麦畑の少年(11)
ぐらぐらする。
「おい、龍士!」
佐藤は大きく傾いた加賀を支えた。
「すみません」
「すみませんじゃない。熱あるじゃないか!」
「ええまぁ。だけど、由宇麻君がいつ呼ぶか分からないので」
だから、熱があっても加賀はコールを報せるボードの前に座る。
「俺がここにいるから、お前はそこのソファーで休んでろ」
コーヒー片手に佐藤は加賀を脇から支え上げてソファーに寝かせた。
「…すみません」
「ふらふらだと、いざって時に役にたたないぞ」
加賀の前髪を指に絡めた佐藤は労う笑みを見せ、白衣を翻した。
900号室を示すランプは赤々と光り、ブザーがけたたましく鳴り響いた。
「龍士!」
佐藤は加賀を揺する。
加賀は唸ると、佐藤の必死さに体を勢い良く起こした。
「どうしました!?」
「由宇麻君のとこだ。どうやらコードが切れたらしい!」
「切れた!?」
それは、ベッドから出たことを意味する。
普通なら夢遊病でもないかぎり、点滴で眠らされている由宇麻のコードが切れることはない。
「もしかして…」
佐藤は急いで内線で受付に繋ぐ。
「七海ちゃん?誰か由宇麻君のとこに行ったか?」
『えっと…由宇麻君のお母様が由宇麻君の病室に忘れ物をしたと…』
案の定。
「何!?それで今、彼女は何処にいる?」
『先程、大きなスーツケースを持ってお帰りに……どうかしましたか?』
「龍士っ!!」
佐藤が振り返った時には既に加賀の姿はなかった。
狭い。
暗い。
寒い。
痛い。
悲しい。
「おか…さん…」
強い衝撃に、由宇麻は目が覚めた。ガチャガチャという音の後に、眩し過ぎる光が入ってくる。
「うっ」
反射で目を閉じる。
「こっちよ」
由宇麻は腕を引かれたので目を瞑ったまま、よろよろと前に進んだ。
徐々に開けてくる視界。
「ここは…」
「お衣装替えよ」
月明かりだけの薄暗い部屋で病人服を脱がされる。
そして、可愛い熊さんのパジャマを彼女はタンスから出した。
ズボンを履かされる時、しゃがんだ母親の頭が顎下にきた。由宇麻はその甘栗色の髪を弄ると、両腕で抱き締めようとして、触れられずに彼女は立ち上がる。
「あ…」
「どうしたの?」
「…ううん。何でもないよ」
「そう。いい子にするのよ、由宇麻」
…―由宇麻―…
由宇麻は名前を呼ばれて満面の笑みを浮かべた。
「うん、お母さん」
パシッ…―
指輪の填まった手が、由宇麻の頬を打った。
「おか…さん…」
勢いを殺せずに尻餅を突いた彼は、脱がされた服を握り締めて母親を見上げる。美恵子は苦い顔をし、ずりっと後退りすると、由宇麻を抱き締めた。
「由宇麻は私の姉の子。いい?姉は貴方を私に押し付けたの。だから、貴方は私を叔母さんって呼ぶの。いい?」
「お母さんは…お母さん」
「私は貴方のお母さんじゃないの。叔母さんよ」
叔母さん。と彼女は繰り返す。
ずっと、ずっと。
由宇麻がお母さんと呼ぶのをやめるまでずっと耳許に囁く。
「…おば…さん」
「由宇麻」
美恵子は由宇麻を強く抱き締めた。