったシラーの花弁のよう。

光は劇場の隅をふわふわと漂う。

幕の降りた舞台を尻目に人々が出口へと歩いて行く中、光はただそこにいた。

誰にも気付かれずに……。

「そんなにお姫様に憧れる?」

ゆらり。

光が波打つように揺れる。

そして、ふらふらと角に沿いながら薔薇模様の臙脂色のカーペットまで降りた。その時、光が瞬く。

どうやら驚かせたようだ。まあ、彼女を見るのは私にとっては4回目でも、彼女にとっては初対面。そもそも彼女はヒトには見えない存在であり、よもや劇場のタダ見がバレるとは思ってもいなかっただろう。

驚きでその灯火を消してしまう前に、早急に自己紹介を済ませた方が良さそうだ。

私も彼女の側にいることを伝える為に。

「私はタピオ。ここの傍の森に住んでいる。君は護鳥だろう?幸福の鳥に会えるなんてとても光栄だ」

だから消えないで欲しい。

ゆっくりと光に指を近付ける。

そして、光が自ら私の手のひらに乗った。

――私の名前を呼んで――

それが彼女の最初の言葉。触れ合った手のひらから彼女の切実な気持ちを感じた。

「ごめんね、私は君の力になれない。だって、君の名を呼ぶと言うことは、君と主従の契約を結ぶということ。私は精霊だ。護鳥と契約は結べない」

彼女の名を呼ぶことが出来るのはヒトだけだ。

彼女が心から欲するヒトだけ。

私には無理だ。

「でも、君のように待ち人がいる者達が集まる賑やかな場所は知っている。少々狭いけど、照明を落としたここよりは温かいんじゃないかな」

夢見る時間の終わってしまった劇場程寂しいところはないだろう。それでも彼女はずっとここで幸せな夢と悪夢を繰り返していた。

物語のクライマックスからの高揚が冷めきらない観客たちが感想を語り合いながら劇場を後にして行く中、行く当てもなく、語ることのできる相手のいない彼女は取り残される。やがて照明の落ちるホール。

徐々に失われる熱。数時間前にキラキラと輝いていたホールの姿は跡形もない。

そして、音も光もない世界で彼女は名前を呼んでくれる誰かを待ち続ける。

“誰か”も分からないのに。

「だから一緒においでよ。外の世界は美しいだけではないが、沢山の物語で溢れているんだから」

――……………………――

返事はない。しかし、光が私の手のひらから離れることは無かった。






「分かるかな。彼女は君なんだよ」

僕は紅葉を手のひらに乗せて笑う少女の写真をテーブルに置いた。

まさか、彼女がヒトの似姿どころか、目に見えない存在になっていたことには驚きを隠せなかったが、記憶を失いながらも“誰か”を待ち続けていた彼女のことを考えると、僕は胸が痛くなった。

(あおい)も記憶にない崇弥洸祈(たかやこうき)のことを想って泣いた。明確な理由もなく、ただ涙が溢れてしまっているようだった。

葵の涙を見た時、僕は悲しみは理由のある悲しみよりも、理由のない悲しみの方が辛いのかもしれないと思った。だって、どうして泣いているのか分からないということは、自分が何に悲しんでいるのか分からないということ。

無意識に泣いてしまう程の悲しみ――それは自分という存在を構成していた一部を失ってしまったということ。

葵は自分に足りないものがあると知って泣いてしまった。

いつもの僕なら痛みに頑張って堪える葵の涙には物凄く興奮するが、あの時の涙はもうこりごりだと思った。

だから、僕は彼女を探した。

葵の為と、彼女の為に。

「君の名前は琉雨(るう)。で、こっちの写真の男の人は崇弥洸祈。彼は君の契約主ってことになるのかな」

琉雨ちゃんは僕には見えず、大まかな位置を察知できる氷羽(ひわ)はすっかり意識の奥底に隠れてしまった。その為、琉雨ちゃんが今どこにいて、何を感じているのか僕には分からない。しかし、テーブルに乗った沢山のドリュアスさん達の動きを見ていると、彼女が写真に興味津々なのが分かった。

ドリュアスさん達は琉雨ちゃんのいる場所を空けており、彼女が動くたびに面白いように空間が移動していたからだ。

僕が新しい写真を並べる度に空間も移動する。

「僕は千里(せんり)。隣は葵。崇弥洸祈の双子の弟だよ。顔が似てるでしょ」

どうして崇弥洸祈は皆の記憶を改竄し、自身に関する記憶を失わせたのか。そして今、彼はどこにいるのか……そもそも彼の生存すら――――僕は何を考えているんだ。

「僕達は家族だった…………もう一度、家族になる為に……僕は崇弥洸祈を見つけ出したい」

その為には君が必要なんだよ、琉雨ちゃん。

…………ぽたぽた。

僕は目を疑った。

何故なら、桜の下で撮られた僕らの家族写真に不意に雨が降ってきたから。小さな雨粒が突然。

ドリュアスさんがきぃきぃと鳴き出す。

もしかして、泣いているの?


――私と契約して――


啜り泣く声にはっきりと聞こえてきた。

「え……!?」

――私と契約してください……あなたの記憶を代償に私と契約して……――

主人だけを何に変えても守り抜く護鳥との契約は確か代償契約。

その代償は契約者の記憶。他にも代償にできるものはあった気がするが、体の一部の所有権を与えるとか五感を差し出すとか。敢えてそういう代償を選ぶ人もいるらしいけど、基本的には記憶の共有を選択する。そうでない場合は、魔獣と記憶を共有したくないとか、契約魔獣が代償にそれしか選ばせてくれないとかだ。

だけど彼女と契約を結ぶって……それって多重契約じゃないか。

それに僕は既に氷羽と契約を結んでいる。僕は僕であり、氷羽でもある。

僕の一存では決められない。

「どうして僕と?それに、君の主は崇弥洸祈だけじゃないの?多重契約になるよ」

――契約すればあなたの記憶が見れる。あの人に関する記憶も――

…………そうかもしれない。でも、そうじゃないかも。

だって子供の頃から崇弥洸祈はいなかった――それが僕の記憶だ。

『千里、馬鹿なこと考えるなよ』

氷羽だ。

拗ねてたんじゃ?

『きみが彼女と契約して正しい記憶が得られるという保障もなければ、既に彼女は多重契約している。彼女との契約はぼくらだけでなく彼女自身をも破滅に導く』

既に多重契約を?彼女は崇弥洸祈だけの護鳥じゃないの?

『彼女からは複数人の魔力を微かに感じる。……多重契約魔獣は忌み嫌われるんだ。主を複数持つと言うことは魔獣に裏切られる可能性があるということ。そして、暴走する可能性があるということ』

魔獣の暴走?

『複数の違う魔力を持つのは危険なんだ。魔力は主のその時の気分で性質が変わりやすい。高等な魔獣を除いて、殆どの魔獣が持つ魔力の処理システムも一人分を扱うので精一杯なんだ。そこに二人以上分の魔力を流し込まれれば、彼女自身も苦痛を伴うし、処理オーバーが続けば、彼女は徐々に理性を失って行く。完全に理性を無くしたら最後、彼女は契約者の魔力を食い尽くすまで暴れる。最悪、主を言葉の通り、食う』

食べる……ヒトを!?写真の女の子が人間を食べるって――ゾンビ映画じゃん!

『だけど、中には多重契約を好む魔獣もいてね。主達の魔力を糧に暴れられればいいという考えの持ち主だ。いや、既に理性なんてない。ただの獣だね』

この子には理性がある。僕にはそう思える。ならばどうして、この子は崇弥洸祈だけでなく、他の人とも契約を交わしたんだろうか。

――でも、これだけは決まった。

僕には彼女と契約はできない。

彼女自身の為だけなく、自分の為でもあるけど、氷羽を危険には晒せないし、吟ちゃんをひとりぼっちにはしたくない。

それに僕の一番は葵だから。

何よりも誰よりも葵を選ぶ。いざと言う時に葵を守れないなんてことには絶対になるわけにはいかない。

だから契約はできない。

「僕は君と契約できない。ごめん」

その時、琉雨ちゃんが姿を消した。

見えはしないが、ドリュアスさんが空けていた空間が今、消えた。僕の返事に失望した?

だけど、違うんだ。

彼女は崇弥洸祈を愛していた。

多重契約だって間違いなく、崇弥洸祈の為だ。

何故なら、彼女の一番は崇弥洸祈だから。

だけど、そんなに想われていた崇弥洸祈が彼女と僕の契約を許すはずがない。

最近、崇弥洸祈の痕跡を探して分かってきたことがある。

彼は皆に信頼され、愛されていた。それだけの実力もあった。所謂、主人公体質。

選ばれし者だ。

なりたいという気持ちだけではなれない。

彼は舞台の主役であり、スポットライトは彼を照らす。濃い影を落して。

僕みたいな脇役はカーテンの隙間から零れる光を時々掬うだけだが、彼は否応なしに常に強烈な光の中に立ち続けなきゃいけない。

本当は主人公であることを辞めたがっていたのに。

崇弥洸祈は子供みたいな人だった。

僕だっていい歳して葵に頼りっぱなしの子供だけど、彼も僕と同じ餓鬼だった。

誰かに頼りたがってた。

だから君は彼の頼れる存在になりたかったんじゃないの?

彼女は契約時に崇弥洸祈の過去を見ているはずだ。

彼の本心も分かっていたはずだ。

彼の願いを叶える為に君は多重契約を結んだはずだ。

でもそこに僕も入れて欲しい。

僕も彼の頼れる存在になりたいんだ。

僕が頼りないのは分かってる。僕の魔法は自分しか守れない。

だけど、そんなのは言い訳だ。そうして言い訳を続けていたから僕は彼を忘れてしまったんだ。

ここで僕が変わらなきゃ、彼を見付けてもまた同じことを繰り返す。

『代われ、千里』

え?


「琉雨、お前の『旦那様』を取り戻したいなら、ぼく達と来い」


旦那様?

メイド喫茶?

『煩い』

“煩い”って、氷羽が自分勝手に交代するからだろう?

代われ、代われって簡単に言うけど、僕は氷羽の身代わりじゃないんだからね。お人形みたいに扱わないでよ。

『…………それは謝る。ごめん』

あ。氷羽が謝った。珍しい。

『彼女に触った時だ。彼女から映像が流れてきた』

それって琉雨ちゃんの過去とか!?

『分からない。断片的だった。だけど、崇弥洸祈もいた』

だとしたら……琉雨ちゃんは魔力で崇弥洸祈と繋がっているから完全には記憶が改竄されなかったとか?それがどんな理由にせよ、彼女に崇弥洸祈についての記憶があるというのは大きい。

『その時に彼女の声が聞こえたんだ。旦那様って叫んでた。あいつの温もりも……彼女は置いてかれた。崇弥洸祈に置いてきぼりにされた…………ぼくはとても嫌な気分になったんだ』

嫌な気分?

それはきっと“切ない”じゃないかな。

『切ない?……嫌な気分をそう呼ぶわけ?』

嫌な気分全部をそう呼ぶのは違うけど、今の氷羽の気分は切ない気持ちだよ。琉雨ちゃんの置いてかないでって気持ちを感じて、氷羽は切なくて寂しい気持ちになったんだよ。

『……良く分かんない』

良く分かんない氷羽が僕は良く分かんない。

『……ぼくは千里程馬鹿じゃない』

僕も氷羽程性格悪くないから。

……………………………………。

――旦那様に会いたい……会わせて――

琉雨ちゃんの声が右耳から聞こえた。彼女が僕の肩にいる。やはり彼女は日だまりのように熱を持っており、肩がぽかぽかと温まる。心なしか太陽の匂いもする。彼女はお日様だ。

「会える保障はできない。だけど、会いたいと思って、死ぬ気で探さなきゃ絶対に会えやしない。あいつはぼく達に会いたいとは更々考えていないだろうし。だってそうだろう?あいつはぼくらもお前も置いてきぼりにした。そんなのぼく達が邪魔だったからだ。記憶を消してまでぼく達を遠ざけた。そんな迷惑千万な奴には、ぼく達が勝手に探したって文句を言われる筋合いはない。いくらでも奴の邪魔してやる」

氷羽がいつになく感情的だった。喋りながら興奮で息を荒らげているのを感じる。

氷羽が崇弥洸祈を欲している。普段、「欲」というものを見せない氷羽が崇弥洸祈を心底欲しがっていた。

多分、琉雨ちゃんに触れた時に彼が見た映像が関係している。

君は一体、何を見たの……?

「それとも護鳥としてここでひたすら待つか?……断言するが、いくらここで待ってたってあいつはお前の名を呼ぶことはない。だからあいつを探して、奴にお前が命令しろ。名前を呼べって。もう置いてきぼりにするなって。主人がお前を選ぶんじゃない。お前が主人を選ぶんだってことを伝えるんだ」

――私……が…………――

「お前が、だ。琉雨、お前が、だ。その覚悟があるなら、日本へ来い。これが最後だ。ぼくらはもうお前には関わらない。ここで毎日森を見て過ごそうが、放浪の旅に出ようが、ぼくらはお前に干渉はしない」

え?琉雨ちゃんが行かないって言ったら、僕は無駄足を踏んだことになるじゃん!葵に合わせる顔がなくなる!!何のために野宿してたと思ってんの!!!?

『は?行かないって言うと思ってるわけ?』

そんなわけはないけど……万が一?


しかし、万が一の心配も必要なかった。


――行きます!日本へ行きます!……ルーが旦那様を見付け出します…………必ず!――


彼女は言い切ったのだ。

「行く」と。






いつだって女の子には王子様がいた。

悲しい時も辛い時も泣きそうな時も。

世界中の女の子一人ひとりの傍にそれぞれ特別な王子様がいた。

そして私は憧れた。


『王子様』になりたい。


決めたたった一人だけを想い、何に代えても守り抜く王子様に。


だから呼んで。

私の名前を。









『氷羽…………俺を殺して…………殺して許して…………』

きみは泣いていた。

ぼくを炎の中に閉じ込め、随分と自分勝手に「許して」とぼくに乞いながら。

勿論、ぼくの返事はこうだ。


『嫌だ…………絶対に……………………許せない……許せないよ………………』


存分に苦しんで、洸くん。

~おまけ~


「さて、授業を始めようか」

「葵先生、今日の授業の科目は何ですかー?」

「短歌」

「ごーしちごー?」

「それは俳句だ。五・七・五・七・七の方だな。今日は若山牧水先生の忌日だから、先生の短歌の解釈を……って言うのはどうせつまんないと言われるから、手始めに短歌を作ってもらおうと思う。取り敢えず、自由に作ってみてくれ」

「ふむふむ…………」

「はーい!できましたー!」

「え?早いね、洸祈。寝てるんだと思ってた」

「学ランまで着ちゃってるノリノリの俺が授業に参加しないわけないじゃん!今のは寝たフリ!授業をまともに聞かない不良のフリしながら、先生の要求に瞬時に応えちゃう優等生!影で女の子にモテモテ!」

「…………洸、設定細かいね…………で?洸の短歌は?」

「こほんっ……えー、『日曜日 赤い切り傷 陽季の背中 俺が付けたよ 昨夜のお・れ・い』!どーかなっ!」

「赤い切り傷……陽季さんの背中の傷……洸祈が付けた………………昨夜のお礼………………って……」

「『月曜日 手首に付いた 紐の痕 君の喘ぎが 聞こえる様だ』!僕も出来た!色と音を使ってあおのエロさを表現したかった!どうですか!葵先生っ!!僕、こーふんしてきました!短歌って素晴らしい!」

「……………………。『理解した この二人には 授業より 先にすべきだ 頭の手術』。二人とも、座学はこれまで。課外授業ということで、蓮さんのところまで頭を診て貰いに行こうか」

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