夢の終わり(6)
千里君、葵君……陽季君。
唐突に俺の目の前で3人が意識をなくし、床に崩れた。
断定は出来ないが、9割9分で崇弥が魔法でそう仕向けた。
何故なら、崇弥は倒れ込む3人をただ傍観するだけだったから。
「…………皆に何したんや!!!!」
『由宇麻、落ち着いて!』
こんな状況で落ち着けるか。
崇弥が皆を傷付けた。
大切な人が傷付くことに最も傷付く崇弥が、大切な人達を傷付けた。
何とも言えない感情が沸いてきて、俺は声を荒げずにはいられなかった。
しかし、皆を傷付けた崇弥は顔を上げると、驚いたように目を見開く。
「何で……司野……立って…………」
「立ってたらおかしいんか?おかしいのは崇弥やろ!」
ジーンズにパーカーじゃないし、皆を傷付けたし、俺が立ってることに驚くし、おかしいごと尽くしだ。
「………………司野は魔力がないの?」
「は?」
俺が立ってるのは崇弥が俺以外の3人に何かしたからじゃないのか?
『由宇麻、今のは緊縛調律。君達全員の意識を無くさせるつもりで彼は魔法を使ったんだ。だけど、緊縛調律は君には効かない』
となると、俺は彩樹君パワーで守られていたみたいだ。感謝感謝。
『別にぼくが守ったんじゃ…………兎に角、今からでも意識無くした振りをして!』
今から?
……今からは流石に遅いのでは。
それに、効かないのなら好都合だ。
崇弥を止められる。
『駄目だ、由宇麻!あいつが身内に魔法を使ったってことはそれなりの覚悟があるんだ!止めようなんて危険だ!』
「なら、俺が最後の砦や!」
俺一人では緊急事態に対処出来ないからと千里君や葵君のところに行ったが、結局、俺が一人で緊急事態に対処することになったらしい。
「司野、誰と話してるの?アヤキ?」
「……崇弥は何しようとしてるんや」
「アヤキは言わなかった?司野に『逃げろ』って」
「俺の質問に答えるのが先や!どうしてこんなことしたんや!」
「………………司野、逃げて?それか、俺を放っておいて?そうじゃないと……」
そうじゃないと、なんだ。
また脅しか?
崇弥は都合が悪くなると取り敢えず脅してくる。
大切な人が傷付くことを恐れる崇弥は俺に手は出さない。代わりに口を使う。
だけど、崇弥は間違っている。
俺が一番傷付くのは物理的な暴力よりも精神的な暴力。言葉の暴力だ。
回りくどい脅しよりも、崇弥に殴られた方がマシだ。
でも、崇弥にはそんなこと分からない。
あんなに崇弥のことを心配していた陽季君を魔法で気を失わせて安心している崇弥になんか、絶対に分からない。
結局、崇弥は自分の心が傷付きたくないだけなのだ。
俺達の気持ちなんて二の次で、崇弥にとっては俺達が傷一つなく居てくれればそれでいいのだ。
崇弥はヒーローでも何でもない。
自分の心が傷付くことを恐れるただの子供だ。
「俺が邪魔なら力ずくしかあらへんで!」
『由宇麻!』
「司野…………」
彩樹君が怒り、崇弥が心底嫌そうに顔を歪める。苦虫を噛み潰したような顔だ。
俺の味方は俺だけ。
と、陽季君。
陽季君は崇弥の魔法で倒れてしまっているが。
そして、崇弥が一歩一歩俺へと近付いて来た。
俺は崇弥の良く分からない格好と滲み出る不愉快オーラに呑み込まれそうになる。
「俺は崇弥の足枷にはなりとうないって思ってきた。だけど、それは崇弥が俺を脆くてひ弱で崇弥の加護が必要な奴やと決め付ける限り、俺はずっと崇弥の足枷のままなんやって分かったんや」
強くなりたかった。
もっともっと強くなりたかった。
だけど、崇弥は俺の「大丈夫や」なんて聞いちゃくれなかった。
足を撃たれた時も言葉に出来ないくらい痛かったし、まともに歩けなかった時期は辛かった。
だけど、俺は“大丈夫”だった。
虚勢じゃない。
本当に大丈夫だったのだ。
ひとりぼっちの頃とは違う。
支えてくれる沢山の人達がいたから、俺は大丈夫だった。
なのに崇弥は俺の怪我に怒り狂った。
俺の話は一切聞いてくれない。いくら大丈夫と言っても無駄。
だから俺は隠すことにした。
傷を隠し、笑って過ごす。
少しでも心配を掛けないように。
「でも、司野は脆くてひ弱じゃないか」
崇弥は俺の目の前まで来ると、徐に左手を上げる。
俺は顔の前に両腕で盾を築き、防御の体勢を取った。
護身術は……えっと、相手に腕を掴まれたら捻って――
『司野、目潰しだ、目潰し。目潰ししろ』
こんな時に瑞牧さんの言葉を思い出しても……。
『お前のパンチなんてひょろひょろだからな。肘タックル、膝タックル、頭突きにしろ』
それ、崇弥にも効くんか?瑞牧さん。
『汚物には触れたくねぇから俺はしないが、急所は首とそこだ。そこに……やれ』
と、俺の股を指差した上司兼講師の瑞牧さん。あの時、俺と一緒に護身術講習に参加していた同僚達は笑っていた。
しかし、今の俺は笑わずに“そこに”やるしかないのかもしれない。
「司野、下ががら空きだよ」
「っ!」
昔の俺ならここで余裕綽々の崇弥にフックで一発KOされていただろう。
だが、講習を受け、実践を重ねてきた労働課監査部員の俺はそんな隙は見せない。
寧ろ、罠を張る。
俺は腕で顔を守っていたが、それは相手の攻撃場所を絞る為。顔が無理なら腹に来ることは予想済みなのだ。
俺は腕の隙間から俺へと伸びる腕を見逃さず、両手で崇弥の腕をガッチリと掴んだ。
「っ」
崇弥が呼吸を乱した。
動揺している。
だけど、まだ駄目だ。
俺が弱くないことをもっと見せ付けなくては。
だから、俺から崇弥に“すまんな”とか言う暇などない。
崇弥に時間を与えないよう間を置かずに、俺は崇弥の体勢を崩す為に崇弥の腕を振り回した。そして、偉大なる瑞牧さんの教え通りに崇弥の急所に向けて膝蹴りを繰り出す。
「えやっ!!」
当たったら痛いんやろうな、嫌やな、崇弥虐めや、等々の考えが頭を過ったが、掛け声を付けた時点でもう膝の勢いを止めることなど不可能になっていた。
しかし、どんな結果になろうと、崇弥の計画を止められるなら、それはやむを得ない犠牲だったと言うことだ。
ごめんな、崇弥。
『由宇麻、止めろ!!』
彩樹君の悲鳴が警報のように耳をつんざく。
そして、
「なっ、ん!」
何故か、俺にはスローモーションで見えた。
上がる俺の膝。
掴んでいた崇弥の腕に俺の両手が前へと強く引かれる。
それで更に勢いが付く膝。
狙いは崇弥の股間――急所。
順調にことが進んでいた。
はずだった。
その時、俺の横顔に影が掛かり、視界の左端に高く上がった崇弥の右腕が見えた。
それが俺と崇弥の間をすり抜ける。
曲げた崇弥の右肘。
上体を下げた崇弥は肘を一気に――
――振り落とした。
こきっ。
そう聞こえた気がした。
だが、それは耳で聞いたと言うより、体全体で聞いたと言う方が正しいかもしれない。
軽く、短い音。
肩凝りで肩を回した時に鳴ったり、背伸びした時に鳴るあんな音。
「ぽきっ」でも「ぱきっ」でもいい。
それが右足の方から僅かな振動と一緒に指先や耳、脳へと響いた。
「あ……ぁぁぁあああああああ――!!!!!!」
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
陽季君の上で俺は足を抱えて転げる。
足が痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
頭の中で火花が散っているか、視界がチカチカと点滅する。
『由宇麻!』
何で。
『由宇麻!』
何が。
『由宇麻ってば!』
何を。
「折れてたらごめん。これでも手加減したんだ」
崇弥に襟首を掴まれ、パンク状態の俺の頭を無理矢理持ち上げられる。
「司野の足がこんなに脆いとは思わなくて。これを機に今の野蛮な仕事も辞めてくれたら俺は嬉しいよ。じゃあね」
多分、侮辱された。
だけど、頭が崇弥の言った意味を理解できない。
痛覚からの情報が膨大過ぎて処理オーバーをしている。
ただ、崇弥の目は吸い込まれるような美しい緋色をしていた――それだけは分かった。
「泣かしてごめん……でも、ありがとう。皆のことよろしくね」
「たか……」
崇弥が手を放し、俺は誰かの上に無様に落ちる。
右足の感覚はない。
痛い……のかもしれないが、五感がほぼ機能していない感じなのだ。
何もかもが鈍く感じる。
霞む視界の中で崇弥のオーバーコートの裾が翻るのを見て、俺は重くて堪らない意識を手放した。
~おまけ~
「あお、知ってた?今日は建国記念日なんだってー。祝日が土曜日ってなんか損した気分になるよねー」
「そうか?うちは平日も全然客来ないしで、毎日休みみたいなものじゃないか。俺や琉雨は家事があるから毎日休みなしでどうでもいいが」
「でも、平日は店番あるじゃん。客来ないのにずっと待ってなくちゃいけないなんて、暇なんだよね……あれはなんか時間を損してる気分になる」
「なら、ちぃには駅前でチラシ配りの仕事を授けよう。存分に忙しくしていいぞ」
「嫌。絶対嫌。暇してた方がマシ。そうだ!洸、一緒にボードゲーム買って来ようよー。で、次の店番タイムからそれで暇潰そー」
「いいけど、途中でチラシ配りしていい?」
「あ…………離れて歩いてくれるならいいけど」
「んだよ。店員なんだから店に誇りを持てよな」
「それとこれとは別だもん。やっぱやーめた。家でゴロゴロしよっと。あー暇」
「陽季にチェーンメールして遊ぼっと」
「それよりも、家事手伝いして欲しいんだけど。分かんないかな?暇ならこの洗濯物畳んで。二人のもあるんだからさ。あと、休みの日に洗濯物一気に出すのやめてくれない?」
「…………………………」
「…………………………」
「洸、チラシ配っていいからさ、ボードゲーム買いに行こー?」
「いや、チラシ配りは別にいいからさ、ボードゲーム買いに行こー」
「二人ともねぇ…………」